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ID.4973
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2018/04/24(火) 19:21
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木乃伊は甘い珈琲がお好き 4-1
         
 最後に警察署の建物の前に立ったのは随分前のような気がした。頭で数えてみると、前に遠野老人殺害の目撃者として訪れてから二日も経っていなかった。しかし時間の問題ではないのだ。二日前の僕はあちこちの角に伊藤やその仲間が潜んで自分達を疑う探偵を消そうとしていないか気を配っていなかったし、バッグの中に変態の魔導師を封じ込めた文庫本を放り込んでもいなかった。変わらないのはそれがあの時と同じく夜だということだけだ。
受付の女性職員は前に来た時と同じ人で、その事務的な愛想の良さが僕の正気を証明してくれた。金沢警部の名前を出すと彼女はにっこりと微笑んだ。
「六階の刑事一課にいらっしゃると思うわ。この証明書を胸につけて」

──俺もつけた方がいいかな、それ。

 背後でマミーモンが発した言葉に、余計なことを言ってないで周囲に気を配れという意を込めて僕は舌打ちをした。受付の女性が怪訝そうな目をこちらに向けたので、慌ててエレベーターに駆け込む。分厚い扉が閉まると僕は息をついて非難がましく声を上げた。

「マミーモン! 僕が人と話してる時に口を挟むなって言ってるだろ」

──なんだ、今更世間体なんか気にしてるのか?

「そりゃあ、気にするさ」僕は唇を尖らせる。

──気にするだけ無駄だろ。ほら、お前の好きな探偵だっていっつも一人でぶつぶつ喋ってるじゃねえか。

「マーロウ? アーチャー?」

──心当たりが沢山あるんじゃねえか。

「ハードボイルドの探偵なんて、そんなもんだよ。みんな意味もなく一人でべらべら喋るんだ」

──そいつらにも実はデジタル・モンスターが憑いてたのかもな。一人で喋ってるように見えるだけで、そいつらと会話してたんだよ。

 僕は肩をすくめた。
「それならお前も精々僕の一人芝居の相手をしてくれ。ただし、警察ではナシだ。目をつけられたくない」

──はいはい。

 マミーモンの気のない返事に続けて、エレベーターが開く。この世の中にキューブリックの映画より退屈なものがあるとしたら、それはこの廊下だろう。灰色の壁に貼られた指名手配犯達の写真、彼らそれぞれが多くの人の命をその手で奪ったという事実が、この廊下で唯一のユーモアだった。

「お前とキャパブランカ」僕は呟いた。

──何か言ったか?

 僕は首を振る。なるほど、見えないモンスターと会話していたと考えれば、マーロウが鏡相手にあんなことを言ったのも納得がいく。きっとそいつは無類のチェス好きで、洒落た、ムカつくやつだったのだろう。

*****

「部下を現場に確認に行かせた。君の言う通りだったよ」
 先程の廊下に負けじと退屈な灰色の部屋で、金沢警部がため息をついた。彼の向かいで僕は余裕ぶって足を組もうかとも思ったが、変に彼を苛立たせたくはなかったのでやめた。探偵的な振る舞いが時に人を不快にすることは、僕が今までの短い人生の中で身体を張って正しいと認めた鉄より硬い経験則だ。
「もう一度聞かせてくれ、店のどこであの写真を見つけたって?」
「床下です。妙にがたついてたんで、変だと思って調べてみたんですよ」
 そう言う僕を金沢警部は探るように見つめてくる。その視線を僕は余裕そのものの態度で受けた。僕の証言と古書店の様子に矛盾がないか確認しているのだろうが、細工は入念にやっている。あの床下に元々は何もなかったことを警察が知っているかどうかが唯一の気がかりだったが、

──油断するなよ。

 分かっている。物事が見え過ぎるくらいに見えるのは危険な兆候だ。そう言ったのは、確かクラリス・スターリングだったろうか。警部は僕には想像もつかないほどの数の嘘吐きを相手にしているのだ。
しかしそれでも、ここは攻めるべきだ。
「遠野さんを殴った犯人は見つかりそうですか?」
 警部は深くため息をついた。それは疲労のためのものというより、安堵のため息に聞こえた。
「これはここだけの話なんだが、検視の結果が出てね、遠野さんの死因だよ」
 僕は目を細める。警部は全てを見透かすような目で僕達を見た。その時僕は、そう思ったのだ。彼は僕ではなく“僕達”を見ていると。
「窒息死だった」

──思った通りだな。殴られて死んだんじゃない。

 お前の言う通りだ、マミーモン。でも、そう思ってることを警部に知られるわけにはいかないんだよ。

「何故それを僕に話すんですか?」
「いや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
「意味もなく捜査の内容を漏らすわけがないでしょう。僕の何を見たいんです?」
「本当になんでもないんだ。ただ…」
「ただ?」
 食い下がる僕を彼は真っ直ぐに見据えた。

「君はさっき、犯人のことを『遠野さんを殴った男』と言ったろう。『殺した男』じゃなくてだ。ひょっとして、遠野さんの死因が頭の傷じゃないことを知っているんじゃないかなと思ってね」

──早苗、落ち着けよ。ハッタリだ。

 警部の言葉に背中にひやりとした感触が走るのとほぼ同時に、マミーモンが耳元で囁いた。おかげで僕は表情を取り繕うだけの余裕を保つことができたが、一瞬間の表情の変化は相手に読まれたかもしれない。

「そういうことを考えていなかったといえば、嘘になります」
 僕は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「警部さんも見たでしょう? 遠野さんは救急車で運ばれる時も元気そうだった。だから、頭の傷のせいで死んだと言われた時、信じられなかったんですよ」
「まあ、確かにね」
 肩をすくめる警部に、僕は怒りの目を向ける。
「何が言いたいんです? 今日、僕は警察に協力しに自分の意思で来てるんです。そんな態度を問われるいわれはない筈だ」
「悪かったよ、でも」
 警部は遠野老人のエロ写真集をパラパラとめくる。
「これらの写真、そしてあの鍵、君が見つけたものはこれで全部かな?」
「僕が証拠を勝手に持ち去ったとでもいうんですか?」僕は机を叩いた。 

──おい、落ち着け。これじゃ相手の思う壺だ。

 マミーモンの言う通り、嘘を怒りで誤魔化すのはあまりうまい手段とは言えない。でも、構うもんか。
「そうは言ってないさ。でも、ここには自分が警察よりも賢いと思ってる連中が沢山来るんでね。それに、君は青少年だ。こういう写真には興味があるだろう──」
 僕は立ち上がった。
「帰ります。止めることはできないですよね」
「ああ。夜も遅い、家まで送らせようか?」
「結構です」その手には乗りませんからね。
「それじゃあ、気をつけて帰るように。…結局は私の言う通りになったろう?」
 ドアの前に立った僕は、彼の言葉に振り返った。
「なんの話です?」
「古書店の前で君に言ったろう。警察は悪役だ。君は私達への感謝と信頼を後悔することになるとね」
「その通りだ。警部さんも、あまり警察を信じない方がいいですよ」

──いい加減にしろ。もう十分だ。

 犯人はあなたの部下なんですから。そう言いかけた僕をマミーモンが止めた。僕はなんとか口をつぐみ、外に出ると荒々しく部屋のドアを閉めた。

 そこに伊藤が立っていた。ニキビ面に嘘っぽい笑みを浮かべ、気安く話しかけて来る。

「やあ、最近よく会うね」
「ええ、まったくです。あの証拠、知ってて僕に見つけさせたんですか?」
 口調に怒りがこもる。相手の罠かもと覚悟して古書店に向かったとはいえ、この男に踊らされたとなっては心穏やかではいられなかった。
「まさか、勘が当たっただけさ。まさか床下とはね。床下ねえ」
「言いたいことがあるならはっきり…」
 声を荒げる僕を伊藤は鋭い目で見据えた。
「嘘だね。それも下手な嘘だ。床板ががたついてただって? 俺たちもそれに気づかないほど馬鹿じゃない。それに、仮にそれが本当だったとしてだ。古本を譲ってもらいに行っただけの 君が、どうしてそんなものを見つけられるんだ?」
「偶々です。ありえない話ではない筈だ。それに、伊藤さんが自分で思うよりも警察は無能かもしれませんよ?」
 伊藤はけらけらと笑う。
「偶々、か。その脚本は下書きからやり直した方がいいな。君がどう言おうと、君の探偵ごっこは見え見えだ」

 探偵“ごっこ”だって?

 僕は伊藤に詰め寄る。こいつが犯人であることは間違いない。こいつが遠野老人にしたように、夜道でこいつを殺すのも悪くない。だって僕には、マミーモンにはそれができるのだから。

「そう怒らないでくれ。俺に止める気は無いよ、君が証拠を見つけたのは確かだしね。でも、警部はどうだろう?」
「疑うなら勝手にすればいいです。僕も、勝手に疑いますよ」
 伊藤の笑い声を背に、僕は早足で歩き出した。

*****

──早苗、おい、早苗!

「なんだよ!」
 警察署の前の通りで、僕は人目も憚らずに声を上げた。僕が署にいた二時間ほどの間に、街は秋の夜の冷たい風で満たされていた。

──なんだよ、じゃねえ! なんなんださっきのは。俺が何度も何度も落ち着くように呼びかけたのに、聞いちゃいねえんだな。

「話しかけるなって言ったろ」

──そうか。俺が黙ってお前一人にやらせとけば、もっとマシだったか? おまえ、すっかり相手の手玉に取られてたじゃねえか。情けねえ。

「余計なお世話だ」

──余計なお世話? お前、これからも俺の世話になる気だろ。俺を使って伊藤を殺そうとか、少しでも考えなかったか?

 図星だ。
「そんなこと、考えてないね」

──嘘が下手だよな。言っておくけど、俺はそんなことにいいように使われないからな。俺を利用してみっともない復讐をしようなんて…

「黙ってくれ」

──悪いけどさ、俺はお前の好きな時に口を開いたり閉じたりできる便利な機械じゃないんだ。

「じゃあ消えろ。一人にしてくれ。しつこいんだよ」

 しばしの沈黙の後、僕の背後から気配が消えた。振り返りたいという思いを抑え、まっすぐに早足で歩く。

 伊藤の「探偵ごっこ」と言う言葉が頭の中でこだました。秋の夜の冷たい空気が体を斬りつける。

 ウィリアム・アイリッシュ曰く、夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

 そんな引用はクソ喰らえだ。僕は地面を蹴飛ばす。頭の中に渦巻く小洒落た引用句がかつてないほどに鬱陶しく思えた。いつもそれをかき消す背後の声も、今はもういなかった。

*****

 予め訪れることを告げておいた為に、閉店の時間を過ぎても〈ダネイ・アンド・リー〉には明かりが灯っていた。closedの札を無視し扉を開ける。
「いらっしゃい、警察はどうだった?」
「どうだったって聞かれてもなあ。ディズニーランドじゃないんですよ? 散々でした」
 マスターが明るい声をかけてくる、それだけで幾分心が安らいだ。皮肉を言う元気も戻ってきたみたいだ。彼は魔法瓶を取り出す。珈琲を淹れておいてくれたらしい。
「ブラックでいいかな? 相棒の木乃伊くんは?」
「僕はブラックで。…マミーモンはいません」
 マスターはしばし目を細めて僕を見ていたが、やがて黙って頷いた。
「何があったかは知らないけど、そういう時は甘い物が良い。ウィンナーコーヒーなんかどうかな?」
「…お願いします」
 僕は軽く首を縦に振った。こういう時に余計な詮索をしないのも彼の良いところだ。

 目の前に白い生クリームがのせられた珈琲が置かれる。スプーンでそれをかき回し、一口すすった。甘くて温かい液体が、まるでそれが僕の血管に流れる液体そのものであるかのように自然に身体に染み込んでいく。

「マスター、お願いしたこと、やってくれましたか?」

 彼は頷くと、一枚の紙と鍵をカウンターに置いた。紙の方は遠野老人のアルバムの中で一番最後にとられた幼い女の子の裸体の写真、鍵の方はワイズモンが遠野老人から預かっていたという鍵、いくつものエロ写真が撮られおそらくは現在坂本が潜んでいると思われる家の合鍵だ。警察に持っていく前に、マスターの友人がやっている商店街の鍵屋で作ってもらったのだ。
「大急ぎで作ってもらった。なんの鍵かとも聞かれたけど、黙っていたら秘密の用だと察してくれたよ。あいつなら警察にも口を割らないだろう。まあなんにせよ、鍵屋の名前が警察にバレないよう慎重に扱ってくれ。ついでに私の名前もね」
 僕は頷く。警察に提出する証拠をコピーしてくれというのは、共犯者になれということに等しい。無茶な願いだったが、マスターは快く引き受けてくれた。これで僕は警察とは別に坂本の居場所──少なくとも僕がそう考えている場所──に入る方法を手に入れたことになる。
 もっとも、問題が一つあった。

「それで、その鍵のはまる家をどうやって探すんだい?」
「…それなんですよね」

 僕はうなだれた。この街の鍵穴全てにこの鍵を差し込んでみるか。無茶な、そもそも目当ての家が市内にあるという確証も何もないのだ。
「鍵のタイプからある程度は絞れるって鍵屋のやつは言ってたけど、気休めにもならんよな」
 僕は頷いた。
「坂本や遠野さんの行動から洗い出すしかないでしょうね。あと、この写真とか」
 僕は件の写真のコピーを指でくるくると弄ぶ。
「おい、気をつけるんだよ。その写真を警察に見つかるだけでも一発でパクられる。提出すべき証拠から抜き取ったって事がバレたら重罪だ」
 呆れたように声をかけるマスターに僕は軽く頷き、写真を裏向きに机に置いた。見えない警察の目を恐れたわけではなかったが、望まぬ形でその身体を晒されている少女に申し訳ない気がしたのだ。
「万一の時は大丈夫ですよ。全部僕が一人でやったことにしますから」
「そういう問題じゃないさ。…しかし、その写真を遠野さんがねえ。あの人とは長い付き合いだが、そんなことをする人だとは思わなかったよ。誰にでも裏の顔はあるってわけだ」
「誰にでも裏の顔がある」伊藤や金沢警部の顔を思い浮かべながら僕はマスターの言葉を復唱する。それから一呼吸おいて、復唱すべき箇所はそこではないと気づいた。

「マスター、遠野さんとは長い付き合いだったんですか?」
 彼は頷く。
「そこまで親しくはなかったけれどね。あの人の店は商店街の古株だし、私もここで育った。顔は互いによく見知っていたよ」
 僕は彼の言葉を咀嚼するように何度も首をひねった。
「マスター。今から十年前、いや、十五年前かな、そのくらいの頃の遠野さんのことを聞いていいですか?」
「なんだってそんな…」
「理由はいいんです」
「私はその頃まだこの店を始める前で、東京で会社勤めをしていたんだ。盆や正月の時しか帰省していなかったから、あまり詳しくは話せないよ」
 僕の予想が正しければ、これは大きな手がかりになる。
「その頃、遠野さんの店によく遊びに来ていた子どもたちが居ませんでしたか? 多分三人組で、男二人に女一人」
 僕の予想に反して、マスターはすぐに頷いた。
「いたよ。この近所の子ども達みたいでね。遠野さんも面倒見が良かったから、店にある絵本なんかを読んであげたり、駄菓子屋に連れて行ってあげたりしていた」
「よく覚えてますね」
「実は当時から商店街に店を出したいと思っていてね。暇さえあればこの辺りをうろついて、あちこち見てたのさ」マスターは少し恥ずかしそうにはにかむ。
「遠野さんと子ども達が行っていたのは駄菓子屋だけですか? 他には?」
「あちこち行っていたし、話も聞いたよ。でも正確には…」
 僕はマスターから受け継いだ肩掛け鞄からこの付近を記した地図を取り出した。かつてのマスターはこの地図の中で様々な事件を夢想したのだろう。今ではもうない店の名前も多く載っていたが、当時のことを鮮明に思い出してもらうにはその方が好都合だ。
「彼らが行っていた場所の範囲を、この地図に書き込んでもらえませんか? 分かる範囲で構いませんが、なるべく細かい記憶までさらってくれると助かります」
「なあ、どうして…」
「いいから!」
 有無を言わせぬ僕の口調にマスターが鉛筆を片手に地図に向かい合ったのを見て、僕は席を立ち、カフェの本棚の方に行った。そこには古い漫画雑誌や週刊誌が並んでいる。その殆どが客が勝手に持ち込んだものだ。マスターの目指すカフェの雰囲気とはおよそかけ離れていたが、彼もとうに諦めていて、この一角には手も触れようとしない。
 僕はそこに鞄から取り出した「終着駅殺人事件」を忍ばせた。十津川警部シリーズの中でも人気の高いエピソードで、ドラマ化も数度されている。その色褪せた文庫本の背表紙は本棚の雰囲気にぴったりと合った。これを見ればマスターも十津川警部を放り出してジョン・グリシャムの小説を置けとは言えないだろう。完成された本棚というのは、何者にも侵すことのできない一つの生命であり、尊厳なのだ。
 もっとも、この小説に限って言えば、比喩的表現を抜きにしても本当に一個の生命体を抱え込んでいる。それを主張するかのように本の背表紙が震えた。あの甲高い声が小さく聞こえる。
「ワタクシをこんなところに置いて、どうするつもりです?」
「ワイズモン、君はここに居て、マスターを守ってくれ」
「守るといっても、何からですか?」
「マスターに危害を加える全てのやつと、あと警察がマスターを捕まえようとした時だ。ここにある雑誌はどれも廃品回収でも二の足を踏むような奴だから、好きに放り投げていいぞ。昨日僕にそうしたみたいに、頭めがけて本をぶつけるんだ。いいか、角を使え」
 抗議するように本棚が震える。
「それじゃあなんです? ワタクシはここで留守番? 置いてけぼりってことですか?」
「ちゃんと外に気を配ってさえくれれば、後は好きにしていいよ。その…なんだ、神秘の探求をしていればいい」
本棚が逡巡するように沈黙した。
「…ここ、居心地いいですか?」
「かなりね」十津川警部が雑誌にコーヒーをこぼすのが趣味の老人のお気に入りとならない限りは。
 その時、背後でマスターの声がした。ワイズモンを本棚に取り残し、僕は慌ててカウンターに戻った。

 彼の前には、商店街周辺の一帯をペンで囲んだ地図があった。
「かなり曖昧な記憶だけど、思いつく限りは書けたと思う」
「ありがとうございます」僕は改めて地図を覗き込む。マスターの記した範囲は狭いとは言えなかったが、その分布には偏りがある。鰆町商店街や大通りのある一帯からちょうど南東の方角だ。遠野老人と三人の子どもたちのお気に入りの場所、捜査の方針になるはずだ。
「なあ、教えてくれよ。これはなんなんだ? その三人の子どもと今回の事件、何か関係があるのか?」
 焦ったそうに尋ねるマスターに、僕は頷いた。
「その三人の子どもは、坂本とその奥さん、そして遠野さん殺害事件を担当している伊藤巡査なんです。勿論、ただの偶然かもしれませんが…」
「いつだって探偵は、ただの偶然に見える事象から謎を解くんだ。そうだろ?」
 そう言うとマスターはくつくつと笑った。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもないよ。ただ、君が私の思っていたよりもずっと立派に探偵の仕事をこなしているからさ」
 僕は面食らった。「そう、ですかね?」
「ああ、探偵ってものは事件の渦に飛び込むのがとにかく上手なのさ。その渦、狂った渦は誰の近くにもある。でも大抵の人にはそんなものに気づかないし、気づいたところでそんな危なっかしいものに近づこうなんて考えない。ところがそこに自分から飛び込んで行く物好きな馬鹿がいる」
「それが、探偵ですか」
「気にしなくて良いよ。昔探偵を目指していたオジサンの持論だ。ただね」
 マスターは僅かに言葉を切り、真剣な顔になる。
「その渦の中は危険な場所だ。物語の中の探偵ならまだしも、普通の人間なら粉々になってしまう。君は、とても危ない橋を渡っているんだよ」
「…犯人が僕を消そうとすると?」
「犯人とは限らない。君は頭の回転が結構早いみたいだから、遠野さんと坂本が二人だけであの仕事をしていたとは思わないだろう?」
「裏に、組織めいた連中がいるでしょうね」
「そうだ。君はこの鍵で入れる家を、遠野さんと坂本の両方の思い出の場所だと推理したみたいだけど、その組織が提供した場所だということも十分に考えられる。そうしたら、その場所を探すことはより困難に、より危険になるだろうね」
僕は頷く。今頃は留置所にいるであろうサッカー部の鹿島があれほど怯えていたもの、それはおそらく一人の人物ではない。集団だ。そして遠野古書店は、その末端に過ぎないということだろう。
「その組織が、鹿島を手なづけていたということは…」
マスターが頷く。
「奴等は学校にパイプがある。大方、不良の少年少女を多く抱え込んでいるんだろう。遠野さんのアルバムの中にあったという君の学校の女子生徒の写真を手に入れる為の窓口はおそらくそこだろうね」
そしてその生徒の中には、デジタル・モンスターを連れた“狐憑き”がいるかもしれない。鹿島とサイバードラモンに坂本を殺させようとしたということは、彼等もデジタル・モンスターの存在を把握して、意識的に使っているということだ。
「確かに、危険だ」
「だろう? 君一人で飛び込んでいける場所じゃないよ」
 その言葉でぴんときた。
「これってひょっとしてカウンセリングですか? それとも仲直りの指南?」
 マスターはにやりと笑う。
「そんなんじゃないよ。単なるお節介さ。私は素敵なコンビが出てくる探偵小説が特に好きなんだ」
「シャーロック・ホームズとジョン・ワトソン」僕は呟く。
「エルキュール・ポワロとヘイスティングス」
「ネロ・ウルフとアーチー・グッドウィン」
「そして君達だ。とにかく今日は帰って休みたまえ。明日になったらマミーモンと話をするといい」
 僕は黙って頷き、すっかり冷めたウィンナー・コーヒーを飲み干した。甘い珈琲も、悪くないものだ。そう思った。


スレッド記事表示 No.4973 木乃伊は甘い珈琲がお好き 4-1マダラマゼラン一号2018/04/24(火) 19:21
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       No.4980 他の誰のものでもない彼らだけの推理物パラレル2018/04/29(日) 18:55
       No.4991 いつの間にか、甘い珈琲は飲めなくなっていましたtonakai2018/05/05(土) 17:40
       No.4992 感想ありがとうございます!マダラマゼラン一号2018/05/22(火) 00:50