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ID.4861
 
■投稿者:Ryuto  HOME MAIL
■投稿日:2018/02/11(日) 00:00
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グッド・オールド・フューチャー 3/七大魔王
         
 選ばれし子ども。
 デジタルワールドの歪みを正すため、ホメオスタシスによって選ばれた、デジモンを進化させる力を持つ者たち。
 二十世紀末ころに存在が確認されて以降、彼らの数は毎年のように増え、デジタルワールドのバランスを崩すような存在の猛威を阻止し続けた。
 二一世紀初頭、選ばれし子どもは、そのパートナーデジモンとともに、多くの人々にとってヒーローだった。
 だが時が過ぎ、人類がデジタルワールドへの移住を本格化させると、やがてヒーローは人間にとってもデジモンにとっても鬱陶しい存在へと変化した。
 そして十一年前。人類がイグドラシルと戦い「神殺し」を達成すると、ホメオスタシスは人類への干渉そのものを止めた。
 以降、選ばれし子どもは、もうこの世界に生まれることはなかった。

「テイラーソンさん、こんにちは!」
 にも関わらず、その選ばれし子どもが今、目の前に立っている。
 昨日も立っていたし、一昨日も立っていた。ジェームズが三日前に無理矢理追い出した後、毎日帰宅するとこうして家の前に待ち受けている。彼女がパートナーだと言い張っていたドーベルモンも、毎日のようにここにいるのだ。
 ドーベルモンの方は相変わらず無表情だが、この女の子の満面の笑みだけは、毎日二十パーセントくらいの割合で輝きを増し続けている。
「寒いですね! 今日、ウチで暖かいお茶作ってきたんです! どうぞ!」
 そこかしこに凹みのあるピンク色の水筒を取り出しながら、春子は言った。
「あっ、大丈夫ですよ気にしなくても! ちゃんと洗ってますし、今日はまだ口付けてませ――」
 春子が水筒の蓋にお茶を注ぎ始めた時、ジェームズも家のドアを閉じ、鍵を掛けた。

 その翌日も、
「テイラーソンさん! 私、図書館で今回の事件のこと、色々調べてきたんです! きっと参考になると思いますよ!」
 そのまた翌日も、
「こんにちはテイラーソンさん! 私、今回の事件の犯人分かっちゃったかもしれません! きっとお役に立てますよ、きっと!」
 さらに翌日も、
「テイラーソンさん、朗報です! 学校がついに冬休みに入りました! これで存分に、二十四時間いつでもお手伝いできますよ!」
 毎日のように、春子はドーベルモンとともにジェームズの自宅前にやってきては、彼に素通りされてドアに鍵を掛けられた。

 ところが、そのさらに翌日は違った。
「君だけか?」
 ジェームズの自宅前に春子が張り付き始めて一週間。この日、自宅の前にいたのはドーベルモンだけだった。
「ハルコは風邪を引いてしまった。彼女に頼まれて俺だけは来た」
「そうか。結構なことだ」
「アンタが早々にハルコの望みを叶えれば、風邪を引く必要もなかった」
 ドーベルモンの言葉にはあからさまに棘があったが、それは理不尽な物言いだ。ジェームズは彼と顔を合わせることなく玄関に向かう短い階段を登った。
「君が彼女を抑えればよかったんじゃないか?」
 ジェームズは懐に入っている鍵を探しながら言った。
「何だと?」
「相手の言うことを聞くだけなら、それはパートナーではなくただの主従関係だ」
 指先の感触で懐の鍵を見つけ、それを取り出しながら、ジェームズはようやくドーベルモンの顔を見た。この黒い狗のデジモンの表情にはいくらかの戸惑いと苛立ちが浮かんでいた。どうやら、初対面の時の印象ほど感情を隠すのは得意ではないらしい。
「五十年前に選ばれし子どもになった先輩としてのアドバイスだよ」
「……ハルコは、そういう先輩を求めてるんだよ」
 ドアの取っ手を握ったまま、ジェームズはドーベルモンの言葉を聞いた。
「アンタたちの世代にはたくさん選ばれし子どもがいたんだろう? ハルコには同世代の選ばれし子どもなんていない。ただ唐突に選ばれて、俺がパートナーになったんだ。アンタには分からないかもしれないが……」
 ドーベルモンは言葉を選びながらも訴え続けた。とっとと家に入ってしまえば、この会話は強制的に終了できる。だが、彼の必死さを見ていると、ジェームズはそうしようとは思えなかった。
「生まれた場所からも弾かれ、自分にはパートナーがいる、という微かな記憶だけで彷徨っていた俺を見つけて、必死に介抱してくれたのがハルコだ。俺は人間なんて信用しないが……ハルコだけは別だ」
 そう言ってドーベルモンは前脚を折り、頭を下げた。
 これが彼なりの誠意の表し方らしい。
「頼む。ボディガードが駄目なら、助手でも雑用でも何でもいい。少しでいいから、ハルコをアンタの傍に置いてくれないか? 選ばれし子どもの先輩として」
 そう言ったまま、しばらくドーベルモンは動かなかったので、ジェームズはこの話を終わらせることにした。
「きっと後悔するぞ」



「っくしゅん! あ、すみませんテイラーソンさん! 昨日風邪を引いてしまって……今日はコーヒー作ってきました! どうぞ!」
 また、いた。昨日の今日でひとまず動けるくらいには回復し、またこの場所に舞い戻ってくる根性だけは感心する、とジェームズは思った。もし自分が風邪を引いたら数日間は動けない。
「このまま続ければ、また風邪を引くぞ」
「大丈夫です! 若いので!」
 この少女は自分の身体の心配はしたことがないのだろうか? この土地の冬の寒さは並ではない。ドーベルモンがいくら彼女の心配をしても、本人がこの有り様では、いつか女子高生の凍った死体がひとつ出来上がることになるだろう。
 後輩の死体が、見殺した先輩の自宅前で。
 なんとも気分の悪い話だ。
 ジェームズは鍵を取り出して、家のドアを開けて手招きする。ただでさえ輝いている春子の表情が、更に輝いた。
「中に入りたまえ。また風邪を引かれたらたまらん」
「……はい!」
「それと、私のことはジェームズでいい」
「はい、ジェームズさん!」
 足取りが軽くなったせいだろうか、春子は危うく入り口の階段前で転びかけた。
 放っておくといつか本当に死ぬかもしれないな、とジェームズは思った。



「それで?」
 ジェームズは、春子から湯気の立つコーヒーの入ったコップ――水筒の蓋――を受け取りながら訪ねた。
「え?」
「この前、事件のことを調べてきたと言っていたが、その成果はあるか?」
 まさか何も用意せずに来たのではないだろう、とばかりに春子を睨む。この言い方にドーベルモンは若干の不快感を覚えたようだったが、春子の方は自分の出番がやっと来たとばかりに前のめりになって答えた。
「もちろんです! ちょっと待ってください!」
 そう言いながら春子は担いでいたリュックサックを降ろしてチャックを開き、中から新聞紙や写真をコピーした用紙を取り出した。整えて入れていなかったのだろう、どれも折れ曲がったりぐちゃぐちゃになっている。
「ジェームズさんたちがご活躍されていた時期の新聞記事や本を色々と漁ってきました!」
 春子はそれらの紙資料を手で何度も伸ばしてから、机の上に並べ始めた。あっという間にコップすら置くのが難しいほどに資料が広げられる。ジェームズは文句ひとつ言わず、コップに口をつけながら春子を眺めていた。残念ながら、彼女の用意してきたものはコーヒーというよりも白湯に近かった。
「選ばれし子どもの皆さんのご活躍で、皆さんを恨んでいるデジモンはこの世界にたくさんいるんです! あ、もちろん恨んでるって言っても、ジェームズさんが気に病む必要はないんです! 何てったってこいつら、みんな筋金入りのワルなんですから!」
 まるで自分がこの事実に世界で初めて気がついた、とでも言いたげな表情で春子はそう言った(ひょっとすると、彼女は本気でそう思っているのかもしれない)。
「でも、そのデジモンたちも色々で、皆さんが倒してたり、もう死んでたり、異次元に飛ばされてたり、お墓の中にいたり、死んでたり……あぁ、とにかく色々いるんです!」
「そうだな」
 壊滅的な説明だ。先日の話といい、この女の子の喋り方はあまり上手くない気がする。ジェームズはただ彼女の言葉に頷いて続きを促した。
「ところが! その中で、皆さんにまた戦いを挑みそうで、しかも行方が分からない、悪い悪〜いデジモンがいるんです……こいつです!」
 饒舌に話すうちに気分も盛り上がってきたのだろう、熱の籠った声と動きで、春子は机の中央に置いたモノクロの写真に勢いよく人差し指を置いた。
「リリスモン! 五十年前に三大天使との協定を破って、リアルワールドを支配しようとして皆さんと戦った、すっごい悪いデジモン! しかも今では行方を晦ましていて、どこにいるのかも分からない! 怪しい!」
 バン、バンと何度も机を叩きながら春子が叫ぶ。人の家の家具なのだから、もう少し丁寧に扱って欲しい。
「絶対コイツですよ、ジェームズさん! 間違いありません!」
 言葉を切り、瞬きすらせずに春子はジェームズを見つめていた。きっと彼女の中の自分は、次に「そうか、よくやった春子! 納得した! 君は天才だ!」とでも言うことになっているのだろう。
「ふむ」
 しばらくの間、ジェームズは右手を顎に当てて考えた。春子は春子で「容疑者」を指さしたまま微動だにしない。彼女の脇から顔を出しているドーベルモンの耳がひくひく動いているのみで、沈黙が数十秒流れた。
 ジェームズが考えていたのは事件のことではなく、この強引な後輩のことだった。さて、どうすべきか? 色々と課題はあるが、ひとまず本気であることだけは伝わってきた。ただ、彼女が求めているのはおそらく、選ばれし子どもとしての経験や力だ。そして、ジェームズ自身も別に彼女に捜査する力は求めていない。
 ジェームズは無言のまま立ち上がり、壁に掛かっているコートの袖に腕を通した。未だ直立したままの春子は目を丸くして彼を見ていた。
「あの、ジェームズさん?」
「外に出る支度をしなさい」
 ボタンを留めながら春子に言う。
「容疑者に真実を聞こうじゃないか」



「なんでお前らがここにいる?」
「いや、その……」
 春子たちは、腕組みをし、鼻から荒い息をする(比喩ではなく、本当に白い息が出ている)ミノタルモンの前に立っていた。
 ジェームズに連れられてスクルドターミナルの中心市街地に来たかと思えば、彼が向かったのは天にも届く摩天楼の建物ではなく、その隙間にひっそりと存在する歓楽街の古い雑居ビルだった。春子の学校はここからそう遠くないとはいえ、こんな近くに怪しげな場所が存在するとは知りもしなかった。しかもその入り口前で仁王立ちしてこちらを睨んでいるのは、先週ひと悶着あった酔っぱらいデジモンなのだ。
「やぁ、ミノタルモン。この間は無事に帰れたかな?」
「おかげさまでな」
 明らかにミノタルモンの瞳には怒りの炎が灯っている。春子は、ジェームズが涼しい顔のままミノタルモンと会話しているのが不思議で仕方なかった。
「社長に会いに来た。奥に居るかね?」
「冗談言うな。あんたみたいなのを通すと思うか?」
「あぁ。先に連絡はしておいたのだが」
 ミノタルモンの未見の皺がますます深くなる。対するジェームズは表情を変えず、両手もコートのポケットに入れたままだ。春子はドーベルモンと顔を見合わせ、不安そうな表情を浮かべるしかなかった。一体、どうすればいいの?
 静寂を破ったのは、奥から現れた背の高いデジモンの声だった。
「どうした、ミノタルモン?」
「あっ……!」
 春子は息を呑んだ。目の前に現れたのは、灰色のコートに赤いマフラーと蒼いスーツ、そして黒い獣のような被り物をした魔人型デジモン。
 完全体・アスタモン。「容疑者」と同様、かつて選ばれし子どもと何度も戦いを繰り広げた凶悪なデジモン……。
「あぁ、ジムか」
「アスタモン。久々だな」
「社長から話は聞いている。入ってくれ、外は寒いだろう」
 凶悪、だったはずのそのデジモンは今、鉄扉を全開にしてジェームズを手招きしている。春子は目が点になった。
「じ、常務? いいんですか? こいつら……」
「言っただろう、社長のご指示だ。そこに立ってると邪魔だぞ」
 ミノタルモンの抗議もあっさりと却下され、ジェームズは雑居ビルの中に入っていく。どうすべきか迷ったものの、この寒空の中、ミノタルモンと一緒に取り残されるのは御免だ。ドーベルモンと一緒に、駆け足でジェームズの後ろに続く。
 一瞬だけアスタモンの視線は感じたが、彼は特に何かを聞いてくることはなかった。罠だったらどうしよう。
「彼女の体調はどうかね?」
「最近は安定している。いつも通りだよ」
「そうか。それは良かった」
 ジェームズとアスタモンは春子とドーベルモンの前で雑談しながら、雑居ビルの階段を下っていく。入り口でさえ重苦しい外観だったビルの地下は打ちっぱなしのコンクリートで、ところどころ剥き出しになったパイプや湿った壁ばかりが目に入った。春子の心の警報機は既にレッドアラートを発していた。
「ハルコ、大丈夫か?」
「ダ、ダイジョウブ……うん……」
 不安がドーベルモンにも伝わっていた。とはいえ、ドーベルモンさえこんな見るからに危険な場所に来たことはないに違いない。頼りになるのは前を歩く元・選ばれし子どもだけだが、その隣にいるのはかつて「ダークエリアの貴公子」とまで呼ばれたデジモンなのだ。

「社長室だ」
「ありがとう、アスタモン」
 春子はこれまで「社長室」なるものを見たことはなかったが、少なくともその入り口がこんな質素な鉄扉だとは思ってもいなかった。アスタモンが何度かノックしてから、ジェームズたちに中へ入るよう手招きする。春子は気が進まなかったものの、ジェームズが全く躊躇なく室内に入っていくので諦めて従った。
 部屋の中は、石鹸の匂いがした。
「え」
 白く清潔感のある壁、来客用の綺麗なキャスター付きテーブルと椅子、カーテンに囲まれたベッド。豪華な病院の個室といった雰囲気で、通ってきた建物内の通路と対照的な景色。地下であるため、窓が全くないことだけが、普通の病室と違った。
「用事って何だい、ジム」
 不機嫌そうな女性の声が部屋に響き渡り、春子はびくっと体を震わせた。
「君と話がしたくて来た」
 ジェームズの声は相変わらず冷ややかだった。

 春子は、ジェームズの背中越しにこっそりと顔を出し、声の主を確認する。
 堕天したことを示す黒い翼に紫色の衣。同性の春子が見てもうっとりするようなスタイルと、異形としか説明しようのない形の右手。魔力が宿っていそうな瞳と紫のアイシャドー。
 かつてデジタルワールドを震撼させた恐怖の存在、「暗黒の女神」リリスモン。
 何十年も前の本や新聞に載っている写真と全く変わらない姿で、彼女はそこに居た。
 唯一違ったのは、彼女がその場に立っているのではなく、背もたれが黒い車椅子に座っていたことだった。
「騒ぎになってるニュースのことかい?」
 頬杖をつき、気だるそうな表情でリリスモンが聞く。
「あぁ、そうだ」
「後ろにいるそのコたちは?」
「っ?」
 リリスモンに指差され、春子の心臓が跳ねる。声といい挙動といい、間違いなく、「あの」リリスモンだ。
 ならば、この状況はどういうことだろう?
 元・選ばれし子どもであるジェームズが、かつての宿敵だったはずのデジモンと、なぜ親しい雰囲気で会話をしているのか?
「あぁ、彼女たちは……」
「あ、あの!」
 ジェームズが答える前に、春子は手を高く上げて言葉を制した。考えても分からない。だったら、直接聞くしかない。
「私、橘春子っていいます! こっちは私のパートナー、ドーベルモンです!」
「パートナー……って」
「私、選ばれし子どもです!」
 高らかに宣言して、リリスモンを睨みつける。
 かつて彼女の野望を防いだ相手、その次の世代がここにいるぞ。そう宣言したつもりだった。が、リリスモンはしばらく無言で彼女を見つめると……やがて、笑いだした。
「アハッ! ハハハハハ! ジェームズ、何だい? 随分面白いのを連れてきたんだね! 今時、選ばれし子どもだなんて!」
「ほっ……本当です! 見てください、これ!」
 腰に付けていたデジヴァイスを強く握ってリリスモンの眼前に示す。それを見てか、リリスモンはようやく笑うのを止めたものの、その顔にはなおも見下したような表情が浮かんでいた。
「本物かい、それ? どっかのおもちゃ屋で買った偽物じゃないのかい?」
「本物です! 何なら触って確かめ……いや、それはちょっと困りますけど……」
「そうかい」
 リリスモンの右手の爪ナザルネイルにあらゆるものを腐食させる力があることは、春子も知っていた。
 危うく彼女に大事なデジヴァイスをダメにされるところだった……おのれリリスモンめ、こんな姑息な手段で、私からデジヴァイスを奪おうとするなんて。
 彼女にこれ以上、会話のペースを握られたままにするのは良くない。
「あ、あの! 今、選ばれし子どもやパートナーデジモンが殺される事件が起きてるんです! あなたは昔、リアルワールドを侵略しようとしてジェームズさんたちと戦いましたよね? 今回の事件もあなたがやったんじゃないですか?」
 言えた、言ってやった。私の尊敬してる選ばれし子どもの大先輩たちの敵をとってやる。倒せるかどうかは……分からないけれど。
「あぁ、なるほどねぇ。あたしがやったんじゃないかってことか」
 余裕のある声。春子は相変わらず、自分が舐められているような気がしてならなかった。ジェームズは話を聞いているのかいないのか、呑気に部屋の隅に置かれた食器棚からグラスを取り出して、水差しで水を注ぎ始めていた。
 何してるの、ジェームズさん?
「私が選ばれし子どもをねぇ……あぁ、確かに殺してやりたかったさ。あたしが何年もかけて用意した計画をこいつらが破って……足をこんな風にして、あたしは身を隠して生きていくしかなかった。それがさぁ……」
「ハルコ」
 束の間、春子はジェームズの挙動を眺めていたために、ドーベルモンに声を掛けられるまでリリスモンの変化に気づくことができなかった。
「今じゃこんな風に匿われて、車椅子無しじゃ自分でも動けないババアになり下がっちまって……その辛さが分かるかい、小娘? 殺せるもんなら、何十年も前に殺してたさ! なのに……なんでみんな勝手に死んじまうのかね? 昔の奴らはさぁ!」
 いつの間にか声は震え、リリスモンは手で顔全体を覆っていた。肘を伝って、袖の中に透明な雫が落ちていくのが見える。
「え、あ、え……」
 春子はあからさまに狼狽した。
 え、何、どういうこと? 泣いた? っていうか、私が泣かせた? リリスモンを? 暗黒の女神を? そもそもなんで泣くの?
 ジェームズはこの事態を予測していたようだった。彼はリリスモンの脇まで戻ると、先程水を注いでいたグラスを彼女に渡した。彼女は表情を隠したまま、礼も言わずにグラスを受け取って水を飲み始めた。
「リリスモンは足を悪くして、もう長いことここから出ていなくてな。今はかつて築いた仲間たちとのネットワークを使って私の仕事に協力してもらってる」
「あんたのお仲間があたしの足を壊したんでしょ……」
 ジェームズは肩をすくめた。
「まぁ、そうだ。どうかね春子、あの事件は彼女が犯人かな?」
「え、あ、う……」
 想像すらしていない状況だった。どこにいるか分からないどころか、かつての悪の親玉がこんな場所で隠居していたなんて。というか、こうなると分かってここに連れてくるジェームズも性質が悪い。
 ようやく顔から手を放した――それでも、まだ瞳が若干潤んでいる――リリスモンに、春子は頭を下げた。
「ご……ごめんなさい、リリスモン……さん……」
「別に構わんさ、よくある扱いさね」
 なんとも居心地が悪く、視線を合わせる気になれず、春子はしばらく頭を上げられなかった。代わりに話題を変えたのは、ある意味でこの事態を招いたジェームズだった。
「リリスモン、もうひとつ頼みがあるのだが」
「何だい?」
「彼女たちを鍛えてやってほしい」
 春子は下げていた頭を跳ね上げた。



「こ、これって……」
 アスタモンに連れられて移動した別室は、学校にある体育館の半分くらいの大きさがある巨大な倉庫になっていた。こちらの部屋は廊下と同様、壁は打ちっぱなしのコンクリートで、どことなくかび臭い。周囲に積まれた大小さまざまな木箱には全て蓋がしてあったが、何かあまりよろしくない商売に使われているもののような気がしてならなかった。
「いいかい、シンプルにしようじゃないか。今私が持ってるこのデジヴァイス……」
「え? あっ?」
 何時の間にか、腰に付けていたはずのデジヴァイスが消えている。自分の前を横切り、車椅子を半回転させてこちらを向いたリリスモンの左手にそれはあった。
 ドーベルモンが牙を剥き出し、リスモンに唸り声を上げる。
「あたしからこれを奪ってみな。どんな手段を使ってもいいし、何なら触れるだけでもいい。それにあたしは右手は使わない」
 つまり、リリスモンはナザルネイルを使わず、両足も元々動けない。おまけに左手はデジヴァイスで塞がっているという状況だ。
 これが訓練? いくら何でも、馬鹿にし過ぎではないか。
「こ、後悔しないでくださいよ……」
「ああ、しないさ。最初のステップだし、制限時間は五分にしとこうか?」
 既にアスタモンがアラーム付きのデジタル時計を用意して、木箱の上に置いていた。モードを切り替えると、「5:00」の数字が表示され、カウントダウンが始まった。
「さ、スタートだ」
「ドーベルモン! 行って!」
「応!」
 春子の呼びかけと同時か、あるいはそれよりも早く、ドーベルモンの脚がコンクリートを蹴った。口を大きく開いてリリスモンの右手を狙う。指を食いちぎってでも春子のデジヴァイスを取り返す、とでも考えていそうだ。
「ふふっ」
 澄ました表情で身体を傾け、ドーベルモンの攻撃を回避する。反対側に着地したドーベルモンは素早く反転して再び飛びかかるが、リリスモンは右肘で車椅子の車輪を操作し、これまたヒラリと躱した。
「ぐっ……!」
「ほれほれ、急ぎな」
 ドーベルモンは何度も飛びかかったが、リリスモンは身体の動きと肘を使った車輪の操作で全てを交わしていた。不自由な体制で四肢がほぼ使えない状況にも関わらず、少なくともスピードでは上回るはずのドーベルモンの攻撃が全く通じない。そんな状況が三分ほど続いただけで、ドーベルモンの息は荒くなり、動きは明らかに鈍くなった。
「ほら、小娘」
「!」
 視線はドーベルモンから外さないまま、リリスモンが春子に呼びかける。
「パートナーなのに、自分は立ちんぼかい?」
 グサッと刺さる、心に痛い言葉。
 確かに自分は、戦いの時はドーベルモンに任せっきりだ。デジヴァイスも奪われてしまったが、そもそも持っていたところで、彼を上のレベルに進化させることもできない。
 先輩ならどうするだろう? 春子はちらりとジェームズの方を見たが、彼はコートのポケットに手を突っ込んだまま、表情を変えずにこちらを眺めているだけだった。自分でどうにかするしかない。
 だったら。
「それを返してください!」
 全力疾走し、リリスモンの車椅子に一気に飛びかかる。息を切らしているドーベルモンはもちろんのこと、リリスモンも微かに驚いたような表情をした。
 彼女が手を動かした。
「痛っ?」
 突然、顔面を何かにぶつけた。反動で思いっきり転倒し、痛みのあまり悶えてのたうち回る。顔を両手で抑えながら目を開くと、リリスモンが人差し指を自分の前に向け、空中に紫色の文字が浮かぶ円陣を浮かべていた。
「ごめん、うっかり魔法壁を作っちまった」
「〜〜〜〜!」
「リリスモン、貴様ぁ!」
 ドーベルモンが怒声を上げて再び飛びかかるが、またも交わされて床に転げる。入れ替わりに春子がまた立ち上がってリリスモンに手を伸ばしたものの、リリスモンは今度は車椅子を後退させ、バランスを失った春子はまた顔面から床に倒れた。
「酷いな」
 アスタモンが溜め息をつきながら呟く。ジェームズはポケットを探りながら時計を見ていたが、結局五分が経過しても状況が好転することはなかった。

「あぁ、疲れた」
 涼しい顔でそう呟いたリリスモンの足元には、汗だくになって床に崩れた春子とドーベルモン。どちらも息が上がり、すっかり体力を使い切ったようすだった。
「む、無理……」
「クソッ……!」
「まぁ、ガッツだけは大したもんだ。それ以外は問題だらけだけどね……アスタモン?」
 リリスモンがアスタモンにデジヴァイスを投げ渡す。
「次はあんたが相手してやんな。武器は無しだよ?」
「分かってます、社長」
 もしかしたら頑張りに免じて返してもらえるかも、という想像は甘かった。春子は額の汗をぬぐいながら立ち上がる。と、今度は隣にジェームズが立っていた。
 どうしよう、怒られるのかな。あんなダメダメだったし……もしかして見限られた? ここでお別れだ、とか? 嫌だ、そんなの嫌だ。あぁ、でも私、良い所なんて全く……。
「これを使うか?」
 ジェームズが差し出した掌には、長さ5センチ程度の、小さな銀色の筒があった。
「え、これ……」
「レーザーポインターだ。メタルガルルモンとの訓練のために使っていた」
 確かにそれを昔の動画で見たことがあった。ジェームズはよくこれを使い、彼のパートナーであるメタルガルルモンの背後から、どこを攻撃すべきか、どう移動するかなどを、言葉を一切発さずに指示していた。
「あ……ありがとうございます!」
 姿勢を正して、深々とお辞儀をしながらそれを受け取る。レーザーポインターを起動させると、一筋の赤い光線が倉庫の壁面を指した。
「わぁ……!」
 ぶん、ぶんと移動させてレーザーを動かす。ドーベルモンがそれに合わせて首を動かす。
 続けてアスタモンが左手に持つデジヴァイスに光線を当てようとする。
 しかし、なかなか当たらない。赤いレーザーが思った通りの位置を指さない。
「……」
 え、何これ。すごく難しいんですけど。
「始めていいのか、小娘?」
「え、あ、あの、えっと」
「言っとくが、俺は社長ほど気が長くないぞ」
 デジヴァイスを握る左手にググッと力を入れてるのが分かる。春子は慌てて頭を下げて、大声で「やります、やりますから!」と叫んだ。

「あのデジヴァイス、本物だね」
 木箱に腰を掛けながら、春子とドーベルモンの奮闘を眺めているジェームズの隣でリリスモンが呟いた。
「あたしが握ってる間、ずっと掌の中であの嫌らしい輝き方をしてた。ひりひりして仕方なかったよ」
「そうか」
「今時どこで拾ってきたんだい、あんな子ども?」
「拾ったんじゃない。彼女たちが訪ねてきたんだ。アンドロモンの孤児院の子らしい」
 ドーベルモンごと派手に吹っ飛ばされた春子を見て、若干不安になりながらも肩を竦める。幸いにして、春子はすぐに立ち上がった。
「親がいないのかい? 歳は?」
「高校一年生だそうだから、おそらく十五、六だろう」
「戦争の頃は四、五歳か」
「……」
 春子は十年以上前から孤児院にいると言っていた。彼女くらいの年齢で親のいない子どもは、このスクルドターミナルではそれほど珍しくない。。
「あんたらがイグドラシルと戦ってた頃の子どもが今や高校生か。そりゃ、あたしも老いるわけだ。昔に戻りたいよ」
 ジェームズが自分を見つめていることに気づいてか、リリスモンはニヤニヤと笑みを浮かべて視線を返した。
「あの時の事をもう一度やりたいわけじゃないよ。あんたらと戦ってた頃が一番楽しかったのさ」
「君は全てを失っただろう。それでもか?」
「ふん。今だって生きているとは言えないね」
 ぎゃー、という声が倉庫に響き渡る。バリエーションはさておき、春子の悲鳴はもう珍しくなくなっていたので、ジェームズとリリスモンは何の反応も示さなかった。彼女はずいぶん頑丈にできているらしい。
「イリーナ、ペンモン、サルマ、ミケモン、ハンス、カメモン、それにジョーダンやあんたやタツキ。勝てばデジタルワールドの支配者、負ければ全てを失う……そういう状況で奴らと戦ったのは、最高にスリリングだったさ。あたしだってデジモンだからね。でも、もう会えないんだね……」
 ジェームズに向かって、というよりは独り言のように、リリスモンは呟いた。彼女は老化という言葉とは全く無縁のはずだが、それでもジェームズには一瞬、彼女の顔に年相応の疲れが浮かんでいるように見えた。
「ジム」
「何だ」
「あんた、あの小娘をタツキと重ねてるんじゃないだろうね?」
 ジェームズはこれに即答することができなかった。



 一九九九年八月。あくまで、リアルワールド時間で、だが。
 私たちの「最初の」冒険が終わった日。
 デジタルワールドやリアルワールドの支配を目論んでいたデジモン、戦いに敗れていった者たちの怨念の集合体……そんなデジモンたちを倒して、私たちはこの世界を救った。
 そして旅が終わることはつまり、ガブモンたちとの別れも意味していた。

 デジタルワールドとリアルワールドを繋ぐゲートが閉じるまでのわずかな時間を、私はガブモンと一緒に過ごした。普段と変わらずに。他の仲間たちはともかく、私たちの会話はいつも通りで、とても淡泊だった。
「ジム、向こうに戻っても元気でね」
「うん」
「ケンカしないでね、特にタツキと」
「しないよ。なんでわざわざ、そんなこと言うのさ」
「だってジムとタツキ、いっつもケンカしてたじゃん」
「大丈夫だよ……」
「本当?」
「もうしない、約束する」
「一生?」
「……ガブモンと次に会うまで」
「じゃあ、そんなに長くないかもしれないじゃん」
「まぁ、それならそれでいいかと思って」
「あぁ……うん」
 いつも通り。

 目に涙を浮かべたり、離れた場所でも分かるほど号泣していたり、笑顔を浮かべていたり。
 ともかく私たち選ばれし子どもは、竜の目の湖――この頃はまだ、リゾート地になど開発されていなかった――からリアルワールドへと向かう電車に乗り込み、パートナーに別れを告げた。天空のゲートへと続く見えない線路に従って車両が空に浮かび、ガブモンたちの残るデジタルワールドから離れていく。
 私たちはガブモンたちの姿が見えなくなるまで、窓から手を振り続けていた。笑顔で別れ、それで終わりだと思っていた。だが違った。
「う、く、う……」
「? 大丈夫、た……」
 つい先程まで隣で満面の笑みを浮かべて手を振り続けていた、隣にいる少女。
 彼女が、目を潤ませて私に抱きついていた。
「アグモン、アグモン……!」
「……」
 表情は見えない。ただ、くぐもった声しか聞こえない。
 私たちの先頭に立って、勇気の紋章の持ち主として気張っていた彼女。別れの瞬間まで涙を見せなかった彼女。それが、今になって崩れた。
「大丈夫、また会えるよ、きっと」
 私と同い年だった選ばれし子ども、草薙タツキ。私はその時、彼女が顔を上げられるようになるまで、頭を撫でることしかできなかった。
 デジヴァイスが放つ電子音が、ずっと車内に響き続けていたのを今でも覚えている。



 デジヴァイスの電子音を聞き、そのデジモンはまどろみから目覚めた。
 肌寒さを感じる高層ビル街の一角。天空を照らす幾本ものライトの死角に、彼は潜んでいた。
 この頃はよく眠れていない。この使命を受けてからずっと。いや、ひょっとすると、あの戦争の頃からかもしれない。こんな時に、パートナーが居てくれたら。
「……」
 黒いデジモンは、掌の中のデジヴァイスを黄色い瞳で見つめた。
「声を、聴かせてくれ」
 やるべきことが終わるまでは、眠ることなどできない。


スレッド記事表示 No.4861 グッド・オールド・フューチャー 3/七大魔王Ryuto2018/02/11(日) 00:00
       No.4862 グッド・オールド・フューチャー 4/捜査Ryuto2018/02/11(日) 00:01
       No.4863 あとがきRyuto2018/02/11(日) 00:02
       No.4869 感想浅羽オミ2018/02/11(日) 18:22
       No.4890 何がQだry夏P(ナッピー)2018/02/17(土) 17:47
       No.4904 3・4話感想返信Ryuto2018/02/23(金) 22:58
       No.4905 グッド・オールド・フューチャー 5/襲撃Ryuto2018/02/24(土) 00:00
       No.4906 グッド・オールド・フューチャー 6/真実Ryuto2018/02/24(土) 00:01
       No.4907 5・6話あとがきRyuto2018/02/24(土) 00:02
       No.4908 まさか時空が発端だったとは夏P(ナッピー)2018/02/24(土) 06:46
       No.4913 おのれイグドラシル!tonakai2018/02/28(水) 00:43
       No.4923 5・6話感想返信Ryuto2018/03/10(土) 23:09