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ID.4935
 
■投稿者:夏P(ナッピー)  MAIL
■投稿日:2018/03/25(日) 19:30


注文の少ない料理店〜蛇神の場合〜







注文の少ない料理店

〜蛇神の場合〜







『ぐっ……!』

 腹部を貫く鈍痛に、私は体を“く”の字に曲げるしかありません。
 打ち込まれたのはただの拳。それを開いた上で爪を突き刺せば、私はその時点で死んでいた。そのはずなのに、目の前の仇敵はそうしません。嘲り笑うかの如く、弄ぶかの如く、トドメだけを刺さずに私に戦士として最大の屈辱を与え続けていました。

『弱ェ』

 吐き捨てるように言う黒き翼の主。口の端が醜悪に上がり、額の第三の瞳が禍々しく輝いています。

『この森には強者が集う村がある、そんな話を聞いた。しかもそこを守護するのが音に聞こえたオリンポスとくらァ、ちったァ楽しませてくれるもんかと思ったんだがなァ……ほとほと興醒めって奴だぜ。俺ァ得物を何ら使っちゃいねェのに、テメエはこの村を守るどころか、自分を守ることさえできやしねェ」

 燃え盛る数多の家屋を背に、魔王は笑ったのです。
 何一つ守ることができませんでした。日々競い合い、切磋琢磨して高め合ってきた村は、突如襲撃してきた魔王によって一瞬で炎に包まれました。輝かしい未来が待っていたはずの幼き子供達は皆殺しにされ、それを守るべく在ったはずの私も無様に打ち倒されました。今やオリンピア改を杖代わりにすることで、なんとか無様に倒れ伏すのを防いでいる状態でしかありませんでした。
『倒れねェ、倒れるわけにはいかねェ、そうした気概は別に嫌いじゃねェがな……どっちにしろ、俺に勝てなきゃ死ぬのは変わんねェわけだ』
 魔王の足が私の右肩を踏み付けます。キッと挙げた顔の目前に、巨大なブラスターが突き付けられました。

『何故……こんなことをするのですか』
『大層な混乱もねェこの時代、俺を満足させやがる奴らが消えて久しい。俺の七大魔王おなかまも人間のガキどもにやられちまったのか、生きてるのか死んでるのかもわからねェ奴らばかりだ。だから俺ァこれでもテメエらオリンポスに期待してたんだぜ? 噂によっちゃロイヤルナイツのクソどもにも匹敵するって話じゃねェか』

 本当にガッカリだ。後に暴食の魔王と呼ばれる彼は、言外にそう告げるのです。

『……ただ』

 そこで言葉を切り、魔王は廃屋の前で無惨に果てている小型のデジモンの亡骸に視線を向けました。
 本来なら死すれば即座に粒子と化して消え失せるはず。事実、この村の殆どのデジモンはそのようにして既にこの世から消滅している。そうであるにも関わらず、彼の遺体だけは未だにその場で存在を保っていた。人間界から混入してきたデータを元に私が再構成した、この村の中でも一際特別なデジモンでした。
 そのモンスターの名はスパロウモン。私と一つになり、飛行能力を与えてくれる私の息子に等しい存在。

『デジクロス……つったか、ありゃ悪かなかった。俺ァ初めて見る力だったし、使い方次第では進化ができない連中や進化をしてない連中でも格上に対する対抗手段にならァな。なかなか面白そうだ、そいつについて知ってる情報を話すってんなら――』
『お断りします!』

 痛む体に鞭を打ち、瞬時に回転させて魔王の首筋を狙った大剣は。

『……そういう狡猾さは好きだぜ、蛇の女神さんよ』

 魔王の左手によって受け止められていました。

『だが甘ェ、反吐が出る程甘ェ!』
『がっ……!』

 刹那、振り抜いた右足で顎を蹴り上げられ、私の視界がグルリと一回転します。
 最高に無様です。この村を守護する役目を与えられながら、森を統べる森羅なる名前を持ちながら、そして世界の中立を保つオリンポス十二神の一員でありながら、私は孤高の魔王相手に完膚なきまでに敗北しました。守るべき村が炎で崩れ落ちていく中、ただ手足を大の字に広げて果てた惨めな姿を見て、誰が守護者などと信じることができましょう。

『テメエは殺さねェ。生き証人が一人はいねェと寝覚めが悪ィからな。……それに』

 黒き翼を揺らし、魔王が去っていきます。視界から消えていくその背中に、私はどうすることもできません。

『女は殺さねェ主義なんだよ。例外はあるけどな……これでも博愛主義なんだ、俺ァ』

 後に暴食の魔王として恐れられる、孤高の戦士。
 彼は最後にどこか、そんな人間のようなことを言っていた気がします。




▲ ▲ ▲




「ちわーっす」
「おおっ! ハンギョモンさんじゃないですか! 戻ってこられたんですね!」

 久々に顔を出した常連さんの顔を見れば、自然と私は笑顔になります。

「大分落ち着いたし、知らない間に綺麗な道ができて、森側から来やすくなりやしたからね。ところでアイツはクビにした方がいいですぜ、ミネルヴァの姉御」

 他の席で注文を取っている青海君を見やり、こっそり耳打ちしてくるハンギョモンさんには苦笑を返しました。

「まあ青海君は青海君ですから……」

 忙しいのはいいことです。あの人間の女の子が来てからというもの、彼女達が道を作ってくれたこともあってか店はこれまでになく繁盛していますし、それまでどこか遠くばかり見ていた青海君も少しやる気を出してくれたように感じています。それに私自身、適度な忙しさは余計なことを考えなくて済むから嫌いではないんです。
 青海君だって悪い子じゃないんです。むしろ少し生真面目すぎるというか、責任感が強すぎるところがあるだけで、彼は私にとってもいい後輩です。

「まあ姉御が言うならそうなのかもしれやせんが……」
「……まだ根に持っています?」

 そう尋ねるとハンギョモンさんは苦笑しつつ「まさか」と返してくれました。
 私達は戦闘種族として生を受け、この未成熟な世界の中で戦い続けることを義務付けられています。それが何万年も前から続くこの世界の絶対の掟ルールであり、それに異を唱えるつもりは私としてもありません。平和を謳う者達が次の日には血で血を洗う戦いに身を投じていたことも、伝承に名を遺す英雄達が絶対的な力で戦いを終わらせたことも、それこそがこの世界の真実であり原理と言えましょう。
 それでも、です。
 この世界には戦いだけじゃない。人間の世界と比べれば細やかなものでしょうが、平穏という名の幸せが確かにあるはずだと思うのです。戦いを生業とする私達が、ほんの一瞬でも戦いを忘れて安らげる、そんな場所が世界にあってもいいと私は思っています。
 陽炎君は怒るでしょうが、そうした穏やかな空間を作り、そして守り抜くことが私の夢でした。




▲ ▲ ▲




 森を、そしてそこに生きる全ての者を守る、そうした願いを込めて私は森羅という名を与えられました。
 オリンポス十二神として名を連ねるこの姿に到達したのは随分と前のこと、同志である陽炎君や幻影さんに遅れる形で私は進化を果たしました。音に聞こえた聖騎士団とは異なり、ある程度の自由を与えられた私達は、来たるべき時が来れば力を合わせるという約定の下、今も各々が個々の意思でこの世界のどこかで活動しています。互いが互いに干渉し、如何なる時でも必ず合力するという盟約に縛られた先代のオリンポス六体が、プルートモンとの激闘の果てに壊滅状態となったことを鑑みた故なのかもしれませんね。

『……アンタは甘いわよね』

 理不尽に虐げられる幼き者を守る村を作る。私がそう言った時、幻影さんは笑っていました。
 風のように奔放、けれど氷のように冷酷でもある彼女からすれば、確かに私の行動は甘いと感じられても無理はありません。最近では彼女もまた村を作ったと風の噂に聞きましたが、どうも幻影さんの作った村は私の考えていたものとは些か違うようですし、もしかしたら彼女と私は最初から相容れなかったのかもしれません。
 何にせよ、かくして私は自らの名を体現した村を作り、訪れる者を無償で迎え入れることで徐々にその範囲を広げていきました。

『いい村だ。ここから俺を満足させる戦士が生まれるかもしれないな』

 旅の途中で立ち寄ったという陽炎君がそう言っていたことを覚えています。

『……お言葉ですけど』
『む?』
『ここは戦士を育てる場所ではないんですよ?』

 戦うことしか頭の無い彼に、私は面と向かって――当時の私は背が高かったんです。本当ですよ?――言ってあげるんです。守護者であると同時に、自らの飢えを癒す為の戦いを求める彼は、純粋であるが故の危うさも孕んでいるように思えてなりませんでした。世界のバランスを保つという使命に最も忠実で、太陽の神アポロの名の通り皆を慈しむ心を持ちながら、彼は自らの全力を振るえる機会と相手を求めている、私にはそう思えます。
 戦闘種族としてその在り方が好ましく思えることも、私は否定しませんが。

『仮定の話だよ森羅、そう期待してしまうというだけの話さ』

 陽炎君は苦笑して続けます。

『……守ってやれよ』

 その言葉に決意を新たにした私でしたが。

『弱ェ』

 破滅の時は、その数日後でした。
 あの日以来、心に穴が開いています。虚無感と言い換えてもいいかもしれません。オリンポスの名を背負った当時の私は、確かな自負と共にあの村を守っていました。けれどそこが暴食の魔王によって壊滅した時、私は生まれて初めて絶対的な強者との絶望的なまでの差を思い知らされたのです。この魔王にはどう足掻いても勝てない、何をしても無駄なのだと本能的に理解してしまいました。
 スパロウモン、その村にはそんな名を与えられた子がいました。人間界から混入したデータの残滓から生まれた鳥型のデジモンです。彼は自らデジクロスと呼ぶ不思議な力を持ち、私の翼となり力を与えてくれました。森を統べる私に制空権すら与えてくれる彼の力があれば、それは即ち無敵――その姿を私と彼はジェットメルヴァモンと呼んでいました――だったはずですが、その力さえ暴食の魔王には遠く及ばなかった。
 いつだったか、青海君に聞かれたことがあります。

『先輩はオリンポスとしての自覚が無いのではないですか?』

 私自身、その質問に何という答えを返したか覚えていません。
 青海君は生真面目で責任感の強い子だから、戦うこともせず料理店の経営に勤しむ私を見れば、そう思うのは無理もないのかもしれません。基本的に不平不満を漏らさない彼ですが、究極体になって尚ウェイターに甘んじているとあれば、心のどこかで燻るものがあるのは確かでしょうし。
 自覚があるか無いかと言われて、ハッキリ答えることが私にはできませんでした。きっと私は世界の守護者として相応しくないのでしょう。
 逃げかもしれない。認めたくなくとも確かな事実です。自らの限界を思い知らされた私は、こうした道しか選べなかったのだと。




▲ ▲ ▲




 その日は妙にお客様が少なかったのですが。

「まさか青海君、また常連の皆様に」
「そ、そんなことはしていませんよ……!」

 その理由を私達はすぐに思い知ることになります。

「よォ」

 ガラリと乱暴に扉を開いて入店してきたお客様、それは。

「いらっしゃいま――」

 思わず言葉を失いました。片足に魔銃ベレンヘーナを保持したホルスター、両腕には禍々しい爪を備え、漆黒のライダースジャケットを身に纏う痩躯は、細部が違えど私のトラウマに他ならなかったのですから。

「……ベルゼブモン」

 自由気ままに世界を荒らし回る魔弾の主。愛機ベヒーモスと共に荒野を駆け、弱き者を喰らう暴食の魔王。旅の中で行き倒れた識者バアルモンを名乗って皆に取り入り、やがて本性を現すと共に私の守護すべき村を破壊し尽くした仇敵が、そこにはいました。

「久しいな、元気そうじゃねェか……何よりだぜ」
「……あなたも」
「しかし随分と縮んじまったな。あの時のテメエはもっと別嬪だったと思うが」

 ドサッと窓際の席へ座りながら嗤う魔弾の主。
 挑発だとわかっています。魔王が現れたという事実だけで本能的に臨戦態勢に入る青海君を押さえ、私は厨房へと向かいました。
 憎しみと恨みが無いと言えば嘘になるでしょう。けれどそれ以上に、彼がその気になれば私と青海君が二人同時に挑んだところで、赤子の手を捻るが如く返り討ちにされるだろうことを私は身を以って知っています。
 世界の支配にも光の者の打倒にも一切の野望を持たない彼は、そうであるが故にただ戦闘だけに特化した彼は、言うなれば生きた災害そのものです。その点においてベルゼブモンは他の魔王とは一線を画しています。バルバモンのような狡猾さも、ルーチェモンのような傲慢さも持たず、ただ“強い”だけの魔王が彼です。この世界に彼の敵になる相手などいるはずもない、たとえそれが世界最強と謳われる聖騎士達であっても。
 歯噛みします。オリンポスなどと呼ばれ賞賛されても、上には上がいるのですから。

「……あなたも少し姿が変わったように見えますが」

 料理を運びながら慎重に言葉を選んでいく。魔王は退屈そうに両手を頭の後ろで組み、その目だけを私に向けました。

「あの時は手ェ抜いて悪かったな。……バアルモンの姿を取った影響でよ、ちっとばかし完全体クラスにまで力が落ちてたってわけだ」

 それに反応はしません。私の反応を愉しんでいる魔王の思うツボだとわかっていますから。

「この世界は本当に退屈だよなァ……?」
「私はそうは思いませんが」
「それはテメエ自身が退屈な奴だからだよ」

 嗤う。魔王の存在そのものが私を嗤っている。

「テメエが如何に否定しようと、俺らは結局のところ戦闘種族だ。信頼だ友情だ愛情だ、そんなもんはくだらねェ一時の気の迷いに過ぎねェ。互いに殺して殺されて、食って食われるシンプルな関係でしかねェのさ。テメエが作る料理の材料は何だ? 俺らが生きていく上で糧にしてるもんは何だ?」

 料理を掻っ込みながら、どこまでも魔王は私を不快にさせていきます。あと行儀が悪いです。

「……ご高説を賜りまして感謝しますが、私にはあなたが何を言いたいのかわかりかねます」
「人間の真似事なんざしてんじゃねェって話さ」

 そう言って私を、私の心にある人間への憧憬を見透かした魔王の瞳にあったのは、ただ純粋な憎悪でした。

「その点、原初の世界って奴はなかなか芳醇だったんだぜ? 荒れ果てた世界で俺達はただ、互いを餌としてしか認識していなかった。目が合えばその場で殺し合い、殺した相手を貪り食ってた。喰らった相手の力を取り込んで、俺達は強くなるってェ単純な世界だ。それがいつの間にか、村ができて、町ができて、そして国まで作られやがる……くだらねェったらありゃしねェぜ」
 そこで魔王は窓の外へ目を向ける。その先に創世期の世界を見ているのでしょうか。

「それもこれも最初のヒューマン族とビースト族の戦争の所為だよなァ。あそこでヒューマン族なんぞ全て滅ぼしちまえば、こんなことにはならなかった……つまらねェ世界にしてくれやがったぜ、ルーチェモンもよ。アイツも十闘士とかいう連中にやられたってんだから、ざまあ見ろって奴だがな」

 同じ七大魔王であるはずの傲慢の魔王を、ベルゼブモンは躊躇い無く侮辱する。

「私は……人に学ぶことが一概に悪いとは思いません」

 搾り出すような私の声に、嗤いながら「ま、俺も100%悪いとは言わねェがよ」と告げる魔王。
 いつの間にかホルスターから引き抜いた魔銃ベレンヘーナ。それを人差し指でクルクルと回しながら、ベルゼブモンは能天気に口笛を吹いています。どこまでも相手を馬鹿にするような態度は、敢えて道化を演じているのか、そもそも魔王の素なのか、私には判断が付きませんでした。

「いつぞやの時には無かったろ? これァ一応アンタらのお仲間の渾身の作品でな」

 先代のオリンポスの一員、ウルカヌスモン。彼が遺した作品は今でも世界各地で発見され、希少な武具として保管されていると聞きます。魔王のベレンヘーナもその一つだったとは知りませんでしたが。

「これもまあ悪くねェ。こんなに効率良く殺せる道具ってのァそうそう無いもんだぜ」
「殺す……道具」
「テメエの剣と同じさ。何かを傷付け、殺す為の道具だ」

 ベレンヘーナの銃口を私の眉間に押し付け、どこまでも魔王は私を嘲り笑ってみせるのです。

「それとも何か? 相変わらず守るだの助けるだの言ってんのか?」

 それには答えません。答える必要性も感じません。

「……テメエがそう在ることを否定するつもりはねェんだ」

 何秒間そうしていたのか、ベルゼブモンは魔銃をホルスターに収めます。

「オリンポスにロイヤルナイツ、三大天使どもに四聖獣、それから十闘士とかいう連中もか? この世界はちっとばかし、守護者とか呼ばれる連中で溢れすぎてやがる。世界のバランスを保つにしちゃ、些かやりすぎなぐらいだと思わねェか?」

 彼の質問は恐らく私の答えを期待して紡がれたものではないのでしょう。
 こうも守護者が多くては、魔王として動き辛い。そう言っているようには思えません。倒すべき敵が多すぎて面倒だ。戦闘狂の類である彼のこと、そう考えるはずもないでしょう。ただ、数多の守護者が存在すること自体が憎いとでも言いたげな、そんな言葉でした。

「先の言葉にも通ずるがな、世界はもっと単純でいいんだよ。俺達はそういう星の下に生まれてきたんだからよ。シンプルに戦い、殺し、食い合う……それが本来の意味でのデジタルワールドじゃねェのか?」
「私は……そうは思いません」

 売り言葉に買い言葉。きっと私にも確たる答えがあるわけではないのですけど。

「少なくとも今を生きる私達には感情があります。怒ることも悲しむことも、そして笑うことだってできるんです。昔の世界がどうだったかは存じ上げませんが、現に私達がこう在る以上、それを無視して生き方だけを原初に戻すことなどできるはずもない……」
「……人間みてェなことを言いやがる」

 クックッと笑う魔王。私の答えに満足したわけではなく、何かを思い出した様子でした。

「何がおかしいんです」
「似たような言葉を何日か前に聞いたと思ってな。……人間の小娘だ、なかなか楽しめたが俺の敵じゃなかっ――」

 それがどういうことかを理解したのは、私の後ろで聞き耳を立てていた青海君の方が早かったようです。

「貴様――!」

 裂帛の気合と共にキングスバイトを――店内にも関わらず――魔王に向けて突き出さんとする青海君。
 ですが。

「遅ェ」

 ベルゼブモンはそれより速く立ち上がると同時に右足で蹴りを見舞いました。

「があああああああ!!」

 それだけで青海君の巨体は吹き飛ばされ、店の壁を突き破って崖下へと落下していきました。

「青海君!?」
「従業員の躾がなっちゃいねェな」

 崖下は海ですから、青海君だって死んではいないでしょう。
 そもそもベルゼブモンは両腕ではなく敢えて足を見舞った時点で、恐らく力の十分の一も出していません。武器も技も使わず、純粋な身体能力のみで末席とはいえオリンポスに名を連ねる青海君を退けた魔王の力は、いつぞやから衰えるどころか更に磨きがかかっているように思えます。
 どこか冷めた心で理解します。やはり私では、彼に一太刀浴びせることも叶わない。

「先の小娘の方がまだ楽しめた、相変わらずオリンポスって連中はガッカリさせてくれやがる。……あの青臭ェ小僧にはそう言っといてやれ」

 私の答えを待たず、勘定を置いてベルゼブモンは去っていきます。
 その背中には何も言えません。青海君の仇と斬りかかったところで、彼と同じ目に遭うだけでしょう。元よりあの魔王に手出しをしてはならないと改めて理解しました。先も言った通り、あれは台風や地震といった災害と同じです。対峙すれば為す術もなく蹂躙されるのを待つのみ、私達の手で立ち向かおうとすればそれ以上の力を以って踏み付けられることになる。
 件の人間の少女――名前を何といったでしょうか――はそれが許せず、彼に立ち向かったのでしょう。
 そして死んだ。パートナー諸共、暴食の魔王に敗れ去った。それは悲しい出来事であることは言うまでもありませんが、同時にベルゼブモンにとって殺す価値がある相手だったということでもあります。
 ベルゼブモンは原初の世界に戻るべきだと言っていました。元のシンプルな世界に立ち返るべきだと、その為には人間の干渉など不要、そういうことでしょうか。

「はあっ……はあっ……し、森羅先輩……奴は……?」
「……帰りましたよ。大丈夫ですか青海君」

 息を荒げながら崖を登って戻ってきた青海君は、走り去っていくバイクの音に忌々しげに振り返りました。

「アイツ……殺したんですね、あの子を」
「そのようですね」

 青海君の口がギュッと歪む。そんなにも彼は、あの子に魅せられたのでしょうか。

「森羅先輩は何も感じないんですか……!?」
「……お客様が亡くなられたというのは、非常に残念です」

 この言葉はきっと青海君を傷付ける。それを知っていながら、彼の為だという免罪符と共に私はそれを口にします。

「それだけです、それ以上は何もありません」
「……わかりました。尊敬に値する先輩だと思っていましたが、僕は本日よりお暇を頂ければと思います」

 口の端が震えている。義憤に駆られる彼の姿は、とても真っ直ぐで、とても好ましいものに思えました。

「承りましょう、青海君がいなくなるとなればこの店も畳むべきですね」
「二度とお会いすることはないかもしれませんが、これまで大変お世話になりました」

 その言葉を最後に、背を向けて店を出ていく彼の姿を私は黙って見送ります。
 青海君は正しい。奇跡を為す人の姿に魅せられ、その死を許せないと憤る精神性は、陽炎君と同じく本質的には善であると言えましょう。今はまだ敵わなくとも、腕を磨いてあの魔王をいつか必ず倒さんとする彼の意思はとても眩しく、いつかその奇跡を形にしてくれるのではないかという気さえしてきます。そんな彼の決意を私の独善で引き留めることはできません。
 それでも私は、心のどこかにいる冷めた私自身は、魔王に勝つことなど不可能など理解してしまっています。幾十の奇跡が連なったとしても、この世界に生きる電脳生命体わたしたちには決して彼を倒せる者など存在しない。そして奇跡を為せるはずの人間が敗れた以上、もしかしたらどの世界にも――?
 それでも私が止めたとしても、青海君は止まらないでしょう。ならばせめて、信じて送り出してあげるのが先輩としての最後の務め。

「それに……私もこのままではいられませんから」

 あの日以来、ずっと枯れ果てていた。自分では勝てない相手がいるという絶望を前に、一歩も前に進めなかった。
 けれど火が点きました。暴食の魔王が語る原初の世界への回帰、今ここに在る世界の否定、そんな絵空事を前に停止していた私の時間が動き出した気がしました。そんなことはさせない、認めないと心の中で叫んでいる自分が確かにいるのです。
 ああ、再確認しました。私はこの世界が好きなんだなって。

「私は、私のやり方で……」

 世界を守ってみせると誓いました。力不足の私でも、今の世界を保つことならできるはずだから。









スレッド記事表示 No.4934 注文の少ない料理店〜海神の場合〜夏P(ナッピー)2018/03/25(日) 19:25
       No.4935 注文の少ない料理店〜蛇神の場合〜夏P(ナッピー)2018/03/25(日) 19:30
       No.4949 お月様出身の殺戮神であらせられる作者様へtonakai2018/03/29(木) 21:30
       No.4951 崖っぷちの料理店へようこそパラレル2018/04/02(月) 22:13
       No.4955 月下のけだもの〜狗神の場合〜夏P(ナッピー)2018/04/06(金) 19:15
       No.4956 月下のけだもの〜月神の場合〜夏P(ナッピー)2018/04/06(金) 19:31