オリジナルデジモンストーリー掲示板NEXT
 

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ID.4832
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/02(金) 19:06
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木乃伊は甘い珈琲がお好き プロローグ
         
(BGM:えーと、なんか適当に。ほら、あれ、ムーディな? ジャズとかそういうの)




 サンセット・ブルーバードの道路はいつになく静かだった。あるいは僕がいつもの喧騒に気づかないだけだったかもしれない。なにしろ、黒のコンバーティブルのハンドルを握りながらも、頭の半分は眠っているのだ。二日前の夜はホテルの一室でコカインの売人の股座を蹴り上げていたし、昨日の夜はマキャルヴィ警部補のクソッタレに取調室で証人の身柄確保に関する法律を教えてやっていたのだ。前に髭を剃ったのが何年も昔のことに思える。熱いシャワーと暖かなベッド。僕はそれを神に祈った。聖書の文句のことを考えるのは睡魔と取っ組み合いをしてる時だけだ。
 こちらのそんな願いを踏みにじるように、緑のロードスターは私の家から逆方向の郊外に向けて、癇癪を起こしたハチドリみたいなスピードで走っていた。対向車線のトラックがクラクションを鳴らすのが少なくとも三度、僕の頭を現実に引き戻した。
 いい加減に車通りも減り、夜の薄闇の中にロードスターを見失なったかと思った時、通り過ぎたログハウスの脇に緑色の車が止まっているのに気づいた。そのまま100メートルばかり車を走らせ、道の脇に停めた。車を降り、ダッシュボードから拳銃を取り出す。意味もなく拳銃を持ち歩くのは嫌いだったが、この疲れ切った体では殺人犯人相手にボクシングは到底できない。
 ログハウスの前までくると、今まで追っていた緑のロードスターを眺めた。これと同じものを僕は前にも見たことがある。あのコカインの売人を蹴りつけたホテルでだ。
 建物の脇に回り込み、体を屈めて窓の下に頭を当てた。室内には明かりが灯っており。低いバリトンの男の声とヒステリックな女の声が交互に聞こえてくる。
「やめてよ、本当に知らないんだったら。わたしはあの男がそんなことしてたってことすら…」
「嘘をつくな。おめえはこの三年間、シェリダンの女だった。あの野郎が俺たちのコカインを黙って持ち逃げしようとしてたことに、気づかないはずがねえ」
 女のヒステリーに拍車がかかる。
「“シェリダンの女”ですって! 言っておくけど、最初の半年を除いたらあの男とは家の中で顔を合わせたこともないわ。あいつがまだあんた達みたいなゴロツキとつるんでると知ってたらなおさら…」
 女の言葉はどんどん甲高くなり、何を言っているのかもわからなくなった。そろそろ潮時だと僕は思い、玄関に回り込んだが、遅過ぎた。銃声が夜の闇に響いた。私はドアを開け、部屋の奥に進んだ。もうノックは必要ないだろう。
 部屋の奥には、血だまりが広がっていた。頭に穴を開けた男が倒れている。彼はもう、ギャングの威光を借りて自由に駐車違反をすることもできないのだ。
 
 リボルバーを持った女は、部屋に入って来た僕に気づくと明るい声をあげた。たった今男を一人撃ち殺した女にしては、彼女はあまりに美しかった。
「サナエじゃない! あんたが来てくれて助かったわ。この男、私がギャングのコカインを隠し持ってるなんて言うのよ」
「それはスレイターのところから盗まれた、三万ドル分のコカインのことか?」
 自分の境遇に、或いは美貌に見合うだけの優しさを僕が見せなかったのが気に入らなかったのだろう。女は不機嫌そうに口を尖らせた。
「そんなの、私が知るわけじゃないじゃないのさ」
「いいや、僕は知ってると思うね」そして、男の死体に目を向けた。なんのためらいもなく、五発撃ち込まれている。女のリボルバーの弾倉には、入っていて一発ということだ。
「随分殺し方が手慣れているな。無理もないか、この一週間で他に二人も殺してるんだから」
 女が銃を僕に向けるより早く、僕は女の手めがけて一発撃った。血飛沫が飛び散り、悲鳴が上がる。手を撃ち抜かれた状態で見てみると、そこまで美しい女だとは思えなかった。
「もう諦めた方がいいぜ。コカインと一緒に自首すれば、警察もいくらか優しくなるさ」大量のコカインという証拠があれば、グレアム警部はスレイター・ギャングを永遠に葬ることができる。もっとも、それだけで三人殺した女が電気椅子を逃れられるとは思わなかったが。
「どうしてこんなことするのよ!」止血のためにハンカチを持って近寄る僕に、女は叫んだ。
「私だって、好きでやったんじゃないわ! 仕方なく…」
「仕方なく? 君の足元に転がっている男は君をまだ痛めつけようとはしていなかった。他の二人もそうだったんだろう。そのうちの一人は、僕の友達だった。虫も殺せないような男だ」
 女が僕を睨みつける。
「ハルカワ・サナエ、とんでもない冷血男ね。あんたの手に噛み付いたら、何色の血が流れるかしら」
「きっと赤いさ。あんたの血だって、ちゃんと赤いぜ」
 外からサイレンの音が聞こえて来た。僕はため息をつく。依頼人に、この女の母親に事の一部始終を語るという大仕事が、まだ残っているのだ。

ID.4833
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/02(金) 19:14


木乃伊は甘い珈琲がお好き 1-1
「おい、春川、起きろ!」
 突如、頭上から浴びせかけられた声と共に、学生服の背中に何か固い板が差し込まれる。無理矢理に背筋を伸ばされた僕は霞んだ目を上げて、こちらを睨んでいる生物教師の前野にごにょごにょと朝の挨拶をした。この男はいつも三十センチメートル定規を持ち歩いていて、授業中眠っている生徒の背中にそれを差し込むのだ。

「あ、おはようございますです」
「何がおはようだ。今は午後の二時だぞ、五時間目。もっとも、他の先生の話を聞く限り、この時間は春川にとっては寝てる時間らしいけどな。幸せな夢は見れたか?」

 教室が笑いに包まれる。ウエスト・ロス・エンジェルスの私立探偵になって悪女を追い詰める夢を見ていたと、わざわざ正直に説明する気にはならなかった。
 日本国内における植物の分布についての説明に戻りながら満足そうに教壇に戻っていく前野を、僕は仏頂面で見送った。周りの連中は慌てて僕から目をそらす。こんな事で日陰者の恨みを買っては割に合わないというのだろう。低血圧の為に寝起きの僕はいつも機嫌が悪いのだ。

−−授業中に自分で寝といて、それを起こされて不機嫌になるってのもとんでもない話だな。まるっきりガキじゃねえか。

 脳の裏あたりで聞こえた声に、僕は小さな舌打ちで返した。数人のクラスメートが非難がましい目を僕に向ける。

−−おい、シカトすんじゃねえよ。

 再び聞こえたその声を無視し、僕は前野が黒板に書き散らす汚い字を読み取る作業に意識を集中させた。



     *****



 放課後、僕はひどいなで肩から滑り落ちていこうとするリュックサックを押さえ、灰色の廊下を早足で歩いていた。向こうからは、授業が終わって十分も経っていないのにどう着替えたのだろうか、バドミントンのユニフォームに着替えた生徒の一団がラケットと笑顔を携えて向かってくる。彼らに道を譲る為に、僕は奨学金やその他諸々の案内が貼り付けてある掲示板に体を殆どくっつけなければいけなかった。

−−おい、今日も〈ダネイ・アンド・リー〉に行くのか?

「そうだけど。文句ある?」
 再び脳裏で響いた声に僕は囁き声を返す。

−−別に。ただ、他の連中はみんな放課後にはスポーツやら何やら、やってるじゃねえか。それをお前は爺さん婆さん達と一緒に煙草臭い喫茶店に篭って、本ばっか読んで…

「依頼を待ってるんだ」

−−そうは言ってもよ。依頼なんか来るわけねえじゃねえか。誰もお前の、その、探偵業のことを知らないんだから。宣伝しろよ。ほら、そこの掲示板にでも貼って貰えば…

「なんて宣伝するんだよ。『何をそんなに悩むのか? 何にそんなに苦しむのか? あなたの喉元につっかえた困難は、どうか探偵・ 春 川 早 苗 ハルカワ・サナエにご相談ください! 格安で対応いたします。ただし面白い事件に限ります』とか?」

−−良い文句じゃねえか。

 分かってないな、と僕は首を振る。すぐにその行為が周囲からは不自然に見えることに気づいて、空咳をしてごまかした。
「そんなイタいことできるか! そういうのは中学生で卒業したんだ」

−−自覚あったんだな。そして、中学の頃はやってたんだな。

「中学の頃の話は忘れろ。蒸し返すんじゃねえぞ」
 僕は精一杯のドスの効いた声を出した。

 ぶつぶつと脳裏で響く声に応えながら歩くうちに、いつのまにか近年増築された新校舎に入っていたのだろう。くすんだ灰色の床に変わって、吐き気がするほど退屈な白のタイルが僕の進行方向に敷き詰められていた。

 早足で賑やかな廊下を通り抜け、僕は突き当りにある広い教室に入る。本棚に囲まれたその部屋に入ると、幾らか心が安らいだ。長机で真っ赤な問題集とにらめっこしながら自習している連中がいなければ、もっと安心できただろう。図書室を自習に使うなんて、とんでもない連中だ。

−−いや、正しい使い方だろ。

 いちいち茶々を入れてくる声に無視を決め込み、僕は図書室の薄暗い一角。古い文庫本が並ぶ一角に入る。僕の他に、そこには誰もいない。古い紙の匂いを吸い込むのもそこそこに本を一冊手に取り、快活な笑顔を振りまく図書委員の元に向かう。俯いたままぼそぼそと本を借りる手続きを終え、僕はその本を抱えて廊下に飛び出した。

−−今日はなんだ?

「ジョン・ダニングの『愛書家の死』だよ。このシリーズは読もう読もうと思いながら今まで…」
 熱を込めながら、古書店を営む元刑事クリフォード・ジェーンウェイが古書・稀書についての薀蓄を披露しながら事件に挑む物語について語る僕を声が遮った。

−−おい、勘弁してくれ。要するに、また探偵モノってことか。ほんと好きだな。

「なんだよ、悪いか?」
 僕は唇を尖らせる。この声の主のお節介はいつものことだ。我慢しろ。僕はもうこいつに対して癇癪は起こさないと誓ったんだ。今日一日付き合ってこられたじゃないか。この程度でカリカリしていては、ハード・ボイルドな探偵にはなれない。

−−別に悪かないけど、そういうのは本の中だけにしとけよ。現実じゃ小説に出て来る探偵の必要な場面なんて…

 先ほどの誓いなど忘れて、あっという間に僕は我慢の限界を迎えた。

「現実じゃ探偵の出番はない? ミステリーとスリルは結局物語の中だけの話だって?」

−−いや、そこまでは…

「僕だってそう思いたいさ!」

 大股で歩きながら、再び放課後の人混みの中に踏み込んで行く。なんの迷いもなく、たった一度の青春を謳歌するティーン・エイジャー達。ただ、彼らのうちの何人かは、頭上に奇妙な影を浮かべていた。



  ワックスで髪を馬鹿みたいに立てたサッカー部員の上には、銀色に輝く兜で頭を覆ったドラゴン。
「サイバードラモン、サイボーグ型のワクチン種」

 教師に進路について相談している、真面目を絵に描いたような眼鏡の委員長の上には、狐の顔をして東洋風の服に身を包んだ獣。
「タオモン、魔人型のデータ種」

 肩まで髪を伸ばし、この世の何も面白くないという顔をして歩く女子の上には、黒いマスクで顔を覆い、目のやり場に困るような服装をしたグラマラスな女性。
「レディーデビモン、堕天使型のウィルス種」




 そうやってぶつぶつと呟きながら人混みを抜けたあたりで、僕は拳を握りしめ、自分の頭を強く小突いた。

「そしてお前だ、マミーモン。アンデッド型のウィルス種」

−−いや、わざわざ教えてもらわなくても、自分のことは自分でわかるぞ。

 というかさっきの台詞も、全部俺が前に説明してやったことじゃねえか、頭の裏側で、声は呆れたようにそう続ける。

「どうかしてるだろ! “デジタル・モンスター”だかなんだか知らないけど、こんな化け物どもがうろついてる学校で、なんでみんな普通に青春出来るんだよ。ずるい、じゃなくて、おかしいだろ!」

−−それで、探偵か。

「そうだ。この学校には、そういうのが必要だ」

−−それならなおのこと、宣伝をだな…

「いやだ! 恥ずかしい!」

−−マジでガキだな…

「聞こえてるぞ」吐き捨てるようにそう言って、僕は玄関口目指して荒い息を振りまきながら歩き出した。



     *****



 校門の脇に立ち並ぶ銀杏の黄金色の葉を、気の早い木枯らしが揺らした。羽織ったウインド・ブレーカーがばたばたと音を立てる。多くの生徒が部活や委員会活動に励んでいるため、放課後にも関わらずこの時間の校門付近は閑散としている。
 学校を出てすぐに左に進むと、地方から入学した学生向けのアパートがある。県北の山と荒れ野しか無いような寂れた故郷を出て、県庁所在地にあるこの高校に通っている僕も例によってそこに住んでいた。
 もっとも、学校からまっすぐ家に帰ったことは殆ど無い。いつも、僕は決まって右に曲がる。喫茶〈ダネイ・アンド・リー〉がある商店街は、その道をまっすぐ数キロ進んだあたりにあるのだ。

−−おい、そんな怒んなよ。

「怒ってない!」脳裏で聞こえるマミーモンの声に、僕は強い語調で返す。

−−頼むからさ、俺が悪かったよ。

「マミーモンが悪いってことはないだろ」
 彼の意外な謝罪に、ムキになっていたことを一瞬忘れ、きょとんとした声が喉から漏れた。

−−いや、俺の力のせいだろ。他の“狐憑き”の連中に見えるのは、自分に取り憑いたデジモンだけだ。他の人間に憑いてるデジモンが見えるのは、早苗だけだよ。毎日いろんなモンスター見せられて、相当参ってるだろ。

 僕はため息をつく。

「その“狐憑き”っていうのやめてくれ。自分が本当に狂っちゃったみたいな感じだ」

−−この呼び方を考えたの、早苗だぞ。

「それは仕方ないよ。大通りのネットカフェでマミーモンに初めて会った時は、マジで自分がおかしくなって、ヘンな幻覚を見始めたんだとしか考えられなかったし」

 そう、今でも。僕は小さく呟く。右斜め後ろを歩く不気味なミイラが見えるのは僕だけだ。

マミーモンはそれで良いのだと言う。インターネットで生まれた彼らデジタル・モンスターはこの現実の世界を歩き回る為にコンピュータの画面を通して依代となる人間に取り憑く。そうやって取り憑かれ、“狐憑き”になった人間について、モンスター達はこの世界をあちこち動き回れるようになるのだ。その身体は普段は霊体の様なもので、自分が取り憑いた人間の目以外に移ることはない。

「でも、僕だけは別ってわけだ」

−−そう。俺のこの “死霊使い” ネクロマンサーの力でな。

 彼の力が依代である僕に影響し、それがこの世界においては霊体を見ることができるという力として顕れたらしい。そういうものなのだと彼は言う。

 でも、そのマミーモン自体が僕の生み出した幻想だとしたら? マミーモンの説明は都合が良すぎる。全部が狂人の頭の中の妄想に過ぎないと考える方がよっぽど自然だ。

−−なぁ、早苗。いつも言ってるだろ。そんなに不安なら、他にデジモンを連れたやつに話しかけてみろって。あの学校、“狐憑き”がわんさかいるじゃないか。

「馬鹿言うな。本当に全部僕の幻覚だったらどうするんだよ」

−−友人の通報のお陰で、適切な治療が受けられるんじゃないか。

 黙ってろ、と毒づいたタイミングで、僕はちょうど広い道路に出た。灰色のアスファルトの上を一生懸命に駆けていく人々の中にも、学校ほどの密度ではないが“狐憑き”がいた。
 巨大なものから小さなもの、恐竜の姿から人型まで、彼らに取り憑いたモンスターの姿は様々だ。そんなクリーチャー・コレクションを見る度に不思議と僕は安心する。彼等の姿はあまりにもバリエーションに富み過ぎていて、全てを僕の想像の産物として片付けるには無理があった。

「なあ、マミーモン」

−−どうかしたか?

「君達は、何か欲しいものがあってこの世界にやってきてるんだったな」
 彼等デジタル・モンスターがわざわざ一人の人間にくっついて離れない背後霊に身を落としてまでこの世界にやってくるのは、みなそれぞれの“欲しいもの”の為なのだと言う。

−−ああ、だから大抵の奴は、ガキに取り憑く。将来に期待できる若い人間にな。

「…マミーモンは、なにが欲しいんだ?」
 欲しいものがある。三ヶ月前にふらりと立ち寄ったネットカフェで僕がマミーモンに初めて出会った時、彼はそう言った。でも、それが何なのかを彼は語らない。僕が果たして、その目的にかなった人間なのかも。

−−分かんねえ。

「は?」
 僕は声を潜めることも忘れて素っ頓狂な声を上げた。周囲から向けられる奇異の視線に、必死の作り笑顔を送ってごまかす。

「なんだよ、分かんないって」

−−マジで分かんないんだよ。分かってたら、わざわざこんなところまで来ないさ。他の連中もみんなそうだ。なんだか知らねえけど、何かが足りない。喉が渇いて仕方ねえ。それが何か知りたくて、ここに居るんだ。

「だったら」それを見つけないと、と言おうとした僕を、ミイラは遮った。

−−慌てることはないさ。俺にも一つ、分かってることがある。

 次の瞬間、マミーモンはいつもの定位置である右斜め後ろを外れて、僕の真正面に立ち塞がった。慌てて立ち止まる僕に、周囲の人の流れから舌打ちが飛ばされる。しかし僕の意識は、マミーモンの声だけに向けられていた。

−−早苗、お前といれば。それが見つかる。俺たちが欲しいものは、多分一緒だ。だから、出会ったんだよ。

 言うだけ言って照れ臭くなったのか、マミーモンはどこかに気配を消した。呆然として、僕は呟く。

「僕の、欲しいもの」
 それは、人並みの幸せだろうか。いつも僻んでいる奴等の持っているもの、友人、恋人、打ち込めるもの。
 或いはそれは、ずっと憧れ続けた物語の世界だろうか。サム・スペード、フィリップ・マーロウ、リュウ・アーチャー。大好きな探偵達のように事件に飛び込んでいくことだろうか。

 もしも後者なら、僕は思う。もっとこの状況を楽しんでいいはずだ。不気味なモンスター達は探偵小説にするにはちょっと現実離れしすぎているにしても、小さな頃からクラスの端っこで白い目を向けられながら、這々の体で逃げ込んだ世界が目の前にある。
 自分の正気を疑う必要なんかない。狂ってるなら、それで良いじゃないか。正気のままで息をし続けるには、この世界は多分退屈過ぎたんだ。

 でも。ベースを背負ったバンドマンの上に浮かぶ桃色の人型デジタル・モンスターを振り向きざまに眺めながら僕は呟く。

「…もっとこう、なにか面白いことが起きると思ってたのにな」

 そう、例えば猟奇殺人とか、そういうの。もっとも仮にどんな事件が起きたとしても、物語の中の探偵のようにはいかないだろう。アル中探偵マット・スカダー曰く、八百万の人々が住む腐ったニューヨークの街には、八百万の違う死にざまがある。人口三十万人に満たないこの北東北の地方都市にも、その人口と同じだけの死にざまがあるのだろう。しかしそれでも、三十万人では格好がつかない。

 我ながらとんでもないことを考えるものだ。こんなことを他人に話したら、不謹慎極まると非難されるか、遅れた厨二病として片付けられてしまうだろう。それでも、僕は心底そう思うのだ。

 そうだ。僕は正気に戻りたいんじゃない。今の狂気に浸りたいわけでもない。



 これじゃあ、狂い足りないんだ。

 

   

ID.4834
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/02(金) 19:20


木乃伊は甘い珈琲がお好き 1-2
  鰆町 さわらまち商店街は緩やかに滅びゆく商店街の一つだ。どこの地方都市にも一つはこういう商店街がある。ショッピングモールやスーパーマーケットに客を致命的なレベルで奪われたわけでもなく、交通の弁が悪いわけでもない。地域の住民に今でも愛されている。ただ単にその商店街がある地域自体が滅びようとしているだけのことだ。いずれ平日の昼間から通りを彷徨く老人達が人生から退場し、店が一軒一軒と消えていき、パチンコ屋とドラッグストアだけが残る。この二つだけは世界が滅びても無くなることはないだろう。

 遠野古書店は商店街の中でも古株の店だ。商店街にはもう一軒、伝統ある書店である西山書店があるが、五冊百円で投げ売りされているボロボロの岩波文庫から、その年の芥川賞のピカピカの単行本まである抜群の品揃えで古本屋ながらなんとか経営を保っている。
 僕は一度、入れ歯をくちゃくちゃいわせた老婆が、西山書店で買った人気作家の新刊を隣の喫茶〈ダネイ・アンド・リー〉に三時間篭って読破し、そのままその本を遠野古書店で売却して帰る一部始終を見た事がある。いつか、この商店街独特の経済体系をテーマに論文にを執筆してやろうと考えている。

 さて、その遠野古書店だが、店主である赤ら顔の遠野老人の他に、坂本という若い店員がいる。この男が僕は苦手だ。僕が店に入る度に、ガキはお呼びじゃないとでも言いたげに大きくため息をし、僕と今では絶版となったサラ・パレツキーの文庫との間にハタキを持って割り込んでくる。古本屋勤務のくせに妙にガタイが良く、髪の先を金色に染めているので文句を言う勇気も起きない。そんなわけで僕は遠野古書店には長居をすることなく、新入荷の推理小説だけを確認し、適当なバラ売りの文庫を購入して帰るだけに留めていた。

 しかしその日は、いつもいる坂本が居らず、店先で遠野老人が大判の画集の山を持ち上げようと一人奮闘していた。見かねて手を貸してやると、老人は僕の顔を覚えていたのだろう。赤ら顔をこちらに向け、笑いながら禿頭をなでた。

「おお、君か。ありがとうね」
 その声には、いつものような快活な余裕が感じられず、僕は少し首を傾げた。老人の顔色がいつもよりも悪いのは気のせいだろうか。

 笑顔を返しつつ、坂本はどうしたのかそれとなく聞いてみる。その名前を出した途端に、老人の顔が露骨に歪んだ。

「あいつは昨日首にしたよ。身内のよしみで働かせてやっていたが、お客さんへの態度が悪くてね。私の手には負えない」

 ザマアミロ。そう心で呟きながら、僕は画集を老人の言う場所に置く。いつもはよく見えない彼の手元をそばで見て初めて、その腕で輝く時計に気づいた。ロレックスの文字が目に留まり、思わず本棚に目を向ける。一週間前から何か商品が増えた様子もなければ、減った様子もない。常連客がいるとはいえ、名高い高級時計を腕につけられるほど儲かっているとも思えない。経済学は、やはりまだ田舎の商店街における金の回り方を少しも解明できていないのかもしれない。

 小さな違和感を感じながらも、僕は店を後にした。我らが安息の地、喫茶〈ダネイ・アンド・リー〉はもうすぐそこだ。



     *****



 その喫茶店は商店街の丁度真ん中あたりにある。地域の老人達の憩いの場で、どの時間に行っても必ず四、五人の老婆達が席を囲んで、亭主がどこに癌を患ったとか自転車で転んでどこの骨を折ったとか、そんな話をしている。そんな世間話の前では、マスターが店内BGMとして流すロック・ミュージックも、挽きたての珈琲の香りもなんの意味もなさない。店には終始、マスターの思惑とは大きく方向の外れた、いかにも庶民的な居心地の良さが漂っていた。

 僕が初めてこの店を訪れたのは一年前、高校に入学したあたりだ。買いたての本を読むために立ち寄っただけなのだが、還暦を迎えていない客の来訪は久し振りだったらしく、マスターはいたく喜んで僕に会話を振った。僕が店名の由来を指摘したことをきっかけに我々は本格的に意気投合し、マスターはこの店を僕の探偵業の拠点とすることを承諾してくれた。

−−要するに、イタいガキ同士気が合ったってことだな。

 いつの間にか背後に戻ってきていたマミーモンの言葉を黙殺し、僕は店のドアを開けた。ルー・リードの音楽の中で、いつも通り数人の老人が駄弁っている。僕を見て、髭面のマスターが笑顔を向けてきた。

「よお、探偵クン。首尾はどうだい?」
「上々ですよ。今日も、何事も起こってくれないまま終わりました。珈琲、ブラックでお願いします」
「ウチの一推しはカフェラテなんだがね。ミルクにも凝ってるんだよ。県内の牧場から…」
「珈琲、ブラックで」

 僕に言葉を遮られ、マスターはすごすごと退散した。先程図書館で借りた小説を開く僕に、マミーモンが囁きかける。

−−早苗はいつもそれだよな。珈琲、ブラックで。カッコつけて言ってみたいだけだろ。

「…否定はしないよ」

−−でも、どうなんだ? ブラックコーヒーって、苦いんだろ?

「そりゃあね」

−−俺、苦いのは苦手だな。

 インディ・ジョーンズの映画か何かに出てきそうな見た目の癖に、苦いものが苦手とは。僕は苦笑する。

「ミイラに水分は大敵じゃないのか。それ以前に、君達って食事できるわけ?」

−−その辺はまあ、どうにでもなるんだ。必要はないけど、その気になれば、色々食うこともできるぜ。

「マジで? これまで黙って僕の食事を我慢しながら眺めてきたってこと? もっと早く言えよ」

−−いやだから、別に無理に食事する必要は…

「でも、食べてみたいものあるだろ?」

−−否定はしないな。とりあえず、その珈琲っていうの、飲んでみてえ。

「今度家で飲ませてやる。インスタントでよければ」とびきり苦くしてやろうと、僕は密かに誓った。

「何ぶつぶつ言ってるんだ。ほら、珈琲だよ」いつの間にか目の前に立っていたマスターが、コーヒーカップを差し出してくる。
「なあ、本当にミルク、いらない?」
「このままで十分美味しいですよ」僕は本心から言った。
「そ、そうか」
 僕の言葉に気を良くしたのだろうか、マスターは顔を綻ばせ、その次に僕の読んでいる本に目を止めた。
「ジョン・ダニングか。どうだ?」
 僕は肩をすくめる。
「面白いですよ。ジェーンウェイの古書薀蓄にはうんざりしますけど。たまに自分が小説を読んでるのか、スティーヴン・キングの悪口を読んでるのか分からなくなります」
 マスターは苦笑する。
「大衆的な本の象徴として、色んな作家の小説でキングは叩かれてるからなぁ。適当に読み飛ばせばいいよ。その本、遠野さんのところで買ったのか?」
「いや、これは学校で借りたんです」
 そう言ってから僕は、今日の遠野古書店で感じた違和感、坂本が首になったこと、遠野老人の振る舞いに元気がなかったことを思い出し、マスターに語って聞かせた。彼はううむと唸りながら髭を撫でる。
「あんまり元気なんで忘れがちだが、遠野さんも結構な歳だからなぁ。気苦労の種は減らしたいんだろう。あの坂本とかいうのが働き出してから、柄の悪い客が増えたっていうし」
「羽振りは良さそうでしたけどね。ロレックスなんかつけて、よく分からないけど、あれ多分新しいやつですよ」
 僕の何気ない言葉に、マスターは眉をひそめた。
「なんだって? まさか。あの店がそんなに儲かってるわけが…」



 その時、近くで響いたガラスの割れる音が響き、マスターは言葉を切った。僕もコーヒーカップを置いて、店の外に目を向ける。
「なんでしょう?」
「さあな」
 僕たちの会話はそれで終わったが、店にいる老人達はそれだけでは済まさなかった。新しい話の種ができたと言わんばかりに、荷物を店に置いたままどやどやと外に出て行く。あっという間に、僕達を残して店は空になった。

「あ、ちょっと! …困った人達だなぁ」
 こういうことは慣れっこなのか、マスターも肩をすくめただけだった。そして、目を僕に向ける。
「我々も、見に行ってみようか?」
「別に、僕はいいですよ」
「そんなことを言うんじゃない。探偵たるもの、事件の匂いには敏感じゃないとね」
 そう言うマスターに引き摺られるまま、僕は、店の外に出た。



     *****



 自分が探偵に向いていないことに、僕はかなり早い段階で気づいていた。物語の中の彼等のように頭の回転は速くないし、根気や腕っ節にも欠ける。
 かといって、シャーロック・ホームズにとってのジョン・ワトソンや、ネロ・ウルフにとってのアーチー・グッドウィンのような「優秀な探偵助手」になるというのも無理な話だった。彼等は推理や心理分析は全く駄目で、主人公の探偵達からいつもからかわれる。それでも彼等が探偵助手でいられるのは、正確な観察眼、そしてそれを描写する能力を持っているからだ。生憎、そのどちらについても僕は全く自信が無かった。

 そんなわけで、店を出た僕が遠野古書店の前で老婆たちに囲まれて倒れている禿頭を見た時、僕の心は僅かな喜びを感じた。やった。僕の観察は正しかった。遠野老人は胸の病気か何かで体に負担を感じており、それで顔色が悪かったのだ。我ながら不謹慎にもほどがあると思う。

 しかし、そんな僕の気持ちも、老人の禿頭の一部が赤黒く染まっていることに気づくまでのことだった。それに気づいた途端、思わず老人の方に駆け寄る足がすくむ。あっという間に頭が真っ白になった。
 僕の後からついてきたマスターは老人の容体に気づくと、歩調を速め彼に駆け寄った。数人の老婆に鋭い声で救急車と警察の手配を頼み、自分は止血を始めるらしい。それを、僕はすぐ後ろから突っ立って見ていた。

−−おい、早苗!

「…え、なに?」マミーモンの荒い呼びかけにも、僕は間抜けな声しか出すことが出来ない。

−−しっかりしろ、後ろだ! ビルの上!

 呆然としながら彼の言葉のままに後ろを振り向き、上に目を向ける。いくら頭が真っ白でも、屋上に立つそれを見なかったふりをすることは不可能だった。

「あれは…デジモン?」

−−デスメラモン、完全体だ。

 その仮面と、派手な炎の柄のズボン、鍛え上げられた上半身に巻きつけられた鎖を遠目に見る分には、どこかのプロレスラーに見えないこともない。しかし、“死霊使い”の力を借りた僕には、それが人ならざるものであることがはっきりとわかった。そうでなくとも、この距離から見てあそこまで巨大に見える時点で、人間の体格ではない。そして何より、僕が目を引きつけられたのは−−。

「あれ、霊体じゃないね」

−−ああ。 実体化 リアライズしてやがる。

 マミーモンが吐き捨てるように言った。

−−それに、…血の匂いだ。おい、あの古本屋の爺さんの頭を叩き割ったのは、アイツらしいぜ。おい、早苗!

 心臓が癇癪を起こしたみたいに早鐘を打っていた。なんとかしなきゃ、いや待て、なんとかする必要があるのか? このまま黙って喫茶店に戻り、珈琲を飲むことはできないか?
 そうしたっていいんだ。僕は思う。あんな化け物相手になにができる?

−−おい、早苗。俺を実体化させろ。

 不意にマミーモンが言った。

 「実体化? 出来るのか」

−−お前が、そう望むなら。このままアイツを逃すのはマズイだろ。俺なら、アイツを足止め出来るかもしれない。

 わざわざどうも、マミーモン。君のせいで、もう言い訳は出来ない。このまま僕がなにもせずに逃げたら、それは臆病な負け犬だ。

−−おい、なんとか返事しろ! お前のお待ちかねの狂気の沙汰だ。それとも、ビビってるのか?

 畜生め、なんとでも言え。足はすくむし息はどんどん荒くなる。目をデスメラモンに向けるだけで精一杯だ。

 と、その時、デスメラモンが顔を動かした。地上から自分を見つめる者の存在に気づいたらしい。仮面の向こうに、こちらを凝視する目を感じる。しかしその瞬間、彼はこちらに背を向け、逃走を開始した。

 −−気づきやがった。おい、早苗、いい加減にしろ!

「ああ、もう。うるさいったら!」

 マミーモンの言葉に、僕は思わず大声を出していた。老人の手当てをしていたマスターが驚いたようにこちらを見ている。

 僕は大きく息を吸った。ああそうだ。これが、僕の望んだ狂気だ。
 空を見上げ、大好きな探偵の台詞を呟く。

「…フィリップ・マーロウ曰く、撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

−−おお。覚悟、出来たか?

「分かんない!」

 でも。

「ハルカワ・サナエ曰く、覚悟があるかどうかは事後報告で構わない!」

−−滅茶苦茶だな…

「いいから、行くぞ」

 −−おうよ。

 マミーモンがそう答えた瞬間に、僕の隣の空間が渦巻く風で満たされた。



 隣に立つ見慣れたミイラは、それが現実のものとして現れると、なおさら不気味だった。霊体だった頃と違い、頭に巻いた紫色の布が現実の風になびいている。僕は彼の姿を頭から足まで眺め回し、最後にその手に握られた黒い銃器に目を向けた。

「それ、マシンガン? 探偵の武器はリボルバーって相場が決まってるんだけど」

「おう、いつもの調子が出てきたな」
 マミーモンは唇を歪め、ぞっとするような微笑を浮かべた。

「俺はデスメラモンを追う。お前は少しでもあの爺さんに何があったか調べとけ。それも、探偵の仕事だろ? それに−−」

 マミーモンは親指で後ろを指す。振り向くと、目を見開きながらマミーモンを見るマスターがいた。
「あのオッサンに色々説明しないと、後で面倒だ」

 僕はため息を一つつき、体を老人の転がる事件現場に向けた。
 僕が足を踏み出したの同時に、反対の方向に風のような速さでマミーモンが駆け出すのを感じた。

    *****

 遠野古書店の周りにはまだ人はいなかった。マスターが人払いをしたのだろう。物見高い老婆たちも、彼がどうにか追い払ったらしい。

「探偵クン、今のは…」

 問いかけようとするマスターを手を振って制止し、質問を飛ばす。
「あとで説明します。それより、遠野さんは?」
 マスターは眉をひそめながらも頷き、古書店の奥に目を向けた。横たえられた老人の喉から、大きな声が放たれる。

「私はここだ! 全く元気そのものだよ!」

 てっきり死体が転がっていると思っていたのだが、遠野老人は無事らしかった。殺人でも起こればいいのにと数時間前に考えたことも忘れて安堵の息を漏らした僕に、マスターが首を振ってみせる。

「止血もしたし、滅多なことはないだろうけど、まだ予断を許さない状態だ。頭を殴られたわけだしね。元気なのも、アドレナリンのせいだろう」

 そう言った矢先、救急車がサイレンとともに猛スピードで駆けつけてきた。一応この時間の商店街は歩行者天国の筈だが、そのけたたましいサイレンの前では、誰もここが天国だとは思わなかったのだろう。そのすぐ後ろから、パトカーも一台駆けつけてきた。

 車から降りてきた救急隊員にマスターが手早く状況を説明し、店の奥の老人を指し示す。この場には、マスターと僕しかいない。ということは、僕はパトカーに目を向ける。警官は僕の担当という事だろう。
 車から降りてきたのは、二人の警官だった。運転席に座っていたのはにきび面の若い警官で、その後ろから額に痣のある陰鬱な顔の初老の警官がついてきた。初老の方が僕の前に立ち、警察手帳を開いた。

「市警の金沢と言います。こっちは伊藤」

 伊藤と紹介されたにきび面の若い警官は、金沢の右斜め後ろであたふたとしながら同じように警察手帳を取り出してみせた。

「軽く状況を説明してもらえませんか?」
 金沢の問いに僕は、いかにも怯えた発見者という風な声でいくつか答えた。殆ど正直に供述したものの、犯人らしき人物を見たかという問いにははっきりとノーを返した。先輩の隣で几帳面にメモを取ってた伊藤が僅かに顔を上げ、僕を見る。あまりにも強く即答したせいで、帰って疑われたらしい。金沢も、優しい声で同じ質問を繰り返した。

「本当に? 何事も確実という事はあり得ませんからね。よく思い出して、怪しい人影を見なかったか?」

 僕は考えるふりをして、再び否定した。身体中が青い炎で覆われた巨体の怪人に殴られたのだと言っても、信じてはもらえないだろう。第一、アイツのことはマミーモンが追っている。

 金沢はまだ疑わしそうな様子だったが、その時横から聞こえた大きな声のために、質問は終了を余儀なくされた。僕に取っては幸運なことと言っていいだろう。
 
 声の主は遠野老人だった。僕が目を離していた間に、彼は既に担架に乗せられ、救急車に運び込まれようとしていた。彼は、それに抵抗の声を上げていたのである。

「やめてくれ! 私は大丈夫だ! どこも悪くない!」
「そう言われてもなぁ。お爺さん、大丈夫だ。病院でちょっと見るだけだからね」
「いやだ!」

 救急隊員の宥めにも彼が応じる様子はない。
 その様子を見ていた僕と金沢の横で、伊藤と呼ばれた若い警官が動いた。担架に駆け寄ると、親しげな様子で遠野老人に声をかける。

「爺さん、嫌がることはないよ。すぐ帰れる」
「嘘をつくな!」
「大丈夫だ。爺さん。大丈夫」

 それだけで、遠野老人は驚くほど大人しくなった。サイレンを鳴らして走り去る救急車を見送りながら、伊藤はしれっと金沢の右斜め後ろの位置に戻った。一部始終を見届けた金沢も、再び僕に目を向ける。

「春川さん、でしたっけ? この後警察署で詳しく話を聞かせてもらいたいと思います。なに、大したことはありませんよ。ご協力してくれますね」

 僕は小説の探偵達が無能な警察にそうするように、出来る限り消極的に見える頷き方をしてみせた。

    *****

 商店街から少し外れたところにある予備校の屋上。マミーモンはその手足を何回か振り回し、久しぶり感じるリアルな空気の感触に手足を馴染ませた。ミイラの乾燥した軽い体のおかげで、三ヶ月の霊体暮らしから開けたばかりでもそれなりに軽やかに動くことができた。

「俺の方はそんな感じで、万事オーケーなんだが、お前さんの方はどうだ?」

 彼はそう言って、目の前に立つ仮面の男に話しかけた。仮面の男−−デスメラモンは黙ったまま、表情のない仮面の顔をマミーモンに向ける。彼は包帯が巻きつけられた腕を大袈裟に振ってみせた。

「いや、言わなくて良いよ。俺の方がかなり遅くスタートしたってのに、あっという間に追いつかれてるんだもんな。体が慣れてねえのか、それとも、単にお前さんがノロマなだけかな」

 マミーモンはデスメラモンの仮面の内側に挑発に対する怒りを読み取ろうとしたが、そこにはどこまでも続く闇があるだけだった。

「なあ、いちいち返事をしてくれなくても俺は構わねえよ。でもさ、これだけは答えてもらわなくちゃいけねえ」

 彼は手を伸ばし、巨大な鉤爪の一本で彼の体に巻きつけられた鎖を指差した。そこに、乾いた血がべっとりとこびりついている。

「なんであの爺さんをぶん殴った? なんで一撃で殺さなかった?」

 そして。

「それは誰の指図でやったことだ?」

 仮に上手く人間に取り憑きこの世界に漕ぎ出しても、デジモンは単体では実体化できない。もし、そこに実体化したデジモンがいるなら、それが示すことは一つしかない。

「お前の実体化を望んだ人間がいた。お前が憑依した人間。そいつが、お前がその生身の体で鎖を振り回し、あの爺さんの頭を凹ませるのを望んだんだ。さあ、答えろよ。そろそろ俺も、我慢の限界だぜ」

 ふいに、デスメラモンが動いた。マミーモンは躊躇わずにマシンガン『オベリスク』の引き金を引いたが、それはデスメラモンの立っていた辺りのコンクリートに幾つかの傷をつけるだけだった。

 マミーモンは舌打ちをし、咄嗟に地面を蹴ると前に飛んだ。振り返ると、先ほどまで彼がいた場所に拳を振り下ろしたデスメラモンと、その拳がコンクリートにいれた無数のヒビが彼の目に入った。

「思ったよりは、早いみたいだな」

 それなら、と彼は再び地面を蹴り、まだ先程の攻撃から態勢を立て直していないデスメラモンへの頭上へと高く跳び上がった。デスメラモンの体重では、ここまで跳んでくることは出来ない。
 デスメラモンの丁度真上にくると、自分のことを見上げた鉄仮面に笑いかけ、彼はマシンガンをデスメラモンを中心とした円を描くように乱射した。鉛玉の雨が、デスメラモンの動きを封じる。
 頭上から敵に迫ったマミーモンは、その巨大な右手でデスメラモンの顔を掴んだ。

「狂気の中で、好きなだけ喋り散らしてもらうぜ。〈ネクロフォビア〉」

 マミーモンに掴まれたデスメラモンの頭に、紫の電撃が走る。仮面から初めて漏れた苦悶の呻きに、マミーモンは唇を歪めた。相手の脳裏には、言葉では言い表せない悪夢の光景が浮かんでいるに違いない。

 しかし。

「おい、冗談だろ」

 デスメラモンが自分の顔を掴む彼の手にしがみつき、そのまま走り出したのだ。あまりの力に、彼はそのまま引っ張られるしかない。そして、その進行方向にあるものを見て、マミーモンは叫ぶ。

「おい、馬鹿力なのは良いけど、頭まで馬鹿になるこたねえだろ! あれか? 俺の技でおかしくなったのか?」

 マミーモンの制止も虚しく、デスメラモンは彼を押さえつけたまま屋上のフェンスを突き破り、二体のデジモンは空に放り出された。

「お前がここに居るのは、指図されたからか?」

 重量に引きずられて落下していく中、不意にデスメラモンが口を開いた。

「はあ?」

「お前は、誰かに指図されてここに居るのか?」

「そんなわけねえだろ!」早苗の背中を押したのは俺だ! マミーモンが叫ぶ。

「俺も、それと同じだ」

 不意に、デスメラモンの拘束が緩んだ。マミーモンはデスメラモンの胸を蹴りつけ、彼から距離をとった。デスメラモンがその鎖を彼に向けて伸ばしてくる。

「〈スネーク・バンテージ〉!」

 そう叫ぶと、マミーモンは自分に巻きつけられた包帯をデスメラモンに向けて伸ばした。

 二体の距離の丁度中央に位置する空間で、鎖と包帯が絡みついた。その瞬間、マミーモンの体が大きな力で引き摺られる。馬鹿だった。彼は再び舌打ちをした。体重の差を見ても筋力の差を見ても、デスメラモンは空中で綱引きをするのに向いた相手ではない。

 身体が大きく空を舞い、次に気がついた時には、マミーモンは裏路地にあるラブホテルの白い壁に叩きつけられていた。人通りが少ないせいか、誰にも見られずに済んだらしい。

 「畜生が!」

 そう毒づくと、彼は痛む身体を起こし、空を見上げた。秋の夕焼けに、デスメラモンの台詞がこだまする。

「あいつも、俺と同じ…だと?」

 デスメラモンは、自分も誰の指図も受けていないと言いたかったのだろうか、彼に同調し、協力する人間がいただけで。

「馬鹿にするんじゃねえぞ…」

 並一通りのデジタル・モンスターの、野生の倫理観を持つマミーモンには、他者の死を悼む気持ちはない。それでも、デスメラモンの行いには腹が立った。彼は全力を振るうこともなく、自分よりも弱い生き物の頭を小突いただけだ。撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだというのに。

 怒りに燃えながらも、彼の唇には微笑が浮かんでいた。俺の見込んだ通りだ。早苗、お前のおかげで、楽しめそうだぜ。

「待ってろ、デスメラモン。お前らがどれだけちっぽけで、しょうもない奴か、暴いてやる」

 俺と、名探偵でな。マミーモンは呟いた。

ID.4836
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/02(金) 22:15


あとがき
 どうも、マダラマゼラン一号です。「木乃伊は甘い珈琲がお好き」第一話を読んでくれた皆さん、ありがとうございます。



 どうしてわざわざミイラを木乃伊と漢字表記するのか? 作中で執拗に漢字で書かれる珈琲はカタカナじゃダメなのか? 前作「六月の龍が眠る街」といい、どうしてこう長くてまどろっこしいタイトルなのか? 気にしてはいけません。なぜなら意味なんてないから。





 昔から、ミステリーが大好きでした。小学校の頃はシャーロック・ホームズやポワロに憧れ、中学に上がると憧れの対象はフィリップ・マーロウやリュウ・アーチャーといったハードボイルドなヒーローに移りました。

 そんなわけで、ハードボイルド・ミステリを昔から書きたいと思っていたのです。というか、書いてました。実際、この作品のプロローグの春川くんの夢のシーンの文は中学二年生の頃に書いていた小説を殆どそのまま持ってきたものです。ああいうのを、大真面目に延々書いてたわけです。思い出すだにイタい。

 しかし、自分の中で納得のいくものはいつまで経っても書けませんでした。昨年デジモン小説を書き始めてからも、ハードボイルド感、ミステリー感を作品の中に出そうと奮闘してきましたが、なかなか上手くいきません。もう自分にはミステリーは無理なのかと半ば諦めていました。

 そんな矢先、Twitterでデジモン小説の先輩であるぱろっともん氏(現在nextで「それは悪魔のように黒く」を連載なさっています)に僕をモチーフにしたキャラクターを「それは悪魔の〜」の世界観で作っていただくという機会がありました。

 そして出来上がった設定を見てびっくり仰天、そこに居たのは、学校そっちのけで喫茶店に篭ってミステリーを読み耽り、全く向いていないことを自覚しているにも関わらず探偵を自称するアイタタタな少年でした。そのまんま高校の頃の僕です(流石に高校で自称探偵はしてない。中学まで)。

 そして、僕の高校生活の実態を見抜いてしまったぱろっともん氏の慧眼に恐れ慄くと同時に、「これなら書ける!」と思いました。ハードボイルドな探偵は書けなくても、ハードボイルドになりたいズッコケ高校生なら書けると。そうやって生まれたのが本作の主人公、春川早苗君です。

 また、ぱろっともん氏の許可をいただいた上で、パートナーのマミーモンやキーキャラクターの喫茶店のマスターなどのキャラも氏の作った設定から頂いております。しかし、本作の世界観は「それは悪魔の〜」とは異なるものですので、ご了承ください。

 長くなりましたが、僕の趣味と苦い記憶と黒歴史を詰め込んだ作品になっております。今回は導入で終わりましたが、次回から本格的にミステリーが展開していくので、皆さんも春川君と一緒に謎に挑んでいただけたらと思います。

ID.4838
 
■投稿者:Shot-A 
■投稿日:2018/02/04(日) 12:50


私は酸味の少ないブラックがお好き
どうも。新作という事で真っ白な気持ちで読ませていただきました。Shot-Aと申します。

前作も少しだけ読ませていただいていたのですが、今回は頭からハードオサレだなぁと思っていたらまさかの夢オチ。
しかしそれが逆に上手く効いて、作品の空気をバッチリ作っているのが凄いと思います。

私もミステリは好きですが、ホームズとマーロゥぐらいしか知りません。
でも知らない単語が並んだ時の威力ってそれはそれで効果が凄いですよね。


どことなく全体的に、以前この掲示板で中村角煮さんが連載されていた『幾千のアポカリプス』を思わせる内容で。別にパクりとかそういう意味じゃなく、つまり私の好みの話だという児とです。
ミステリ、書きたくてもかけないジャンルの一つですが、次回からも楽しみにさせていただきます。

では。

ID.4849
 
■投稿者:羽化石 
■投稿日:2018/02/06(火) 17:36


私は木乃伊さんがお好き
 いつもTwitterでお世話になっております、羽化石です。

 今回は以前よりマダラマゼランさんが書かれていた「ハードボイルドな大人たち」の物語ではなく「ハードボイルドになりたい少年」の物語との事で、わくわくしながら読ませていただきました!

 プロローグを書いたという中学生のマダラマゼラン一号少年の才能に嫉妬しました。もっと誇ってください(蝶絶上から目線)。

 羞恥心を持ちながらも探偵らしい行動を模索する春川くんと、それに茶々を入れながらもよりハードな世界へ誘おうとするマミーモンの関係が好きです。この2人がどんなミステリーに巻き込まれるのか(そして春川くんはバッチリ探偵業をこなせるのか)楽しみです!

P.S. マミーモンの戦い方が滅茶苦茶好きなのですが、やはりマダラマゼランさんとはミイラ男の趣味が合うと思いました。

ID.4865
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/11(日) 13:35


木乃伊は甘い珈琲がお好き 2-1
 一九三〇年、ダシール・ハメットが『マルタの鷹』を著し、ハードボイルド・ミステリという推理小説の新たな道を切り開いた。私立探偵サム・スペードが相棒の死をきっかけに中世の宝をめぐる悪党どもの抗争に巻き込まれていく物語。それはシャーロック・ホームズ、エルキュール・ポワロと言った伝統的な名探偵の形にともすれば唾を吐きかけるようなものだった。トリックとも言えないようなトリック、そして謎の多くが拳と睡眠薬の飛び交う中で雑に処理されるそのストーリーには、かの江戸川乱歩翁も難色を示したという。

 ハードボイルド・ミステリが既存の探偵小説よりも前進した点の一つに、警察の無能さというものがある。コナン・ドイル以来、探偵小説の警察には碌なのがいないが、ハードボイルド・ミステリにおける彼らは、それよりももっとひどい。横暴で、深夜三時に無断の家捜しをして探偵の見つけた証拠をかっさらい、無実の容疑者を撃ち殺すものと決まっている。
 遠野古書店での事件の夜、行き慣れない警察署に向かいながら、僕は恐怖に慄いていた。警官達はパトカーが駆けつける前に事件の現場にいたというだけで僕のことを三日は拘留するだろう。負けてなるものか。不当な扱いをしてくる警官どもに、僕はフィリップ・マーロウを引用してやるつもりだった。「法律書を読んでる奴は、本の中に書いてある事が法律だと思ってるんだ」と。

 そんなわけで、警察署での金沢警部と伊藤巡査の対応がとても丁寧だったことは、僕をかえって拍子抜けさせた。金沢警部は高校生の僕に対しても礼儀正しかったし、若い伊藤巡査は寡黙で実直な人物だった。もちろんお役所的な手続きは面倒の一言に尽きたが、現代日本の警察はそれなりにまともな所らしい。
 しかしそれでも、うっかりしてデスメラモンの事を話してしまわないように気をぬくことはできなかった。犯人らしき人物を目撃していないという嘘は吐き通さなければいけない。ありがたい事に、金沢警部ももうその事に拘ってはいないようだった。

 はっきりとはしないものの、現在判明している中では僕が事件の前に遠野老人と言葉を交わした最後の人物であるという事になり、金沢警部は正確にその時の会話を繰り返すよう僕に三度求めた。これには流石に辟易したものの、僕は聞かれるたびに大人しくそれに答えた。ついでにその時の僕の所感、老人にいつもの元気さがなく顔色も悪いようだったこと、それは事件が起こった今だからそう思うのではなく、事件の前から喫茶店のマスターにその話をしていたことなどを話した。

 警部がもっとも興味を示したのは坂本についての話だった。当然と言えば当然だろう。ガラの悪い店員を首にした翌日に、その店主が頭をかち割られたのだ。関連を疑わない方がおかしいというものだ。
 坂本についての僕の証言が終わると、金沢警部は満足そうに唸った。このままでは警察は坂本を逮捕してしまうだろう。もっとも、彼等の無能を責めることはできない。デスメラモンの事を知っているのは、僕とマミーモンだけなのだから。



     *****



 結局、僕はその夜を、マミーモンと二人で住んでいる学生向けアパートのベッドで過ごす事ができた。

−−それで? これからどうするんだ?

 ベッドに仰向けに寝転がりながら「愛書家の死」を読み始めた僕に、マミーモンが話しかけた。彼とデスメラモンの戦いの話の大まかなところは聞いている。マミーモンのやつ、妙に気が立っていたようだったが、何かあったのだろうか。

「どうするって?」

−−あの爺さんがぶん殴られたことさ。警察に説明して、それで終わりか?

「まさか」僕は気のない調子で呟いた。

−−おい、しっかりしてくれ。探偵さんの出番じゃねえか。お前が動かないと…

「分かってるよ」僕は少し強い口調でマミーモンを遮った。
「今回の事件で、ちゃんと何があったのかを把握できる立場にいるのは僕達だけだ。警察がどれだけ優秀だったとしても、デジタル・モンスターのことは分からない。僕たちがなんとかしなきゃ、遠野さんを殺そうとしたやつは永遠に野放しで、多分坂本のやつが捕まる」

−−それだけじゃねえ。俺はお前に着いていけば“欲しいもの”が手に入ると思って、こうしてここにいるんだ。やっと面白そうな事件が起こったっていうのに、お前に尻込みされちゃたまったもんじゃねえ。

「ああ。でも…」
 それはあまりに唐突だった。夢見ていた状況が、目の前にある。自分が探偵で、事件を解決するという使命を背負った状況。突如与えられた目の前の使命に、僕は困惑を隠せなかった。

「とりあえず、今日は眠ろう。頭を落ち着けたい」僕は本を放り出し、電気を消した。暗闇の中で、マミーモンに話しかける。

「なあ、マミーモン」

−−どうした?

 僕の不安げな声に、マミーモンは怪訝な様子だ。

「捜査しなくちゃいけないし、明日は学校休んでいいかな…?」

−−行けよ。

 はぁい、と声をあげ、僕は目を閉じた。



     *****



 学校では、昨日の事件のことは殆ど話題になっていなかった。聞いた話では夕方の地域のニュースでは取り上げられたらしいが、あのボロボロの古書店に通っている高校生が何人もいるわけでなし、仕方のないことなのかもしれない。
 滅多にないことに(自分でも驚いたのだけれど)、その日の僕は全七コマの一日の授業の中で一睡もしなかった。もっとも、真面目に授業を受けていたわけではなく、マミーモンと筆談で事件の捜査方法について話し合っていたのだ。

−−それで? 手始めに何から始めるんだ?

 背後から問いかけてくる声への返答を、僕はノートの端に書き付ける。
『我々には、特別な力がある』

−−特別な力? ああ、“死霊使い”の事か。

 僕はかすかに首を縦に振る。マミーモンからもらったこの力があれば、本来取り憑かれた“狐憑き”本人にしか視認できない霊体の時のデジタル・モンスターを見る事ができる。

 これは大きなアドバンテージになり得る。僕達以外誰も、この力の存在を知らないのだから。“狐憑き”の誰もが−−おそらくデスメラモンの依代である人間も−−霊体にさえなっていればパートナーのモンスターを隠す事が出来ると思い込んで、いつも自分の側に置いている。

−−なるほどな、意外と頭いいじゃねえか。

 マミーモンの賞賛に、今度は周りの目も気にせず大きく頷き、再びシャープ・ペンシルを走らせる。
『犯人はそう遠い所に住む人物とは思えない。おそらく市内の、もっと言えば鰆町商店街の近隣の人間だ。我々はあの近辺をひたすら歩き回って、デスメラモンを頭の上に浮かべた人間を探せばいいのだよ。 簡単なことだよ、ワトソン君 エレメンタリー・マイ・ディア

−−おお! さすがは探偵というだけあるぜ。

『でも、それじゃあんまり探偵っぽくない』

−−は、はぁ?

『やっぱり、聞き込みとかそういう事をしなければいけない気がする』

−−いや、何言ってんだ。

『とりあえず放課後になったら、〈ダネイ・アンド・リー〉で聞き込み計画を立てよう』

−−いや、待てって。さっきのやり方で良いじゃねえか。おい、早苗! 聞いてんのか!

 会話を一方的に打ち切ると、僕は黒板に目を向けた。勢いで引用してしまったが、結局のところ僕はシャーロック・ホームズ型の探偵ではないのだ。



      *****



 放課後、その日の僕は珍しく図書室には立ち寄らなかった。すぐに〈ダネイ・アンド・リー〉に向かわなくてはいけない。

「あ、早苗くん」

 下駄箱に立った僕に、珍しく話しかける影があった。ギターケースを背負ったその少女に、僕は目を向けた。

「…奈由さん」
「ちょっといい?」

 快活な笑顔を向けてくる初瀬奈由(ハツセ・ナユ)の言葉に、僕は下を向きながら頷いた。夏の間は見慣れたポニー・テールだった筈だが、いつの間に切ったのだろう、ショート・ヘアが廊下に差し込む西日の光に揺れていた。

「どうしたの?」僕はうつむきがちに口を開く。顔を上げれば他人の目をまっすぐ見つめる彼女の瞳に捉えられてしまうからだ。 高校一年生で同じクラスだった時から、僕は彼女の真っ黒な目が苦手だった。しかもその目を携えて、教室の端っこの僕の小さなテリトリーに気軽に入ってくるのだからたまらない。

−−なんというか、俺は、この女と話してる時の早苗が一番好きだよ。素直で。

 何処からか茶々が入った気がしたが、僕は無視を決め込む。奈由は、珍しくおずおずとした動作でポケットから封筒を出した。
「今週末、軽音部で組んでるバンドで、ライブをやるんだ。来ない? 大通りのライブハウス」

 僕は思わず彼女の背中のギターケースに目を向けた。ああ、なるほど、そういうことね。

「チケット代とか、いくら?」
「高校生向けだから、五百円」
 それくらいなら払ってもいいかなと思った矢先、彼女が俯いて、小さく素早く言った。
「…プラス、入場の時のドリンク代が五百円で、千円」
「ドリンクって、それ、強制?」
「…うん」

 おお、キビシイ。俯く彼女の手の封筒に目を向ける。ライブハウスの人の筆跡だろうか、結構な金額の数字がそこに走り書きされていた。ライブハウスのノルマは厳しいと聞く。

「他に誰か誘う人とかいなかったの? 一年で同じクラスだった人とか」

−−お前、惚れた女と話してる時にちょっとでも他人の話出すかよ。そういうとこだぞ、そういうとこ。

 マミーモンが背後で喚く。失敬な。彼女に惚れてるなんて、一度も口に出しては言ってない。
 奈由は僕の問いにますます項垂れた。封筒の中身には、まだずっしりと重みと厚みがあるようだ。今日は木曜日、ライブのある土曜は明後日。同性、異性問わず友人のほとんどに断られ、僕のところにやってくるほどに困窮しているらしい。

「女の子にはだいたい当たってみたんだけど、ダメ。男子は…」彼女は思案するように目を上に向ける。
「昴くんが、買ってくれたっけ」

 僕は心の中で舌打ちをした。富田昴(トミタ・スバル)、彼も高校一年生の頃同じクラスだった。誰からも好かれる爽やかな男前に、市議会議員の息子だという噂もある上品な所作の為に、彼は学年中の女子の憧れの的だ。先月、部活にも所属せず昔からやっていたという合気道で全国大会に出場したことで、後輩にもファンが増えたということだった。彼の事を話す時の奈由がどんな顔をしているか、みるのも嫌だ。

−−だから他所の男の話なんかするんじゃねえって行ったじゃねえか。いいから買えよ、ここで良い印象を売るんだ。どうせ珈琲に消える金だろ。

 初心な相棒を使って遊ぶ気満々のミイラは気に入らなかったが、僕は彼の言葉に従うことにした。羽織ったウインド・ブレーカーのポケットから五百円玉を取り出し、指で弾いて奈由に渡してやると彼女は目を輝かせてこちらを見上げてきた。慌てて目をそらし、チケットを受け取る。自分のバンド名だと言って彼女が指し示した記号とアルファベットの羅列に、思わずこれはなんと読むのだと言いかけ、慌ててその問いを飲み込む。
「本当にありがとう!」
「行けるかどうかは分かんないよ。それじゃ、頑張って」

 ぱたぱたと部室に向けて駆け出す奈由を見送る。その小柄な体は、ギターケースに隠れてほとんど見えなかった。



−−いいのか? ライブなんて、今週は捜査で忙しいんだろ。

 彼女が去ると、背後のミイラが再び話しかけてきた。
「チケットだけ買って、行かなきゃいいのさ。酒を飲むわけじゃなし、流石にドリンクに五百円はね」

−−なるほど、じゃあお前は、あの女の笑顔が見たいが為だけに五百円を払ったというわけだ。

「しつこいぞ」僕はそう吐き捨てて、昇降口に乱暴に転がした靴に足を差し入れる。

−−念のため言っとくが、もしお前が将来あの女なり、他の女なりに呼び出されて、泣きながら壺とか英会話教材とか買わされそうになっても……

 僕はマミーモンによく聞こえるように舌打ちをすると、秋風の吹く昇降口に飛び出した。このミイラの一番気に入らないのは、妙にこの世界の事情に詳しいことだ。



      *****



「おお、来たか。探偵クン」
 〈ダネイ・アンド・リー〉に入った僕を、髪の毛をオールバックにした髭面のマスターが出迎えた。
「こんにちは、今日はご老人方はいないんですか?」店内を見回し、僕は首をかしげる。
「今日は君と話したいことが沢山あるからね。店は臨時休業だ。closedって札を出しといたはずだけど」
「ほんとですか、全然気づかなかった」
「…全然気づかないで、ずかずか入ってきたのかい」
 いつもの席に座る僕にマスターは呆れたような目を向けたが、その目はすぐに深刻になった。

「先程市警の金沢警部から電話があってね、遠野さん、搬送先の病院で亡くなったそうだ」
 僕は言葉を失った。
「だって、救急車で運ばれる時もあんなに元気そうに…」
「ああ、私も驚いた」
「やっぱり頭を殴られたのが原因なんですか?」
「検死結果で別の結果が出ない限りはその仮定のもとに捜査すると警部は言っていたよ」
「そうですか」
 僕はそれだけ言って、椅子に深くかけ直す。頭を殴られて倒れているのに居合わせたとはいえ、あの赤ら顔の遠野古書店の主が死んだという事実は容易には受け入れ難かった。マスターはそんな僕をしばらく見つめ、そして口火を切った。

「探偵クンは、今回のことを捜査するのかい?」
「え?」
「殺人事件だ。探偵の出番のように思えるけどね」

 なんと答えればいいのか、分からなかった。捜査をすると決めてはいたものの、不謹慎だ、ごっこ遊びではないんだと叱りつけられる気もした。

「…やります」

 マスターはううむと唸った。
「本気で言っているのか? これは現実だ。推理小説とは違う。推理小説はあくまで知的な遊びだというのは、誰の言葉だったかな」
「…綾辻行人の『十角館の殺人』の一節です。多分彼の言うことは正しいんだと思います」

 それでも。

「やります。警察じゃダメだ。多分、僕にしか出来ません」
「…あの怪物のことを言っているのか」
「はい、彼は今もここにいます」

−−そうとも、俺はいつでもいるぜ。

 店内に一陣の風が吹き、気がつくと隣の席に背の高いミイラが座っていた。彼を実体化させるコツはよく分からないが、今の所はうまくいっているようだ。

 マスターは彼のことをしばし眺め、それから大きく息を吐いた。
「最初から、説明してくれ」



     *****



「成る程ね…」
 僕がデジタル・モンスターについて、遠野老人がデスメラモンに殴られたこと、その背後には人間がいることなどを語り終えると、マスターは一つため息をついた。僕は彼の目を見据え、決意を込めて語る。
「ご存知の通り、僕は探偵に憧れています。でも、今回の件はそれとは関係ない。僕達にしか、犯人を捕まえることはできないんです」
 マミーモンも頷く。
「そういうことだ。俺たちのことは、黙っててくれるよな?」

「…少し待っていてくれ」
 マスターはしばらく唇を噛みながら黙っていたが、やがてそれだけ言って店の奥に消えた。それからどれだけ経っても出てこないので、隣でマミーモンが不安げな顔を向けてくる。

「おい、大丈夫だよな、あのおっさん、警察に通報したりしてないよな」
「た、多分大丈夫だよ。もし万が一警察が来ても、お前は霊体に戻ればいい」
「そ、そうだな」

「おい、二人とも」
 そんな話をしていた矢先、再びマスターが出て来たので僕たち二人は椅子の上で飛び上がった。
「何驚いてるんだ。ほら、これ」
 彼は、僕に小さな茶色の革の肩掛け鞄を手渡して来た。かなりの年代物だが、長いこと使われていないらしい。
「何ですか? これ」
「中を見てみろ」
 僕は金具を外し、鞄の中を覗いてみた。一番大きなポケットは空だったが、小物入れには様々なものが入っている。
「これは…」
 一つ一つ取り出して見てみる。レンズの周りが銀色に縁取られた小さな虫眼鏡、柄に貝殻があしらわれたよく手入れされた折りたたみナイフにペンライト。小さな革の手帳をめくると、最初の数ページに細かい字でオーソドックスな暗号の解読法がいくつか書きつけられていた。その他にも雑多な、古いがよく手入れされた品物が詰め込まれている。

「その鞄の中には、探偵稼業に必要なものが一式詰まっている」
 マスターはそう言って、真剣な顔で僕達二人を交互に見た。

「遠野古書店は私にとっても思い出深い店だ。店主の遠野老人もね。それに、私の店に来るご老人達は、皆あの人の古い友人だ。彼が殺されたことに、みんな悲しみを感じている。私もみんなも、この事件の解決を望んでいるんだ。だから、仮に君達の捜査とやらが遊び半分でも、私は君達に協力をするよ。でも…」

 彼は、僕の持つ鞄を指さす。

「君達に覚悟があろうと無かろうと、君は沢山の人の思いを背負って走ることになる。それは時々、とても辛いことだ。小説の探偵がそうするように、自分とは無関係な深い悲しみの中に飛び込んで足掻かなくてはいけないんだ。もし君にそれを背負って真摯に事件に向き合う覚悟があるなら、春川早苗くん、その鞄を背負いたまえ」



 僕はしばらく、自分の持つ革の鞄を見つめていた。そして黙って頷くと、それを肩にかける。大して重いものは入っていないはずなのに、その鞄はずっしりと重かった。不意にマミーモンが、僕の肩を叩く。

「おっさん、こいつは昨日にも一度、腹括ってるんだ。今更迷うこたねえよ。それに、もしこいつが逃げ出しそうになったら、俺が縛り付けてでも引き摺っていく。こいつには、俺の為にたっぷり働いてもらわないといけないんでね」

 マスターは強く頷いた。
「うん、いい友人を持ったみたいだ。そんな君にもプレゼントがある」

 マスターはそう言うと、また店の奥に引っ込み、今度は大きな服を取り出して来た。フィリップ・マーロウものの映画の中でハンフリー・ボガートが着ていたようなトレンチコートと帽子だ。

「マミーモン、と言ったかな? 霊体になれるとは言ったけど、やはりその体の方が色々と便利なこともあるだろう。君はちょうど私と同じくらいの背格好だ。これがよく似合うんじゃないかな」
「いや、俺は別に、ちょっと、おい、早苗、助けろ!」
 僕が呆気にとられている間に、マスターはマミーモンにあっという間にコートを着せてしまった。
「うん、思った通りだ。包帯を巻いた顔だと、ウェルズの透明人間を思い出すけどね」上機嫌でマスターが言う。

「…早苗、なんとか言ってやれ」
「マミーモンの方が探偵っぽくてずるい」
「そういう問題じゃねえよ!」
「だって」
 トレンチコートに帽子で渋く決めたマミーモンと比べて、学生服にウインド・ブレーカーを羽織り、その上で肩掛け鞄を下げた僕はどう見ても探偵には見えない。良くて ベイカー街不正規連隊 ベイカーストリート・ボーイズ、場合によっては何処からか「ぼっぼっぼくらは少年探偵団!」という歌が聞こえて来そうだ。

「ところで」顔を上げてマスターを見る。

「これ、マスターの名前ですか?」
 僕は鞄を持ち上げ、その下に筆記体で書かれた名前を指し示す。
「そうだとも。それはどれも私の少年時代の品さ。…探偵クン、君にそんな目を向けられる筋合いはないぞ」
 照れたようにしどろもどろで言った彼を見て、僕とマミーモンは顔を見合わせる。

「やっぱり厨二病同士気が合ったんじゃないか?」
「…否定できないのが悔しいね」

「そ、そんなことはどうでもいいだろう」
 心なしか顔を赤くしながら、マスターが取り繕うように言う。

「よし、二人とも」
「何もよしじゃないです」
「私としても君達に探偵なんて危険な真似はさせたくない」
「全く説得力がねえな」

 半ばやけになったのか、マスターは声を張り上げた。

「だがしかし、君達に事件に挑む覚悟と身を守る力があるとわかった今、こちらからお願いしよう。遠野さんを殺害した犯人を見つけ出してくれ」

 マスターの言葉に、僕はマミーモンの方を向く。
「マミーモン、初依頼だ。頼んだよ」
「おう」
 付き合わせた拳は、ミイラの割には重くて暖かかった。

ID.4866
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/11(日) 13:38


木乃伊は甘い珈琲がお好き 2-2
 夕方五時の街を満たす空気は冷え切っていて、この時間でも辺りが薄明かりに包まれていることが、辛うじて死にゆく夏の面影を感じさせてくれた。

「これからどうするんだ?」
 隣を歩くマミーモンが尋ねてくる。コートを纏い、実体化した相棒が隣を歩いているのは変な気分だ。

「事件現場に行って、できれば警察の誰かに話を聞こう。その後は、坂本の家だ」
 僕はもっともらしく言った。

「それで何も分からなかったら?」

「坂本や遠野老人の関係者の家を片っ端から訪ねていく。そうすると、闇に葬られた過去の事件とこの殺人に繋がりがあることが分かってくる」

「分かってくるのか」

「少なくとも、小説では」

「もしも、もしもだ、そんな風に聞き込みをしても何も見えてこなかったら?」

「さらにしつこく聞き込みをする。すると、何処かの段階で来客用のコーヒーに眠り薬を盛られるか、どこかのチンピラにぶん殴られて気を失う。そうすると僕は自動的に事件の首謀者のところまで連れていかれる」

「…つまり?」

「誰かに殴られるかクスリを盛られるまで、ひたすら関係者の周りをうろちょろするんだ」
 少なくとも、フィル・マーロウはそうしていた、と自信たっぷりに言った僕の後頭部が、ミイラの拳で小突かれた。

「ほら、殴られた。いくぞ」
「…実体化、やめたほうがいいんじゃないかな。人目を引くし、殴られると痛いし」

 マスターの洒落た衣類一式、ハットにコートにツイードのズボンはマミーモンの異様な姿を隠すことには成功していたが、スクリーンの中にバーボンと拳銃を置き忘れたまま探偵映画から飛び出してきたような格好の長身の男は、やはり周囲の目を引いたようだった。道行く人々が、目の端で彼を追う。



「それに、流石に暑くない?」
「暑いし、重いな」
 彼は辺りを見回すと、誰も彼を見ていない一瞬の隙をついて、ふわりと浮いた。

−−これでどうだ?

 僕は目を見開く。彼の身に纏う衣類も、彼と共に霊体となって浮いていた。どういう理屈か尋ねようとして、その行為の無意味さに気づき、口を止めた。なんと言っても、相手は“デジタル・モンスター”なのだ。

「便利なんだな、その体」

−−そうだな。でも、それが欲しくてこの世界まで来たんじゃないぜ。ほら、あの警察官に話を聞くんだろ?



 僕は前に目を向けた。遠野古書店の周囲には黄色い立ち入り禁止のテープが張られ、まだ青い服の警官がうろうろしている。その中に金沢の姿を認め、話しかけようとした僕の前に、横から割り込む影があった。
 
「どうも。昨日、ここにいた人だよね」
「あなたは…」
 しばし逡巡したあとで、ようやく彼の顔を思い出した。
「昨日の救急隊員の人?」
 僕の言葉に彼はにこりと笑った。歳は三十に入るか入らないかと言ったところだろうか、目尻には僅かに皺が刻まれていたが、それがこの男をかえって若く見せているような感じだった。
「まさか覚えてくれてるとはね」
 男は白井と名乗り、僕に右手を伸ばしてきた。僕は彼と握手を交わし、何故ここにいるかを尋ねた。
「一応、被害者に最も近づいた人間の一人だからね。警部曰く、この場で被害者の言動を整理するみたいだ」
「遠野さんは、搬送先の病院で亡くなったんですよね」

 僕の問いに、白井は顔を暗くした。

「それはそうなんだけどね。救急車が病院に着いた頃には、すでに意識を失っていた」

 僕は眉をひそめる。
「搬送される時は平気そうだったのに」

「頭を殴られていたわけだからね。何が起きてもおかしくはなかった。…これは言い訳だな。ぼくの無力さにも、責任の一端はあるわけだから」

 そんなことないですよとか、そういったことをごにょごにょと呟きながら、僕は聞き込みを続ける。警部はもう店の奥に入って見えなくなってしまったが、遠野老人の最期を目にした一人である救急隊員と言葉を交わせるのは有難かった。

「救急車の中での遠野さんに、おかしなところとかなかったですか?」
「おかしなといってもね。ああいう状態にある患者さんがいつも通りということはあり得ないよ。でも…」
「でも?」
「いや、変な行動や言動は無かったよ。従順そのものだった。でも、それはそれで、おかしな話じゃないか? 運び込まれる前までは、あんなに抵抗していたのに」

 担架の上で、私は平気だと叫ぶ昨日の遠野老人の姿が目に浮かんだ。

「ええ、でも最後には大人しく…」僕の言葉が止まる。
「うん、あの人は大人しくぼく達に協力してくれた。伊藤刑事の説得のおかげでね」

 まぶたの裏に、昨日の一幕が繰り返される。必死で搬送を拒否していた遠野老人が、伊藤刑事の説得に驚くほど素直に、大人しくなったことを思い出した。

「爺さん」
「え?」
「伊藤刑事は、遠野さんのことをそう呼んでました。妙に馴れ馴れしい気もしますし、知り合いなのかもしれませんね。それで、説得に応じてくれたのかも」

 白井は納得したように何度も頷く。
「成る程、そうか。君、すごいね。ぼくの顔を覚えていたことといい、探偵みたいだ」

 白井の世辞に気をよくする余裕はなかった。背後でマミーモンが囁きかける。

−−おい、早苗…

 かすかに頷く。あの伊藤という刑事が、もし単なる話術や、老人との間にあった信頼関係によってあの説得を達成したということもあり得る。しかし、救急車の中でも老人は大人しくしていたというのだ。

『大丈夫だ。爺さん、大丈夫』

 彼が言ったのはそれだけ。これだけの説得がそれほどの効果を発揮することがあり得るだろうか。

 なんらかの力が使われた可能性がある。薬や催眠術の類ではない。伊藤刑事は老人に触れてもいないし、何かをするだけの時間はなかった。でも、デジタル・モンスターの力なら。

−−敵を麻痺させたり眠らせたりする力を持ったデジモンは多い。もしかしたらそれは、単に爺さんを大人しくさせるだけじゃなかったかもしれねえな。身体の動きを鈍くして…心臓の動きを止めたかもしれない。

 白井に礼を言うのもそこそこに、僕は古本屋に向けて早足で歩き出した、店の奥から金沢警部が出てくる。



「金沢警部!」
「おお、春川くんか。昨日は協力ありがとう」メモ帳を見ながら難しい顔をしていた警部は僕の声に顔を上げた。
「今日はどうしたんだね?」
「いえ、塾帰りです。金沢警部が出てくるのが見えたので、その、お礼が言いたくて。昨日はショックを受けてたところに、優しくしていただいたので」

−−おお、なかなかもっともらしい嘘をつくじゃねえか。

 マミーモンのお墨付きの僕の言葉が効いたのか、金沢警部も頷いた。
「無理もないさ。この店の常連だったんだろう? 捜査は順調に進んでいる。遠野さんにあんなことをした犯人は我々が捕まえるよ」

 自信たっぷりな口調の金沢警部に僕は、真実を知る者として内心ため息をついた。

「それで、伊藤さんは? あの人にも良くしていただいたので」
「あいつもこの事件の担当だが、今日は別のところに聞き込みに行っている。その結果次第では、犯人は今夜にでも逮捕できるよ」

 背中が逆立つのを感じた。

−−なあ、おい、それって…

 もっとも犯人らしい人物、警察が最も疑っているであろう人物、金沢警部が言っているのはおそらく坂本のことだろう。そこに伊藤刑事が行っている。たった今彼には、遠野老人をデジタル・モンスターの力で殺したという疑いが生じたばかりだ。

−−坂本を殺して、あいつに罪をなすりつける気かもしれねえ。死人に口なしとはよく言ったもんだ。

 重ねて礼を言い、慌てて立ち去ろうとする僕に金沢警部が言った。

「君の言葉は有り難いけどね、警察に感謝する必要はないよ」
「…それが、仕事だからですか?」
「そうじゃない。我々はいつだって全ての市民に平等でなくてはならない。我々はいつか君に対して不躾な質問や行動に及ぶかもしれない、ということだ。その時に、君はかつての感謝と信頼を後悔することになるだろう。私の考えだが、警察は悪役でいいんだ」

 僕は頷いた。後悔する機会は思ったより早く訪れそうだ。



    *****



 点り始めた街灯に、それが最後の道標とばかりに死にかけの秋の虫たちが集まる。その下を、僕の影法師が駆け抜けた。と、その影法師が止まり、背を丸めてぜえぜえと荒い息を吐く。もっと体力をつけておくべきだった。この程度で息切れするのではとてもタフな探偵にはなれない。

 僕が走っているのは商店街を脇に逸れた道にある飲み屋街で、少なくとも半世紀以上前から存在しているであろうスナックが建ち並んでいる。時間がまだ早いのか通行人の影は無かったが、いくつかのスナックからは楽しげなカラオケの声が聞こえてきた。

−−なあ、勢いで走り出したけど、坂本の家、分かんのか?

 僕は肩で息をしながらマミーモンの言葉に頷き、マスターから貰った肩掛け鞄から小さな紙を取り出す。走り書きされた住所と大雑把な地図は、走り出す前に頭に叩き込んでいた。

「マスターが調べて、教えてくれてた」

−−おお、流石は元探偵志望だけあるな。さあ、進めよ。早くしないと坂本が危ないぜ。

 僕は無言のまま頷いて立ち上がる。淡い光を放ちながら浮かぶ月を見上げると、役立たずの心臓を鞭打って走り出した。



     *****



  坂本の家の前に出る角を曲がろうとした僕を、男と女の言い争う声が止めた。慌てて塀に背中をつける。声をひそめようとするのに口からは荒い息が漏れ、耳を澄ませようとするのに耳元ではどくどくと流れる血の音だけが聞こえていた。しかし声の主は周りが目に入らないほど気が立っていて僕には気がつかず、有り難いことによく聞こえる大声を張り上げていた。

「なんども言ってるでしょ! トキオは家にいないわ! 本当よ」
「家に上げてもらって、確認させてもらうことはできないかい?」
「バカ言わないでよ! あんたなんかを家に入れる義理なんか、一つもないわ!」

 なだめすかすような男の声は、伊藤だった。

−−女の方は誰だ?

「分からない」僕は荒い息の中で囁く。

「なあヤヨイ、そんな風に言うことないだろ。他人じゃないじゃないか。学生の頃、坂本と俺とあんたで…」
「言っておきますけど、私も今は坂本ですからね。あんたと仲良くしてたのは昔の話よ。警官なんかになって、馬鹿馬鹿しい」

−−とすると、このサキって女は坂本の妻ってことか。そんで、坂本夫妻と伊藤は古い馴染みってわけだな。『トキオ』ってのは大方、坂本の名前だろ。

 まだ酸素を求めて息をしている僕の代わりにマミーモンが思考を言葉で整理してくれる。持つべきものはデジタル・モンスターの相棒だ。
 伊藤とヤヨイと呼ばれた女は、なおも言い争っているようだった。

「なあ、俺はトキオの為にも言ってるんだ。それにヤヨイも、居場所を知ってて隠してるのはちゃんと罪になるんだよ」
「なにそれ、脅し? じゃあ伊藤君は、坂本君があのおじいちゃんを殺したと本気で思ってるのね」
「俺だって信じたくないよ。でもあいつに聞かないことには…」
「本当に知らないのよ! トキオがどこに行ったのか、私が知りたいわ!」
「ヤヨイ…」
「もし用があるなら、他の人を寄越すことね。伊藤君の顔は見たくもないわ!」

 伊藤の呼び止める声の後に、ドアの閉まる音が続いた。ため息をつきながら伊藤がこちらに向かってくる。

「やばい、マミーモン!」
 そう囁きかけると、学生服の襟が上に持ち上げられ、あっという間に僕の体は塀の内側に放り投げられた。しりもちをつき痛みに声を上げる僕の口をミイラの手が抑える。塀の外側を伊藤が歩いていく足音がした。

「声出すんじゃねえ」
「だったらもっと優しくなぁ…」
「我慢しろ」
「…伊藤のやつ、デジタル・モンスターを連れてなかったな」
「分からないさ。何処かに待たせておけばいい話だからな。俺も、お前の聞き込みの間は外で待ってた方が良さそうだ。怪しまれるだろうからな。上手くやれよ」

 再び体が乱暴に塀の外へと放り出された。悪態を吐くと、僕は家に向けて歩き出した。



 玄関のベルを押しても、しばらくは応答がなかったが、三回目でドアの向こうから声がした。
「伊藤君、帰ってくれる? 警察呼ぶわよ」
「伊藤さんじゃありません」伊藤自身が警察官だろうと心の中で思いながら僕は声を張り上げて返事をした。
「他の警察の人? どっちにしろ、帰ってもらえるかしら?」先程の勢いには、伊藤が知り合いだからということも大きく関係していたらしい。相手が別の人物と分かった時の坂本ヤヨイの声は妙におどおどしていた。
「僕は警察じゃありません」
「うそつき!」
「ドアを開けてもらえれば、嘘じゃないことがわかってもらえると思います」

 しばしの逡巡をドアの向こうから感じたかと思うと、ドアがゆっくりと開き、女の顔が小さく覗いた。伊藤と古馴染みらしいから、二十代の後半くらいの歳だろうか。それにしては、彼女はやけに老けて見えた。ここ数日で一気に歳をとったような老け込み方だった。服の方も御同様で、灰のネルシャツと黒いロング・スカートはどちらもくたびれていた。

「なんだ、子どもじゃない、どうしたの」
 そう言うと女は無防備にドアを大きく開けた。男子高校生となれば大人ができる大抵の悪さはできるだろうに、僕が侮られているということだろうか。少し自尊心を傷つけられたが、今回の場合は好都合だと思い直して真摯な表情を顔に貼り付けた。

「僕はある人の使いで来ました」
 若干の屈辱感はあったが、信頼を得る為にここは架空の大人を引き合いに出すことにした。
「ある人?」
「坂本のトキオさんの無実を確信している、ある人です」

 女の顔が明るくなった。あまりにも思慮に欠けるようにも思えるが、味方に見えれば見ず知らずのガキにも縋り付いてしまうほどに追い詰められているのかもしれない。

「トキオの味方? 弁護士の方かしら?」
「そのようなものです」僅かな嘘に心がちくりと疼く。
「そう、入っていただける?」

 玄関の靴置きにざっと目を通したが、色褪せた女の靴が一つ置いてあるだけだった。この女と、不在の坂本の二人住まいらしい。
 しかし、通された家には若い夫婦の二人住まいの明るい空気を感じられるものは何処にもなかった。床は歩く度に甲高い悲鳴をあげて軋み、家の裏からは先程より大分興が乗ったカラオケの声が聞こえる。部屋にも小さなブラウン管のテレビがあるばかりで、質素と言うよりは貧相という言葉が似合いそうだった。僕の視線に気づいたのか、女は恥ずかしげに俯く。
「すいませんね、ボロ屋で。トキオの親の家なんですけど、二人とももう亡くなっちゃったから一時的に住ませてもらってるの。いずれはもっと小綺麗なところに引っ越そうってトキオと話してるのよ」
 女の言葉には新鮮な希望は無く、長い間毎日のように同じことを話し続けているということがわかった。その「いずれ」は少なくとも五年以上引き伸ばされているらしい。
「お茶でもお出しします?」
「いいえ。それよりも、お話を伺いたいですね。僕は春川早苗と言います」
「あら、私自己紹介もしてなかったわね。坂本弥生というの。よろしく、早苗くん」
 幾らか落ち着きを取り戻したのか、女は手を差し出してかすかに微笑した。綺麗な人だ、この時初めてそう思った。椅子を勧める所作に落ちぶれたかつての貴族というような雰囲気が滲み出ている。この女性があのチンピラ丸出しの坂本の奥さんなんてちょっと考えられない話だが、世の中にはそういう話が沢山あるのだろう。
「それでは、いくつか質問をしますね。無理に答えていただかなくても結構です」
 女が頷き、僕の向かいの席に座る。

 再び口を開いた僕の言葉を、大きな発砲音が遮った。坂本弥生が驚いたように外を見て、目をきょろきょろと動かす。
「今の、何?」
「車のバックファイアでしょう。大丈夫ですよ」
 僕は落ち着き払って言った。生憎、僕は銃声も車のバックファイアの音も聞いたことがない。しかし、小説の中には銃声がバックファイアの音に間違えられるシーンが星の数ほどあるのだ。きっとこれで誤魔化せるに違いない。
 泰然とした僕の態度に安心したのか、坂本弥生も息をついて居ずまいを正した。女の目を逃れ外をちらりと見る。

 おい、マミーモン、何があった?



      *****



 銃口から立ち上る煙は、夜の闇の中ではあまりにも白かった。マミーモンはその煙を息で吹き飛ばし、目を凝らす。弾丸が命中したという手応えはあった。しかし、銃弾の一発や二発で相手が死ぬとは思っていない。目の前にいるのは確かにデジタル・モンスターなのだから。
「一応言っておくけど」彼は声を張り上げる。
「その窓から見える男は坂本じゃねえぞ。坂本の奥さんに話を聞きにきた。しがない探偵サンだ」
 唸り声が上がり、夜の闇に青い光が瞬く。と、それが突如こちらに迫ってきた。マミーモンは喫茶店のマスターから貰ったハットが落ちないように抑えながら飛び上がり、空中で一回りすると敵の背後に着地する。体に纏ったトレンチ・コートが音を立ててはためいた。

「芸がねえなあ。けど−−」彼は自分のいた場所に目を向ける。彼の背後にあった塀に、大きな爪痕がついていた。明日の朝になったら、家主は困惑することだろう。

「〈イレイズ・クロー〉、サイバードラモンね。宿敵たるウィルス種に会えて、さぞかし嬉しいだろうな」

 哀れな奴め、彼は呟く。プログラム単位でマミーモン達ウィルス種に対する敵意を刷り込まれているサイバードラモンは、当初の目的など忘れてしまったらしい。その目は真っ直ぐにマミーモンに注がれていた。

「そっちがその気なら話は早い。けど、その前に場所を変えようぜ」道路の真ん中では好きに銃を撃てないし、まだ夜の七時過ぎだ。人が通るかもしれない。この世界ではサイバードラモンの〈イレイズ・クロー〉は、空間そのものを切り裂くという特殊性を失っているらしかったが、それでも威力は凄まじいものがあった。加減していては勝てない。

 マミーモンは前に飛び出す。サイバードラモンのすぐ脇を挑発的な笑みを浮かべて駆け抜けると、彼の背後の塀を蹴って空に飛び上がった。それを、咆哮と羽ばたきの音が追いかける。
 夜にぼんやりと浮かぶ月を遮るものがなくなる高さまで来たところで、マミーモンは振り返りマシンガンを乱射した。数発は急所に命中したという手応えがあったが、龍の爪は勢いを少しも失わないまま迫ってくる。龍の体を覆うゴム質の装甲は、見た目以上に頑丈らしい。

「効果無しかよ。傷つくなあ」マミーモンは呟き、マシンガンを空に放り投げると、その鉤爪に紫の稲妻を走らせた。その爪で捉えた獲物を悪夢に引き込み、狂気に導く技。

「〈ネクロフォビア〉!」

 紫電を纏った手でサイバードラモンの腕を掴む。青い光に包まれた龍の鋭い爪が、マミーモンの目の前で止まった。間一髪と言ったところか。そう安堵する隙もなく、サイバードラモンが彼の腹を蹴りつける。空に跳ね飛ばされながら、マミーモンは怒鳴った。

「おい、貰ったばかりのコートだ! 汚すんじゃねえ!」

 龍は聞く耳を持たず、再び彼に迫ってくる。そのウィルスに対する闘争本能の前では〈死霊使い〉の見せる悪夢など無意味らしい。

 けど、それにしては。マミーモンは呟く。
「動きがガキ丸出しなんだよ」
 龍の動きは単調で、プログラムが導き出すウィルス消去までの最適ルートとはかけ離れているように見えた。突進を軽く避け、赤く塗られた民家の屋根に着地すると、マミーモンは頭上に向けてその手から包帯を伸ばす。

「〈スネーク・バンテージ〉」

  包帯に幾重にも絡め取られた龍を引き寄せ、屋根にたたき伏せる。空から降ってくるマシンガンをキャッチすると、その銃身で唸り声を上げる龍の顔を激しく殴打する。

「勝負ありだ。いい加減目ェ覚ませ」

 装甲に覆われていない喉元に銃口を突きつけると、彼は顔を龍の耳と思しき場所に寄せた。

「洗いざらい喋ってもらうぜ。口封じのために坂本を殺しにきたんだろ? 誰の命令だ?」

 本能のままに暴れる龍の唸り声は、今や全く聞こえなくなった。代わりに、諦念のこもった穏やかな声がマスクの下から聞こえてくる。

「あーあ、またダメだったか」
「は? 何言ってやがる」
 眉間にしわを寄せるマミーモンに、龍は喉を鳴らして語りかける。

「キミ、マミーモンだっけか。強いね、とっても強い。ボクも、久し振りにやれば上手くいくかと思ったけど、そう甘くなかったみたいだ」
「お褒めいただき光栄だね。残念ながら、お前が弱すぎるだけだ」マミーモンは龍の喉元の銃口をぐりぐりと動かしたが、それにも構わず穏やかな声は話を続けた。

「ボクはね。なかなか周りのサイバードラモンのようになれなかった。みんな簡単なことだって言う。ウィルス種を見かけたら、頭を空っぽにして、語りかけてくる声に従えばいいんだって。でも、なんでかぼくにはそれができなかった」

 先ほどサイバードラモンが見せた、プログラムに制御されたとは思えない稚拙な動きをマミーモンは思い出した。

「ボクは落ちこぼれだった。みんなが苦もなく手に入れて満足してるもの、強さと単純な満足を、手にいれることができなかった。それに、欲しいとも思わなかったしね。だからこの世界に来たんだ。この世界にくるデジモンは、みんなそうさ。向こうの世界で満足に生きるには、決定的に何かが欠けてる。だから、逃げてくるんだ」

 マスクに覆われた顔の内側から、龍の目が自分を射抜くようにマミーモンには感じられた。

「でも、キミは違う。十分過ぎるほど強くて、身のこなしも自信たっぷりだ。向こうの世界にいたままでも、人間の力を借りなくても、望んだものを手に入れられるように思える」

 ねえ、教えてよ。

「マミーモン、キミは何が足りないの?」

 銃声が、夜空に響いた。



     *****



 一つ質問を飛ばすたびにマミーモンのことが頭をちらついたが、僕はなんとかスマートに坂本弥生へのインタビューを終わらせることができた。言い換えれば、神経を使うほどの事は彼女は何も知らなかったとも言える。洞察力には自信がないが、坂本弥生が何かを隠しているようには思えなかった。彼女は本当に坂本トキオの居場所を知らないのだ。
 有用な情報の代わりに彼女の口から飛び出して来たのは、坂本トキオへの恨み節だった。伊藤に見せていた貞淑な妻の姿は仮面に過ぎなかったらしい。

「トキオは仕事のことすら殆ど私に教えてくれませんでした。将来性もあってすぐに儲かる仕事ということだけ。その儲けも、酒とパチンコに消えていったわ」

 商店街の古本屋の店員が、将来性もあってすぐに儲かる仕事だとは思えない。この哀れな女性に坂本は嘘をついたのだ。そして、彼の嘘はもう一つ。

「最後の日も、仕事場に行くって言って、あの人は戻ってこなかった」目に涙を溜めながら女は言った。

 坂本トキオは事件の日には既に店をクビにされていた。妻を貧相な家に置いたまま、自分はどこかに逃げ出したのだ。

 でもなぜ? その時点で彼は自分に遠野老人殺しの容疑がかかると知っていたとでもいうのだろうか。突如鉄仮面を被ったデジタル・モンスターが現れ、老人を撲殺すると知っていたとでも?

 坂本トキオがデスメラモンに憑かれた“狐憑き”ならば、その行動に一応の説明がつく。しかし、そこには納得のいく理由がない。果たして、自分が疑われるようなタイミングで相棒に人殺しをさせる必要があるだろうか。



 結局、インタビューを通して謎は深まっただけな気がする。しかしどの小説でも最初の聞き込みというのはそういうもの。リュウ・アーチャーよろしく酒飲みの亭主に叩きだされるということが無かっただけマシというものだ。もっとも、僕はこれからその酒飲みの亭主の居場所を見つけ出さなければいけないのだが。

 礼を言って家を出ようとした時、坂本弥生が縋り付くように僕の手を掴んだ。
「私、トキオについて悪いこと、沢山言ったかもしれないわね。それでも誤解しないで、あの人は人殺しなんてしないわ」

「ええ、分かっています」僕は頷いた。そう、彼が犯人でない事は分かっている。それはそこまで喜ばしいことではなかった。坂本トキオは知れば知るほど積極的に弁護したくなるような男ではないし、彼が無実であるという事実以外僕は何も知らないのだ。

 僕の言葉に再び安心したのか、女は立ち上がる。
「警察も、そう思っていただければいいんですけど」
「捜査の担当は、金沢警部と伊藤巡査でしたね」

 さりげない僕の言葉に、女の目がきつくなった。
「伊藤くんのこと、知ってるのね。あの人は薄情者よ。自分が刑事になった途端に、それを私やトキオに振りかざしてくるんだもの」
「知り合いなんですか?」
「昔はね。親友だったわ。私とトキオと伊藤くんで、仲良し三人組だった」

 そう話す彼女の目はどこか遠くを見ているようだった。僕の見えないどこか遠くにある、なにか楽しく美しいものを。

「三人でよく、あの商店街で遊んだわ。遠野さんが、よく絵本とお菓子をくれたっけ」
「遠野さん?」
 僕が眉を上げて尋ねたことで、女は過去から現在に引き戻されたらしかった。怪訝そうに眉をひそめ、やがて自分の言葉の重要さに気づいたらしい。手を振りながら訴えかけてくる。
「そうなんです。私たち三人は、遠野さんにとても良くしてもらってたんです。だから、トキオがあの人を殺すなんてこと、あるはずがありません」

 昨日遠野老人は、坂本のことを「昔のよしみで雇っていた」と言っていた。それが何かは、これで分かったことになる。もう一つ、遠野老人のことを伊藤が馴れ馴れしく「爺さん」と呼んだ理由もはっきりした。

「つまり、その事は伊藤巡査も知ってるんですよね」
「当然ね。それなのにあの人はトキオを疑ってるんだわ。子どもの頃の友情って、儚いものね」

 そう言いつつ、彼女はまた過去の回想に戻ったらしかった。軽く礼を言って、家を出る。彼女は多分、これからも過去に縛られ続けるのだろう。そこでは坂本はいつまでも彼女のそばにいて、伊藤は決して彼等に手錠を振りかざしたりしないのだ。



     *****



 ウィンド・ブレーカーのポケットに手を突っ込みながら裏路地を抜け、大通りに出る。すると隣に突然トレンチコートにハットのすらりとした大男がにじり寄って来たものだから、僕はすっかり縮み上がってしまった。

「マミーモンかよ、驚かすなよな」
「早いとこ慣れてくれ。いや、慣れなくてもいいな。その反応、面白い」

 勘弁してくれと言いながら、僕はマミーモンを睨みつける。

「火薬くさいぞ。どこほっつき歩いてたんだ」
「別に、坂本の家の周りをうろうろしてるデジモンがいたから、始末しただけだ」

 僕は首をかしげる。「殺しにきたのかな」
「だろうな。お前、坂本に間違われて殺されるとこだったんだぞ」

 背筋にぞわりと悪寒が走ったが、それよりもその状況でマミーモンが自分を守ってくれたという安堵の方が先に来た。

「そいつからなんか聞けた?」
「いいや、戦いに無駄話をする隙は無いからな。さっさと殺しちまったよ。俺に言わせりゃ、ありゃ単なる下っ端のサイバードラモンだね」
 マミーモンが早口でそう言った。ハットから覗くその目がどこか遠くを見ているようで、僕は眉をひそめる。と、あることに気づいた。

「マミーモン、今お前サイバードラモンって言ったか?」
「ん? ああ」
「僕たち、見たことあるだろ。サイバードラモンと、そいつを連れた“狐憑き”を」

 マミーモンはしばらく思案していたが、すぐに僕の言うことに気づいたようだった。

「あのサッカー部員…」昨日の放課後に見た頭をワックスで固めたサッカー部員、彼がサイバードラモンを頭に浮かべていた。

 僕はため息をつく。明日こそは学校をサボってやろうと思っていたのに。

「事件の一端は、僕の高校にあるらしいよ」
「敵はすぐそばに、か。面白くなって来たじゃねえか」

 呟く僕の隣で木乃伊が帽子に手をやり、にやりと笑う。その姿があまりに様になっていて、僕は思わず舌打ちした。

ID.4867
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/11(日) 13:40


木乃伊は甘い珈琲がお好き 2-あとがき
どうも、「木乃伊は甘い珈琲がお好き」第2話。デジモンを差し置いてどんどん出てくる人間のキャラクター達のわかりづらい苗字に耐えながら読んでくれた皆様、ありがとうございます。珈琲は基本ブラックがお好きなマダラマゼラン一号です。

さて、今回の話、いかがだったでしょうか。この話は前回投稿の第1話から続けて書いていたんですが、早苗君がマスターから鞄をもらうシーンあたりで自分の中でオープニング・テーマ(曲はなんでもいいです)が流れ出した感じです。
ウィンドブレーカーに肩掛けバッグの探偵ハルカワ・サナエと、その相棒でトレンチを羽織った木乃伊のコンビの誕生。この二人のこと、これからもよろしくお願いします。

さて、サイバードラモンの言葉通り、この世界にやってくるデジモン達はみんなデジタルワールドで上手くやれずに逃げて来た“落ちこぼれ”です。では、マミーモンはどうして落ちこぼれたのか? それが遠野老人殺人事件と並ぶ、本作の大きなミステリーとなっています。そのあたりに注目して楽しんでいただければと思います。

それでは。

ID.4874
 
■投稿者:パラ峰  HOME
■投稿日:2018/02/12(月) 16:54


私はそういうとこがお好き
本当にそういうとこだぞ。わかる。
マミーモンの言葉に心を抉られつつ。2話まで読ませていただきましてアンサー感想です。

それにしても、導入部分の数行を読んで面白いと確信できる小説はいかほどあるでしょうか。名作と呼ばれるそれらでさえ、幕開けで惹き込まれるものはそう多くありますまい。私にとって『木乃伊は甘い珈琲がお好き』は、その数少ない側に入る作品でした。あとがきを読んで納得です。何年分もの情念のこもった文章が面白くない筈がありません。

春川早苗の三枚目感もさることながら、衣装一式を貰う前後のマミーモンもどこか抜けていて憎めなく、とてもいいコンビだなと感じます。

謎解きも一歩一歩足で稼いでいきながら、しかし決定的な一打はデジモンとのバトルをきっかけとして与えられるところなどは「こう来たか!」と唸らせられました。

マミーモンにも何か抱えているものがある様子。続きが大変気になるところですが、これにて感想を締めさせていただきます。

ID.4878
 
■投稿者:夏P(ナッピー)  MAIL
■投稿日:2018/02/13(火) 22:51


私が好きなのはお寿司
 どうも、このような形で感想を書かせて頂くのは初めてとなりますでしょうか。夏P(ナッピー)と申します。


 一気に2話まで読ませて頂きましたが、地の文が多いながらテンポ良く読み進めさせて頂いたように思います。そういえば私も小学生・中学生の頃は推理小説を読むのが大好きだったなぁなんてことを思い出しました。あとプロローグにおける夢の中の物語はそれはそれで別の作品として読みたいような。
 2話まで読んだ時点で一度1話から再度読み返して伏線や謎のヒントが無かったか確認したくなり、この感想は二周させて頂いた上でのものとなります。
 そんなわけで、サイバードラモンが出てきた時点で「まさか!?」と思いましたが、読み返して確認した限りやはり1話で学校にて見かけたサイバードラモンと同一個体でしたか。事件が起こった時点で坂本が犯人と見せかけ、実は他に真犯人がという展開なのだろうと考えておりますが、こういった予想すると大抵外れることに定評のあるこの私。でも過去にああいった形で遠野のジイさんと関わりがあったはずなのに伊藤が坂本を追っているということは何か裏があるんだろうな……。
 私の悪い癖で、こうなると全てが疑わしく見えてきてしまうもので、おのれぇポニテを何故切った同級生の女の子やイケメンの議員二世も全てが怪しく思えてきてしまう。マミーモンも喜んで協力してくれていますが、本当に100%信頼して良いものなのか。
 マスターはいい人そうだけど、なんかこーいう人って事件が続くと死にそうで怖い。


それでは、今回はこちらで感想とさせて頂きます。

ID.4880
 
■投稿者:パラレル 
■投稿日:2018/02/13(火) 23:00


私は知的なおねーさまが好き
二話まで読ませて頂きましたので、まとめてざっくりした感想を。

冒頭からハードボイルド路線かと思いきや、まさかのハードボイルドに憧れはしている凡庸な少年のお話。とはいえマミーモンとのコンビっぷりは既に様になっているようです。それも軽快に進ませる作者の筆の上手さがあってこそ。

人間に寄生するデジモンに主人公を初めとした学生の描写と薄々似てるというかそれっぽいなと思ってたら、やはりあの鳥の人の手引きがあったものでしたか。一読者としてはクロスオーバーなど迂闊に願いたくなるものです。

推理物というと、自分は小中学生の頃に江戸川乱歩とか赤川次郎とか東野圭吾とか読んでたくらいですかね。綾辻行人の館シリーズには少し興味あるので手を出そうと思います。

はてさて、まだまだハーフボイルドの少年はマミーモンとともに、憧れるハードボイルドの探偵の姿に近づけるのか。

ID.4881
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/02/14(水) 18:52


感想返信
 沢山の感想ありがとうございました。一話と二話の分、どちらも感想返信させていただきます。


>Shot-Aさん

 探偵の名前は単に春川くんが(つまりは作者が)カッコつけて並べ立ててるだけなので分かるものだけ気にしていただければそれで構わないです。マミーモンもきっと話半分で流してると思うので。
「幾千のアポカリプス」の影響はもう拭い去ることはできない(また、その必要もない)気がします。とはいえ、物語の組み方やキャラクターの性格付けを通して、単なるフォロワーにとどまらないオリジナリティを模索していきたいものです。


>羽化石さん

 定期的にTwitterで他の誰に届くわけでもない某ミイラ男の話題を投げ合っている羽化石さんなら分かってくれると思っていました。そうです。あのマミーモンはアレです。
 春川くんはなんというか、微笑ましい感じですよね。優しく見守っていただければと思います。


>パラ峰さん

 ホントにそういうとこなんですよね…。春川くんに自分を投影しているだけにマミーモンの台詞を書くのは自分で自分に爪を立てているようなものでして、この苦しみを共有できる方がいると思うだけで大分救われます。
 マミーモンは基本的にはツッコミ役ですが、「流石は探偵だけあるぜ!」とか言っちゃう辺り、割と抜けてるところあるんですよね。


>夏Pさん

 奈由ちゃんの髪型に関しては、春川くんもポニーテールの時の方が良かったなぁとか思ってる気がします。でもポニーテールを高二の夏で卒業しちゃうこの感じ、最高にエモいと思うんですよね。僕はなんの話をしているんだ。
 繰り返し読んで謎について悩んでくれる方がいるのは作者にとっては最高の勲章です。これからも是非悩んでください。


>パラレルさん

 知的なおねーさまは出てこないんです……そういう人を出すと……きっと僕はその人を犯人にしてしまう……。
 館シリーズは相当昔に読んだもので、感銘を受けた記憶はあるんですがトリックとかよく覚えてません。はっきり記憶していたのは、作中でマスターが引用したあの台詞だけ。でも、よく分かんなくても面白いこういうミステリー小説が一番優れたミステリー小説であるような気もします。オススメです。


感想をいただいてそれに返信をするというこのやり取りはずっと昔から憧れていたことでして、はしゃぎながら感想を拝見し、返信を書かせていただきました。是非次回も楽しんでいただければと思います。それでは。

ID.4884
 
■投稿者:ぱろっともん 
■投稿日:2018/02/15(木) 16:54


私はマスターが好き
最初の一行からもう話に引き込まれました。

もうこのコンビの掛け合いからいろいろと好きでたまらないんですが、あえてマスターが好きだという事を声を大にして言っていきたいです。

カフェラテを飲んでもらえなかったり、子供みたいに趣味の事ではしゃいでしまったり、昔のそういった道具を大事にしまっていてしまったり……

さっぱり全容はわからないですが学校の中に話はシフトしていくようで……次の話も楽しみです。