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ID.4813
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/01/20(土) 15:06
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六月の龍が眠る街 10-1
         
 
第一章

第ニ章

第三章&第四章

第五章

第六章

第七章

第八章

第九章


突然鳴り出したスマートフォンの着信音で、夏目秀は目を覚ました。彼は飛び起きると、薄ぼんやりとした霧のかかった頭を回してあたりを見回す。最初に思ったのは、自分はまだ眠ったまま夢の中にいるのではないかということだ。とびきりの悪夢の中に。

 周囲は全くの闇だった為に、彼にはその空間の奥行きが掴めなかった。手を伸ばせばすぐそこに壁がある気もするし、どこまで走っても果てがない広大な空間が広がっているような気もする。そのどちらを試す気力も、彼には無かった。
 しかし何もしないわけにはいかない。耳元ではスマートフォンが未だにわずかな光を発して鳴り響いているのだ。起き上がらなくては。

 どうして?

 今まで自分は眠っていたのだから。きっと寝転んだままの筈だろう。起き上がらなくては。

 どうして?

 自分は既に立ち上がっているのかもしれない。いや、そんなことはもうどうでも良いのだ。この空間では上下の区別に意味はないと、なぜか感じることができた。
 自分が何をすれば良いのかわからない。何もしなくて良い気もする。そんな筈はないと叫ぶ自分もいる。そんな葛藤の妥協策として彼は、先程から着信を告げているスマートフォンを手に取った。

「もしもし?」
「おい、出るのが遅いぞ。シュウ」
 彼は目を見開いた。「ユウか?」
「当然だろ」
「ユウの筈がない」どうしてそう思うのだろう? 分からないが、彼の心は間違いなく違和感を抱いていた。
「何言ってるんだ? それよりお前、今どこにいるんだよ。青森行きの電車、乗り遅れるぞ?」
「青森だって?」
「夏の課外研究、まさか忘れたわけじゃないよな? お前がこないと女子たちの機嫌が悪くって困るんだよ。早く来てくれ」
 夏目の耳元で会話は突然に終わりを告げた。

 夏の課外研究? 彼は首をひねる。とすると今はまだ夏休みも始まらない七月の暑い日で、自分は北館祐や三浦真理、彼を慕ってくれる美嘉や絵里の待つ駅前の集合場所に急いでいる最中だったのだろうか?

 再びスマートフォンが鳴った。彼は少し迷ったが、やがて電話を取り耳に当てる。
「もしもし?」
「ああ、シュウ。今何してる?」
 その声を聞いた夏目の体に大きな震えが走った。
「高視さん?」
「そうだよ。どうしたんだ?」
「そんな筈はないんだ。あんた誰だ?」
 彼は鋭い口調で言った。心臓が早鐘を打っている。心で感じるより先に、高視悟の声を捉えた耳が違和感を告げていた。
「なに言ってる? それより明日の夜、〈アイス・ナイン〉で戦勝祝賀会があるんだ。オニスモンの事件が片付いて、ようやく落ち着いてきたからな」
「オニスモン?」彼は激しく首を振った。
「バカなことを言うな!」そう言って電話を切る。彼は力を込めてスマートフォンを放り投げた。しかしそれは彼のすぐ目の前に着地し、すぐに新たな着信を告げる光が瞬いた。
 彼はそれに背を向けようと振り返る。するとまた目の前に同じスマートフォンが振動していた。どこを向いてもそれは目の前にある。彼は座り込み、頭を足の間に埋めて目を瞑った。そうすると今度は着信の音がやけに大きく聞こえる。それは耳のすぐ近くで鳴っているかのように耳障りに響き、バイブの振動は地面を震わすほどに感じられた。
 耐えられず彼はスマートフォンをとる。
「お前は誰なんだ!」

「もしもし、大丈夫? シュウさん」

 彼は顔を上げた。その頬を一筋の涙が伝う。
「ヒトミ? ヒトミか?」
「そうだよ。シュウさんったら、どうしたの?」
「話は後だ。助けてほしい。君にしか出来ないんだ」俺を救ってくれ!
「助ける? 私が?」
「そうだ」
 どうしてそんなことが言えるのか、彼自身にも分からない。しかしヒトミの声は先の二つの声とは違い、地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように思えた。
 しかしその幼い少女の声は、彼の懇願を笑い飛ばした。

「なーに言ってるの。シュウさんにはテイルモンがいるじゃない」

「テイル…モン?」
 高視の声を聞いた時と同じ違和感が彼の身体に走る。手は恐怖に震えている。その震えの酷さに、彼は今にもスマートフォンを取り落としそうだ。

 ほーら、落としちゃったじゃない。

 もう彼の目は瞬き一つしない。驚きと恐怖の表情が、スマートフォンの落ちた足元に向けられる。
 その光が、小さな白い影を照らし出した。

 ステファンは、ほんとうっかり屋なんだから



 その影で街を覆い隠した巨大な龍は、苦悶と後悔の叫びをあげた。

          *****

 病室の窓ガラスに大きなヒビが入り、北館祐は驚いてそちらを向いた。原因はわかりきっている。今の音でガラスと同じように鼓膜にヒビが入ってないといいんだけど。
「ちょっと、何よ今の?」
 彼の隣で一条秋穂が声を上げた。ルーチェモンとの戦いで他の十闘士より一段深い傷を負い、まだあちこちに包帯を巻いている。北館が振り返ると、病室でルーチェモンに破壊されたスピリットの修復を待っている他の闘士たちも耳を塞いでいた。
「ルーチェモンの叫び声だろう。あの野郎、あんな大きくなりやがって」
 彼は視線を手元のパソコンに移す。それにはヒュプノスの飛ばしたドローンから転送された仙台の街の鳥瞰図が映されているはずだった。しかし今は違う。



 カメラの視界を覆う、紫色の影。時折不規則に揺れる十枚の翼。金色の兜に包まれた醜い顔。その上に抱かれた七つの輪。大きな腕が抱いた禍々しい黒い玉。



 龍は仙台市全体を覆うかのように浮かんでいたが、あまりの大きさに地上からはその巨体の造形は掴めないだろう。事実、病室の窓からはその巨大な前足が逆さ吊りになった巨人のように街に垂れ下がっている様子しか捉えられなかった。
「第三形態、〈黙示録の龍〉ね」秋穂がそう言って隣にいる三浦真理に問う。
「えっと…真理ちゃん、なんだっけ?」
「ヨハネの黙示録、聖書の描写とアイツはあんまり似てないけどね」
 真理が語る聖書の一句に、その場にいた闘士全員が耳を傾けた。



また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
ーー新約聖書 「ヨハネの黙示録」12:3



「まさかここまでデカイとはな」
 誰かが言う。その言葉に、病室には自分たちの無力さに対する悔しさが立ち込めた。結局十闘士は現時点での総力を結集してなんとかルーチェモンの第一形態、力を出し切っていないその身体に一太刀入れることができただけだった。
 その様子を見て、秋穂は肩をすくめた。
「みんな、情けない顔してないで。後はヒュプノスのミチルさん達がなんとかしてくれるでしょ」
 北館も頷く。
「みんなは納得行かないかもだけど、加納さん達なら大丈夫だ。まあでも、ヒュプノスに任せっきりも悔しいからさ。できることをしよう」
 そう言った秋穂と北館に続いて、他の闘士達も立ち上がった。

「皮肉屋の北館にしちゃ、ずいぶん前向きだな」
「いいんじゃない? ヒュプノスに任せっきりも悔しいし」
「北館くんの言う通りです。この状況では、デジモンを知っていると言うだけで戦力になりますからね」
「けど何すりゃいいのさ、交通整理?」
「あはは、いいかも〜」

 彼らを見回して北館は笑った。
「じゃあ全員賛成ということで、これから仙台を守るために街に出る。作戦は秋穂、頼んだ」
「えー、私?」
「鋼の腹筋を持つ賢者だろ」
 北館は微笑んで言う。冗談はともかく、十人で行動していた頃から彼女はみんなの参謀役だった。
「腹筋は余計よ」
 秋穂も自分の役割はしっかり自覚しているらしく、北館に向けて唇を尖らせてそう言ってからすぐに口調を変えてきびきびと指示を出し始めた。
「オーケー、行動は基本的にチームで分けるわね。みんなで十闘士になるための修行してた時のチーム分け、覚えてる?」
「懐かしいな」メンバーにざわめきが起こった。「チーム〈カイゼル〉とチーム〈マグナ〉」
「アレは結局どういう分けかただったんだ?」
「ネーミングも謎」
「ボコモンは、そのうち分かるとしか言ってくれなかったよね」
「ハイハイ」秋穂が手を叩いて注目をもう一度自分に集め直した。
「とにかく基本的にこのチームで行動を分けるわ。〈カイゼル〉は交通整理を中心に、〈マグナ〉は人々の避難誘導を中心に活動する。こんな体の私が外に出ても迷惑になるだけだから、私はここに残って連絡係をするわ」
「じゃあ、秋穂ちゃんの分の仕事は私がやる」 真理が口を挟んだ。北館が慌ててそれを止める。
「何言ってるんだ。真理は秋穂と一緒に待機しててくれ」
「もう見てるだけは嫌。私だって、きた…ユウの役に立ちたいの」
 突然名前で呼ばれ、北館は言葉に詰まった。周りの闘士達がそれをはやしたてる。秋穂はため息をついた。
「お二人さん、後にしてくれない? 私もホントは止めたいけど、今は人手が惜しいわ。真理ちゃん、くれぐれも気をつけてね」
 真理がこくんと頷くのを見て、秋穂は全員を見回した。
「それともう一つ、ルーチェモンが力を振り回してるせいで殆どの携帯や無線は使えなくなってるでしょう」
 先程から彼らが見ているパソコンの映像にも酷いノイズが走っている。だからこそ、と秋穂は声を高くして言った。
「互いに通信し合うヒマはないわ。さっきの作戦はあくまで仮のもの。戦場に出たら、それぞれの正しいと思う行動をしなさい。その判断の正しさは私たち、長い付き合いの十闘士全員が保証する。でしょ?」
十闘士達は互いに頷きあう。
「それじゃあ行くわよ。作戦開始!」

 闘士達は口々に了解の言葉を叫んで部屋を後にしていき、北館だけが部屋に残った。彼に背を向けてパソコンのモニターに向かったまま、秋穂が彼に話しかける。先ほどとは打って変わって、不安げな声だった。
「玲一さんとミチルさん、勝てると思う?」
「ヒトミちゃんもギギモンもいるからさ、勝てるよ」
「ユウくん、気休めを言うタイプだったっけ?」
「違うよ。だから信用してくれていい。秋穂が今からぼくらに黙ってどこに行くつもりか知らないけどさ。それ、ぼくが行くよ」
 北館の言葉に、秋穂は驚いて振り向いた。北館は笑って続ける。
「通信もできないのにここに残って連絡係だなんて、秋穂が黙って座ってられる性分じゃないのは知ってる。どんな無茶をするつもりだったか知らないけど、秘密ってのは反則だよ」
「…何のことかさっぱりわからないわね」
 そう言った秋穂の唇に小さな笑みが浮かんだ。
「ユウくんの言ったことは意味わかんないし関係ないけど、作戦変更。ユウくんは今から玲一さん達のところに行ってちょうだい。相手はルーチェモン。私たちの専門分野よ。ミチルさん達どうせ〈ラルバ〉のことだって知らないでしょ。十闘士のサポートが絶対必要になる」
「つまりぼくは酷い戦場になってるであろう場所に生身で飛び込んでいって、神話の中の真実かどうか疑わしいルーチェモンについての情報を辻さん達に伝えればいいんだな?」
「そう、慣れてるでしょ?」
「ああ、秋穂の無茶振りには慣れっこだ」
「無茶させる代わりに、成功率は百パーセントでしょ」
「前に秋穂の言う通りにした時は、クラヴィスエンジェモンに半殺しにされたな」
「…」
 黙り込んだ秋穂を見て北館は笑った。
「からかって悪かったから、そんな顔するなよ。さっき秋穂も言ってただろ? 秋穂の判断の正しさは、十闘士全員が、ぼくが保証する。秋穂はただ、胸を張ってればいいんだ」
「…うん、ありがと」
「さて、秋穂がやるつもりだった役目をぼくが引き受けた訳だけど、それでもまだ外にでるつもりだろ?」
「…待ってるだけなんて」
「一緒に来るか?」
「いいの?」
「そうなった秋穂に説得が通じないのは知ってるさ。それに、近くにいると心強い。いつもみたいで」

 秋穂と北館が病室を立ち去った直後、酷いノイズがパソコンの画面に走り、カメラからの映像が途絶える。北館の三歩後ろを廊下を早足で歩きながら秋穂は眼鏡になぜかついた曇りを手で拭う。そして小声で呟いた。

 みんな、お願い。


         *****

「クラビス、どんな感じだった?」
 加納は上空での偵察を終えて戻ってきたクラヴィスエンジェモンに尋ねた。ルーチェモンに首を絞められた時の痛みはまだ残っていて、加納はまだ目眩を覚えたがそうも言っていられない。パートナーのクラヴィスエンジェモンも人型のルーチェモンとの戦いを終えたばかりでかなり疲弊しているのに彼の為に飛んでくれているのだ。夜の山中の道路は暗く、その姿はよく見えなかったが、彼の美しい白い翼には汚れが目立ち白と金の鎧もあちこちひしゃげてしまっていた。
「どうにもなりそうにないですね。オニスモンの比じゃない大きさです。あちこちからS級エージェントが応援に来てくれてますが、ヤツの落とす雷にやられて既に戦線を離脱している連中も多いみたいです」
 加納は唸った。ヒュプノスはこの件の処理に全勢力を投じていた。全国に十五人程度しかいないS級エージェントの殆どが既に仙台にいると聞いていたが、それを持ってしてもこの巨大な龍には傷一つ加えられないらしい。
「力勝負じゃ勝てっこないってことか」
辻玲一が横で言った。彼の側にはギギモンを抱えたヒトミが寄りかかっている。彼女の目は道にたった一本だけ立てられた街灯の光を反射して、不安そうに光っていた。
「ああ、オマケに通信機器はどれも完全にイカレちまった。被害状況も確認できないときてる」
「伝令の役目は私がしましょう。どうせもう戦力にはなれそうもありません」
「ありがとう、クラビス。でも今はまだだ。正面からの戦いは無理だと分かった以上、一回落ち着いて作戦を考える必要がある」
「作戦ったって、どうするんだ?」辻の疑問に加納は親指で後ろを指差す。
「そろそろ、百川に話を聞いてもいいんじゃないか?」

          *****

「ああ、勿論だ。協力するよ」
 ルーチェモンとの戦いで死んだナイトモンが一つ残した銀色の兜を抱えて百川梢は僕に言った。彼女はパートナーの死へのショックからへたりこんだままだったが、口調はいつもと同じような気取った調子を取り戻している。今日の会話で彼女が僕に見せた幼い少女のような側面も隠れてしまったことには一抹の寂しさを覚えたが、今はそれどころではない。彼女はルーチェモンの配下だった。この状況でルーチェモンに対抗するヒントを与えてくれそうなのは彼女だけだ。
 彼女と話をする役目は僕が買って出た。背中に加納のじれったそうな視線を感じる。パートナーのクラヴィスエンジェモンも制止を振り切って再び偵察に飛び立ったし、このコンビは大分焦っているようだ。その気持ちはわかるが今の梢に彼の乱暴な口調は良くないだろう。僕は努めて落ち着いた口調で尋ねた。
「まず、私はアイツに勝てる方法を知ってるわけじゃない。分かってたら二年前にとっくに殺してるさ。それにアイツとの連絡は殆どメールを使っていた。アイツと顔を合わせる機会もあまり無かったということ、話せることはそんなにない」
「それでも構わない。早くしろ」加納が急き立てた。
「分かった。辻さんの質問を受けるよ」



「よし、ええと」僕はあたふたと質問を飛ばした。
「まずはシンプルな質問。ルーチェモンの目的は?」
「…世界征服、新しい秩序の建設。アイツは本気みたいだった」
 梢がいたって簡潔に答えたので、僕と加納は思わず顔を見合わせた。世界征服、僕と加納がルーチェモンの目的について議論しあう中でそんな現実を遊離した言葉が出てくることもないではなかった。しかしその説はいつも最後には却下されていた。僕は質問を重ねる。
「分からないことが一つある。世界征服が目的だったっていうには、アイツの行動にはあまりにも無駄が多すぎやしないか? 十闘士を片付けて、力の制御のためにヒトミを攫ったところまではいい。そのあとまる二日も姿を隠していたのはどういうわけなんだ? アイツの力があれば仙台の街くらいはあっという間に掌握できたろうに、どうして堕天するまで、加納とクラヴィスエンジェモンが隙を見出すまで黙っていたんだ?」
 大きな目的を掲げ実際にそれを成し遂げられるほどの力を持っているのに、実際のところはまだ東北の一地方都市に手を焼いている。ルーチェモンの行動は妙に不自然だった。
 百川はしばらく鋭い目で考え込んでいたが、やがて言った。
「それについては、私も疑問に思っていたんだ。一つの仮説に過ぎないけど、私の考えを話していいかな?」
 頷く僕と加納を見て、彼女は語り出した。

「まず前提として、アイツは堕天することを極端に恐れていた。その恐怖が強過ぎたせいで最終的には闇に傾いちゃったけど、それに関しては潔癖だったと言ってもいい」
 僕は頷いた。北館祐がルーチェモンに対して抱いた印象は正しかったわけだ。
「堕天っていうのは、どういうきっかけでするものなんだ? アイツは天使みたいな顔をしてた頃から散々悪いことをしてたのに」
「ああ、私もそれがあるからアイツが高視を殺したとは信じられなかったんだ。自己弁護に意味はないけど、アイツが高視を殺したと知っていたらもっと早く裏切っていたさ。私は善いものが悪の道に堕ちるという意味で堕天という言葉を捉えていた。辻さん達もそうでしょう?」
 でもどうも違うらしい、と梢は言った。彼女の考えによると、ルーチェモンにとって堕天とは心の動揺のせいで力の制御を失って暴走することらしいのだ。
「つまり、顔色一つ変えずに殺す分には何人殺ても問題ないってことか」
 加納が苦々しげに言った。ルーチェモンが何食わぬ顔で高視を手にかける様を想像してしまい僕も眉をひそめる。
「そういうこと。だからルーチェモンは人間的な情緒を排することに必死だった。そんなモノは精神の動揺を招くだけだと言ってね」
「でも、結局は堕天した」
 そう呟いた僕の顔を梢が見上げた。
「そこだよ。奴は心の動揺を抑えきれなかった。自分が犯した罪の重さに耐えきれなかったんだ」
「テイルモン、か」
「そうだ。あの子は私が殺したよ。もうどうしようもないところまでいってしまっていた」
 百川の声が震えていた。空気に溶け込んだ死者の重みの為に全員が黙り込む。と、僕の足元、百川の目の前にしゃがみこんだヒトミがポツリと言った。
「シュウさん、私がテイルモンの話をした時、本当に苦しそうにしてた。この二日間、シュウさんはまるで別人みたいに冷たくなったり、かと思えばいつものシュウさんみたいになる時もあったの」
 テイルモンの運命やルーチェモンの行いを聞いた為にその顔は青ざめていたが、それでも彼女は明瞭に話した。彼女が僕に語った「目を逸らしたくない」という決意を思い出す。梢もヒトミの目を見つめ、頷いた。
「そこなんだよ。ヒトミちゃん。私はルーチェモンの中に、彼自身も自覚していない人間的な感情がまだ残っていると思うんだ」



「ルーチェモンの中に残る人間的な優しさが、アイツが好き放題するのを止めているとでも言いたいのか?」
 ロマンチック過ぎて俺の趣味じゃないな、と言いたげに加納は息をついた。
「でも、私にはそうとしか思えない。そしてもしそうなら、そこに訴えかけることができるかもしれない」
「私も百川さんと同感ですね」梢の言葉に肩をすくめて相手にしようとしない加納に、その背後に降り立ったクラヴィスエンジェモンが言った。
「私との戦いで、ルーチェモンはいつでもマスターを殺せる状況にいました。マスターをなんとか助け出せたのは、アイツが一瞬だけマスターの首を締めるのをためらったからです。あれはアイツが油断したんじゃありません。アイツ自身も、予想外のことのようでした」
 自分の命に関わる話をされ、加納は喉の奥から妙な声を出して黙った。梢の方に視線を移し、話の続きを促すようにする。いつの間にか彼女も立ち上がり、大きく伸びをすると長い髪を払って背筋を伸ばした。
「私の話は手の打ちようの無い今の状況で唯一すがることのできる細い草っぱみたいなもの。でも、今の私たちにはそれしかない」
「ルーチェモンの側まで行って、一生懸命語りかける、か」
僕は呟いた。馬鹿げた行動に思えるが、何振り構ってはいられない、ということだ。それにあの怪物の中にーー。
「私も行く。あの怪物の中に私たちの知ってるシュウさんがいるなら、私はシュウさんを助けてあげたい」ヒトミが僕の心の中の声を引き継ぐように言った。
 そうだ。そこに夏目がいるのなら、彼が僕たちの知っている夏目なら、彼を助けたい。
「いい心意気よ、ヒトミちゃん。それにもう一つ希望はある。それはーー」
 梢の話を遮るように、どこからか地響きが聞こえた。



「なんだこの音は?」
だんだんと大きくなり、道路の振動を伴い出した地響きに僕は言った。
「ルーチェモンが我々を狙ってるんでしょう」 クラヴィスエンジェモンがこともなげに言う。
「クラビス、なんでそんなことが分かる?」
「さっきの偵察の時の様子からです。アイツ、大きな体を捻って何かを探してるような様子でした。試しに目の前を飛んで見たら相当怒った様子でしたよ。性懲りも無く我々を目の敵にして探しているみたいです」
 加納は話を理解できないと言うように一回目を 閉じた。。
「つまり、アイツは今も俺たちを狙ってるのか?」
「ええ、多分」
 地響きが迫ってくる。ルーチェモンの手が僕らを追っているのだ。
「どうして地上に降りてきてすぐに報告しなかったんだ!」
「マスターも皆さんも何やら楽しそうに議論していたので」
 あのなあ、という加納の呆れた声を遮って梢が大きな声を出した。
「東からくる! 西に走って!」
 真夜中に山の中の国道で、西と言われてすぐに西に進める人間が何人いるんだ。そう言葉に出す前に加納がヒトミを抱き上げて道路の左側の林に飛び込んだ。唖然とする僕の腕を梢が掴み、同じ林に引きずり込む。すぐ背後で木の折れるばきばきという大きな音がした。
「方角の判断って、そんなに常識か?」僕はもたつく足でなんとか走りながら梢に尋ねる。
「常識じゃなくても、知らないと死んでしまうような知識はこの世にいくらでもあるの」
「勉強になるな」
 枝が一本僕の頬をかすめ、生暖かい血の滴る感触がした。

         *****

「ミチルさん、抱っこしてもらわなくても私走れるよ」
「流石に無茶だよ。ヒトミちゃん。クラビス、ヒトミちゃんをお願いできるか?」
「ヒトミさんは任せてください。でもマスター。それは『俺のことは構わない。先に逃げろ』って事ですか?」
「クラビス! 余計なことをーー」
「そんなのダメだよ! 絶対ダメ!」
「ヒ、ヒトミちゃん?」

「もう誰も犠牲になんてしたくないの! 私のワガママかもだけど、現実は甘くないかもだけど。私は今のままがいいの! 今が幸せだって、いつよりも幸せだって、本当にそう思うんだもの! 玲一おじさんがいて、ミチルさんとクラビスがいて、ユウさんや秋穂さんが遊びにきてーー」

          *****

「何よあれ」秋穂は目の前の景色に色を失った。
 ルーチェモンが突然動き出し、その巨大な手で彼女の目の前の山の一つを引っ掻いたのだ。夜の暗さのためはっきりとは分からなかったが、山の頂上から中腹にかけて茶色い山肌が露わになっているのが容易に想像できた。
 秋穂がいるのは国道沿い、高速道路のインターチェンジ付近にヒュプノスが拠点として建てた仮設の基地だ。基地と言ってもレーダーや無線は軒並み故障しており、その地域の住民の避難の整理をするための場所として以外はこれといって機能していなかった。辻達のところに向かう道中、この基地を見つけたため、状況を聞くために北館を先に行かせて立ち寄ったのだ。 黙示録の龍による山への攻撃があったのは、その時だった。
「あの山って、ミチルさん達がいる…」
秋穂の隣に立った千鶴が言った。顔は真っ青になり、地域住民の名簿を持った手が震えている。
「あの山にいるんですね?」
秋穂の問いにも千鶴ははっきりとしない呻きを漏らすだけだ。
 彼女は千鶴の肩を掴み、強く揺すった。
「しっかりしてください! ミチルさん達はあの程度で死んだりしませんよ! 」
「う、うん。分かってる。でも…」
「私が今からあそこに行って見てきます」
「そんな、無茶よ!」千鶴が悲痛な声を上げた。
「無茶じゃありません、どうせもともとあそこに行く予定だったんです」彼女は歩き出した。それを千鶴が呼び止める。
「待って! あのさ、もし、ミチルさんに、何か、あったら…」だんだんと声が震え、甲高くなる。秋穂は振り返り、再び千鶴に歩み寄った。
「ごめんなさい」
そう小声で言うと彼女は千鶴の頬を強くはたいた。千鶴が涙を溜めた目を開いて秋穂を見る。彼女の頬にも涙が伝った。
「ミチルさんと私はあんまり仲が良くない。きっと似てるからです。私と同じでミチルさんもきっと、嫌なもしもの話は嫌いですよ」
 彼女の言葉に千鶴は小さく深呼吸した。その背中を秋穂が優しく撫でる。
「千鶴さんがそんな風だと、ミチルさんもきっと嫌がります。気持ちは分かるけど…」
「うん、ありがとう。秋穂ちゃん。私の役目は、いつだってバカをやりがちなエージェントを見守る事、だもんね」
 そうですよ、と笑いあった彼女達の横顔を、赤い光が照らし出した。驚いてそちらを向いた二人の笑顔が、さらに大きくなった。

ID.4814
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/01/20(土) 15:08


六月の龍が眠る街 10-2
 龍がゆっくりと目を開けると、眼下に地上の景色が見えた。その赤い翼で大きく羽ばたき、高度を上げる。
 またこの夢だ、と龍は思う。少女と初めて出会って以来、龍はよくこの夢を見た。夢の中では龍と少女は昔からの知り合いで、自由に想いを通じあわせることができる。龍は本当の大きさよりもずっと大きい牙と爪、そして翼を持っていて、その背中に少女を乗せて飛ぶのだ。
 でも最近は、この夢に龍と少女以外の第三の登場人物が現れるようになった。天使だ。白い翼と青い目を持った天使だ。彼は決まって少女がいない時に飛んできて、龍の鼻先に腰を下ろす。そして、耳元で囁くのだ。

「俺の仲間になりなよ」

 ふん、お断りだね。

「俺の仲間になってくれたら、立派な騎士にしてやる。盾と槍を持った騎士。あの子を守る正義の騎士だ」

 興味ないよ。

「自分の呪われた力には気づいてるだろう? お前は色んな奴等をあの子のそばに引き寄せてしまう。誰も気づいてないけど、サイクロモン達を呼び寄せたのは、他ならぬお前だったじゃないか。俺の力があれば、その呪いを封じ込めることができる。あの子のためになるんだ」

 よく言うよ。あの子のところに石の化け物を二回もけしかけたのが誰か、ちゃんと分かってるんだぜ。

「バレてたか。あの子を傷つけるつもりは無かった。あのゴーレモンはお前の力を試すためだったんだよ。一回目は邪魔が入ったけど、二回目にお前はうまくやった」

 ああ、あの子を守る力はある。

「本当にいいのか? 騎士になれば、ヒトの言葉であの子と話せる。ムルムクスモンの事件の時、言葉を話せないお前は気づいたことを知らせるのにえらく手間取ったろ?」

 あの時? 自分が昔嗅いだことのある匂いがあったから、そこに向けて歩いて行っただけだ。周りのみんなが勝手についてきて、勝手に街を救っただけだよ。

「その姿じゃ、あの子はきっと怖がる」

 お前はよく分かってないみたいだな。教えてやる。あの子とは、言葉もいらないし、見た目も関係ない。

 ずっと前から、互いに知ってるんだ。



 そう言い捨てると龍は大きく体を波打たせ、天使を振り払った。そのまま地面に向けて急降下していく。最初の時は、あの子に受け止めてもらわなくちゃいけなかった。でも今ならいける。自分の翼で、あの子を迎えに行ける。
地上の景色がどんどん近くなってくる。あの子の声が聞こえる。

「もう誰も犠牲になんてしたくないの! 私、のワガママかもだけど、現実は甘くないかもだけど。私は今のままがいいの! 今が幸せだって、いつよりも幸せだって、本当にそう思うんだもの! 玲一おじさんがいて、ミチルさんとクラビスがいて、ユウさんや秋穂さんが遊びにきてーー」

        









「ーーそして、ギギモンと一緒に眠る。そんな今がいいの! もう、何も失いたくない!」

 そう言ったヒトミの胸に抱かれたギギモンの体が、赤く輝いた。

          *****

「大丈夫ですか?」
 倒れ込んだ僕と梢の前に立った人影ーー北館祐が言った。彼が右手に持って掲げる端末ーーディースキャナから放たれた光がドーム状に僕たちを包んでいる。ドームの外には紫色の空間が広がっていた。
 やがてその紫色が晴れ、あたりに林の景色が戻ると北館はディースキャナを下ろしその光を解いた。
「ありがとう、助かった」唖然とする僕の横で梢が言った。礼なんていいんですと北館が首を振る。
「間一髪でした。辻さん達にルーチェモンと戦うための手がかりを伝えにきたのに、まさかこんな事になってるとは。ディースキャナの結界、久しぶりに使いましたよ」
「ひ」辛うじて声になったのは、ヒトミのことだった。
「ヒトミはどうした? 加納に連れられていったみたいだったが」
 僕の頭をかすめた最悪の想像を北館の笑顔がかき消した。彼は空を指差す。
「あれ、見てください」
 空を見上げた僕と梢の目に、驚きの光が灯った。



 真っ赤な龍がそこにいた。長い尾の先には鋭い刃が光り、その大きな口からは同じくらい鋭い歯が幾重にも連なっているのが覗いた。
 悪夢に出てくるような恐ろしい龍。子供の頃に読んだ物語で、決まって最後には勇者に倒されるような龍。でも目の前の龍の胸には、見覚えのあるマークが刻まれていた。

「ギギモンなのか…!」
「そうみたいだ」梢が立ち上がり、尻についた土を払った。
「メギドラモン、ルーチェモンも恐れた龍。私たちに与えられた、もう一つの希望だ」

           *****

「助かったよ。ギギモン」
 加納が自分を乗せた赤い龍に言った。隣にはクラヴィスエンジェモンもいる。ヒトミは龍の頭の上にいて、こちらに向けて手を振ってきた。そして彼女はその手を口に当て、加納に大声で言う。
「玲一おじさん達を迎えに行くよ!」
 了解と敬礼をして見せた後、加納は隣のクラヴィスエンジェモンに言った。
「凄いことになったな、おい。クラビス、コイツがなんていうデジモンか知ってるか?」
「はい、マスター。メギドラモン、デジタルハザードそのもの、と言われるような力を秘めた 邪竜型デジモンです」
 予想とは異なる物騒な情報に加納は眉を寄せる。それを見てクラヴィスエンジェモンは微笑んだ。
「まあでも、ギギモンでいいでしょう。我々の友人です」
「…そうだな。お、あれを見ろ。おーい! こっちだ!」
 加納が地上の辻達に手を振った。

          *****

「ルーチェモンを倒す手掛かりって言ったか?」僕の隣で加納が尋ねた。
 僕たちは今進化したギギモンの肩に乗っている。ルーチェモンは龍を見て怒ったように吠え、先ほどしたように手で攻撃をしようとしたが、龍はその巨体をくねらせながら自分の体の大きさ程もあるその手をかわしていた。
 ヒトミは龍の頭の上に乗っている。今にも吹き飛んでしまいそうで僕は見ていられなかったが当の彼女は平気そうで、こちらを見ると手を振ってきた。手を振り返して、意識を目の前で行われている話し合いに戻す。加納の問いに、北館が答えているところだった。
「はい。結論から言うと、あの馬鹿でかい〈黙示録の龍〉をどれだけ相手にしたところで意味はありません」
 全員が目を開いた。彼は続ける。
「ぼく達十闘士に伝わる伝説によると、あの化け物はルーチェモンが最後に見せる姿であり、最強の形態です。でもアレは、ルーチェモンの影でしかない」
「影?」僕が首を捻った。
「辻さんと梢さんを守るためにディースキャナで結界を張った時に確信しました。あの時ぼくらはルーチェモンの手をすり抜けていたんですよ」
 目を開けた時にディースキャナによる光のドームの外側に見えた紫色で塗りつぶしたような空間を思い出した。梢もそれに思い当たったようで、にわかには信じられないといった顔で尋ねる。
「じゃああれは実体のない、スクリーンに映し出された映画みたいなものってこと?」
「そういう捉え方でいいと思います。とはいえ、アイツの場合はエネルギーの塊なんで、触れれば人間の体なんて消し飛びますけどね」
 間一髪北館に救われなかったら、ギギモンが進化しなかったらどうなっていたかという想像に僕の背筋を汗が伝った。
「ってことは、どこかに本体がいるってことだな?」
 加納が納得したように言った。当然ねとでもいうように梢も頷く。僕はまだ彼らのようにデジモンの規格外な常識をなかなか理解できなかった。
「正解です。じゃあ、もう一つ問題」北館が人差し指を立てた。
「本体はどこにあるでしょう?」
 そう言って彼は目の前にいるルーチェモンを指した。気づけばギギモンはかなり高度を上げており、頬に張り付くような冬の空の冷たい空気の向こうにルーチェモンの不気味な体の全体が見えた。
 一同は顔を見合わせた後、同時に龍が手に抱える球体を指差した。真っ黒にも濃い紫にも見えるそれからは時折炎が吹き上がり、さながら小さな黒い太陽というところだった。
「正解です! よく分かりましたね」北館が少し驚いたように声をあげる。僕が少し呆れたように肩をすくめた。
「だって、なあ?」
「あの中でどこにいるかと言われたら、そりゃあね」
「露骨すぎるよな」
「造形上の欠陥じゃないですか?」
「欠陥ならいいんだけど」クラヴィスエンジェモンの辛辣な感想に北館はため息を漏らした。
「ぼく達の神話じゃ、あれは 地獄 ゲヘナって呼ばれてます。あらゆる攻撃を無効化する底無しの地獄の炎」
「あらゆる攻撃って言ったか?」加納が眉を上げた。北館は肩をすくめて返す。
「神話特有の誇大表現であることを祈りましょう。とにかく〈地獄〉に入る方法を探すんです。こっからは本当の決死の作戦ですよ」
「それじゃあ、ヒトミちゃんとギギモンにお願いしよう。一番ダメージを受けるのは、おそらくギギモンだしね」梢の言葉に僕は笑って首を振った。
「お願いの必要はないでしょう。こいつらは地獄耳なんです。僕らのバーでの会話も、全部聴いてる。な?」
 ヒトミが顔をこちらに向けないまま手を振って見せ、ギギモンも大きく吠えた。
「決まり、だな」
 加納が立ち上がろうとしてよろめいた。ギギモンの肩から落下しそうになる彼の腕をクラヴィスエンジェモンが掴む。眼下に広がる点のような街の景色に彼の顔が引きつった。梢も下を見下ろし、そして目を大きく開ける。
「ギギモン、ひょっとしてルーチェモンを上空のかなり高いとこまで誘導してくれたの?」
「へえ、気の利く奴になったな」僕は笑う。
「そ、それは良かった。作戦開始と行こう」
 クラヴィスエンジェモンに引き上げられ情けない声をあげた加納に、僕達はまた笑い声をあげた。

          *****

 ギギモンが高らかに雄叫びをあげ、〈地獄〉に向け炎を吐きだす。しかし、その赤い炎は〈地獄〉の黒い炎に飲み込まれ、わずかな抵抗を見せることもなく消えた。
「くそっ、らちがあかないな」クラヴィスエンジェモンの肩に乗った加納が僕達の側まで寄ってきて悪態を吐いた。
「ディースキャナをかざしてみても、どうにもなりません。大抵こういう時はコレをかざせば解決するって習ってきたんですけど」北館もよく分からないことを言って肩をすくめた。
「遠距離攻撃はあらかた試したけれど、全部駄目でした。かくなる上は!」
「ああ、そうだなクラビス」
「ねえ、ちょっと。何を考えてるんだ?」頷きあう加納とクラヴィスエンジェモンのコンビに、梢が恐る恐る問いかける。
「何って、この状況の打開策だよ」
「アレに頭から突っ込むとか、言わないよね」
「えっ」当然そうだと言わんばかりに二人が同時に声を出した。
「正気か?」僕は呆れて問う。
「正気もなにも、いずれはあの中に入んないといけないんだし」
「これだけやって駄目なら、あとは物理しかないでしょう。違いますか?」
「違わないかもしれないけど」梢は勘弁してくれというふうに手を振って見せた。
「お前達、意外と脳筋なんだな」
 彼女の言葉に二人の表情が変わる。虚をつかれたようなその顔に、梢は面食らって言った。
「い、いや。気に障ったのなら謝るよ。でも…」
「いや、怒ったんじゃないよ」加納は微笑んだ。「ちょっと思い出したんだ。オニスモンと戦った時、高視のたてた無茶な作戦に、俺の言った言葉が丁度それだった」
 でもその時は、いろんなトラブルはあったけど、結局それでうまくいったのたと加納は言う。
「あの時は、俺とクラビスに高視とグランクワガーモン、秋穂ちゃん達十闘士が三人っていうメンバーだった」
「最終的に解決したのはぼくでしょうが」座り込んだまま黙って話を聞いていた北館が口を挟む。
「そうだったか? なんでもいい。 そうやって頼れるメンバーがいれば、行き当たりばったりでも無茶苦茶でも、うまくいく気がするんだ」
加納の言葉に頷き、僕は一同を見回す。
「さて、これは信頼に足るメンバーかな?」
「もちろんだよ!」
 僕の背後でヒトミが答えた。いつの間にかギギモンの頭から肩まで降りて来ていたらしい。不意を突かれて驚いた顔の僕に彼女は続ける。
「私は子どもだから、みんなの間になにがあったか、多分半分も分かってないと思う。でも、みんなと過ごしたこの半年間は、今までで一番沢山、笑えた時間だった」

 だから大丈夫。私達は、笑って乗り越えられる。

 龍が高く吠えた。鼓膜がびりびりと震える。
「ギギモンもそう思うって。あと、何かやる気ならさっさとしてくれって」

          *****

 〈地獄〉の前に来た僕たちに気づき、ルーチェモンは低く唸りながら手を動かした。左右の両方から手が迫ってくる。僕たちを両手で潰すつもりなのだ。
 それをギギモンが、両手を伸ばして止めた。ルーチェモンが力を入れるが、ギギモンも負けてはいない。なんとかして確保したその小さな隙間で、ギギモンが尻尾をゲヘナに向かって伸ばした。
「みんな急げ! ギギモンがいつまでもつか分からない!」
 ヒトミを抱えて先行した加納のその声に僕は恐怖を押し殺して滑り降りようとする。少しでもバランスを崩したら地上へ真っ逆さまだ。クラヴィスエンジェモンが助けてくれるとかそういう問題ではない。落ちるのはそれだけで怖い。
 なんとか踏み出した僕の腕を、梢が掴んだ。その手は微かに震えている。
「怖いから、手を繋いでくれない?」
「一晩のうちに、えらく素直になったもんだね」僕は脈打つ心臓を抑えて言った。この心臓の早鐘は、恐怖のせいだけだろうか。

 手を繋いで尻尾へとたどり着いた僕たちをヒトミが迎えた。
「ミチルさんとユウさんが教えてくれたんだけど、今のが吊り橋効果っていうの?」
「その話は後にしよう」睨みつける僕たちの視線をかわして加納が言った。
「これからクラビスが〈地獄〉に攻撃をする。中に入れそうな隙間が開いたら、一気にそこに飛び込むんだ。ルーチェモンの攻撃を受け止めてくれてるギギモンのことを考えたら、チャンスはそう何度もない。多分、この一回きりだ」
「飛び込みの一番手は誰にする?」
 加納はため息をついた。「あんまり言いたか無いんだが、ヒトミちゃんが一番だと思う。人間として最も力の強いのは、〈選ばれし子ども〉である彼女だからな」
「だってさ、ヒトミ。どうする?」
「んー、良いよ」
「良いってさ」僕は視線をヒトミから僕らのやり取りを呆然として眺めている加納に戻した。
「どうした?」
「い、いや。なんか…」加納は驚いたように言う。「辻、変わったな。前はヒトミちゃんの事となると酷い過保護だったのに」
「今だってそうさ」僕は肩をすくめた。
「本当のところ、僕はすぐにこんなところから逃げ出したいんだ。早く帰って、なにも知らないふりをして明日の店の支度をしたい。でもヒトミが戦いたいって言った。だからわざわざついて来てまでここにいるんだ。言っておくけど、ヒトミが一番手になる以上、二番手は僕だ。これは決定事項だからな」
 ヒトミが僕を見上げ、にっこりと笑った。

「それじゃあ、始めるぞ」
 僕たちを縦列に並べると、加納が叫んだ。列の先頭はヒトミ、二番目は僕。その次が十闘士としての力を持つ北館で、百川が最後尾だった。加納はクラヴィスエンジェモンと共に僕らをサポートする役目だ。
 僕らの目の前にある〈地獄〉はその巨大さに近くにいては球体であることすらわからない。太陽のような見た目に反し、不思議と近くにいても暑さは感じなかった。

「扉を開くのはお家芸ですよ!」
 クラヴィスエンジェモンの声と共に一陣の風が吹き、次の瞬間には目の前の黒い炎に切れ目が入った。地獄の釜の蓋が開いたと言ったところだ。そんなことを考えているうちに、ヒトミがその隙間に飛び込んだ。僕も慌ててその後を追って真っ暗な空間に足を踏み入れる。ヒトミの小さな手が、僕の手を掴んだ。
 僕は一瞬振り向く。多分僕が最後だ。隙間は閉じてしまい北館が入る隙間はない。しかし意識は背後からすぐ足下に移った。
踏み込んだ足が着地する地面が、いつまで経って感じられない。
「おじさん!」暗闇の中でヒトミが叫んだ。
「手を離すんじゃないぞ!」僕も叫び返す。
 真っ暗な闇の中僕たちは落ち続けた。裂け目が閉じる瞬間、外から何かが投げ込まれたように見えた。

         *****

「結局、あの二人だけか」百川が言った。
「北館くん、最後に何かしてなかったか?」
「隙間にディースキャナを投げ込んだんです。本当はぼくにしか使えないんですけど、〈地獄〉の中は何が起こるか分かりませんから、少しでも手助けになればと思って」
「辻さん達にちゃんと届くかな?」
「さあ、どうでしょう」彼はそう言った後、小声で呟いた。「シュウの方に届いたりしてな」
「おい! 急いで離脱しろ!」背後から聞こえた加納の声に二人は我に帰ったように走り出した。

 ギギモンの腕にも限界が近づいていた。ルーチェモンももはや力の出し惜しみはしていない。自身の何十倍もある巨大な敵の全力をギギモンは支えていたのだ。
 龍が雄叫びを上げる。ギギモンと長い付き合いの加納達には、龍がもうこれ以上は無理だと言っているのが分かった。
「ギギモン、もうちょっとだけ耐えてくれ…!」その肩で加納が言った。すぐにそこに北館と百川が追いつく。
「オーケーです」
「よし! ギギモン、頼んだ!」
 龍が最後の力を振り絞り隙間を押し広げ、そして手を離した。ルーチェモンによって隙間が閉じられる一瞬の隙をついて龍はルーチェモンの手を抜け出した。
 安堵のため息を漏らす北館と加納に向けて、百川が叫んだ。
「危ない!」

 一瞬の出来事だった。ギギモンの肩に乗った彼らに迫るルーチェモンの紫の雷撃、彼らが振り返った時にはそれはもう消えていた。雷と彼らの間に割って入った天使が、それを体で受け止めたのだ。

 純白の翼が散り、金の鎧は砕け散った。

「おい、嘘だろ」
 大地に落ちていくその人型の影の名を、加納が叫ぶ。
「クラビス!」

 ギギモンがクラヴィスエンジェモンを救おうと急降下するが、それも間に合わないまま、天使は、米粒程度の大きさに見える街の光に紛れ、見えなくなった。

          *****

 ルーチェモンはまた、暗闇の中で目を覚ました。覚醒を迎えたその目が最初に捉えたのは、目の前に立つもう一人の自分だった。

 瓜二つのルーチェモンが二人、しかし二人の格好は大きく違った。片方は純白の翼を広げ、白い布をまとった姿。身体中に神の力を示す文様が走っている。
 そして、もう一方には翼はなく、ジーンズに緑色のジャケットという出で立ちだった。それを見て、翼を持つ方のルーチェモンは舌打ちする。
「なるほどな。お前はルーチェモンじゃない、ただの“夏目秀”ってわけか」
「そんなとこかな」翼を持たないルーチェモンーー夏目秀は肩をすくめた。
「まさか、お前とこうして面と向かって話す機会が来るとは思ってなかったよ」
「全く同感だ」
「お前、一体いつ、どこから湧いてきやがった? 俺があの女の腹に忍び込んだ時は、お前みたいなのはいなかったぜ」ルーチェモンが夏目に問いかけた。
「そこだよ、人間として生まれたのがそもそものお前の間違いだったんだ。人間界を支配するための一歩とでも思ったんだろうが、結果はこれさ」
「お前が俺の中でうるさく喚くせいで、一体どれだけ獲物を取り逃がしたと思ってる? 最終的にはお前の声に引き摺られて、堕天しちまった。質問に答えて貰おうか。夏目、お前は一体いつ生まれた?」
夏目秀は笑った。「お前が母さんの腹の中から生まれてきた時だよ。その時俺は一緒に生まれて、お前が色んな人と関わっていく中で一緒に成長していった」
「“成長”だと?」ルーチェモンは鼻で笑った。「俺は初めから完璧な力と知識を持って生まれた。生まれてから今まで、本当に苦痛だったよ。周りがあまりに低級なもんでな。成長なんて、俺はしたことない」
「そっか」夏目秀は言った。「じゃあ、それがお前の敗因だ」
「俺は負けないさ。そりゃまあ確かに当初の目的は達成できなかったが、それが何だ? 俺に勝てる奴はいない。人間臭くてうっとおしいお前とも今はこうしておさらばできた。この世界をぶち壊し、初めから全てをやり直してやる」
 彼は夏目秀の返答を待つことなく翼を広げ、飛び立った。

「お前は本当に傲慢だよ」
 残された夏目秀が呟いた。
「何も終わっちゃいない。辻さん達だって、諦めちゃいないさ」
 彼はため息をつく。もう一人の自分の目論見が失敗するのは目に見えていたが、できることなら決着は自分でつけたかった。彼の、自分の行いに対する償いのつもりではない。余りに自分の罪は大きく、償いはできないだろう。せめて、自分で自分に決着をつけたかった。
 その時、彼の数歩先に何かが落下した。淡い光を放つそれに駆け寄り、手に取ろうとする。するとそれは吸い付くように彼の左手に引き寄せられた。
「これは…ユウの?」
 その端末−−黒いディースキャナから右手に目をやると、バーコードが渦を巻いて手を取り囲んでいた。
「俺に、やれってのか」
 自分はスピリットを持っていない。この「デジコードスキャン」によって自分に何が起こるのかは見当もつかなかった。

 それでも

「今更退くわけには、行かねえよなあ…!」

 彼は両手を前に伸ばす。



 サイクロモンが街を襲撃したあの日、瓦礫に足を挟んだ彼の前で、彼の友人としての想いを口にした北館祐がやって見せたように。



 青森から仙台への決死の移動の時に、守りたいものへの想いを口にした一条秋穂がやって見せたように。



 俺も、やってみるよ。



〈スピリット・エヴォリューション!〉

ID.4815
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/01/20(土) 15:10


六月の龍が眠る街 10-3
 夏目秀が目を開けると、鉤爪のついた自分の手が目に入った。自分はルーチェモンにめがけて飛んでいるのだと彼は自覚する。上も下もない空間でも、自分の進んでる方向が正しいことはなぜか分かった。
「これが、〈スピリット・エヴォリューション〉?」彼は呟く。北館達から伝え聞いていたものとは随分違う。自分自身がデジモンになったような感覚は少ない。むしろ誰かに、自分の体を預けているような…。

 あら、気づいた?

 自分の体の中から聞こえた声に、彼は目を大きく開いた。やはり自分は、他の誰かと一緒に一つのデジモンとなったのだ。百川梢が、ナイトモンとやって見せたように。
 彼がしたのは〈スピリット・エヴォリューション〉だ。じゃあそこにいる他者は、自分のスピリットなのか? そんな存在とは、一体何者だ?

 うっそ、まだ分かんないわけ?

 分かっている。気づいている。自分にとってそんな存在は一人しかいないことなど。彼は呟いた。



「テイルモン…」



 何よ、そんなに驚くことないじゃない。



「俺を、恨んでないのか?」



 私はステファンのこと、恨んだりしないわ。



「また一緒に…戦ってくれるのか?」



 当然よ、パートナーじゃない。



「…ありがとう」



 何よ、泣くことないじゃないの。
 それより見てみて、ステファンが猫は嫌いだっていうから、龍になってみたの。どう? 私、キレイ?



「ああ、とってもキレイだ」



…それじゃあ、行くわよ。



「ああ」



 桃色の龍ーーホーリードラモンはその身をしなやかにくねらせ、闇の満たす空間を切り開いていった。

          *****

「ヒトミ! 大丈夫か?」
 僕は握ったままの手を引っ張って尋ねた。すぐ側から声が返ってくる。
「…うん、ここはどこなの?」
「さあな。でも…」僕は目の前を指差した。

 暗闇の中、光源もないはずなのに僕達ははっきりとその姿を見ることができた。
まるで胎児のような姿だが、大人の男ほどもある背丈とぎょろりと動く目がそれが普通ではないことを告げている。
 その尾の先は鋭い棘になっていて、背中からはえる天使の翼が、辛うじてそれが何であったのかを伝えていた。
「これが…ルーチェモン?」ヒトミが呟く。

 その言葉に応えるように、胎児が奇声を発した。一体体のどこから出しているのか分からないその声は甲高く。耳障りに僕達の耳をついた。頭が割れんばかりに痛む。
「くそっ! なんてやつだ」僕は痛みにうめきながら、ルーチェモンに向けて一歩進んだ。
「でも、これがルーチェモンなんだね。シュウさんなんだ!」ヒトミもその小さな足で、少しづつ歩みだした。
「目の前には目指した敵、僕達には何の武器もない」僕が言う。一歩胎児に近づくたびに頭の痛みはひどくなる。自分達はこのままおかしくなってしまうのかもしれない。
「やることは…一つしかないよ」ヒトミが言った。
 ヒトミが生まれてからずっと、僕と彼女は仲良しだったのだ。互いの考えることくらい見当がつく。
 胎児は奇声をあげ続けている。こないで、こないでとでも言うかのように。
 それでも僕達は少しづつ歩み続け、ついにそれに触れることのできる位置にまで近づいた。ヒトミと顔を見合わせ、頷く。



 僕達は、その胎児をきつく抱き締めた。

           *****

「なんだ…これは」
 ホーリードラモンは呟いた。心の中に暖かいものが流れ込んでくる。それが何かはすぐ分かった。

「…辻さん達、来てくれたんだ」



 当然でしょ。あいつらはくるわよ。



「これが、俺が本当に欲しかったもの」



 ずーっと昔に、ステファンは憎まれて殺されたんでしょう? でも、あいつらがそんなことすると思う?



「ずっとあったのに、俺はなんてバカだ」



 そうよそうよ。私のアプローチにもいつまでたっても気づかないフリして!



「なあテイルモン」



 何?



「この気持ちを、アイツにも届けてあげたい」



 ほんっとお人好しね、ステファンは。酷い嘘を吐かれたけど、お人好しなのは本当だって知れて、嬉しいわ。



「行こう、テイルモン」



「勿論」


          *****

 桃色の聖龍の牙を前に、ルーチェモンは何もできなかった。
 〈グランドクロス〉も、かつて弟子に伝授した〈セブンヘブンズ〉や〈セフィロートクリスタル〉、〈ヘブンズ・ジャッジメント〉も通用しなかった。
「畜生! なんでだ!」彼の言葉に聖龍が応える。

「お前にはまだ分からないのか? 今の俺が、負けるはずないのさ」

「俺は神だぞ? どうしてその力がお前には通用しない!」

「お前がいつまでも傲慢なままだから教えてやるけど、誰もお前のことを神なんて言ってる奴はいないぞ?」

「何を言ってる?」

「お前、自分の肩書きを忘れたのか? 〈最も人間に近いデジモン〉、それがお前だ。人間らしさを持っていた頃のお前は確かに最強だったが、神なんてものに憧れちゃあおしまいだよ」

「黙れ! 黙れ! 黙れ!」

「分かったよ。言葉はいらない。これで分からせてやる!」

 〈ホーリーフレイム〉


 光り輝く炎が、ルーチェモンを貫いた。

       *****

「やったわ! ステファ…」
 自らの意識の中で叫んだテイルモンの言葉は、途中で途切れた。

 そこにもう、夏目秀はいなかった。聖なる桃色の龍の姿もなく、テイルモンはただの、猫のふりをした無力な鼠だった。

 猫だの鼠だの龍だの。こうなると、自分が何者かも分からないわね。

「それもこれも全部、ステファンのせいよ。最後は私を置いていって、本当にバカね」

 そう呟くと、彼女は前に目を向ける。自分が憧れた美少年と同じ顔が目の前にはあったが、傲慢に歪んだその顔に、彼女は不思議と少しも心惹かれなかった。
「あんたも、そのくらいバカだったら良かったんじゃない?」
 その言葉に抗議するかのように、ルーチェモンの体が輝きだす。最後の抵抗だ。それはテイルモンへのものか、あるいはどこかで同じようにルーチェモンと対峙している辻玲一と神原ヒトミへのものか。

「どっちにしろ、そうはさせないわ」

 テイルモンは拳を握りしめ、また開くと、自分の手をまじまじと見つめた。手にはめられた、毛糸のグローブ。

「高視のやつ。やっぱり、趣味悪いわね」

 拳を振り上げると、テイルモンは地面を蹴った。

          *****

 〈黙示録の龍〉の咆哮に、北館は空を見上げた。その声は今までのどれよりも大きく、空気がびりびりと震えるのがわかる。とっさにメギドラモンがその手で彼のいる地面を覆った。
「サンキュー、ギギモン」
 耳を塞いでそう叫び、隣に目を向けると、百川も同じようにしていた。ナイトモンの兜は両手に抱えたままだが、茫然自失とした様子の加納に代わってヒュプノスと連絡を取っている。
 加納の様子に首を振ると、彼は再び空を見上げた。闇のスピリットの力で常人よりも多少夜目が効く北館は、闇の中でもルーチェモンの様子がおかしいことを見逃さなかった。
 身体のあちこちに走るノイズ、最初は細かかったそれは、すぐに大きくなり、最後にはその巨体自体が点滅するように不規則に現れたり消えたりした。
 消えてから現れるまでの間隔がだんだん大きくなり、そしてついに、ルーチェモンは再び現れなかった。
 言葉を失いながらそれを見つめていた北館の頭上で、熱風が吹いた。
「ギギモン!」
 そう叫んで龍を見送った北館の目の前に、光る何かが落下した。大して見なくても分かる。ディースキャナだ。
「帰ってきたな、えらいえらい」
 そう言いながら彼は持ち慣れた端末を拾い上げる。その顔に怪訝そうな色が浮かんだ。
「これ…」
 彼は空を見上げる。
「なんでだろ、あったかいや…」




     *****




 頬に吹き付ける冷たい風で、少女は目を覚ました。

 いつもの夢かな、彼女は目を開けようとする。その瞼が、妙に重かった。わたし、疲れちゃったみたい。なんだか体が動かなくて、すぐにも眠ってしまいそう。変ね。夢の中なのに眠ってしまいそうだなんて。
 いつもの夢とは違って、少女を乗せて飛ぶ龍はいなかった。代わりに彼女は、きりりと冷たい風の中をいつまでも落ち続けている。
 わたし、またあの砂漠に行こうとしてるんだ。少女は思う。お父さんとお母さんがいる、あの砂漠に。前にあそこに行った時には二人の見えなかったけど、今度はちゃんと会うことができる、そんな気がする。

「−−−! −−−!」

 なあに? 近くで声が聞こえ、少女は腹立たしげに呟く。わたし眠いんだから、静かにして欲しいのに。

「−−、−−−−−!」

 うるさいなぁ。黙っててよ。

「−−ミ! ヒ−−!」

 邪魔しないで、わたし、やっと父さんと母さんに…

『違うだろ?』

 彼女の頭の中で、不意に声がこだました。なに、今度はだあれ?

『君には−−−−−がいるじゃないか。俺にテイルモンがいたように』

 何を言ってるの?

『目を開けて、耳を澄ますんだ。なあ、頼むよ。元気でいてくれ』

 声がそう言い終わると同時に、聞きなれた掠れ声が、耳に飛び込んだ。




    *****




「ヒトミ!」
 何度目だろうか、僕の叫びにようやくヒトミが目を開いた。〈地獄〉から投げ出された僕達は、地面に向けて高速で落下をしていた。
 不思議と恐怖と混乱はない。頭はすっきりして、色んなものが見えすぎるくらいに見える。
 だから、迷わず、手を伸ばした。ヒトミの小さい手を、しっかりと掴む。

 不意に、周囲が暖かくなったように感じられた。それがはっきりと熱だと分かる頃には、僕達の落下の速度は幾分緩やかになっていた。

「上昇気流か?」
 どうして急にそんなものが、そう眉をひそめた僕に、ヒトミが叫ぶ。
「おじさん! 下!」
 彼女の声に従うままに下を見た僕の目に、巨大な紅い龍が映った。
「ギギモン…」
 龍は大きく雄叫びをあげてそれに返すと、その大きな手で、僕達を優しく受け止めた。

 ギギモンの手の上で、僕は荒く呼吸をした。恐怖はないと言ったが、だいぶ長いこと落下していたのだ。心臓は早鐘を打ち、足は小刻みに震えていてどうにもまだ立ち上がれそうにない。

 隣のヒトミに目をやると、彼女はあらぬ方向を見つめていた。その目から流れる一筋の涙が夜の闇の中で光った。

 涙の理由は分からない。それでも、手は動いた。伸ばした指で、その熱く澄んだ涙をそっと拭う。その指を小さな手で包み、ヒトミがこちらに目を向けた。
「おじさん…」
「どうした?」
「お父さんと、お母さんね。また、見えなくなっちゃった」
「そうか」僕はそれだけ言って、ヒトミと同じ方角を見つめた。
「でも、いるんだな。明久と咲は」
「うん」ヒトミが強く頷く。
「いるよ。ちゃんと見てくれてる。わたしの、おじさんの、みんなの未来を」

 一瞬、どこかのビルの上に懐かしい二人の笑顔が見えた気がした。

 頬に熱いものが当てられる。驚いて下を向くと、いつの間にか流れていた僕の涙を指で拭ったヒトミが、笑顔を浮かべていた。






     *****






「ほら、こっちだよ!」
 初詣で賑わう神社で、着物姿の一条秋穂が北館祐と三浦真理に声をかけた。
「わっ、すごい行列!」同じく着物を着た真理がはしゃいだ声を出す。
「本当にこれ、並ぶのか?」北館がうんざりしたように言った。
「ユウ、そんなこと言ってると神様に見放されるよ」
「真理ちゃん、すっかり呼び捨てが板についてきたじゃないの」
「や、やっぱり変かな?」
「変じゃないよ。好きに呼んでくれ」
「私はユウじゃなくて秋穂ちゃんに聞いてるの!」
 真理に怒られ北館はやれやれと肩をすくめる。
「しかしあんなことがあってから一週間も経ってないっていうのに、みんないつもと変わらないな」
「真夜中の出来事だったからね」
「それにしたって、何人死んだと思ってるんだ。オニスモンの時の比じゃないだろう」
「あの山についた引っ掻き傷については、いろんな都市伝説が生まれてるらしいけどね」真理が悪戯っぽく笑った。
「夜中に突如街を覆うほどの大きさの龍が現れ、山を引っ掻いたとか?」
「ユウ。それ、当たってるからー」
「ねえねえユウくん、明日もいつもみたいに新年の挨拶に行っていいよね」
「勿論だよ。秋穂のお母さんの作る伊達巻、美味しいんだよな」
「えっ、何。二人して新年から会うの?」北館と秋穂の会話に真理が驚いた声を上げた。
「幼馴染だからね。昔からユウくんの家には新年の挨拶に伺ってるのよ。勿論真理ちゃんも来るよね?」
「いや、行きたいけど。ユウの家ってどこなの?」
「え? 私の家の二軒隣」
「すぐ近くじゃん! 私知らなかったよ? 秋穂ちゃんの家に住んで三ヶ月になるのに! ユウと付き合って三ヶ月になるのに!」
「真理、落ち着いて。周りの人が見てる」
「これが落ち着いてられるわけないよ!」
「えっ何、二人とも恋人を家に呼んでどうのみたいなの済ませてないわけ?」
「秋穂、何を言い出すんだ」
「それがまだなの! 私が何回オーケーサイン出したと思う? ユウも気づいてるの、鈍感なんじゃなくてたんにヘタレなのこいつは!」
「真理、ひょっとして酔ったのか? さっきの甘酒で?」
「…ユウくん、来年の目標は決まったね」
「そんな目で見るんじゃない、秋穂」
「別にぃ? どんな目でもみてないよ」
「…ところで、話は変わるんだけどさ」北館が言った。
「何?」
「今度みんなでまた、夏目の家に行かないか?」
「…」
「そろそろ整理しないといけないだろ。高視さんに、夏目に、テイルモンのものを」
「…私はユウに賛成」真理が言った。
「そうね、私もそうするべきだと思う」秋穂も言った。
「ごめんな。こんなこと言うのは良くないって分かってるんだけど、あそこには、まだ残ってる気がするんだ。ぼくと真理、秋穂にシュウ、それにテイルモンの五人で話した、クリスマスパーティの帰り道がさ」
「…ユウくん」
「分かってるよ」
 北館は冬の夜空を見上げ、呟いた。

 前に、進まなきゃ。

          *****

「大晦日まで出勤かい? ヒュプノスのオペレータは忙しいんだね」
 フィルターから滴り落ちるコーヒーのしずくをみつめながら、百川梢が千鶴に声をかけた。
「…誰かさんがヒュプノスに対する背信行為の責めを負って大晦日までここに拘束されて、暇つぶしに豆からコーヒーを淹れてるのを気の毒に思ってここにいてあげてるんですけど」
「実家には帰省しないのをなんて説明したの? 彼氏と一緒に初詣?」
「…そんなこと言うと、作ってきた栗きんとんあげませんから」
「…ごめんよ」
 百川が謝ると千鶴は満足げにパソコンを叩いた。それを見て百川が問いかける。
「それはそうと、今は何の仕事してるの?」
「クラヴィスエンジェモンさんの捜索ですよ」 千鶴はモニターから顔を上げずに応えた。
「…そう。加納はどうしてる?」
「無理に元気作ってますよ。今日も一人で捜索に出てます」
 ルーチェモンによって廃墟と化した街の一角から、白い鎧の破片が見つかった。それ以来、加納満は必死でパートナーを探している。
「百川さんも、後で何か言って上げてください」千鶴が言った。
「そうだな」パートナーを失った悲しみは、痛いほどよくわかる。しかし、彼女は言葉を重ねた。
「でも、千鶴ちゃんの言葉が一番効くと思うよ。私は」
「…気休めはいいですよ」
「気休めじゃないよ。君はずっと、加納のことをみてきたじゃないか。誰よりも、何を言うべきかわかるはずだよ」
「そうだといいんですけどねー」
 千鶴は机に突っ伏してあーやだやだと声を上げた。その側に百川がコーヒーを注いだマグカップを置く。
「…あ、ありがとうございます」
「千鶴ちゃんみたいな子にこんなに想われて、加納が羨ましいよ。本当に」
 その時、彼女達を青い光が照らし出した。部屋の中にあるパソコンが一斉に起動したのだ。千鶴が慌てて立ち上がり、百川も起動したパソコンの一つに駆け寄った。
「まさかハッキング?」
「ルーチェモンとの戦いで疲弊したところを狙われたのかな」百川がパソコンを覗き込んだ。
「とにかく、エージェントに連絡を」
「…あ、待って! 千鶴ちゃん!」百川が受話器を取った千鶴を呼び止めた。
「何ですか?」
「こっちきて、見て」彼女は目の前のパソコンのモニターを指差す。
 怪訝な顔をして駆け寄り、モニターを覗き込んだ千鶴の顔が輝いた。
「これは…」
「私もそうだと思うよ」
「加納さんに連絡しなきゃ、今すぐ!」
「あ、ちょっと待ってくれよ」
 電話の方に向かった二人が覗き込んでいたモニターには、青い画面に白地でメッセージが映されていた。

  Happy New Year My Master.

           *****

 僕はバーのカウンターで御節料理を作っていた。考えてみれば妙な取り合わせだ。ヒトミはもう奥の部屋で眠ってしまっている。ギギモンが、甘く煮付けた黒豆を不思議そうに眺めた。その大きな口に豆を放り込んでやる。

「…ちょっと、作りすぎたかな?」僕はギギモンに話しかけた。相変わらず返事はない。あんな戦いを乗り越えた後でも僕には冷たいままだ。

「でもいいさ、どうせ最後には色んな奴等が食べにきて、これだけじゃ足りないってことになるんだ」僕は構わず語り続けた。
「しかし色んなことがあった一年だったな。お前がこの店にやってきて、この店にもたくさんの常連ができて…」ギギモンはちゃんと話を聞いている、と僕は思った。ただ何となくである。

「お前には何度ヒトミを守ってもらったかな? ムルムクスモンの件にしたって、お前のおかげで死体を見つけられなかったら手遅れになるところだった」
 作りたてのなますの酸の匂いは胸に蘇ったあの死体の映像をかき消すのに役立った。

「お前は突然やってきたのに、あっという間にうちに馴染んだよな。まるで、僕やヒトミのことを昔から知ってるみたいに」
 そこまで言って、僕は顔を上げた。ある想像が脳裏をよぎったのだ。

 幼年期は生まれたばかりのデジモンだという。それなのにギギモンは、どんな状況にも動じず、上手く立ち回って見せた。特に青森の街で、四ノ倉正敏の死体を見つけた時なんかそうだった。まるで僕達を導くみたいに−−。そして、ヒトミを守ろうとする強い想い。パートナーとはいえ、そんな気持ちがすぐに芽生えるものだろうか?

「なあ、お前、僕やヒトミのことを昔から知ってたのか?」

 ギギモンが尻尾を振った。

「僕はお前のことを、ずっと昔から知ってたのかな?」

 ギギモンが尻尾を振った。

「なあ、お前ひょっとして−−」



 それはほんの想像。
 ある時インターネットに放り出された男から剥がれたデータがネットの海を巡り巡り、一つの卵になった。そういう夢の物語。

 その卵から孵った幼い龍が、かつて彼が人間だった頃の友人達の元に引き寄せられた。そんな希望の物語。









「お前ひょっとして、明久か?」










 ギギモンはころりと転がって、顔を僕に向けた。その目は閉じられ、かすかな寝息が聞こえる。

「え…?」

 僕は拍子抜けした。ギギモンはずっと眠っていて、さっき尻尾で返事をしたように見えたのも、気のせいだったのだ。

「…なんだよ」

 それでも。

「さっきの話、やっぱり僕はそう思うんだ。どうだろう?」






 辻の問いかけなど聞こえないかのように、龍はゆっくりと眠っていた。

ID.4816
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/01/20(土) 15:12


六月の龍が眠る街 エピローグ
 ボクは今、闇の中を飛び出して世界には羽ばたこうとしている。







 ボクの周りを取り囲む硬い壁を壊せるようになるまで、少し時間がかかった。これをやるのは二度目だというのに、全く情けないものだ。







 生まれ直すというのはおかしな気分だ。かつての体の記憶は残っているが、わずかに霧がかかったような部分もある。








 ボクは暗闇の中で、その一つ一つをじっくりと眺め直すことができた。








 一番楽しかったのは、やはり死ぬ前の最後の半年だ。たくさんの新しい仲間たち、いろいろな事件。相棒とともにその解決に臨むことは、ボクに戦いの時とはまた違う喜びを教えてくれた。







 この壁を破った先はどこだろう? あの仲間たちの元だろうか? そうだったらいいな、とボクは思う。彼らと再会できた時に言うことはもう決めているのだ。







 思うように動かない体に力を入れて、壁を破る。その隙間から光が差し込んだ。外の世界で何やら人々がざわめいているのが聞こえる。







 外から誰かが壁を叩いた。手伝ってくれるのだろうか。失礼な。これくらいは自分でも破れる。







 そしてようやく壁−−卵の殻を破って外に出たボクを、仲間達が抱きしめた。







 待ってくれよ。君たちばかり喋ってないで。僕にも言いたいことが沢山あるんだ。







 でもボクの口には妙なおしゃぶりがついていて、ろくに喋ることもできやしない。緑色のゼラチン質の体では、身振り手振りでも何かを伝えられないだろう。






 まあいいか、ボクは思う。ボクが卵の中にいる間に、いろんなことがあったのだろう。でも、彼らは笑っている。















 みんな、ありがとう。ボクと、サトルから。








Fin.

ID.4817
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/01/20(土) 15:15


あとがき
「六月の龍が眠る街」第十章、読んでくれた皆さん、ありがとうございます。これにて、「六月の龍」完結です。
 実は同時に投稿をしていたpixivの方ではかなり前に完結していたのですが、nextでの連載はかなり遅れてしまいました。申し訳ありません。


 小・中学生の頃、家に帰ると父親のパソコンに齧り付き、この掲示板で小説を読み漁っていました。父が仕事から帰ってきてパソコンを奪われると、今度はノートを相手に自分なりのストーリーを考えていたものです。
 その頃のノートの中にあった、バーテンダーと少女、そして二人の元にやってきた龍の物語がこの小説の原型となっています。自分の小説がこうしていつも覗いていたnextの掲示板に並んでいるのを見る度に、感慨深い気持ちになります。



 量の割にやたらと多い登場人物と目まぐるしい展開には僕自身辟易していましたが、結局は全員が愛着あるキャラになりました。世代も色々なら戦い方も色々な彼等も、みんな最後には自分の中で守るべき(或いは進むべき)未来を見つけだしたと思います。読者の方々も良ければ彼等のことを愛してあげてやってください。




 現在はpixivにて続編「My Back Pages」を不定期連載しています。舞台は本作から三年後の仙台。伝統的なデジモン主人公の年齢である11歳、小学五年生になったヒトミちゃんが年相応の悩みを抱きながら新たな脅威に立ち向かう話です。こちらはnextで連載の予定はないので読みたいという物好きな方はpixivで「マダラマゼラン一号」の作品を探してみて下さい。六月の龍の番外編もいくつか投稿したりしてなかったりしてます。




 それでは、今までありがとうございました。これからもマダラマゼラン一号をよろしくお願いします。