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ID.4892
 
■投稿者:パラレル 
■投稿日:2018/02/18(日) 21:46
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X-Traveler Episode.1
         


Episode.1 "first travel"




 お前のせいだ。
 首を絞められる痛みと呼吸を阻害される苦しみの中でもその言葉だけはよく聞こえた。おかげで肉体の痛みよりも心の痛みの方が深く刻まれる。
 理由は簡単だ。首を絞めているのも心ない言葉をぶつけているのも実の父親だったから。初めて見せたその本性は密かに憧れていた姿とはあまりにかけ離れていた。
 裏切られた。胸中にあるのはその哀しみだけ。知らなければ幸福なままで居られただろう。ならばこの痛みは確かに自業自得なのかもしれない。
 意識が薄れていく感覚で、自分がここに居られる時間は短いのだと理解する。叶うのなら随分昔に父親がくれた言葉を体現したかった。その言葉が虚構から出たものでも、その言葉が素敵だと自分自身が思ったのは真実だから。だが、ここではどうあがいても無理そうだ。
 感覚が閉ざされる。意識が完全に消える直前に何か奇妙なものを見た気がした。




「ああ、またか」
 快さからかけ離れた目覚めに弟切オトギリワタルはうんざりしていた。ここ数日で見る夢はいつも同じ。虚構の欠片もない、六年前に起こった些細な事件の再現映像だ。既に風化したものと思っていたが想定以上に根深いものだったらしい。せめて夢の中でくらい幸せなイフを見ても良いだろうに。
「渡、遅刻するぞ」
「すぐ降りるよ、じいちゃん」
 これ以上辛気くさい夢に思考を巡らすのも馬鹿らしい。一度大きく伸びをした後、布団の温もりから脱出。できるだけ祖父母を待たせないようにそそくさと着替えはじめた。
 悪夢すらいつもと変わらない日々。だが明日からはその悪夢を見ることがなくなることをこのときの渡は想像もしていなかった。




 八塚町。地方都市として栄える隣県の主要駅から二駅ほどに位置する郊外の町で、交通の便が良いことから人口が増加傾向にある典型的なベッドタウンだ。その変化を最も分かりやすく示しているのは小中学校の生徒数だろう。少子高齢化に逆行するかのように年々増えており、渡が通っていた小学校にはクラスの数が当時の倍近くに増えている学年もある。最寄り駅周辺にはモールもあるから田舎というには建物がありすぎて、電車で二駅揺られた先に本物があるため都市と名乗ることはできない。そんなどっちつかずの町を渡はわりと気に入っていた。
 県立八塚高校に進学したのも六年前から住んでいるこの町から離れるだけの理由が無かったから。消極的な理由で選んだ進学先でも青春の一ページを飾る舞台として特に文句はない。中学からの付き合いにプラスアルファするかたちで友人にも恵まれている。
「頼むから剣道部に戻ってくれよ。鶴見ツルミが急に辞めたから、本当に新人戦やばいんだって」
 昼食の最中で突然土下座して頼み込んできた大久保オオクボ寛治カンジもその一人だ。
「最初の三か月しか居なかった奴が今さらどんなツラで道場に行けって言うんだ」
「大丈夫だって。中学の頃から良い筋してたし、一か月みっちりやれば何とかなるって」
「ごめんな。こっちもじいちゃん達に迷惑は掛けたくないんだ。竹刀の手入れくらいは手伝ってやるから勘弁してくれ。何なら道場の雑巾がけもつける」
 かつて部活でともに汗を流した寛治もいい奴だと知っているから、その懇願を拒むのは本当に心苦しい。寛治がどれだけ部活に真摯に取り組んでいるかは中学での姿から容易に想像できる。渡自身も部活で助けられたことがあったからその分は何かしてやりたいと思っている。それでも部活に戻ることは寛治への恩返しに繋がらないだろう。きっと失望させることになるだろうから恩返しにはならない。ならもっと別のことがいい。
「お前の爺さんって確か核シェルター買ったって聞いたぞ。話せば金銭面は何とかしてくれるって」
「どこのソースだよそれ。渡のお爺さんを何だと思ってるんだお前は」
「いやあるにはあるけど、そういう問題じゃないって」
「あるんかい」
 方便から流れた祖父の話題で会話の空気が緩む。渡としてはただ事実を言っただけなのだが、意外とウケは良かったらしい。ここで「パスワードも知っているから休みの日に籠城しようぜ」とでも言えばまたウケるだろうか。物は試しと口を開く渡だったがその冗談が飛び出すことは無かった。
「お爺さんといい親父さんといい、渡の家は本当に妙な家系だな」
 その瞬間、場の空気が凍った。それで発言者は自分がこの場限定の失言をしてしまったことを理解する。渡の父親のことを話すのがタブーであることはこのクラス、いや下手をすればこの高校全体での暗黙の了解だった。犯罪者の息子を悪人扱いしないようにと気遣うその状況を誰が作ってくれたのかは分からないが、自分へのいじめという二次被害の発生を防いだこと自体には感謝していた。
「あ……ごめん。今のは無しだ。悪かった」
「気にするな。家族がアレなのは俺が一番分かってるから」
 ただ自分が原因のタブーで雰囲気が悪いままになるのは罪悪感に似た感情が生まれてしまうのでよろしくない。だから、せめて自分は過去を受け入れたというアピールをしておく。毎朝の悪夢のことを口にするなんてもっての外だ。
「眉唾物の話なら身内が関係ないものにしようぜ。ほら、『紫髪の吸血姫』とか『一園ビルの浮遊霊』とか、『異界への通行証』とか」
「都市伝説かよ。飯時にする話なのかそれは」
「逞しい日本男子がそんなこと気にすんなって」
 寛治が気を遣って変えた話題は確かに飯時には相応しくない。だが、このまま場の空気が悪いままでいるよりかは幾分ましだろう。
「オカルトや都市伝説だって意外と馬鹿にできないかもよ。最近頻発している行方不明事件にどれか一つは絡んでいると俺は睨んでいるね」
 例えば「紫髪の吸血姫」が夜に紛れて人を狩っているとか。例えば「一園ビルの浮遊霊」が魂を連れ去っているとか。例えば「異界への通行証」を手にした人々がそのまま異界に行ったきり帰ってこられなくなったとか。確かに都市伝説が事実だと仮定すれば、行方不明事件の原因にするのは無理がないものばかりだ。
「特に『異界への通行証』は通行証をばらまいている売人の噂もある。こいつは裏に何か秘密結社的な存在が絡んでるかもしれない」
「それはないな」
 だが都市伝説をどれだけ考察したところで推測はどこまでいっても推測だ。寛治のように突飛な方向に考えてしまう段階で信用性も低い。
「そもそも都市伝説なんて、行方不明事件が頻発してるからそれっぽいのでっち上げたんじゃねえの」
「うぐ」
「理由の分からない事象をオカルトで説明するなんて先人が腐るほどやってるって」
「ぐふ」
 事実に沿うように都市伝説を作れば原因として無理がないように見えるのは当然。因果を逆転しても辻褄が合うのは少し上手く行きすぎているというものだ。
「寛治はひとまず新人戦という目の前の現実を見ろよ」
「いやそこまで言わなくてもいいだろ。俺なりに気を使ったんだぞ」
「話題が悪い。つまりお前が悪い」
「はいはい、悪うござんした」
 結局この話題は納得のいく正解は出ずになあなあで打ちきり。しかしこういう益体の無い会話をしている時間が渡は一番好きだったりする。余計なことを考えず、何も気負うことはない。楽で楽しい居心地の良いこの時間が長く続けば良いと思っていた。
「――お前らそろそろ席に着け。昼飯の時間は終わりだ」
「げ、白田シロタ先生だ。なんで今日に限って真面目なんだあのおっさんは」
「そこ、聞こえてるぞ。先生はいつも真面目人間だ」
 しかし、そういう楽しい時間は得てして短く感じるもの。話に夢中であまり手を付けられていなかった昼食を腹に流し込んで次の授業に備えなくてはならない。白田秀一シュウイチ先生は自分の振る舞いには大雑把な割に他人の評価に関しては容赦ない教師だ。こんな些事で評価を下げられたら堪ったものではない。




「ふぃー、こんなもんか」
 一息吐いて身体を起こす。握った雑巾には使用前よりも黒い斑が目立ち、刻んだ轍には埃一つ存在しない。労力の成果は裸足を軽く滑らせればすぐに分かり、想像以上に自分の身体が摺り足の感覚を覚えていることに頬が緩んだ。
「当日に有言実行する奴が居るかよ」
「お前にはいろいろ借りがあるからな。望みに沿えないなら別のところで応えないと」
 雑巾がけを終えて満足そうな渡に寛治の皮肉は通じない。さらに言えば勤勉な部外者を前に固まっている後輩の困惑も伝わることはない。「なんで居るんだ」とか「何してるんだこの人」とかいう声も届かない。
「ああそうだ。お前の竹刀の修理は家で余ってるのでまだ使えそうなやつあったから帰ってやるよ」
「別にいいって……言っても聞かないよな。好きにしろ」
 義理堅くて人は良いが妙に頑固なところがある。中学からの付き合いで渡の性格をそう理解した寛治が選んだこの場の最適解は放任。粘っても仕方がないのなら可能な限り好きにやらせるだけだ。
「じゃあそういうことで。修理する奴だけ回収して部外者はそろそろ帰るわ」
「雑巾がけとかしなくていいから気が向いたらまた来いよ。部活関係なしにまた稽古しようぜ」
 そんな評価を渡は知ることはない。さらに言えば、寛治が渡を剣道部に引き留めようとしていた理由が剣道部よりも渡自身にあることに気づくことも無いだろう。




「家の竹も処分できると思ったんだが。まあなんとでもなるか」
 道場から回収した寛治の竹刀は三本。そのうち二つはただささくれがあっただけで、割れた竹を交換する必要があったのは結局一本だけ。前者は部室で小刀を使えばすぐに修理できたので、今渡が持っている専用のビニール袋で包んだ後者の一本。修理で消費できる竹は一本か二本程度だが、この機会に余り物の竹で練習用の竹刀を作ってサービスとして押しつければいい。
「修理するにも色々揃えないとな」
 八塚駅を前にして渡はそう自分に言い聞かせる。一駅先の武道具店へ行くために家とは真逆の進路を取るのはそのため。別に寛治の言葉が気に掛かって久しぶりに覗いてみようと思った訳ではない。そう言い聞かせるために、竹刀の修理に必要なものが家で眠っている事実は記憶から一時的に消去した。
「店長は……元気だよな。絡むと面倒だな」
 自分への言い訳は出来たが、一年ぶりに会う店長への良い訳はどうしたものか。引退した冷やかしにあの熱血ゴリラ店長がどんなリアクションを向けるか予想できない。用件だけ済ませて帰るのが得策だろうが、あっさり済ませるのならそもそも言い訳をでっち上げてまで無駄な運賃を払いはしない。そこは自分の中途半端さに対する罰として受け止めるべきだ。
「よし行くか」
 その決意を固めて改札へと歩き出す。混雑する時刻はもう少し後だから他の通行人もよく見える。同じように部活とは違う放課後を過ごす学生。休暇を満喫する社会人。余暇をアクティブに過ごす老人。ならば目の前を歩く白衣の女性は何を目的にこの駅を利用するのだろうか。そんなことを考えた直後、白衣の裾から何かが落ちるのが見えた。
「あ、落としましたよ」
 足下に落ちる前に拾ったそれはICカードのようだった。真っ先に思いつくのは今この場で必要な乗車券。だが、この駅で使えるICカードにはグレー一色の背景の物は見たことがない。ましてや中央に大きくXの文字とその両脇の窪みにそれぞれ丸が印字されたものは記憶の片隅にも存在しない。
 それでも落とし物は落とし物。カードの用途が何にしろ、落とし物は持ち主に渡すのが人として当然の行動だ。
「あの、だから落としましたって」
 ただ受取る相手がこちらを無視して改札へと向かっているのだから話にならない。完全に自分の世界に籠って聞こえていないのか。その振る舞いには渡も少し苛立った。強引に振り向かせようと白衣を掴もうとするも、妙なことに距離的に届くはずの白衣に手が届かない。その不自然さにさらに苛立ち、渡はカードを押し付けようと手を伸ばす。
 その瞬間、渡が立つ世界は一秒前のそれとはまったく別のものへと変わった。




 地理の教科書で見たどこかの国の峡谷。今立っている場所と渡の記憶の中で一番近い場所がそれだった。視界を占めるのはランダムに盛り上がった岩肌とそれに沿うようにして生えている苔のような植物。肌を撫でる風は澄んでいるが、その清廉さの内には人工物の存在を拒む厳しさが感じ取れた。
 ただ明らかに自分の記憶に無いものが真上にある。それは赤一色の空。夕焼けや朝焼けなどのレベルではない、原色そのままの赤が空に塗りたくれていた。
 何故こんなところに居るのか。いつ何が起こったのか。何故自分がこんな目に会っているのか。理不尽過ぎる変転を前に渡の思考は迷走の果てにデッドロックを起こす。
「冗談にも程があるだろ」
 ようやくその言葉を吐き出すことができたのは、足が草を踏みしめてから二分後のこと。言い換えればそれだけの時間で目の前の現実を認めることができる辺り、天変地異だろうと人間は状況に慣れるものだと身を持って理解した。そう割りきるしか道がなかった。
 現実を認識できるようになったところで、客観的に状況を再確認。自分が立っているのはどこかの岩山。今の装備は学校指定の制服と通学カバン。それと修理予定の竹刀が一本。所持品が紛失していることはなかったものの、スマートフォンが安心と信頼の圏外表示である以上は現状の打破にあまり役に立つとは思えない。 
「ん、何だこれ」
 所持品は確かに減っては居なかった。ただ心当たりの無いもの増えていたという方が正しい。それは左腕にベルトで固定された板状の端末。ベルトの留め具は一切見当たらずすぐに取り外すことは困難な代物は、言い換えれば着けることも困難な物だということ。それを誰がいつ着けたのかなど分かる筈もない。つまり謎の端末に関わる情報はその端末そのものにしか存在しないということ。幸か不幸か、確かに端末そのものに推測に使える手掛かりはあった。
 端末の面積は通学用に使っている定期券とほとんど変わらない。グレー一色の表面で目立つのは、切手ほどの大きさの画面と三つのボタン、そして「H」を象るように配置されたBB弾程の大きさの透明な玉が七つ。
 そのデザインには心当たりはあった。記憶のそれとは大きく違う上、物品としての在り方も変わっている。だが、渡が持つ記憶の中で最も近いのは、この場所に飛ばされる前に手にした落とし物のカードだった。
「やっぱりあれなのか」
 カードを拾ったら知らない場所に飛ばされ、腕にはそのカードに似たデザインの端末がくっついている。おまけにそのカードはどこを探しても見つからない。ここまでくればカードとこの端末が同じ物である可能性が高いことは認めるしかない。自分がこの場にいることの原因がそれにあることも。
「何かの電子機器なら何でもいいから情報出せよ。そもそも電源入ってるのか」
 状況を打破するための手掛かりは謎の端末だけ。適当にボタンを押し、小さな画面に指を滑らせ、無造作に腕を振る。思いつく限りのアクションを行ってみても反応は無い。結局アプローチを止めたのは十分後。壊れているのかという疑念を抱きながら、腕ごと地面に端末を叩きつけようとしたときだった。
「――ストップストップ!」
「あづっ、いっだぁああ!?」
「乱暴だな君は。スリープモードでなければ危うくスクラップになるところだよ。スマートフォンの画面にバキバキにひびを入れるタイプだろう。嫌だね、物を大切に扱わない野蛮人は」
 左腕に走る強烈な痺れに思わず渡は尻餅を着く。渡の尻を犠牲にしたことで端末は地上へ叩きつけられることはなく、甲高い制止の声は遠慮なく渡を罵倒する。
「生憎俺のスマホには傷ひとつ無いよ。で、この端末通して喋ってるお前は誰なんだ」
 手の痺れが少し収まったところで渡にも少し余裕が出てきた。やたら口うるさい端末だがそれは使い手の問題。癖の強い相手だとすぐに察したが貴重な情報源には変わりない。
「私? ああ、この端末――『X-Pass』に内蔵されたチュートリアル用のボットだよ。役割を終えたらすぐに眠るから安心するといい」
「そうなのか。……チュートリアル? 何のだ」
 お前のようなファーストコンタクトから喧嘩を売るボットが居てたまるか。その言葉を抑えるのに掛かった時間は妙なワードに引っ掛かりを覚えるのに掛かった時間と同じだった。
「そうだね。本題に移ろうか。――改めてようこそ。モンスターの住まう異界、『特異点F』へ。君のようなトラベラーを私は待っていた」
 芝居じみた口調で語り始める自称ボット。その言葉で渡は自分が寛治の語っていた都市伝説に本当に巻き込まれたことを理解した。その事実からの逃避だろうか。なんとなくボットの声があのカードを落とした女に合いそうだと思った。
「なるほど。だいたい分かった」
 ボット曰く、これはゲームのようなもの。『特異点F』というこの危険な世界を探索し、ある目標を達成すれば現在の科学では成しえないある奇跡を報酬としてプレゼントされるとのこと。
 未知の世界を舞台としたスリリングな冒険。その果てに得る想像だにしない奇跡。ここは年頃の少年ならば一度は夢に見るであろう、心踊る物語への入口だ。
「慎んで辞退させてくれ。そして帰り道を教えてくれ」
 ただ、当の渡には冒険譚の主人公になる気など一欠片もなかった。何を好んで危険なゲームに自ら参加しなくてはならないのか。そんなことよりもやらねばならないことがあり、そのためには早々に安全な自宅へと帰らねばならない。渡の中の虚構を愛する少年の心は既に眠りについていた。
「それは無理だよ。君の『X-Pass』はまだ片道切符でしかない。契約ペアリングをしてトラベラーにならない限り、君は愛する我が家には一生帰れない」
「おい、ふざけるな」
 最初から選択肢などなかった。その怒りをぶつけたところでボットは一切動じない。契約ペアリングさえすればいい。そうすればすぐにでも帰れるなどと、三流詐欺師でも吐かないような明らかに裏がありそうな言葉を続ける始末。
 渡にとっては理不尽極まりないことに、あのカードを手にした段階で運命は決まっていたらしい。
「諦めも肝心だと考えるよ。さて、ちょうど契約ペアリングに都合のよさそうな相手も現れたようだ」
 さっさと済ませた方が建設的だよ。そう続けたボットを端末ごと破壊したい衝動を抑えて、渡はその都合のよさそうな相手とやらに目を向ける。
 そいつは渡より少し小さい体躯の怪物だった。真っ先に浮かんだイメージはゴブリン。緑色の肌に粗野な革鎧を貼りつけ、釘がいくつか刺さった棍棒を誇らしく掲げている。「ヒャッハー」という雄叫びが似合う髪型第一位でお馴染みのモヒカンまで揃えばその気性もだいたい予想できるもの。今まさに物騒な棍棒を振り下ろそうとする相手と理性的な契約関係を結ぶことなどできる訳がない。
「うおわっ」
 慌てて跳び退き、撲殺事件の被害者になる未来は回避。しかし永遠にその未来から離れた訳ではない。重要なのは棍棒のリーチから離れることはできたこの状況。ここでの行動如何によってはこの山岳が渡の墓場になる。
「ピンチのようだから助言をあげよう。ゴブリモンは一般的な男子高校生よりも足は速い」
「ありがた過ぎて泣けてくる」
 迂闊に背を向けるのは自殺行為。対面で睨みあった今の状況でなんとか足止めをする必要がある。
 そのために取れる最良の行動は武器を向けて威嚇すること。幸いなことに今手元には修理予定の竹刀がある。
 じりじりと距離を取りつつ竹刀を両手で握って正眼の構え。眼は現役には程遠いが敵の動きは捉えられている。岩山にローファーでは道場を裸足で疾駆していた頃とは勝手が違う。不安要素は挙げればキリはないがきもはなんとか据わっている。鍔もない、ビニール袋で包まれた剣でもやらねばならない。
 抵抗の意思を見せればゴブリモンもおとなしくなる。そんなことはあり得ないし期待もしていない。まっすぐに切っ先を喉元に向けているがゴブリモンは動じることなく間合いを詰めてくる。だがこれは渡の思考の範囲内。
 あからさまな予備動作を視界が捉える。そこから運ばれる動作もすべてが大振り。たとえ人より速く動ける相手だろうと、その動きを看破できれば対処できるものだ。一足一刀の間を越えた段階で既に渡のリーチの内で、ゴブリモンはこの瞬間だけ脅威ではなくなっていた。
「はッ!」
「ゴブフッ!?」
 棍棒を大きく振りかぶってがら空きになった喉元へと切っ先を据える。踏み込む距離は短く、しかし腰を入れて全身の重みを束ねた一突き。ゴブリモンから前に突っ込んでいたおかげで、渡が大きく前に出ずとも勝手に喉深くに食い込んでくれる。
「うぉっっと」
 突然渡の身体が前につんのめる。ゴブリモンが距離を取ってこちらの隙を作ろうとした訳ではない。ただ単純に渡の武器が耐えられなかった。竹刀は中結なかゆいのすぐ後ろで破裂し、砕けた先端が喉に刺さったままのゴブリモンはごろごろとのたうち回っている。
「よし、逃げる」
「あら、契約ペアリングはしないのかな」
「知ったことか」
 この絶好の隙を前に、不信感しか抱けない謎の声の指示に従ってはいられない。折れた竹刀を放り投げて、脇目も振らずに全力疾走。修理どころか無惨な末路を辿った竹刀に関しては新品を買って許してもらえばいい。
「はぁっ、しんど……でも、完全に振り切っただろ」
 総移動距離八百メートル弱。慣れないランニングに身体が悲鳴を上げたところで足を止めて振り返る。そこにゴブリモンの姿はない。だが、それより一回り大きい鬼がこちらに走ってくるのが見えた。速度は男子高校生より速いなどというレベルではない。全力で切り離した距離が詰まるのも時間の問題だった。
「あれはオーガモンだね。どうやらゴブリモンが進化したようだ」
「進化? なんだそれ」
「進化とはモンスターの特徴の一つ。離散的な成長とも言えるね」
「説明しろとは言ってない。悪いけど少し黙ってくれ」
 聞きたいことは山ほどあるが今はそれどころではない。限られた時間で退路を見つけてなんとかやり過ごす。このままでは契約ペアリング以前に自分が死んでしまう。
「黙ってくれと言われた矢先に悪いけれど……この先は行き止まりだ」
「そういうことは早く言え!」
 薄々そんな予感はしていた。走れば走るほど幅の狭くなる岩肌。進めば進むほど着地予想地点が遠くなる脇の段差。気づいた頃にはお手本通りの崖っぷちで、渡に残された退路は後ろには存在しなかった。
 前にしか逃げ道はない。そう分かっていても足はすくみ、気がつけばさらに後ろに追いやられている始末。数分前の一戦なんてただ状況がよかっただけだと思い知る。使える道具もない状態で、明らかに先程よりも強い相手にどう活路を見出だせというのか。
「オォォォ!!」
 オーガモンが雄叫びを上げて一気に迫る。新調した太い骨の棍棒で人肉ミンチにされる未来はすぐ目の前。
「――あ」
 不意に、紫の弾丸が視界を横切った。弾丸というのは勢いを形容するための比喩表現だ。だが、渡にとってその存在はそれこそ弾丸を頭に撃ち込まれたような衝撃だった。
 勢いのままオーガモンの顔面にぶつかったそいつは紫と白の毛並みのモンスター。子犬のようにも見えるがその背中には小さな羽根があり、赤い宝石のようなものが額に埋められた頭にはその石と同じくらいぎらつく瞳と鋭い牙が備わっている。その出で立ちに獣という言葉は妥当ではある。だが、渡には竜という言葉の方が相応しいと感じられた。
「あいつは……」
「ドルモンとは珍しい。おそらく大金星を狙いにきたんだろうね」
 突然現れてオーガモンに飛びかかるそいつもオーガモンと同じモンスターだ。それでも野性のままに食らいつくその姿から渡は目が離せなかった。
「いや運がいい。今のうちにやり過ごそうか」
「あいつはどうなる。あんなのに勝てるのか?」
「負けて死ぬだろうね。レベルが違う上に万全でもないらしい」
 知ったところで意味のない、解りきった問いを投げかけるのも今までの渡の行動からは相反している。それでもボットの推測が妥当なことが理解できるくらいには冷静だった。最初は不意討ちで渾身の一撃を食らわせても、オーガモンとの力量差は一目瞭然。ボットの指摘通りぼさぼさの毛並みの隙間に浅くない傷が隠れていて、オーガモンと接触する度にその数が増えていることも確認していた。
 様々な角度、様々なアプローチで仕掛けていても地力の差が埋まることはない。じきに限界が来て返り討ちに遭うのは目に見えている。ならばそれは勇猛さではなく蛮勇だ。生きるために足掻いている訳でもなく、ただ死に急いでいるだけに過ぎない。嗚呼、なんて救われない命なのだろうか。
「なんとか生き残らせる手はないのか」
 そんな命を渡は助けたいと思うようになっていた。誰から見ても馬鹿げた考え。関与する必要のない無駄な思考だ。
「あら、妙なことを言うね。勘違いしているのなら訂正するけれど、あれは別に君を助けようとして飛び出した訳じゃない。ただ成長の糧にできる獲物を前にして飛び出した。上手くいけば瀕死の身体をより頑丈なものにできると判断して、その可能性に賭けた。あれらはそういうモンスターだ」
 だがそんなことは渡自身が一番理解しているつもりだ。何も勘違いなどしていない。獲物を見つけた獣が偶然自分に降りかかった脅威に牙を剥いただけのこと。そこに理性はなく、利他もない。ただ本能の求めるままに動いた結果、渡の命が一度危機を免れたというだけの話。
「結果的に君の危機に割り込んだけれど、これ以上君が干渉する意味があるとでも? そもそも君に何ができる?」
「それをお前が教えてくれ」
「そこまでして助ける意味が君にあるのかな。平穏無事に家に帰るのではなかったのか?」
 助けようと動くメリットなど一欠片もない。寧ろまた自分の命を危険に晒すようなもの。おそらくこの決断は一時の問題だけではない。分岐点を越えた瞬間からこれ以上の危険に何度も首を出すことになるだろう。最初の宣言通り、平穏無事に帰るのが渡の当面の目的だったはずだ。
「いいから教えろ。結果的に助けられただけだったとしても、俺はあいつを見捨てられない。借りを返さなくちゃならないんだ」
 それは帰った先にやるべきことがあっただけの話。渡にとって今優先すべきはあのモンスターの生存のみ。野性のモンスターであろうと、借りを作ったまま死なれるのは御免だ。生かすためならばどんな手段だろうとそれを選択する。分岐点など、その姿を一目見た瞬間に通りすぎている。
「それでいい。そんな君だからこそ、私が選ぶトラベラーに相応しい」
 そのふざけた決断をボットは肯定したことを意外だとは思わなかった。これまでの問いかけのすべてに本気で渡を止める意思など欠片も無いことを見抜いていたから。渡にとっては癪なことに、彼がこの決断を下すことを最初から分かっていたのだろう。
「君とあのドルモンがともに助かる道は一つ。契約ペアリングして力を束ねてあのオーガモンを倒す勝利だけだ」
「分かった。だったらお前の筋書きに乗ってやる」
 結局は最初に語った契約ペアリングへと話が戻った。やはりどうあがいても退路は無かったらしい。ならばせめて、前へ進む決断くらいは自分自身で下す。
「必要なのは対象への経路パスの探索とその確立だ」
 どんな理屈か知らないが頭に直接流れ込む指示に従い、端末X-Passのボタンを叩く。画面に表示される二つの赤い点。それが今互いの生存をかけて戦っているモンスターをそれぞれ表していることは分かる。そして、自分がどちらの点を押すべきなのかもすぐに分かった。
 瞬間、自分と紫の竜の間に糸のようなものが作られたのを確かに知覚した。とても細い、放っておけば溶けて消えてしまいそうな繋がり。それを確固たるものにするために『X-Pass』は存在し、手続きとしてそれに登録すべきものがある。
「誰が何と言おうと俺はお前を助ける。よろしく頼む――カイン」
 それは名前。人が名前を与えて縛ることで、獣との間に契約が結ばれる。それを示すかのように、端末X-Passは白銀に青のアクセントを備えたものへと変わった。彼らの運命はここに定まったのだ。
契約ペアリング完了。……弟切渡。君の願いはどんな末路を迎えるのだろうね」
 それを最後にボットは口を閉じる。きっとその憎らしい声を聞くことは無いだろう。チュートリアルは終わった。ここからは渡自身の戦いであり物語だ。
「いけるか」
 名前を呼ぶと力強い雄叫びが返ってきた。最初に見た時よりも傷は増えて血が体毛に滲んでいる。呼吸は荒く、動きも最初の勢いから程遠い。それでもその目もその本能も死んではいなかった。ならば大丈夫だ。繋がった経路パスで指示と活力を与えれば十分に勝ち目はある。
「堪えろよ」
 勝機は一度。その瞬間にすべてを注ぐために逸る戦意を抑える。カインと標的の間合いは五メートル。積極的に仕掛けていた相手が急に動きを止めた。不自然といえば不自然な行動。だがカインには理由をでっち上げるに充分な傷と血が刻まれている。姿が変わる前から単細胞なオーガモンなら勝利を確信して油断するだろう。
 オーガモンが棍棒を振り上げて走る。渡にはその動きに見覚えがあった。奴がかつてゴブリモンだった頃、他でもない自分が相対したときに見せた大振りな動作。それは完全に油断しているという証明で、人間の自分ですら突くことのできた明確な隙だ。
「今だ」
 渡の声とほぼ同時にカインの口が開き、その奥から拳大の鉄球が放たれる。溜めに溜めた渾身の一撃。溜めれば溜めるほど威力の上がる技であればその真価はより明確に示される。
 オーガモンの喉を貫く一筋の銀。その直後、奴の棍棒は手から滑り落ちてその身体も地に沈んだ。一つの命を守るために一つの命が奪われたのだ。
「仕掛けたのはそっちだ。カインもいたぶった。なら仕方ないだろう」
 言い訳にもならない本音は風に消える。後に残るのは勝者と敗者。いや、敗者の血肉もこの場から消えようとしていた。理由は単純。勝者がその亡骸に口をあてて貪っていたからだ。
 敗者をどう扱おうと咎める者はどこにも居ない。ここはそういう世界だ。それを渡が理解する頃にはオーガモンの姿は跡形も無くなっていた。モンスターの食事方法が違うのか、その組成から違うのか。どんな理由であれそうなるのがこの世界の法則なのだろう。
 カインの身体から傷が消えているのも恐らくその一つ。血の赤は存在せず、毛並みは生まれ変わったかのようにつやつやだ。大金星を果たした報酬は確かに与えられ、目論見通りに身体をより頑丈なものにできたということだろう。
「カイン、改めてよろしく頼む」
 契約相手に唸り声と首肯で応えるのを懐いていると見ていいのかは分からない。それでも渡はこのモンスターとともに行くことを決めた。――あの夢の最後に見るはずだったモンスターとともに。
「――悪いが、てめえらの冒険はここで終わりだ」
 不意に割り込む、がらの悪そうな声。視線を向ければ声の印象にぴたりと合致する男が立っていた。グレーのアロハシャツに迷彩柄のカーゴパンツ。下手に染めた金髪とサングラスの下には軽薄そうな笑みが浮かんでいる。
 その左腕には渡の左腕に巻き付いているものと同型の黒色の端末があった。そして、その傍らには黒い悪魔のような竜が鎮座していた。




 


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