オリジナルデジモンストーリー掲示板NEXT
 

小説とその感想の掲示板です。小説を投稿される方は小説投稿規約を必ずお読みください。

         


ID.4575
 
■投稿者:Ryuto  HOME MAIL
■投稿日:2015/12/28(月) 00:31


幾千のアポカリプス 覚醒矛盾 “1/少女と少年”
 明るい星が無数に閃く夜空を、一つの影が飛んでいた。
 それは地上から眺めれば、この辺りでは見かけないような大きな鳥と勘違いするかもしれない。あるいは、警戒飛行をする戦闘機のようにも見えるかもしれない。
 それは鳥と言うよりも、むしろ翼竜だった。ただし、それは機械の身体を持っている。そして戦闘機と違い、生きている。
 それはプテラノモンという名の、翼竜型のデジタル・モンスターであり、れっきとした生物だった。
 プテラノモンはしばらくの間飛行を続けていたが、目標地点に近づくと高度を下げ始めた。木々がうっそうと生い茂るこの山は、冬季であれば多くの人で賑わうスキー場の林間コースと化す。ただし今くらいの季節、しかも真夜中であれば、まず人が寄りつくことはない。
 人以外の生物ならば別だ。
 プテラノモンの背中の上に、プテラノモンよりもずっと小さな人影があった。それはしばらくの間、眼下に広がる森林を眺めていたものの、やがて立ち上がり、激しい風圧にも全く煽られることなく背筋を伸ばす。身体をゆっくりと傾けると、それはまるで潜水に挑むダイバーのように、プテラノモンの背から身を投げた。
 瞬く間に人影は落下し、地上に向かう。普通の人間ならば、地上に達した瞬間、衝撃で無残な姿へ変貌してしまうだろう。だがプテラノモンと同様、彼女もまた普通の人間ではない。
 彼女は地上には激突しなかった。淡い光が彼女を包み、0と1が延々と並ぶ緑色の帯が、彼女の身体を書き換えていく。



 生物は電子情報で、電子情報こそ生物。それがこの世界のルール。
 書き換えられた彼女の身体は、もう人のものではなかった。筋肉質の白い両腕は獣のようだが、肘の辺りから生える翼と、赤い羽毛に覆われた両足は鳥類のようにも見える。
 バイザーに覆われ、白く長い耳のついた頭部だけは、人間のようにも見えた。
 獣人型のデジタル・モンスター、シルフィーモンは肘の翼を広げ、優雅に地上へと降り立つ。
 そして次の瞬間には、目の前に迫っていた青い身体を持つ鬼人を右ストレートで殴り飛ばしていた。

「ガアアアァァッ!」
 青い鬼人型のデジタル・モンスターことヒョーガモンは、他にも何体かその場にいた。どれも両肩から氷のような結晶を生やし、右腕にそれと同じくらい大きな氷の棍棒を握っている。シルフィーモンよりも筋肉質で、いずれも興奮して怒号を上げている。
 その内の何体かは、既に他の敵と戦いを繰り広げていた。カウボーイのような恰好で両手にリボルバーを握っているデジタル・モンスターや、モノアイのゴーグルと装甲服で武装した竜型のデジタル・モンスターがヒョーガモンたちの相手をしている。
 彼らの包囲を掻い潜った二体の鬼人が、氷の棍棒を振り上げながらシルフィーモンに迫ってきた。彼らとは対照的に、シルフィーモンは一言も発さず、表情を変えることもなかった。代わりに両腕を回転させてから、二つの掌を合わせて前に突き出す。掌からそこから放たれたエネルギーの弾が、シルフィーモンから見て右側にいたヒョーガモンを吹き飛ばした。
「ガアッ!?」
 左側のヒョーガモンは、あっけなく弾き飛ばされた同族を気にも留めず、シルフィーモンの眼前に到達すると、棍棒を振り下ろした。シルフィーモンは構えをすぐさま解くと、左足に重心を移し、まるで崩れ落ちるかのように腰を落とした。棍棒の直撃を回避すると、彼女は右足を素早く動かし、ヒョーガモンの脚に鋭い蹴りを入れる。直後、シルフィーモンは再び立ち上がると、痛みに呻きながら倒れかけるヒョーガモンの頭部にもう一度右足で回し蹴りを浴びせた。それだけでヒョーガモンは動かなくなった。
 シルフィーモンは周囲で同じように戦うデジタル・モンスターたちを見回した。いずれも体術や、装備された武器を使い、ヒョーガモンをなぎ倒していく。どうやら、プテラノモンが空から爆撃を仕掛ける必要もなさそうだ。
「追手が誰かと思えば、貧弱なガキではないか」
 憎しみが存分に籠った声が背後から聞こえる前に、シルフィーモンは身体を捻って、直前にいた位置から遠ざかる。次の瞬間、地面に巨大な鉄の鎖が落下し、轟音を立てて砂埃が巻き上がった。

 パキパキと枝が折れるような音が辺りから響き、目の前にある大木に生えた緑色の葉が突然燃え上がる。木々の間から、鉄仮面を被ったデジタル・モンスターが姿を現した。
「よくも同胞たちを葬ってくれたな」
 シルエットだけは人間の男性のように見えるものの、上半身に巻いている巨大な鎖と鉄仮面の奥にある赤い瞳、そして全身に纏った青白い炎が、それが人でないことを示している。
 破綻者集団ナイトメアソルジャーズの首領であるデスメラモンは、シルフィーモンを見下ろした。
「どうした、俺を殺しにきたのではないのか?」
「……」
 シルフィーモンは右手をゆっくりと上げ、味方のデジタル・モンスターたちにジェスチャーを送る。これは自分に任せ、他の敵を排除せよと。
 それからシルフィーモンの身体はまた淡く輝き、緑色のデータによる書き換えが行われ……プテラノモンの背に乗っていた時の姿に戻った。
 どこかの学校の制服らしき白い半袖シャツと紺色のニットベスト、それに紺色のプリーツスカートを着た、ポニーテールの少女。この戦いに参加したどのデジタル・モンスターとも違い、今の彼女の姿は人間そのものだった。シルフィーモンの姿の時ですらデスメラモンとは体格差があったが、今はまるで小人と巨人が対峙しているかのようだ。
「何だ貴様は……器が出てくる幕ではないぞ?」
 デスメラモンは首を傾げながら威圧的な表情で少女を見つめる。
「さっき追っ手について話していたけれど、それは一体誰から聞いたの?」
 少女が口を開く。デスメラモンに投げかける視線と同様に、とても冷めた口調だった。
「小娘……会話という言葉を知っているか?」
「パラサイモンからかしら?」
「……」
「そう、パラサイモンね」
 沈黙は肯定と受け取る。この反応に対し、デスメラモンはゆっくりと右腕を上げ、その手に握るチェーンを回転させ始めた。最初はゆっくりと、大きく。やがてチェーンに纏わりついた炎が大きくなることに合わせ、腕の回転も激しくなっていく。
「俺たちには捕虜を取る習慣は無くてな。器を表に出したのが運の尽きだ。残念だが、ここで死んでもらおう」
 デスメラモンの瞳の奥は爛々と輝き、低い声には嘲笑が含まれていた。少女は黙って立ったまま、動こうともしない。デスメラモンはにやりと笑い、最後通告を突き付けた。
「何か言い残したいことは?」
 これに対して、少女は冷めた口調のまま答える。
「敵に背中を向けているのは、良くないと思うわ」

 鈍い衝撃とともに、デスメラモンは自らの胸部に違和感を覚えた。違和感は、やがて熱を帯びた不快感に変わる。これはとても奇妙なことだった。炎の力を持つ完全体である自分が、熱さを不快に感じている? その正体に気づき、デスメラモンは視線を今までよりも更に下げた。
 赤く輝く矢が背中から自分の胸を貫き、鋭利な刃を覗かせている。
 やがて、不快感は体中に広がり、全身から力が抜ける。握っていたチェーンが掌から落ちた時、デスメラモンは自らが纏っている青い炎が真っ赤な炎に変わっていることに気づいた。これは自分が操っている炎ではない。何か別のものだ。
 彼は声を荒げながら身体を激しく動かし、どうにかして状況を打開しようとした。しかし、最早どうすることもできなかった。デスメラモンは最期に、自らの意識が炎に呑み込まれていくことを感じた。

 何時の間にか周囲に訪れた静寂は、戦いが終わったことを示している。目の前の巨人が赤い炎の中で消えていくのを眺めていると、少女はスカートのポケットの中で携帯電話の振動を感じた。
 こんな状況で電話を掛けてくるのは、まずひとりしかいない。溜め息をつきながら二つ折りの携帯電話を開き、画面に浮かぶ相手の名前を確認することもなく通話ボタンを押した。
「もしもし?」
“やー、流石ねシルフィーモンは! 強い強い! 私惚れ惚れしちゃったよ!”
 ほらね、予想通り。目の前では彼女の相棒が仕留めた敵が未だに燃えているというのに、呑気なものだ。
「……私のことも少しは褒めて欲しいんですけど」
“何言ってんの、いくら何でも敵前にアンナちゃんが姿を晒すことないでしょ。危ないっつーの”
「シルフィーモンじゃ情報は引き出せないし、私が出るしかないじゃないですか」
 電話口の相手が言うことはごもっともだが、こればかりは仕方ない。
「それに、あなたたちが外すなんてこともないでしょうし」
“ふふふふ、まぁね”
「えーと……それで? それが言いたかっただけですか、朱鳥(あすか)さん?」
“いやいや、違うよ。さっき有香(ありか)から連絡が入ったわ。仕事が終わったらすぐに横浜に戻ってくるようにって”
 少女は目を瞑りながら天を仰いだ。横浜に戻れ? 随分と気楽に言ってくれる。
「ここ、長野ですよ? 何時間かかると思ってるんですか?」
“文句はムゲンドラモンに言いなさい。早くホテルに戻りましょ。そんで始発までパーッと……”
「騒ぎません。シャワー浴びて仮眠します」
 その後の言葉は一切聞かず、通話を切断する。夜空の奥がわずかに明るくなり始めていることに気づき、その景色を眺めながら丘岬(おかざき)アンナは携帯電話を閉じた。





●●1/少女と少年●●




 右手には不思議な感触があった。柔らかく、温かい感触。とても懐かしい感触。
 だが、何かがおかしい。自分は本当にこれに触れたことがあったのか? どこで触れたのか? それは何なのか?
 やがて、温かさの正体が分かった。それは心臓の温かさだ。そして肺や胃、内臓の温かさ。血の温かさ。
 よく知っている相手の温かさだ。
「拓人さん」
 赤い液体が右手を伝い、肘から落ちる。その右手は、人間の形をしていなかった。青白く、二の腕よりも肘の先の方が太い。鋭い爪の付いた指は三本しかない。自分の腕ではない。おぞましい腕。
 全身の毛が逆立ち、背筋が冷水を浴びたように凍った。
 もう一度、右腕が触れている相手を見る。金髪のツインテールと、自分より三十センチほど低い身長。白く綺麗な肌と、同じ学校の制服であるYシャツは赤く染まっていた。
 右腕はそこを貫いている。
 吊り目がちの碧い瞳が、自分を見ていることに気づいた。整った顔立ちの彼女が、唇をゆっくりと動かす。
「拓人さんが、あたしを殺したんですよ?」

 意識が覚醒し、現実へと引き戻される。共用机の上に突っ伏していた頭を上げ、周囲を確認する。彼女の姿はない。血と内臓の感触も、臭いもない。
 そこは自分が通う中学校の図書室だった。夏休み期間中、生徒や地域住民に開放されるこの場所には、受験勉強をする生徒が自分の他にも数人いる。幸運なことに、冷房の効いた部屋の中で汗をかき、飛び上がるように跳ね起きた自分の様子に気づいている者は誰もいないようだ。皆、教科書や参考書を見つめ、ノートに答えを記入することに没頭している。もちろん、自分だってそのためにここに来ているのだが。
 机の上をもう一度見る。自分のスペースに置かれているのは、教科書と問題集、シャープペンシルに消しゴム、ペンケース。
 これらは何の変哲もない、ごく普通の受験生の持ち物だ。ただ、その脇にある、包帯を念入りに巻いた自分の右腕。これは“普通”じゃない。
 慌てて右腕を、机の上から下へと隠す。これだけは人に見られてはいけない。普通の人間なら包帯をしている以上、それは怪我か、病気に罹っているのが原因だと思うだろう。だが一部の人間――人間と呼んでいいのかも分からないが――は、その様子を見るだけで、これが何を意味しているのかを理解する可能性がある。それだけは絶対に避けなければならない。
 さっき自分が見た光景は確かに夢だ。だが、あれは過去に起きた出来事をあまりにも忠実に再現していた。しかも、あの夢を見たのは初めてじゃない。一年近く前から、もう何度もあの夢を見ている。そして夢の中に出てくる右腕は、この包帯の下にある右腕と全く同じものだった。
 一年近く、右腕はこのままだ。これをできるだけ使わない日常生活にも、左手で文字を書くことにも慣れてきた。できることなら、右腕は切り落として捨ててしまいたい。
 ふいに視線を感じ、もう一度周りを確認した。共用机には、自分よりも離れた場所に座る生徒が数人。誰も自分なんか見ていない。
 本当に? 実際には、ここにいる彼らは自分の正体に気づいているのではないか? 勉強するふりをして、命を奪う機会を狙っているのでは? そうだとしたら……どうすればいい? 心臓が早鐘のように音を鳴らしはじめ、半袖のYシャツが、腋の下の汗で濡れた。
 自分は破綻者に、狙われているのでは?

「隙あり!」
「んぐっ!?」
 明るい声が聞こえるのと同時に頭に衝撃を受けて、砂原拓人(すなはらたくと)の首ががくんと曲がる。心臓が肋骨を突き破って出てくるのではと思うくらい跳ね上がった。やられた。
「んふふ、サハラくん今寝てたっしょ?」
 振り返れば、快活な笑顔を浮かべた亜麻色の髪の女性が立っていた。青い太縁の眼鏡の奥で、目が爛々と輝いている。夏らしい白いワンピースからすらっと伸びた右腕の先には、さっきの衝撃の正体と思われる、丸めたB5ノートがあった。三森(みもり)あかね、元図書委員の先輩。正直、少しだけ良い香りがした。
「あ……先輩」
「おはよう。良い夢見てた?」
「いえ……正直、あんまり、良い夢とは言えませんでした」
「そうかそうか。いずれにせよ、図書室は睡眠する場所じゃないよ。体調が悪いなら家に帰ってベッドで寝なさいな」
「ご忠告ありがとうございます……あと俺の名前、スナハラですよ」
「あれ、そうだっけ……あ、いや、知ってたよ、うん。わざと言ってみただけ」
 あかねの言葉が本当なのかは甚だ疑問だが、ここが居眠りする場所でないのは事実だ。実際、あの夢を見た後では勉強に集中できる気がしない。今日はこの辺りで切り上げた方が良さそうだ。
「あの……三森先輩って卒業してますよね? なんでここにいるんですか?」
「可愛い後輩図書委員のお手伝いだよ。この図書室もあと半年でお終いだからね。蔵書のお引越しの準備は大変なのだよ」
「あぁ、なるほど」
 あかねの言う通り、この図書室は半年後には使われなくなる。中学校そのものが廃校となるからだ。拓人の代を最後に入学する生徒が居なくなったことで、この学校にはもう二百名弱の三年生しか通っていない。少子化と校舎の老朽化の影響、ということになっている。拓人は、そうでないことを知っている。証拠はないし、説明したところで誰にも理解されないだろうが。
 三森あかねと出会ったのは昨年の秋ころ。受験勉強のための図書室通いを始めてからだ。底抜けに明るい彼女は、拓人が何度そっけない反応を返しても、下らない冗談やどうしようもない変な話題を手土産に話しかけてくる。やがて彼も、彼女を追い払おうとするのを諦めた。
 逆に言えば、彼は一年近く、学校ではあかねを含むごく限られた相手としかまともに会話していない。あの体験をした後は、人と交流することを止めるしかなかった。
「ところでサハラくん」
「砂原ですって」
「いや、だから、わざと言ってるんだって」
「……じゃあ、そういうことにしておきますね」
「うん。で、来週の月曜日って空いてる?」
「え……どうしてですか?」
 拓人は少しだけ動揺した。予定を聞かれるなんていつ以来のことか。
「いや、花火大会あるじゃん」
「花火……あー、ありますね」
「サハラくん、暇だったら一緒に行かないかなって。夏休みの思い出作りにお姉さんとトゥギャザーしようぜ!」
「古いですねネタが。何年前の流行語ですか」
「失礼な。きっとまた流行ると私は信じているよ。二年後くらいに」
「はぁ。って言うか、俺なんか誘っても楽しくないでしょう。高校の人とか、図書委員と観に行った方がいいと思いますよ」
 彼女の交友関係はあまり分からないが、少なくとも自分より友人が多いのは間違いないだろう。見た目だって悪くないし、彼氏がいるとしても何ら不思議ではない。だからこそ、拓人はあかねが額に皺を寄せて不機嫌そうな表情をしている理由が全く分からなかった。
「むぅ。分かってないね、サハラくんは」
「何がですか?」
「だってサハラくん、このままだったら夏休み中ずっと図書館に籠って勉強してるつもりでしょ? 中学生活最後の夏休みなのに」
「えぇ」
「元図書委員の私が言うのもなんだけど、そんな夏休み楽しくもなんともないよ。少しくらい息抜きしなさい、息抜き。お姉さんがエスコートしてあげるから」
 随分と上から目線な……と思ったものの、あかねが自分のことを案じてくれていることは分かった。そう思うと、この誘いも無碍にするのも良くないかもしれない。それに、彼女の言っていることは完全に当たっている。この夏休みは引き籠るつもりだったし、楽しみと言える楽しみは何もない。
「まぁ、少し考えておきます」
 拓人はひとまずそう答えたが、あかねが明るい笑みを浮かべているのを見ると、この後断ることはできないだろうとも思った。悪い気はしない。

 リュックを肩に掛け、砂原拓人は中学校を出ると、どこにも寄ることなく自宅へと向かった。うだるような暑さも、蝉のけたたましい鳴き声も無視する。ただ、周囲の人の動きだけを気にしていた。
 通学路にあるスクランブル交差点で青信号を待っていると、正面と斜め向かい側の歩道にいる中学生が、グループで談笑しているのが見えた。知らない制服。夏休みを満喫しているであろう少年少女。だが彼らを見ていると、左手の掌が汗ばみ、包帯に巻かれた右腕が震えた。
 今週から横浜市内の多くの学校が夏休みに入り、街中で同世代の少年少女を目にする機会が増えた。それを見ているだけで、先程までの呑気な会話で収まった鼓動がまた早まる。
 拓人はこの状態がたまらなく苦痛だった。命の危険を感じるほどに。彼らのうちの誰かが、デジタル・モンスターに憑依されているのではないかという疑いが、拓人の心から平常心を破壊していく。
「タクト?」
 声が聞こえる。これもまた、よく知っている声。だが、もうこの世では聞くことのできないはずの声。彼の悪夢の中でのみ再生される声だ。
「タクト、聞いとる?」
 関西弁で話す少女の声は、拓人の背後から聞こえた。これは幻聴だ、それは分かっている。長い黒髪の、大きな瞳を持つあの少女は、ここにはいない。
「アンタ、私を殺したのを忘れてへんか?」
 亡霊の声が聞こえた瞬間、スクランブル交差点の歩行者信号が青に変わった。拓人は走り出した。周囲にいた大人たちがその動きに驚いて道を開ける。遠くにいる中学生のグループの何人かが、自分の方を指さして何か話している。その中に、背の低い金髪の少女がいた。
「拓人さん、忘れちゃったんですか?」
 違う! これも幻聴だ! 拓人はそう自分に言い聞かせ、横断歩道を必死に駆ける。信号待ちをしていた人々が動き出し、人の波が自分の目の前に迫ってくる。波の合間から、金髪の少女と黒髪の少女が現れては消える。
「私たちを殺したのはタクトなのに」
「拓人さんは解ってますか?」
「そうやって逃げても解決せえへんよ」
「無視しないでくださいよ」
「タクト」
「拓人さん」
 呼吸が乱れ、汗が全身から噴き出す。拓人は走り続けた。スクランブル交差点を抜け、人気のない道に入ってもまだ走った。逃げ続けた。

 これが砂原拓人だ。
 かつて彼には恋人が二人いた。その二人とも、今ではこの世にはいない。存在しなかったことになっている。
 この世界――リアルモーメントは、電脳世界(デジタルワールド)の中に存在する、“人間という擬似生命のためのエリア”だ。元々はこの世界の住人のひとりに過ぎなかった拓人は、二年前に一人目の恋人――黒髪の少女、沖あいこに殺された。正確には、彼女に憑依したデジタル・モンスター、メガシードラモンによって。
 デジタル・モンスターは、電脳世界における、リアルモーメント以外のほとんどのエリアを居住区域としている、高い戦闘能力と闘争本能を持つ擬似生命体だ。彼らの居住する領域と人間の住むリアルモーメントは、冥府として機能するダークエリアを境目としてエリアが分けられ、通常は行き来することが不可能となっている。だが、ごくまれに、ダークエリアに送られたデジタル・モンスターは、冥府で裁かれるという自らの運命に従わず、リアルモーメントへと侵攻し、媒体としての資質を持つ人間の子供に憑依することがある。憑依された子供――破綻者は多くの場合、デジタル・モンスターの影響による殺人衝動に逆らうことができず、殺人を犯すことになる。砂原拓人もまた、それによる憐れな犠牲者の一人だった。
 だが、彼はその直後、通常とは異なる動機でリアルモーメントに現れたデジタル・モンスターに憑依され、生を取り戻した。そのデジタル・モンスターは冥府の管理者と名乗り、命と引き換えに拓人に協力を要求した。沖あいこのような破綻者に憑りつくデジタル・モンスターを駆逐する仕事。それは冥府の管理者にとっては業務の一つに過ぎなかったが、拓人にとっては大事な人を殺すことに他ならなかった。
 結局、拓人は冥府の管理者に協力し、沖あいこ=メガシードラモンを葬った。さらにその約一年後には、二人目の恋人であった金髪の少女、アリシア・アルトレインも、同様の理由で殺害した。冥府の管理者が負った深手と、拓人自身の心の傷がその代償だった。
 冥府の管理者は、アリシア・アルトレインに憑依したデジタル・モンスターとの戦いの後、約一年に渡り拓人との交信を絶った。ただし、彼の力が彼自身の中から完全に消えたわけではない。むしろその力は、拓人の右腕を冥府の管理者に変貌させたまま残り、拓人に戦いの苦痛と、戦いで払った犠牲を深く記憶させた。拓人は右腕を何重にも巻いた包帯で隠し、他人との接触を拒む生活をするようになった。
 それでも、犠牲と苦痛の記憶は消えない。ある時は沖あいこの姿で、ある時はアリシア・アルトレインの姿で拓人の前に現れ、彼に訴えかける。
 拓人はひたすら逃げていた。デジタル・モンスターからも、冥府の管理者からも、記憶の中の恋人からも。逃げられないと分かっていても、向き合うことはできなかった。

「痛っ!」
 角を曲がった瞬間、拓人は自分よりもやや背の低い何かとぶつかった。衝撃で肩からリュックが落ち、中に入っていた参考書やノートをぶちまける。目の前では、今の激突で倒れたポニーテールの少女が、困惑した表情で自分を見つめていた。
「あっ……!」
 拓人は慌てて少女に手を伸ばそうとしたが、ポニーテールの少女はすぐに立ち上がると、表情を変えることもなく、丁寧にも自分の散乱する自分の持ち物を拾ってくれた。幸いにして怪我はないようだ。拓人はまず気恥ずかしい気分になり、さらに自分の右腕を見られる危険を感じ、急いで残りの持ち物を回収する。それを乱暴にリュックに突っ込むと、彼女が差し出した持ち物を引っ掴み、それもリュックの中に投げ込んだ。
「す、すみません……」
「……いえ」
 まともに目を合わせることもできず、拓人は頭を下げて少女の前から去る。情けない。日常会話すらロクしにしていない弊害がここで出た。とにかく人目に付かない、安全な場所に行きたい。拓人はそれしか考えられなかった。そんな状態だったからか、激突した時にリュックから生徒手帳を落としていたことも、それをポニーテールの少女が拾ったにも関わらず、自分に渡さなかったことも気づかなかった。



 丘岬アンナはベストとスカートを何度か手で叩き、身体に付いた砂を掃う。それから、彼女はたった今ぶつかった少年の持っていた生徒手帳を見た。二つに折られたそれを開き、顔写真と個人情報の載っている箇所を見つける。他の文字よりもやや大きく、四文字の漢字が書かれていた。
「すな……はら……たく、と……」
 生徒手帳を拾ったにも関わらず、彼に渡さなかったのは咄嗟の判断だった。一瞬見えた、包帯で巻かれた右腕。おそらく、怪我か病気によるものだろう。だが、ぶつかった時に彼がその腕に痛みを感じた様子が全くなかったことが気になった。そして、その腕から、わずかに人間とは違う、ある生物特有の臭いが嗅ぎ取れたことも。
「砂原拓人」
 どうやら、自分の勘は当たっていたようだ。
 彼女はその名前を知っていた。そして今、彼の顔も知った。
 彼とまた会うのもそう遠くはないだろう。
「見つけた」
 アンナは僅かに笑った。


スレッド記事表示 No.4574 幾千のアポカリプス 覚醒矛盾 “0/少女と神様”Ryuto2015/12/28(月) 00:30
       No.4575 幾千のアポカリプス 覚醒矛盾 “1/少女と少年”Ryuto2015/12/28(月) 00:31
       No.4576 あとがきRyuto2015/12/28(月) 00:32
       No.4600 多々書かなければ、生き残れない!!夏P(ナッピー)2016/01/02(土) 23:25
       No.4615 感想覚醒中村角煮2016/01/18(月) 20:21