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ID.4674
 
■投稿者:Ryuto  HOME MAIL
■投稿日:2016/09/03(土) 00:00
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幾千のアポカリプス 覚醒矛盾“9/少女と死”
         
 パラサイモンは、ほぼ胴体から千切れかけ、皮一枚だけで首と繋がっている状態の樹有香の頭を、どうにか繋ぎ直すことができないか試みていた。ただ乗せるだけでは歩くだけで落下するし、触手を使って内側から接続しても切断面が目立ってしまう。そもそも、彼女が人間の身体をわざわざ「着て」いるのは、リアルモーメントの社会に溶け込むためだ。こんな状態で人通りの多い市街地を歩けば、溶け込むどころか余計な騒ぎを起こしかねない。
 これだから人間の肉体は嫌いだ。酷く脆い上に、社会に溶け込むにはパーツの微調整が絶えず必要になる。移動速度が遅く、視界も悪く、危機察知能力も高くない。優れているのは生殖能力くらいだ。
 それでも、パラサイモンは樹有香の身体を気に入っていた。他の皮袋と比べれば、この肉体はとても整っていて美しい。見た目が優れていると捉えれば、実用的ではないこともまだ納得はできた。
 だが、もう外見も損なわれてしまった。
「あなたたちのせいよ」
 パラサイモンは、グラウンドの上でうつ伏せになり、身体を痙攣させている宙雲朱鳥に向かって言った。これはパラサイモンの身体から伸び、朱鳥の背中に突き刺さった触手が、彼女の神経系を侵している証拠だった。
 朱鳥の顔は泥に塗れ、ほとんど白目を剥いていたが、パラサイモンの方を向いていた。唇が時折動き、何かを言おうとしているように見える。
 ガイオウモンに対して、直接寄生を試みることは早々に諦めていた。あの怪物の精神力は十分に知っているし、寄生のための触手を鎧の下の肉体へ接触させることすら困難だ。寄生できるとすれば、それは破綻者の方。だから彼女にとっては、ムゲンドラモンの力でガイオウモンの変身を解くことが最大の難関だった。
 大きな犠牲を伴ったが、それは成功した。そして今の朱鳥の状態も、パラサイモンにとってはほぼ予想通りだった。
「少し昔話をしましょうか」
 彼女は、樹有香の身体を朱鳥の目の前に座らせた。
「二年くらい前、私は人間に寄生した場合にどこまでのことができるか試してたの。こっちでのビジネスも軌道に乗り始めたばかりでね、人間の意識が操作できればもっと効率良く器が手に入ると思ってたんだけど……」
 朱鳥の目は自分を凝視している。悪くない表情だ。
「被験者のひとりに、沖誠司って男がいてね。ひとり娘がいて、社会的地位もあって、宿主としては悪くなかったんだけど。脳の、本能のリミッターを少しだけ外してみたら……あっさりと愛娘を殺しちゃったの」
 パラサイモンは肩を竦めた。
「はっきり言って、あまり良い結果とは言えなかったわ。愛娘は器として良さそうだったのに傷物にしちゃうし、おまけに顧客でも何でもない奴に憑依されちゃうし。まぁでも、人間という生き物を知るには良い材料になったわ」
 有香の身体と朱鳥の前に、紫色のデジタル・モンスターが降りてくる。それが触手を伸ばし、朱鳥の視界を覆っていく。
 最後に、有香と同じ声が聞こえた。
「さて、あなたは愛するあのコを殺せるかしら?」



●●9/少女と死●●



「離して!」
「何言ってんだ!」
 アンナは木々が生い茂る、ニュータウンの真ん中に作られた都市公園で、シールズドラモンと口論していた。ほぼ二十ヘクタールある敷地内のほとんどが雑木林となっているこの場所は、夜間の追っ手を撒くには非常に有効な場所だった。暗視ゴーグルを持つシールズドラモンにとっては尚更だ。
 そのシールズドラモンは今、どうにか自分を振り払い、中学校のグラウンドに戻ろうとするアンナの激情を、リボルモンとともに抑えることに必死だった。
「ガイオウモンが囮になったのを無駄にするつもりか?」
「パラサイモンを殺せば、囮なんて必要ない!」
「お前、何馬鹿なことを……」
「落ち着くんだ、アンナ」
「うるさい!」
 普段のアンナではない。敵はムゲンドラモンを含むメタルエンパイアのほぼ全軍とパラサイモンだ。戻ったところで勝てるはずはなく、生存できる可能性は更に低い。
 拓人はアンナを見ていた。自分はシールズドラモンやリボルモンほど今の状況を理解できておらず、今の彼女に何を言えばいいのかも分からない。
 いや、そもそも……そもそも。
 目の前にいるこの少女は、「丘岬アンナ」ではない。
「……何よ」
 思考を巡らせていたために、拓人は彼女のことを見つめていたにも関わらず、この言葉が自分に向けて発せられたことに気づくのが一瞬遅れた。
 アンナは、いつかと同じように自分のことをじっと見つめていた。引力のある瞳で、拓人の内側にあるものを見透かすように。それも、怒りと怖れと、それから疑心を浮かべた表情のまま。
「私を怪物か何かだと思ってるの?」
 拓人は言葉に詰まった。
「俺は……」
「えぇそうよ、怪物よ」
 答える前に、彼女が言う。
「私は人間じゃない。破綻者でもない」
 やめてくれ。その眼で俺を見つめないでくれ。
 俺にそれを言わないでくれ。
「私は選ばれし子供・丘岬アンナのパートナー、シルフィーモン。パラサイモンと同じ、怪物よ」
 それほど大きな声ではなかった。さっきまでの彼女の怒声と比べれば、小さく、静かな声。にも関わらず、この発言はアンナのどの言葉よりも、拓人の頭の中に強く響いた。
「お前……」
「私はあなたの嫌いなデジタル・モンスター! この戦いは最初から、あなたの人生を狂わせたデジタル・モンスターの、単なるいざこざなの! 分かった!?」
 明らかに冷静ではない。彼女は目に涙を浮かべ、周囲の全てに怒りをばら撒いているだけだ。そこに普段の理屈はない。
 だが、彼女は語気を弱めるどころか、更に言葉を続けた。
「大体あんた、何でまだ此処にいるのよ! あんたの仕事はもう終わったの! あんたはもう関係ない! さっさと逃げなさいよ!」
「アンナ、やめないか!」
「いい加減にしろアンナ!」
「私はアンナじゃない!」
 拓人は、この口論の前で立ち尽くしていた。彼女の言う通り、アンナにキメラモンを倒した場所を伝えた時点で、自分の役目は終わった。その後彼女について行ったのは、単に少しの懸念と、同じくらい僅かな同情があっただけだ。しかも目の前にいる少女は、人間ですらない。自分が一番嫌う、この一年間避け続けていた怪物そのものだ。
 どこか遠くで、キャタピラが地面を踏み鳴らす音が聞こえる。少しずつ近づくその音に、拓人やアンナの腕を掴むシールズドラモンの意識が一瞬、アンナから逸れた。その瞬間、目の前の少女は竜人の手を引きはがし、今まで走ってきた小道を戻り始めた。
「待て!」
 まずい、とシールズドラモンは思った。キャタピラの音はひとつではない。おまけに、もっと重い何かが大地を踏む低い音も聞こえる。
 この音を足で出せるのは、全身を重武装と装甲で覆った機械竜しかいない。
「アンナ!」
 その時、視界から小さくなり始めていたアンナが、突然止まった。シールズドラモンの呼びかけに応じたわけではないことはすぐに分かった。アンナの前に、ムゲンドラモンとも他のマシーン型デジタル・モンスターとも違う、人間の影があったからだ。
 短髪で長身の女の影が。



「朱鳥、さん……?」
 アンナの目の前に、空雲朱鳥がいた。
 全身傷だらけ、泥だらけだが、それでも彼女はそこにいた。雑木林が作り出す暗闇から、ゆっくりとアンナの方に歩いてくる。
 生きてる。生きてる! アンナはほとんど何も考えずに、朱鳥に駆け寄った。頭の中に渦巻いていた様々なものが一気に吹き飛び、視界に明るさが戻ったような気がした。
 そうなってからようやく、朱鳥の虚ろな眼が自分を見つめていることに気づいた。
「!」
 違和感を覚えたものの、脚を止めるのが遅れた。朱鳥の背中から八本の昆虫の脚と、緑色の無数の触手が現れた。それはまたもアンナの身体を絡め取り、朱鳥の目の前まで引き寄せる。
「……あ、あ……!」
 バケツいっぱいの冷水を背中に叩きつけられたような気がした。
 違う、こんなはずがない。朱鳥さんとガイオウモンに限って。こんなはずは……。
 やがて、アンナはこの根拠のない思考が絵空事であることをようやく自覚した。
 こうなったことには何の疑問もない。朱鳥とガイオウモンが負け、パラサイモンに寄生された。それだけのこと。
 そして、気づいた。
 そもそも希望を抱くことが間違っている。
 彼女の中で、何かがポキリと音を立てて折れ、そして、
「……う……う、うぅ……うぅぅぅッ……!」
 全身から力が抜け、全てがどうでもよくなった。
 またしても失敗した。パートナーの敵を討つどころか、大事な人をもうひとり失ってしまった。初めから駄目だったのかもしれない。背後で、シールズドラモンやリボルモンの喚く声も聞こえる。それすらどうでもいい。
 朱鳥さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。
 私が復讐なんて馬鹿なことを言いだしたから、あなたまで巻き込んでしまった。
 本来、あなたには何も関係なかったのに。
 私のパートナー、丘岬アンナの肉体も無駄になった。私がパラサイモンに差し出したようなもの。
 何もかも駄目だった。私のせいで。
「アンナ、ちゃん」
 ぼやけた視界の中、朱鳥が少しずつ顔を近づけてきたのが分かった。
 そして、唇に柔らかな感触がした。
「!」
 それが何なのか、アンナにはしばらく分からなかった。それから、口の中に何か温かいものが入ってきて、ようやく彼女の頭は覚醒した。
 数秒後か、数十秒後か、その感触が離れる。やっと朱鳥の顔を視認する。
「ふふ、奪っちゃった」
 空雲朱鳥は、アンナのよく知る声と、よく知る表情で笑い、彼女の手をゆっくり握った。
「朱鳥さん……?」
「もう十分だわ」
 アンナは、朱鳥が自分の震える手を胸元へ押しつけるのを見ていた。柔らかい感触がする。彼女の背中では、八本の脚が活発に蠢いている。
 また何本か、新たに触手が増えた。その触手は、何故かアンナではなく朱鳥の首に巻きついていく。
 アンナは朱鳥を見た。首に巻きついた触手に気道を圧迫されているのか、朱鳥はやや苦しそうな表情だった。唇を動かしても、そこから声は出てこない。
 だが、彼女が何を言おうとしているのかは分かった。
 ここを狙って。
 丘岬アンナ、あるいはシルフィーモンは、朱鳥がどうしてそんなことを伝えてくるのか瞬時に理解した。嫌だ、という感情と、やらなければ、という感情。
 後者の感情を、空雲朱鳥が後押しした。
「だいすき」
 短い一言。
 その一言が、次の行動を決めた。
「……ぁ……ぁぁぁぁあああああッ!」
 丘岬アンナの右腕が、本来の彼女の腕に変化する。白い産毛と羽、猛禽類同様の鋭い爪が現れる。
 その腕が、空雲朱鳥の身体を貫通し、背後にいるパラサイモンに突き刺さった。
 悲鳴のような不気味な音が響き、視界に映る八本の脚が激しく蠢いてから消滅する。自分の身体と、朱鳥の首を絞めつけていた触手も消え去った。
 同時に、朱鳥の身体から力が抜け、アンナの身体に寄り掛かる。
「朱鳥さん!」
 アンナは彼女の身体を抑えようとした。朱鳥の胸から夥しい量の血液がこぼれ、右肘を伝って地面に落ちていく。この腕を抜いていいのか分からない。
 代わりに朱鳥が、それをあっさりと抜き、そしてアンナの身体を押した。アンナの身体がバランスを崩して後ろ向きに倒れ……何時の間にかそこに立っていた、砂原拓人の腕に収まった。
「後はお願いね」
 拓人はアンナを見ていなかった。彼は硬い表情で、朱鳥と、その背後の雑木林から現れた巨大な機械竜を見ていた。それから、彼の腕がアンナを引っ張り上げた。
 アンナは、自分でもどんな感情を示しているのか分からないような声で叫んだ。言葉になっていなかった。
 最後に見た朱鳥は、身体に緑色の帯を纏いながら、笑って自分のことを見つめていた。



「おかしいじゃない。どうなってるの」
 背後から聞こえる樹有香の声を尻目に、ガイオウモンは一本だけ残った菊燐を眺めていた。
 柄を握る右腕を水平に構え、握り方を変える。人差し指と中指だけで刀を支え、左手の指は刀の先端、反り返った切っ先を押さえる。
「宙雲朱鳥が、なんで自分の意思で動いたの? あなた、何かしたの?」
 胸に空いた空洞のおかげで、良い具合に全身から力が抜けている。左手の指先に力を入れる。木の枝のように曲がった形状の菊燐が、更にみしりと音を立てて歪んだ。
「何が――」
 左足を起点に地面を蹴り、身体を回転させる。同時に、左手から菊燐を解放する。
 横薙ぎの流星が放たれ、機械竜の腹部に一本の線が引かれた。
「う」
 次の瞬間、ムゲンドラモンの巨大な上半身は下半身から滑り落ち、地面に轟音を立てて落下した。同じく床に転がり落ちたのは、首が千切れかけた樹有香の身体。
 起き上がろうとするパラサイモンと、両腕の銃砲を構え近づいてくるタンクモンたちを尻目に、ガイオウモンは菊燐を地面に突き立てた。そろそろ身体が動かなくなってきたようだ。
「俺が朱鳥に何かしただと?」
 ガイオウモンは自らのデジコアが停止していくのを感じていた。ならば停止する前に、最後の花火を打ち上げよう。両手を胸元で組み、デジコアに残る力と、この場の大気の力を全てそこに集約させる。間もなくそれは、彼の頭ほどの大きさのある火球となった。
 ガイオウモン最後の必殺技・ガイアリアクター。全出力には程遠いが、この周囲を吹き飛ばすには十分だ。
「俺を制御できる女が、貴様に屈服するはずがなかろう。人間を舐めるなよ」
 樹有香の眼が見開かれた。



「俺の負けか」
 ガイオウモンは、二本の菊燐を眺めながら空雲朱鳥に言った。
「ちょっと待ってよ。私は負けたつもりないんだけど」
「パラサイモンではない。俺がお前に負けたのだ」
「私に? なんで?」
「破綻者は殺人衝動に苛まれる。にも関わらず、お前は俺に取り憑かれてから五年間、一度たりとも殺人を犯さなかった」
「あー、なるほど」
「俺の戦闘種族としての誇りは深く傷ついたぞ」
「ひひっ、すごいでしょ。まぁ、我慢は慣れてるからね……」
 彼女は悪戯っぽく笑った。

 これが空雲朱鳥だ。
 暴力的な父親と、自分のことを労働力としてしか見ない母親の間に生まれ、一般的な生活水準を遥かに下回る環境で育った。生きることは彼女にとって耐えることであり、それ自体には何の意味もなかった。十三歳の時、酔った父親に命を奪われた時も、痛みに耐えること以外は何も考えていなかった。
 故に、一度死亡し、ガイオウモンに取り憑かれた当初は戸惑った。しかし、やがて彼女は、身に起きた事を自覚した。
 死が、自分に人生を与えてくれた。
 自分のことを叩く父親からも、学校に行かせようとしない母親からも解放された。食べ物やお金は人の目にさえ気をつければ盗むこともできる。住む場所はなかったが、あの両親と一つ屋根の下で過ごすことと比べれば屁でもない。この殺人衝動に耐えることも、今まで受けた仕打ちに比べれば大したことはなかった。何より、自分の中に、いつでも話せる自分の理解者が現れた。
 最初は、朱鳥にとってはただ幸福な日々だった。しかし、やがて彼女は、今の人生の欠陥に気づく。
 自分には生きる目的がない。
 ただ食べて、寝て、彷徨って、時々ガイオウモンの言う通りに別の破綻者と戦うだけ。このまま一生を送っても何も意味もない。
 これは生きているとは言えない。この生き方には先がない。
 それを与えてくれたのは、四年前のあの出会いだった。
 崩壊した瓦礫の中、そこに立っていた彼女。鋭い眼でこちらを見て、ガイオウモンの咄嗟の判断がなければ自分を殺していたかもしれない彼女。
 「大事な人」を殺した敵を殺す、と言った彼女。
 この同類は、目的のために生きている。
 気づけば空雲朱鳥は、自分にないものを持つ彼女に強く惹かれていた。

「見事だ、朱鳥。お前が相手で良かった」
 敬礼する竜人に、空雲朱鳥は笑顔で返した。
「こちらこそ、今までありがとうございました」



 この夜、公園で炸裂した火球と、それによって燃え上がる雑木林を見た人間は僅かしかおらず、その記憶や証拠も、翌日には虚界修正法則が適用され消滅した。



 夜が更けていく。
 拓人は、夕方までいた廃墟のロビーでシールズドラモンと向かい合っていた。
「彼女は憔悴しきってる」
 公園で朱鳥と別れた後、アンナはシールズドラモンたちに抵抗することも、声を荒げることもなかった。彼女は生気を失い、目に涙を貯めたまま、黙って彼らに従った。そしてこの雑居ビルに戻った後は、回転ベッドの部屋に籠ったまま出て来なくなった。
 この場所はパラサイモンにも知られている。襲撃に備え、夜間はリボルモンとシールズドラモンが交替で見張りをしているが、今のところ敵が現れる様子はない。だが、そんな状況も長くは続かないだろう。
「朝になったら、俺たちはこの街を去るつもりだ」
 シールズドラモンとリボルモンは話し合い、既にこの後のことを決めているようだった。
「メタルエンパイアとこれ以上事を構えても勝ち目はない。奴の手の届かない場所で態勢を立て直す」
 シールズドラモンは、暗い廊下の奥にある扉を一瞬だけ見た。拓人もそこを見る。
 その奥に居る少女が何であれ、今の彼らのリーダーなのだ。
「俺たちと一緒に来るか?」
 竜人の言葉に、拓人は驚いて目を瞬いた。
「お前がいれば、あいつも少しは落ち着くだろう」
 この提案は少なからず魅力的だった。この街に残れば、パラサイモンの次の標的になることはまず間違いない。命を守るには、彼らについて街を離れるのが一番良い。
 しかし、それでも。
「……俺はここに残る」
 それでも、拓人はこの場所を離れる気にはなれなかった。
「そうか」
 竜人は溜め息をつき、それ以上この話題を続けようとはせずに、拓人の肩を二度叩いた。餞別のつもりかもしれない。
「長生きしろよ」
 そう言い残して、シールズドラモンは奥の通路へと行ってしまった。



 ロビーの端に置かれた質素な木製の椅子に座ったまま、拓人は短い睡眠と目覚めを繰り返した。朝になると、硬くなった身体を動かし、背もたれから背中を浮かす。入り口から、今の気分には不釣合いな雲ひとつない青空が見えた。
 拓人は、昨夜起きたことについて考え続けていた。
 空雲朱鳥を貫いた、丘岬アンナの姿。あの直前に二人がどんな会話をしていたのかは分からない。だが彼女は、彼女の手で朱鳥を殺した。それだけは事実だ。
 一年前、自分に起きた出来事と同じように。
 あれから今まで、自分は何をしていた?
「タクト」
「拓人さん」
 また、声が聞こえた。ロビーの中に視界を戻せば、目の前に中学の制服を着た二人の少女が立っている。半透明の霊。青く長い髪の少女と、金髪を赤いリボンで結んだ少女。
 拓人はもう、この霊を見ても動揺しなかった。何故か、彼女たちが何を言おうとしているのか分かる気がした。
 なぜなら、同じことを考えていたからだ。彼女たちが一年間に渡り、自分に問い掛け続けてきたこと。
「ほら、早う」
「行きましょう?」
 拓人はゆっくりと立ち上がった。それを確かめて、二人の少女は歩き出す。
 その行き先は、あのステンドグラスの部屋。
 閉じられた扉の前で、二人は拓人のために道を開けた。
「頑張れや、タクト」
「行ってらっしゃい、拓人さん」
 両側から聞こえる声。夢か、幻覚か、本物の幽霊か。そんなことはどうでもいい。
 ドアノブに手を掛けると、沖あいことアリシア・アルトレインの姿は静かに消えていった。



 彼女は回転ベッドに身体を投げ出したまま、握った掌を見つめていた。丘岬アンナの、小さく弱弱しくも綺麗な掌。ゆっくりと開くと、その中には淡く輝く、赤と黒のカプセル剤があった。
 デジメンタル・プログラム。破壊したデータを修復する、旧イグドラシルの遺物。樹有香が持っていたはずのこれが、今は彼女の手の中にあった。
 何時の間にかこれを手にしていた朱鳥が、彼女の口にこれを押し込んだのだ。
「……」
 その時のことと、その後のことを思い出すだけで、また呼吸が荒れ、視界がぼやけてくる。鼻が詰まり、思考が霞がかる。
 自分には、アンナの身体とこれしか残っていない。
 今更何ができる?
「入っていいなんて、言ってないんだけど」
 ドアの音を聞いて、背中を向けたまま、侵入者に対して言い放った。まだ彼が残っているなんて思ってもいなかった。
 さっさと逃げればいいのに。
 侵入者の足音は、そのままこちらに近づいてきた。思わず身体を固くする。視界に彼の影が掛かるのと、足音が聞こえなくなるのはほぼ同時だった。
「パラサイモンは、媒体が欲しいんじゃないか?」
 声が聞こえた。
「奴は昨日の戦いで軍隊を消耗した。身を守り、より多くのデジタル・モンスターをリアルモーメントに迎え入れるために、子供の身体を欲しがるはずだ」
「えぇ、そうね」
 ようやく起き上がり、拓人の方を見る。彼は真剣な表情で、この推測を話していた。
 今となっては何の意味もない話だ。
「すごい名推理ね。将来は探偵にでもなれば?」
 拓人は推測を話し続ける。
「奴は今夜、ベイエリアに現れる」
「どうして?」
「花火大会だ。奴の欲しいものがそこに集まる」
 八月になり、世の学校と呼ばれる場所が軒並み長期休暇に入った今、パラサイモンの求める媒体はあらゆる場所に散らばっている。今夜を除いては。
 自分がパラサイモンなら、そんな好機は絶対に逃さない。残ったメタルエンパイアとアンノウンの軍勢が動くだけで、その何倍ものリターンが得られるからだ。
 だが、何故、砂原拓人がそんな推測を言うのか。
 考えられる理由は、今の状況で一番考えられないほど馬鹿なことだった。
「……あんた、奴と戦う気?」
 拓人は、さして表情も変えないまま頷いた。
「頭でも打った?」
「いや」
「なんで……?」
「俺の居場所はここだ」
 拓人は視線を動かすことなく、そう言い放った。
「死にに行くの?」
「死ぬかもな」
「それなら……」
「もう死人を増やしたくないんだ」
 言葉のせいか、それとも彼の視線のせいか、彼女の心臓が跳ねた。言葉に詰まり、質問がもう出て来ない。
 砂原拓人はこんな男だったか? この表情をしているのを初めて見た。
 まるで、別の人間のようだ。
「倒せるかは分からない。だが倒せるのは今夜しかない」
 何時の間にか、部屋の外にシールズドラモンとリボルモンが立っていた。どちらも一言も発さず、この会話をただ聞いている。
「俺はもう十分逃げた。お前は違う。逃げてもいい。ただ、逃げてもその先は何もない。もし、まだ戦えるなら――」
 拓人は、自分に向けて右手を差し伸べた。包帯が解けた、紫色の腕。冥府の管理者のものらしい腕だ。
 背後のステンドグラスから射す日光が、その手を照らした。
「俺たちみたいな奴を、もう増やさなくて済むかもしれない」
 目を瞑り、この言葉を何度も反芻する。無謀であり、自殺行為だ。あまりにリスクの大き過ぎる賭けだ。
 しかし、それだけの価値のある賭けでもある。
 丘岬アンナなら、空雲朱鳥なら、何と言うだろう?
 そう思うと、頭の中の霞が晴れた。
 彼女は立ち上がり、目を開いた。右手を伸ばし、拓人の掌を強く握る。彼に握り返される。
 それが答えだった。
「よろしく、アンナ」
「よろしく、拓人」
 そして二人は、もう一度戦うことを決めた。





■buck number■
“0/少女と神様” >>4574
“1/少女と少年” >>4575
“2/少女と握手” >>4621
“3/少女と取引” >>4626
“4/少女と機神帝国” >>4637
“5/少女とと鎧皇” >>4645
“6/少女と媒体売り” >>4656
“7/少女と皮袋” >>4661
“8/少女の真実” >>4668


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 さて、連載の方も残り3話となりました。
 最後までどうかお付き合いください。