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ID.4670
 
■投稿者:パラレル 
■投稿日:2016/08/17(水) 23:04
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【読み切り】 re-fly 前
         
 目が覚めると、俺は平原にぽつんと立っていた。青空と二分するその大地には疎らな木が生え、少し視線をずらせば小さな林も見える。
 さて、俺は何故ここに居るのだろうか。そもそもここはどこなのだろうか。
 率直なところ、俺はここに辿り着いた道筋も知らず、更に言うなら自分にまつわる記憶のすべてを持ち合わせていなかった。こういうときに出る常套句すら何か分からない始末だ。
 見知らぬ平原に立ち尽くす。どこにいけばいいのか。何をすればいいのか。何の当てもなく、ただ静止した時間で思考を重ねる。
「――おーい」
「ん?」
 不意に足元から声が聞こえた。思考を打ち切り、視線を動かす。視界にあるのは土と草と少しの木だけ。いや、緑の草に紛れてもぞもぞと動いている緑の物体が目に入った。
 トマトのヘタに似た小さな葉を乗せた草餅。それが見た目から抱いた率直な第一印象だった。両手で持てる位の大きさの奇妙な生物だ。
「……デジモン、か?」
「う、うん。そうだよ」
 いや、俺はこの生物を知っている。確かデジモン、或いはデジタルモンスターと呼称される生物。その中でもこの種族は、このデジモンはよく知っている。とても深く知っている。
「……あれ」
 知っているはずなのに、その中身まで踏み込めない。このデジモンの名前も、関わった記憶も何も分からない。ただ、「知っている」という事実だけが自分の中に残っている。それがとても気味が悪く、脳を強く揺らされているかのような錯覚を覚える。
「ん……あっ!?」
 その錯覚が一際強くなる。視界が歪み、全てが二重に重なって見える。一つは先ほどまで見ていた荒れ野。そしてもう一つはそれに似ていながらも明らかに違う大地。
 そこはまるで平原の未来。草は枯れ、木は朽ち、地面はひび割れている。生命活動を成り立たせるためのエネルギーが大地全体に足りていない。病に蝕まれたような大地。それが自分の居る風景と重なることで、よりリアルに感じてしまう。それがこの大地のいずれ辿る未来なのではないのかと。
「――どうしたの?」
「あ」
 あのデジモンの声で意識が引き戻される。その未来こそが錯覚なのだと再確認する。亀裂が入った地面も、葉がすべて黒く萎びた木も無い。豊かな草原から疎らに樹木が立っている。
「いや、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだ」
 無意識に側頭部に置いていた右手を言い訳に使い、コートの袖で額の汗を拭う。今のは錯覚だ。そう割り切り、緑のデジモンと視線を再度交わす。
「そっか。じゃあ、いっしょにいこうよ!」
 安心したのか、回りながらぴょんぴょんと跳ねる。愛らしい姿に先ほどまでの不安が拭われていく。だが、それ以上にその発言に意識が向いた。
「一緒にって、俺もか?」
「うん! いっしょに」
「そうか。……分かった。一緒に行こうか」
 このデジモンは俺とともにどこかに行こうと、そう言っている。自分のことも含めて記憶が曖昧な、偶然出会っただけの俺にこのデジモンはそう言っているのだ。初対面で何も知らない自分。なのに、その言葉が無性に嬉しく感じる。それも、単純に幼いデジモンに頼られているからとは別の何かの理由でだ。
「けど、行くとは言ってもどこに行くんだ?」
「うーん……あっち?」
「あっち、か」
 腰を落として聞いてみる。近づけば近づくほど、このデジモンにはやはり何か引っかかるものを覚えるが、落ち着いたからか以前よりもそこまで気分が悪くはならない。
 緑のデジモンはぴょんぴょん跳ねて、身体全体で一方向を指し示す。かなり根拠に乏しい進路だが、それでもここでぼんやりと立っているよりかはましだろう。そう考えると、声を掛けてくれた段階でこのデジモンには恩を得たようなものだ。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
 一際大きくぴょんぴょんと跳ねながら、嬉しそうに笑う。何も知らない自分と何が出来るのか分からないデジモン。いろんな意味で前途多難な旅の始まり。だが、それはいつかどこかで待ち望んでいたことなのかもしれない。




 歩き始めて二時間が経った。宛のない勘による旅路ではあるが、想像よりは楽な旅路だった。その理由は案内役である緑のデジモンのおかげだった。
 道中遭遇したデジモンはいずれもが図体が大きく、また好戦的な者も少なくはなかった。しかし、案内役はその悉くを吹き飛ばしていた重ねて言うが、文字通り物理的に吹き飛ばしていたのだ。
 人は見た目によらないなどという言葉があるが、仮にそうだとしても異様だった。なぜならその案内役は一切デジモンに触れずにその体を弾き飛ばしていたからだ。ノーモーションで発動するそれは、超能力やサイキックとはまた違った、もっと概念的なレベルでの何かしらの力だと確信じみたものを抱くのにそこまでの時間は必要なかった。
 直接聞いてみることも考えたが、幼い言動から情報が得られるとも思えず、また聞くことそのものもなんとなく憚られたので、結局はよく分からないまま道中の盾として使ってもらっている。
 さて、宛のない旅だったが、ここにきてようやく収穫らしきものが得られそうだ。それは目の前にある大樹。これまで見たどの植物よりも大きく、またどの植物よりも葉の一枚一枚が輝いて見える。いや、文字通り葉の一枚一枚が神々しい光を放っていた。
「これは……?」
 ほぼ無意識に言葉が漏れたことを少し後悔した。その言葉を聞くのはここまで同行していたあの緑のデジモンだけ。案内役として導いてはくれたが、それはあくまで直感に従ったようなもの。聞いたところで何ら有用な情報が得られるとは思えないのに、考えさせるのは酷に思えた。
「えっとね、『ひかりのたいじゅ』っていうんだよ」
「『光の大樹』、か」
「うん。デジタルワールドのかなめいし? ってきいたよ。それがななほんあるんだって」
「成程。よく知ってるんだな」
「えへへ」
 どうやら、恥じるべきは案内役の無知ではなく、自分の無礼だったらしい。予想以上に簡潔かつ的確に質問に答えてくれた。今の自分には素直に褒めてやることしかできないが、それでも嬉しそうに跳ねてくれるのを見ると、心が暖かくなる。
「重要な場所なのは分かったよ」
 ただ、宛のない旅でもそのゴールが木だけというのもどうなのだろうか。いや、この大樹が重要なことは重々承知している。だが、それが俺に何をもたらしてくれると言うのか。きらきらと光ながら揺れる葉っぱをぼんやり見上げても、ただ時間だけが過ぎるだけのような気がする。
 かさかさと音を立てて揺れる。きらきらと葉から漏れる光が瞬く。揺れて瞬く。それをただただ繰り返し、木は俺の意識を捕まえる。俺の認識に干渉する。
 葉は二重に、幹は二重に。木は二重に、草は二重に。大地は二重に、空は二重に。そして、世界は二重に。
「……あぐっ!?」
 二重に重なる世界。片方は今の今まで自分が居る世界。もう片方はそれが荒んでいった未来の世界。それは最初に見たのと同じ錯角。あれから見ることはなかったはずの幻。
「あ……がっ……」
 寒気が止まらない。自分の存在が不安定になる。ここに居てはいけないと本能が告げる。
 ここに? こことはどこを指すのだ。荒廃した世界か、それとも今居る世界か。
 尽きぬ疑問は退路を塞ぎ、思考の迷路へと自分を閉じ込める。誰か助けて。ここから引き上げてくれ。誰か。ピ――
「――ヒャッハー!」
 随分と品のない声だな。それが不意に浮かんだ最初の思考だった。
 だが、その品のない声が自分を思考の迷路から引き上げ、自分は今ここに居るのだと再確認させてくれた。だが、どうにも感謝する気持ちにはなれなかった。
「なに、あれ?」
 聞き慣れた声に従っての乱入者を確認する。一言で言うなら、そいつは、いやそれは乱入者ではなく乱入車だった。車の知識はそこまでマニアックではないため推測になるが、あれはバギーという種類の物だろう。舗装されていないこの近辺を走るには適切な選択肢だ。
「あン、何だ?」
「何、どしたの?」
 声から判別するに乗っているのは二人か。一人は先程品のないと評した声の主。もう一人は女性のようだ。二人で仲良くドライブと言ったところか。微笑ましいが、その進行方向に自分達が居るのは非常に穏やかではない。
「危ないっ!」
 同行者を抱えて前方に飛び込む。件の力は俺相手には発動しないらしく、小さな体は掴みさえすれば手放すことはなかった。
「ぐ……くっ」
 転がりはしたが、バギーに跳ねられはしなかった。いや、もしかしたらバギーの方が吹き飛ばされていた可能性もあるが、そんな仮定をイメージするよりも、今は俺達両方が無事だったことを喜ぶ。
「おいおい危ねえな、バカヤロー」
 ただ、そこにはわざわざ降りてきて文句を垂れる品のない声が耳障りだった。ただでさえ神経がピリピリしているのに、これ以上は自分もどんな表情になるか分からない。
「あぁ!?」
「ヒッ……いや、何だその……俺らが悪かったよ」
 どうやら既に手遅れだったらしい。意気がって出てきたドライバーを震え上がらせる程度には散々な表情だったようだ。
 憐れなドライバーは灰色の肌を青い服で覆っていた不審な存在だった。特に高く伸びた帽子は生まれる国と時間を間違えたのではないかと思えるほどだ。
「どうしたのよ」
 騒ぎを感じてか、バギーから女の方も降りてきた。彼女は白い肌を赤い服で覆ったきつい印象の女性だ。鋭角なサングラスを光らせるその姿は先の男とはまた別の国の女優気取りだろう。
「ああ、それがよ……」
「言い訳は良いから簡潔に」
「はいはい。分かってるよ」
 名前から察するに彼らもデジモンらしい。ついでに言うなら、事情を話すやり取りを見るに、力関係は女の方にかなり分があるようだった。男は典型的に尻に敷かれているようだが、本人もそこまで嫌がっているようには感じられなかった。
 まあ、そこは至極どうでもいい。なんとなくそういうものなのだろうと、自分でも驚くほどにあっさり納得できてしまったからだ。そう思える程度には俺も落ち着いたらしい。
「ふうん。なるほどね」
 そうこうしているうちに、女の方もおおよその事情を把握したようだ。
「ごめんなさいね。こいつがヘマしでかしたみたいで」
「いや、それはもういい。……良いものに乗ってるな」
 より話が分かり、先手を討たれたのならこれ以上は言うまい。ただ、ここで会ったのも何かの縁だ。結果的に被害者な現状を最大限に活用させてもらう。ただ、彼女を相手にするなら多少は頭を使わなくてはならないだろう。
「ああ、そうだろそうだろ。拾ったんだけどよ。なかなか快適だぜ。お前さんも目が利くな」
「ちょっと、馬鹿」
 だが、もう一人はそうではない。流れを作る上で褒めたのだが、男の方が思ったより機嫌を良くした。これはチャンスだ。女はこちらの思惑を察知したようだが、先に畳み掛ける。
「なあ、そいつに俺とこいつも乗せてくれないか。それで今回のことはチャラってことでどうだ?」
「おう、良いぜ。乗るだけタダだ」
「交渉成立だ。世話になる」
「はぁ……馬鹿」
 勢いそのままに先に約束を結びつける。こちらの要件が無理難題ではない以上、一度約束してしまえば女もそれを簡単に反故にはしづらい。彼女自身も諦めたらしく、いそいそとバギーへと戻り始めた。
「じゃ、乗れよ、兄ちゃん。そこそこ快適なドライブと行こうぜ」
 男に導かれて、話に絡めずにいじけていた同行者を抱きかかえてバギーに乗りこむ。安全な道中だったとはいえ、流石に二時間歩けば相応に疲れる。一時的でもバギーという移動手段を手に入れられたのは本当にありがたい。
「で、どこに行けばいい?」
「ああ。ん……」
 その当然の問いに間抜けに詰まってしまう。楽な移動手段を手にしたとはいえ、未だ自分の記憶も存在も不安定なままだ。それを確かにするためにはどこへ行けばいいいのか。この短い旅路で本当に何も手掛かりは無かったのか。
「そうだな。そっちの目的優先で構わないが――とりあえず他の『光の大樹』とやらのところに行きたい。」
 いや、何もなかったことはない。この場で、「光の大樹」を見上げた時に、確かに自分は今の自分が知らない何かに触れた。その感覚はあまり心地良いものではなく、同じようなことをやりたいかと問われれば躊躇ってしまう。だが、それでも数少ない手掛かりの一つならば、賭けてみるべきだと思った。
「了解。任せな」
 男は深く詮索せずに、アクセルを踏む。揺れながら進むバギーはまるで今の自分を表しているかのようだ。そんなことを腕に抱えた同伴者に言ってみようと思ったが、なぜか不機嫌にむくれているようだったので止めておいた。



 
 一本目の「光の大樹」を出発してから二週間ほど経った。バギーに乗せてくれた男女も別に使命などというたいした名分は無いらしく、ドライブしながら各地の町を回る気ままな旅をしていた。彼ら曰く、町民の手伝いをしながら、彼らと食事と酒を共にするのが醍醐味だそうだ。
 俺達もなし崩し的にそれに同行するかたちで、初日とは全然違う充実した旅路を進むことができた。無論、「光の大樹」の方もドライバーである男がそれを元にルートを組み直してくれたため、道中で立ち寄ることができた。無理を言っているようで申し訳ないが、彼も「こっちも道を決めるのに指針が決まった分やりやすい」と言ってくれた。
 これまでに巡った「光の大樹」は五本。その正面に立ち、揺れる木の葉を眺める度に、俺の意識はここではない世界を視界に重ねて認識する。回数を増すごとに、その荒廃しつつある世界はより明確に印象に残り、意識をあちら側に強く引っ張られる。自分が居るはずの元々の世界がぼんやりと薄くなる。気を抜けばそのまま囚われ、足に伝わる感触が柔らかな草から渇いた土へと変わってしまう。最も付き合いの長い同伴者の声で引き戻されはしたが、あちらの世界の記憶は傷痕のように強く残っている。
 こちらの世界とあちらの世界。自分が本当に居るのはどちらか。自分が居るべきなのはどちらか。自分は何者なのか。何も知らない自分を知るための手掛かりを求める旅だったが、現状の成果は疑念を強めたことだけだった。
「次で六本目、か」
「ここまできちゃったね」
 残りは二本。その内の一つが目の前の林の奥に鎮座しているらしい。場所が場所なためにバギーの二人組とは一時別行動を取ることにした。六本目を確認し、無事に林を出られたのなら近くの村で合流する手筈だ。
 同伴者は案内役として十分過ぎる力を発揮していた。正直なところ、一か月くらいは掛かっても仕方ないかと思っていたが、「光の大樹」にマーカーでもついているかのように、最短距離で案内してくれた。ここまで来れたのは間違いなく案内役の功績が大きい。
「ありがとう」
「あ、え……え、えへへ」
 その感謝を口にしてみたところ、足元の功労者はいつものようにぴょんぴょんと跳ねて喜びを表現することもなく、困ったような表情を浮かべた後にぎこちなく笑った。分かりやすいオーバーアクションではないのが気に掛かる。少しでも自分の感謝は伝わっていると良いのだが。
「六本目はこの奥でいいんだな」
「あ、うん。そんなきがする」
 いつも以上に曖昧な声を上げながら、前にゆっくりと進んでいく。無作法に飛び出す葉を押しのけて、自分も林の奥へと進む。
「――のどかわいたー」
「はいはい。……ちょっ」
 林の中に入って二十分後、同伴者は水分の催促をしてきた。どんな運動でどれだけの水分を出したのか分からないが、それなりに疲れたのだろう。仕方なく道中の村でもらった水筒を開けて飲ませてやる。自分の分も兼ねているので多少なりとも節約してほしいところだが、同伴者は一度咥えた水筒の口を離さず、どこにあるのかも分からない喉を鳴らす。みるみるうちに水筒が軽くなっていく。
「あ……あーあ」
 水筒を出すのを渋ったのは多少なりとも嫌な予感があったからだが、結局はそれが的中してしまった。水筒は振り回しても中身が零れることはない。そもそも零れるものが無くなってしまったのだ。
「あ、えへへ。……ごめん」
「まあ、仕方ないな」
 これは自分の監督責任でもあるし、先に謝られたのなら怒る訳にもいかない。自分の喉の渇きを我慢するのも大人の余裕という奴だと思うことにする。
「そうだよね。じゃあ、いこう」
 こちらが許したと見るや否やすぐにテンションを取り戻して進みだす辺り、本当に遠慮が無くなっている。それはどうかと思う反面、ここまでの旅路で心的距離が縮まっているのだと思うと少し嬉しく思う。そう考える辺り、自分もかなり甘いのかもしれない。




 水分補給の機会を逃してから二十分後、俺達は六本目の「光の大樹」へと辿り着いていた。
 燦々と葉の一枚一枚を輝かせる一際大きな大木。案内役が指し示すよりも早くそれが目標だということは確信していた。それほど特定できるほどにその大樹は神々しく雄大な存在感を放っていたのだ。
「これが六本目か」
 ここまで来ておいて何だが、正直なところ今の自分には「光の大樹」には恐怖を抱くことしかできない。それでも使命感のようなものにずるずると引っ張られた結果、こんな場所に立っている。それは多分、この嫌な感覚が自分の本質を探るのに最も近いということだと嫌でも理解してしまっているからだと思う。
「……よし」
 一度唾を飲み込んで、少しずつ視線を上げる。もう二度とこちらに戻ってこれないのではないかという疑念を振り払い、自分にのみ作用する幻を受け入れる。
「く……」
 木に満ちた葉が視界に入っていく。揺れる度に催眠術のように意識を蕩けさせる。ちかちかと瞬く朝露のような光が視界と脳機能の認識に介入する。
 二つに重なる、似て非なる世界。元々居た世界の風景は薄く、荒廃した世界の風景は色濃く、その存在感は互いに反比例するように変わっていく。まるで世界の存在感が変わっているのではなく、二つの世界における自分の立ち位置が移り変わっているかのようだ。
「あ」
 そして、変化は終わる。そこにはずっと傍らに居た同伴者も居ない。ただ枯れた木々がひび割れた大地の上にぽつぽつと立っているだけだ。既に視界は世界を一つだけ認識している。自分の存在は元々居た世界から、そこが荒れていく未来の世界へと完全にずれていた。
 生命を支えるエネルギーすら失くした大地。元の世界とは似ているようでまったく違う景色。
 その風景をただぼんやりと眺める。肌を撫でる感覚は極めてリアル。これでは本当にさっきまで認識していた世界が幻にすら感じられる。どちらが本物で、どちらが幻か。どちらも本物か、どちらも幻か。ただそんなことの推論だけが頭を巡る。
「――どうかしましたか?」
 鈴の鳴るような声が思考に割り込む。それはあの同伴者でもバギーの男女二人組でもなく、自分の胸に届くか届かないかくらいの背丈の女の子だった。前髪を水平に切り揃えられた行儀の良さそうな女の子だ。その足元で、丈夫で柔軟そうな外皮を持った黄土色のデジモンもこちらを見上げていた。
「ああ、いや……大丈夫だよ」
「そうですか。それは良かったです」
 自分でも下手だと思う誤魔化し方だが、女の子は深く追及することなく安堵の息を漏らした。それほどに自分の振る舞いは気に掛かるようなものだったらしい。確かにこんな砂の大地でぼさっと突っ立っていたら、嫌でも気に掛かるだろう。
「君こそ、こんな何も無いようなところでどうしたんだ?」
 だが、自分も女の子のことが少し気にかかった。この子こそどうしてこんな場所に居るのか疑問に思ったのもその一因だが、それ以上に単純にこの子と少し話をしたくなったのだ。
「何も無くは……なかったんです」
 質問に対して的確とは言えない返答。真面目そうなこの子がまず答えを返さずに感情的になるということは、それなりの理由があるはず。それにその言葉は自分が立てている仮説にも関わりがあるように思えた。
「それはどういう意味かな?」
「元々はここは草木が生い茂る林でした。それが二週間ほど前から急に草木が枯れ始めて、土地が痩せていったんです」
「そうだったのか……」
 それはきっと少し前まで自分が見ていた林だろう。証言まで取れれば流石に自分の仮説に対して、確証に似たものを得てしまう。ここはやはり元々自分の居た世界の未来だ。女の子には悪いが、重要な証言になった。
「それもここだけではないんです。デジタルワールド全体で同じようなことが起こっているんです。お父さんの知り合いは『デジタルワールドそのもののエネルギーがなぜか失われている』と仰っていたのを聞きました」
 二つの世界――ではなく時間の間に何か異変が起こった。「デジタルワールドそのもののエネルギーがなぜか失われている」なんて大規模な異常を起こすほどのものが、おおよそ二週間前に起きた。それがこの荒廃した未来の原因。
「つまり、君はその調査に来たってところか」
「はい。――私はその原因を突きとめて、少しでも早く元のデジタルワールドに戻したいんです」
 それを知り、この場に居るということはこの女の子の目的は一つ。その小さな背中には大き過ぎるものを背負ってしまったのだ。
 世界全体の問題ならば、尚更この子が背負うのはおかしい。この子の親は何をしているのか。話の中で出てきたその知人とやらも何をしているのか。
「君のお父さんやその知り合いの人は君がここに居ることを知っているのかい?」
 口にしたその質問は本来なら多少なりとも怒気を孕んでしまうものだっただろう。実際、そう尋ねようと考えた時はこの子の周囲の大人に対して苛立っていた。だが、口を開く直前に別の疑念が浮かび、一端怒りを収めることにした。
「……いえ、私とアルマジモンの独断です」
 女の子が俯いて口にした答えで、突発的に浮かんだ疑念は真実へと変わる。この子は自分の父親の知り合いに異変のことを話されて、ここに来させられたのではない。偶然か何かで聞いてしまい、親にも話さずに自分の意思でここに来たのだ。
「俺は君以上にここの異変について知らない。それでもここが危険なところだってことは分かる。なら、それは君だって分かってるだろう」
「はい。……分かっています」
 大きな異変が起きた真っ只中にパートナーデジモンだけを連れて調査しにいく。それが危険を孕んだことだと自覚はあっただろうし、基本的に真面目な子だからもやもやとした罪悪感を抱いていたのだろう。悔やむような口調からその気持ちは痛いほど分かった。
「それが分かっていて、なんで来たんだ?」
 それでも来ずにはいられなかった理由がこの子なりにあったのだろう。行動的な印象の少ないこの子が、周りに相談するよりも行動に移してしまうだけの理由が。
「この世界をなんとかしたいと思ったからです。私もこの世界が好きですし、アルマジモンの故郷ですから、それが危機に陥ったらなんとかしたいと思うのは自然じゃないでしょうか」
「確かにその通りだ。でも、本当にそれだけかい?」
「え?」
 彼女自身が好きな場所を守りたいと思って行動した。分かりやすく単純な、教科書通りと言っていい理由だ。だが、この子はもっと別の理由で動いているような気がした。もっと第三者の絡んだ具体的な理由があるように思えた。
「個人的な印象だが、君は単純にこの世界が好きなだけで思い切ったことをするようなタイプじゃないと思うんだ。もっと別の個人的な理由があって来たんじゃないのかな」
「あ……はい、白状します。私達自身がこの世界が好きで、なんとか助けたいと思ったのは事実です。――でも、それ以上に、この世界を見られなかった人、いつも近くで見てくれている人のためにもなんとかしたいと思ったんです」
 ここには居ない遠くの人を見るような目で女の子は本音を口にしてくれた。その内容も納得できるようなものだったが、それ以上に真意を話してくれたことが嬉しく、遠くを見るような目線にどこか既視感のようなものを覚えた。
「その人のことをもう少し教えてもらってもいいかな」
 だから、さらに深く聞きたくなった。その先にあることがとても大切なことのように思えた。
「はい。この世界を見られなかった人――それは私の祖父です。祖父はまだ『選ばれし子供』という概念すらない頃に、デジタルワールドの存在を信じていました。当時は一人を除いて誰も信じてはおらず、結局一度もデジタルワールドを見ることすらなく死んでしまいました。いつも近くで見てくれている人は祖父の友達です。大人になってもデジタルワールドの存在を信じていましたが、そこをつけ込まれて悪事に手を染めてしまいました。でも、最後は荒廃したデジタルワールドを再生するために自分の身を犠牲にしたんです。その時デジタルワールドを見守るように蝶になって飛び立ったので、デジタルワールドのどこに居ても近くで見てくれている人だとお父さんは言っていました」
 この子の語りが上手なのか、話を聞くだけで二人のことが、過ごしていた日々が目に浮かぶ。
 二人だけが信じていた世界。他の誰にも理解されず、意識を向けようとすることすら疎まれていた。だから尚更その世界の存在は大きくなり、それを共有できる同朋が居なくなった時の痛みは鋭くなった。その後、実際にその世界へと飛び立つ子供達を見たとき、残された男の心に芽生えたのは憎悪だけだった。
 自分達が正しかったのに考えることすら認めることはなかった周囲の人達。子供達よりもずっと早くに存在を知っていたのに、足を踏み入れることすら許されなかった理不尽。そして、約束を果たさずに先に死んでしまった唯一の理解者。
 本当は信じていた世界の存在が証明できたことを喜びたかったのに、いつのまにかそのすべてに対して憎悪を抱いていた。そんな精神状態は唆して悪用するには都合が良かっただろう。
 唆されて操られていたとしても、その身を犠牲にして最低限の責任を果たしたとしても、犯した罪が消えることはない。――それでもこの子はそんな罪人のためにも、世界の異変の原因を突きとめたいと言ってくれている。
「あの――どうして泣いているんですか?」
「え? あれ、なんでっ、だろう。……く」
 そう言われて、頬に手を当てて初めて伝う涙に気づく。気づいた瞬間に涙腺はあっさりと決壊する。
「うぐっ……あ……あああぁ」
 涙腺が一度緩んでしまった以上、涙はもう止められない。小さな女の子の前で大の大人がわんわん泣くなんて、なんて無様な姿だろう。だが、今だけはそんなことすらどうでもよかった。ただ、この女の子が自分の祖父とその友達のために動いてくれていることが、どうしようもなく嬉しかった。こんな自分のために動いてくれることが嬉しかった。
「――あ」
 そうか、そういうことだったのか。偶然か或いは一気に泣いたことで頭が冴えたのか。自分の思考に紛れた言葉が、自分の正体を示す言葉だと気づく。自分の正体が何なのかを理解する。
「あの、落ち着きましたか」
「ああ。――これ以上無い程に落ち着いたよ」
 既に記憶はほとんど戻っている。自分の正体に気づいたからか、先に達成されたから自分の正体に気づいたのかは分からない。卵が先か鶏が先かという奴だ。
 ただ、俺が記憶を取り戻したことで、意識は先程まで居た世界に強く引っ張られ始めている。自分の正体に気づいてしまったことを、今回の異変を起こした張本人が感づいてしまったらしい。
「最後にその人達の名前だけ聞いていいかな」
 だから、せめてこの子の口から聞いておきたかった。誰を思って行動しているのかを。自分がこの子に思われるような存在ではあったのだと誇りたかった。
「私の祖父の名前は火田浩樹。その友達の名前は――」
 自分が聞き取れたのは残念ながらここまで。意識は限界を迎え、強制的に引き戻される。
 気づけば「光の大樹」を中心に生い茂る林の中へと戻っていた。あの女の子は初めから存在していなかったかのように、今までの会話なすべて夢の中の出来事だったかのように、異様なまでにリアルな感覚が五感を刺激する。それが現在の俺に対してできる最大限の干渉なのだろう。
「得られるものは得た。――行こうか」
 足元の同伴者を拾い上げて林を抜ける。それまでの間、同伴者は一度も顔を上げず、一度も声を発しなかった。

ID.4671
 
■投稿者:パラレル 
■投稿日:2016/08/17(水) 23:05


【読み切り】 re-fly 後
 「光の大樹」を巡る旅も終わり。今、俺の目の前に最後の一本がある。一面緑の平原に悠々と存在する巨木。何度も見たからこそ分かる。最終目的地はここだということは明らかだった。
「みんな、ここまでありがとな」
「気にするな。ここまでの旅もなかなか楽しかったぜ」
「そうね。多少賑やかな旅も悪くはなかったわ」
 ここまで来たのだから、同行者達に偽らざる本心を伝える。バギーに乗せてくれた二人はそれぞれ予想通りの返答を返してくれた。その予想通りさが今は非常に嬉しい。
「あ……うん」
 だが、一番長い時間を共にした相方だけは言葉を濁した。それだけがやはりこちらにもしこりに感じてしまう。相方が居なければ何も始まらなかったというのに、これではあまりに残念だ。
「そんな顔しないでくれよ。ここまでの旅が本当に楽しかったのは、特に君のおかげなんだから」
「そっか。そうだね」
 だから、どんな気持ちを抱えていても今だけは笑っていてほしい。目的を果たした後に何が起こるのかは今は確定していないが、きっともうこうして会うことはできなくなるのだろうから。
「本当にありがとな。――じゃあ、行こう」
 唯一のしこりは消えた。身体を起こし、顔を上げ、一歩ずつ前に進む。その一歩ごとに五感が捉える情報すべてが二重になり、その相違点をより克明に感じさせる。
 ぶれる視界。痺れる触覚。環境音ですら輪唱のように収集する聴覚。大樹の目の前に立ち、それに触れればきっと完全にあちらの世界に引き込まれてしまうだろう。
「――ん」
 そう確信して踏み出した三歩目。より一際ずれが大きくなると思ったその一歩が、逆に自分をこちらの世界に引き戻す。それほどの衝撃が目の前にあった。
「あんなの居たか?」
 二人組の男の方の言葉で、自分の錯覚ではなかったと理解する。「光の大樹」を背にして立ちはだかる白い巨体は自分が数歩歩いた間に出現し、その異形さを全面に押し出している。
 例えるならそれは悪魔。骨のような白い身体に紺色の翼を纏っている。両肩には翼と同じ色の生物的な砲台が存在し、その間には赤い仮面に隠れた顔が醜悪な笑みを浮かべている。
「さっきまでは居なかったはずだ。――いや、もう存在すらしていないはずだ」
 その悪魔の名はべリアルヴァンデモン。自身の復活と選ばれし子供への復讐のために、哀れな男にとり憑き暗躍した吸血鬼。その最終形態の名だ。復讐は果たせずに打ち倒され、消滅したはずなのに、なぜかこの場に似つかわしくない巨体がそこにはあった。
「あら。心当たりあるような物言いね」
「お前らには心当たりは無いのか?」
「ん? まったくないけれど」
「ああ、そうか。気にするな。こっちの話だ」
 我ながら的外れな答えをしたものだ。かつて手足として使っていた二人とは似て非なる存在だというのに、どうにも重ねてしまう。碌なこともしてやらなかった自分にそんな資格などないというのに。
「お前だけの話とは言ってもな。――あっちは全滅狙いみたいだぜ」
 男の声で意識をべリアルヴァンデモンに向け直す。確かに奴の両肩の砲門がその大口を開いている。だらしなく涎を垂らしているのを見ると、その二つが生物的なものの意思を持っているように感じられる。今からお前らの命を喰らうのが楽しみだと言わんばかりだ。
「やべえ、逃げろ!」
 脇目もふらずにバギーへと走る。距離はさほど遠くない。すぐに乗り込み、アクセルを踏めば、逃げられるはず。
 その考えが甘かったということは薄々分かっていたつもりだ。だが、不意に右腕に感じた熱量に思わず飛び退いた際に身を持って理解させられる。
「く……」
「ああああァッ!?」
 前方数メートルで起きる爆発。炎上するバギー。退路は完全に断たれた。だが、飛び退いていなかったらバギーの代わりに自分達が炎上していただろう。
「てめぇ、俺のバギーに何しやがるッ!」
「ちょっ、馬鹿」
 本来ならここで怖気づくところなのだろう。だが、愛車を壊された事実が男の堪忍袋の緒を焼き切り、一番槍を買って出たことがこの場全員の心から恐怖を吹き飛ばした。
 べリアルヴァンデモンの腹に光線が突き刺さる。それは種族としての姿を現した男が握る銃から放たれたもの。青いコートの代わりに包帯を身体中に巻き、前方に走るその姿は包帯男。それが男の正体――マミーモンだ。
「……たく、仕方ないわねっ」
 後を追うように女も自らの正体を現す。人としての姿を放棄し、下半身は球体の腰から飛び出す六本の脚で支えている。上半身は人としての原型を留めてはいるが、それがなおさら異形としての存在感を示す。そ
れが女神に蜘蛛に変えられた娘の名と似た名――アルケニモンとしての本性だ。
「止まった瞬間を狙って。指の一本くらいは落としてよ」
 アルケニモンが左方に走りながら両手を振るう。同時にその先端から飛び出す糸がべリアルヴァンデモンの左足首に絡みつく。戦闘には疎い自分でもその狙いは分かる。
 べリアルヴァンデモンにとっては米粒が着いたようなものだろう。気がつけばそれなりに鬱陶しいが、一度気がつかなければ長い間意識は足には向かない。
「ハ……」
 今回は後者。左足にくっついた異物に気がつかなかった巨体は獲物をより近くで捉えるべく、右足を踏み出す。そこがアルケニモンの踏ん張りどころだ。
「――グく!?」
「おもっ……」
 右足がアルケニモンの張った糸に引っ掛かる。多少はよろめきはしたものの、残念ながらそのままこけるという無様な真似は晒さない。むしろ、糸とその片側を握るアルケニモンの方がその重量に耐え切れそうにない。
「ち……やっぱり性に合わないわね」
 事実、十秒も持たずに糸は切れ、アルケニモンもボールのように転がる。
「喰らいやがれっ」
 しかし、僅かな間でも確実な隙は出来た。動きの緩やかになった右足に狙いをつけて、マミーモンは走りながら愛銃オベリスクの引き金を引く。光線が何度も瞬き、執拗にその小指を突き刺す。一撃一撃はべリアルヴァンデモンにとってはたいしたことはないだろう。だが、脆いところを徹底的に攻撃すれば、相応の痛みが奴を襲うだろう。
「何だこいつ。痛くないってのかよッ」
 無傷という訳ではないだろう。もし奴があの・・べリアルヴァンデモンなら、多少なりとも怯みはしたかもしれない。あれは憑いた男の影響を受けたのか、意外と打たれ弱いところがあったように思える。だが、目の前の奴には同じことは適用できないだろう。端から見ていて分かったが、打たれ弱さ以前に精神性のようなものが一切感じられない。
 まるで機械だ。「光の大樹」に近づく者を排除するために――或いは俺がここから先に進むのを阻むために用意されたロボットか何かのようだ。
「もういい。二人とも下がれ」
 このままでは勝ち目はない。強大な相手に対して無謀ともいえる真似をするには、現実の戦力差が見えすぎている。
「これ以上は見ていられない」
 だが、それはマミーモンとアルケニモンの二人だけの話。俺がこの期に及んで冷静でいられるのは、傍らに居る最古参の存在を忘れていなかったからだ。
「だから、俺達も戦おう」
 腰を落として、目線を合わせて、言葉を口にする。相方を危険に晒す行為だということも、実際に力を振るうのはその相方だということも分かった上で、言葉にする。きっと気持ちに応えてくれると信じて。
「――ごめん。できない」
 声が出ない。自分の道を阻む障害を排除する。その手助けを拒まれるとは思ってもいなかった。――ましてや自分のパートナーデジモンが拒むなんてことは。
「おい、お前こそ何してるんだ! 下がれって言ったのはお前だろ」
 マミーモンの声は聞こえているが、その内容を理解し行動する余裕が無い。パートナーデジモンらしからぬ予想外の返答にただ困惑し、その意図を探ろうと思考が錯綜する。
 この場を乗り切るためには、数多の障害を退けてきたあの力が必要だ。それをパートナーデジモンに望むことが浅ましいとみなされたのか。それとも別の何か、今までの行動の中で信頼を失うような真似を積み重ねていたのか。
 思えば、最近の様子は明らかにおかしかった。表面上はいつもどおりの行動や表情を見せながらも、どこか遠くを見ていることも多く、口数も少なくなっていた。――何より笑うことが無くなっていた。
 「光の大樹」に関してもそうだ。巡る旅に表情を曇らせるのは、俺が苦しそうにするからそれを心配しているからだと思っていた。だが、大きな成果を手にして晴れ晴れしい気持ちを抱けた六本目ですら、その表情は暗かった。
「癪に障るが、俺の力じゃ届かねえ。限界だ。聞いてるのか!」
 これではまるで長い間一緒に「光の大樹」を巡っていた相方が、それを本当は嫌がっていたようではないか。率先して案内をしてくれていたというのにあまりに妙な話だ。
 最後の「光の大樹」への邂逅でこの世界から抜け出す。そんな俺の望みを本当はどう思っているのか。――そもそもパートナーデジモンまで何故この世界に居るのか。
「おい、お前も分かってるんだろ!」
 ああ、そうだ。その通りだ。本当は分かっていた。自分のパートナーデジモンが何を思っているのか。この世界が何なのか。あの世界に何が起こっているのか。すべての元凶は何者なのか。ただ、それを認めることができなかっただけだ。
「悪かったよ。ずっと君の気持ちを見ない振りをして」
 もう一度腰を落として、自分のパートナーデジモンと目線を合わせる。どれだけ非情な決断だとしても伝えなければいけない。あの女の子に会って、自分がどんな存在なのかを認識し、今もそうありたいと強く思ったのだ。――そのためにいつまでも叶わなかった夢に囚われている訳にはいかない。
「でも、もう止めにしないか。――ピピモン」
「――ユキオ」
 少しの言葉と名前のやり取り。それだけで二つの心は互いの思いを理解し、造られた世界は霧のように消える。




「……おわっちゃった」
 ベリアルヴァンデモンも、マミーモンも、アルケニモンも居ない。「光の大樹」も、一面に広がっていた草の一本も見当たらない。そこはあまりに現実感が失せた空間。幾何学的な図形や文様が虹色の空に浮かび、距離感を掴むことすらままならない。
 俺自身がこの世界の力を使ったことがあるからこそ分かる。ここは「思いを具現化する世界」。使いようによっては望んだ世界を造り上げることも可能な、便利な舞台装置だ。ピピモンがそれを実際にやってのけ、造られた世界の中に俺は取り込まれたというのが大まかな流れだろう。
 あくまでピピモンは模倣品を造り、一人の人間を取り込んだだけ。取り込んだのが普通の人間ならば、デジタルワールドには大きな影響は出なかっただろう。だが、俺――及川悠紀夫という人間だけは例外だ。
 なぜなら、そもそも及川悠紀夫という人間の肉体は既に死亡し、その魂は贖罪のためにデジタルワールドに捧げたのだから。魂は既にデジタルワールドというシステムに組み込まれ、デジタルワールド中にエネルギーを循環するための概念と化している。
 肉体だけなら「思いを具現化する世界」の力で造ることはできただろう。だが、その器に入れる魂はデジタルワールドの一部だ。強引に抜き出してしまえば、様々なバランスが崩れてデジタルワールドにどんな異変が起きてもおかしくはない。そして、実際にエネルギーの枯渇というかたちで影響が出ている。
 たった一体のデジモンの思いが一つの世界を模造し、一つの世界を揺るがす異変を引き起こす。それほどの思いをピピモンは俺に対して抱いていたのだ。
「ピピモン。どうしてこんなことをしたんだ」
「わかってるくせに」
「ああ。でも、君の口から聞きたいんだよ。聞かなくてはならないんだ」
 それが元凶のパートナーとしての最低限の責任。結局、一度もパートナーとして何もしてやれなかった自分への罰だ。自分の死に場所を決めたあの時の決断は今でも正しいと思っている。それでもそのために最も近かった存在が傷ついたことは認めなくてはならない。
「ずっとさみしかった。ほかのデジモンはにんげんのパートナーとはなしたり、いっしょにわらったりしてるのに、ぼくだけはそれができないことがくやしかった。それにユキオがわるいやつだから、そんなやつがパートナーデジモンといっしょにいれないってこともさんざんいわれた」
「うん……うん」
「ユキオのいいところをいっても、しんじてくれないし、はんざいしゃのパートナーデジモンのことばをきいたらはんざいしゃになる、なんてむちゃくちゃなこともいわれた。それでも、ユキオがみてるとおもって、ずっとがんばったんだ」
「うん……知ってる。ずっと見ていたからよく知ってる」
 人間としての体を失って、概念としてデジタルワールド全体を見れるようになってから、ピピモンの姿を知覚しなかった時は一瞬たりともない。だが、体を持たない自分には、抱えている苦しみを理解しながらも慰めることはできず、積み重ねた努力を知りながらも褒めてやることすらできなかった。それこそが罰だと納得しようとしていた。だが、同じ罪を背負っていないピピモンにまでその罰を与えてしまうことになるとは考えすらしなかった。本当にパートナー失格だ。
「いいデジモンになろうともしたよ。そうすればユキオのこともわるくいわないようになるとおもったんだ。ほんとうにがんばったんだ。いっしょうけんめい。がんばって、がんばって、がんばって………………もう死ぬんだ」
 そこでやっと、ピピモンの後ろに何かが倒れていることに気づく。それは人間としての器に収まる自分では全容を把握できないほどに巨大なデジモン。これが一生懸命頑張った果てのピピモンの本当の姿。だが、横たわるその身体には生命力はもうほとんど感じられない。
「最期に走馬灯が見えたんだ。ユキオを初めて見た日。ユキオが蝶になった日。ユキオと会えなくなってからの日々。それで理解しちゃったんだ。――ユキオがこの空のどこかにいる。見守ってくれている。そう思っていてもやっぱり辛かったんだってことを」
 だから、最期に望んだのだろう。もう一度だけでいいからパートナーに会いたい。そして、叶うのならばパートナーとしてともに冒険の日々を過ごしたいと。その願いを「思いを具現化する世界」がかたちにしてしまった。
「そうだよな。だって、俺のパートナーデジモンだしな」
 同じような思いを抱き、同じようなことをしでかす辺り、本当にピピモンは俺の半身パートナーだ。当たり前の感情から、途方もなく大きな罪を犯す。原因が悪でなくとも、結果は悪となる。同じ穴の狢とはよく言ったものだ。
「でも、もう終わりだ。俺はデジタルワールドに戻るよ。君もまた生まれ変わる。それで万事解決だ」
 だから、同じ道を進んだ先人として正さなくてはならない。修正した道でしか、俺は俺の望みと役割を果たすことが出来ないのだ。これ以上、囚われているわけにはいかない。
「あの世界で生きたいと思わないの? このままユキオはまた居なくなっていいの? ここまでユキオは楽しくなかったの?」
 答えは決まっていても、それを言われると正直辛い。俺だってあの世界での日々が嫌だったなんてことはありえない。造られた世界だとしても、足を踏み入れることのなかった世界を旅するのはとても楽しかった。そこでピピモンと同じ時間を過ごすことができたのがどれほど尊いものだったのかも理解している。
「ああ、楽しかったよ。嬉しかったよ。――でも、もう十分だ」
 でも、これ以上我儘は通してやれない。これ以上ピピモンの罪を重くすることはできない。それでも一時でも夢を見させてくれたことには感謝をしている。
「そうか。そうなんだ。――だったら、いいかな」
「ああ、もういいんだ」
 これですべては終わった。いずれ俺は仮初めの肉体を失くし、閉じ込められていた魂はデジタルワールドへと還る。ピピモンの魂も転生のために一緒に連れていくことになるだろう。
 辿り着く先は同じデジタルワールド。だが、そこから先はまた別々の道。残念ながら、それが俺達への罰ということなのだろう。
「でも、やっぱりユキオと一緒に居たい」
「ピピモン、だから……」
 それを認められないのかと言いそうになったが、ピピモンの眼差しがその言葉を遮る。俺が考えていることとは別のことを口にしようとしていたのだ。
「ううん。またあの世界に逃げるんじゃない。――蝶になるんだ。ユキオと同じ、蝶に」
 それが何を意味するのかは俺が一番よく知っている。ピピモンは自分と同じ概念的な存在になって、デジタルワールドというシステムの一部になると言っているのだ。それは魂を永久に近い時間縛られることに他ならない。傍観者として見守るだけの存在に固定させられるのだ。
「何を言っているのか分かってるんだな」
「うん。分かっているつもり」
「デジタルワールドに生命として存在できなくなる。デジタルワールドを外側から眺めるだけの存在になるんだ」
「うん。分かってる。――でも、ユキオと二人なら何も問題ないよ」
 そこまで言われたら、もう諦めさせる気力すら出ない。むしろそこまでしてでも、一緒に居てくれることを望んでいてくれることが嬉しい。自分の中にもそれを望む気持ちがあることも自覚してしまった。
 たとえデジタルワールドに危機を招いた元凶であっても、ピピモンがパートナーデジモンで本当に良かったと思う。それほどにピピモンの思いは痛いほどに伝わっていた。
「俺も君の気持ちがよく分かったよ。だったら、もう認めるしかないな」
 答えは出た。無様な終わり方だと思う者が居ても文句は言えない。だが、俺とピピモンの望みが重なるかたちの最高の決断だ。
「よし。いくぞ、ピピモン」
「うん」
 ピピモンに手を当てて、同じことを世界に願う。「思いを具現化する」力を世界から引き出す。
 すぐに変化は訪れる。俺の仮初めの肉体も、生命活動の終わるピピモンの肉体も光の粒子となって消えていく。認識していたピピモンの魂も、肉体の内にあった俺の魂も光に包まれ、その姿を変えていく。
 光が象るのは無数の蝶。生物ではなく、現象として存在するそれが俺とピピモンがデジタルワールドを認識するためのこれからの端末。じきに及川悠紀夫という人間も、ピピモンというデジモンも消える。だが、世界を超えて本物のデジタルワールドを救う奇跡となるのなら、それで十分だ。それが俺がずっとその存在を信じ、パートナーデジモンとともに居たいと思った世界なのだから。




 何もない空を飛び回る 見る景色が違って見える 
 時を超え 愛を知り 新世界New World
 

ID.4672
 
■投稿者:パラレル 
■投稿日:2016/08/17(水) 23:17


あとがき
8/1に合わせて書いてて若干遅れるだろうな程度に思ってたら、もうお盆明けましたよ。ナンテコッタ。だが、私は謝らない。

というわけで、今回の短編は選ばれなかった大人代表の及川さんの話でした。とは言っても、及川さんの設定に関しては自分の妄想がかなり入ってますけど。
タイトルはラストに歌詞を拝借した通り、和田光司さんの「re-fly」から。正直最初はタイトルありきで内容を考えたのですが、作っているうちにこんなのに名前借りていいのかとか考えたりしました。なんか便乗するみたいで、自己嫌悪みたいな。