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ID.4762
 
■投稿者:マダラマゼラン一号 
■投稿日:2017/08/07(月) 19:49
                [ 返信 ]


六月の龍が眠る街 第三章 前編
         
まえがきにかえて

先日投稿した三章を手違いで消去してしまったため、本日投稿する四章と同時に再投稿します。
申し訳ありません。三章をすでに読んでくれている方は返信の中にある「六月の龍が眠る街 第四章」に飛んでください。
また、今回から作者名義を変更しました。「マダラマゼラン一号」です。pixivやTwitterで使っているものと一本化する意図です。すでに投稿されている一章と二章は「くじら」名義なので混乱させるかと思いますが、どうかこれからもマダラマゼラン一号をよろしくお願いします。
それでは、「六月の龍が眠る街」をお楽しみください。

↓これまでの話はコチラ

第一章

第ニ章





「やあミチルちゃん、監視対象の様子はどうかね」
電話の向こうの人四ノ倉正敏仙台支部長の甲高い声が加納満の耳を突いた。
「楽しそうですよ、この暑いのに」七月に入り、彼はひどい夏バテになっていた。重い食事はろくに喉を通らず、コンビニで買ううどんと、バー〈アイス・ナイン〉で辻玲一が作ってくれる夏野菜を使った一品料理だけで日々を食い繋いでいる有様だった。
「無事ならそれでいいが、監視任務なんだから本当はもっと詳細を報告しなければいけないんだよ」
「茂みに隠れて小学校のプール授業を覗けばいいんですか? そうじゃなくても最近地域のご婦人の目が厳しいんです」ヒトミは今、体育のプール授業の最中だった。子供達のはしゃぐ声が、ロリコン扱いされない程度にプールから距離をとった加納にも聞こえてくる。プールの外側は垣根で囲まれていて中はよく見えないが、辻が選んだのであろう飾り気のない水着にオレンジ色の水泳帽を被ったヒトミの姿がその隙間から見え隠れする。上を見上げると抜けるような青空の中に水泳授業が可能だということを知らせる白い旗がたなびいていた。昔の俺も教室の窓から見えるあの旗の色一つで一喜一憂したものだったな、と彼は思い出した。
「もうプールの季節か、あっついもんな、今年は」四ノ倉もうんうんと相槌をうった。
「もう少ししたら夏休みが始まるんで学校の周りをうろついて不審者扱いされることもなくなると思うんですけど」
「そうだな。夏休みになったらヒトミちゃんは友達と何処かに遊びに行ったりしないのか?」
「どうでしょう。辻はあの子を家から出したがりませんからね」辻の過保護ぶりには加納も辟易していた。あれではヒトミは友達と遊ぶのもままならないだろう。
「そんなのダメですよ!」電話の向こうから叫ぶ声が聞こえた。
「今のは千鶴ですか?」加納は四ノ倉に尋ねた。
「そうだよ。千鶴くん、オペレーティングルームで大声を出さないでくれ。ちょっと、おい、何してるんだ」
慌てたような四ノ倉の声がやがてプツッという音とともに途切れ、今度は千鶴の元気な声が聞こえてきた。
「ミチルさん、おはようございます!」
「おはよう千鶴ちゃん。まさか支部長の携帯電話の回線をジャックしたんじゃないよね?」
「支部長も悪いですよ。オペレーティングルームで私物の携帯電話を使用することは禁止されてるんだもの」
「私物の電話をジャックしたのか」加納は呆れた声をあげた。見るからにバカっぽい振る舞いのくせに、これで日本有数のエリートオペレータなのだから全く末恐ろしい。最近彼女の情熱はオペレーティング業を逸脱し、ハッキングへと向けられていた。
「それより、加納さん! 夏休みにヒトミちゃんをどこかに連れてってあげてください! 小学生の夏をなんの思い出もなしに終えるなんて可哀想すぎます!」
「俺の一存じゃ決められないよ」加納はたじたじになって言った。
「保護者さんを説得できるでしょ。 ミチルさん、ここ一ヶ月は毎晩毎晩あの人がやってるバーに行ってるじゃないですか」
「なんで俺の居場所を知ってるんだ?」
「オペレータは担当者の居場所を常に把握しておく必要がありますもの」千鶴は澄ましている。
「とにかく、ヒトミちゃんを大人の都合で寂しい目に合わせたらただじゃおきませんからね!」彼女がそう言った途端に再び電話が途切れ、四ノ倉の声が聞こえてきた。この人もハッカーとしては日本最高の男の一人だったなと加納は思い出す。
「まったく、特殊なブロックを施した私の回線を奪うとは、千鶴くんもなかなかやるね」そんなことより、と言って四ノ倉は話を切り出した。
「千鶴ちゃんの話なんだが、私も反対ではないんだ。なんと言っても仙台は東北では一番の都市だからね」現代においては都市の格はそこに集まる情報の量で決まる。仙台も情報の集積地として東北の他都市とは比べ物にならない程の規模のネットワークが広がっている。つまりそれだけ、デジモンの発生率も高いということだ。
「監視対象の安全のためという理由なら保護者も承諾するだろう。この際だから、あの子を連れてどこか田舎の避暑地に行ったらどうだね? どうせ暇なんだろう?」
「どうせ暇ですよ」大学の友人とはすっかり疎遠になり、同業者と話をする機会もない。こうして毎日四ノ倉や千鶴と電話をし、バーに行くと辻や高視聡がいるという賑やかな生活は明久と咲が死んだ二年前以来かもしれないな、と彼は思った。「お盆には、明久先輩と咲さんの墓参りがありますけどね」どうせそれはヒトミ達も一緒だ。
「あの人達のお墓は青森だったか」加納がそうだと答えると四ノ倉はううむと考え込んだ後に言った。
「私の持ち家が青森にあるんだが、今は住む人がいなくて空き家になってるんだよ。そこを使っていいからみんなを連れて一ヶ月ほどゆっくりしてきたらどうだ。高視くんや彼の担当者も誘ってみてくれ」
「へえ、太っ腹っすね支部長。S級エージェントがいなくて仙台の平和は大丈夫ですか?」
「S級がいなくたって立派にやってる支部もたくさんあるよ、それにもうじき、〈シャッガイ〉も完成する」
「支部長、あれをまだ諦めてなかったんですか?」〈シャッガイ〉は四ノ倉が仙台に来る前から研究チームの中心として開発を進めている対デジモンプログラムで、〈ユゴス〉をはじめとする従来のプログラムとは比べ物にならない規模を持つ。ネットワーク上の広範囲のデジモンを吸い寄せ一度にデリートするというもので、実現できればこれほど便利なものはないが大規模ゆえに既存のネットワークに大きな損傷を与えると考えられており、上層部は開発に消極的だった。
「諦めるもんか、あれは私の悲願だ。まあその話はいい、一週間程度で手配をする。電気を引いていくつかの家電も送っておくから、監視対象やその保護者に話を通しておくといいよ」
「分かりました。しかし随分羽振りがいいですね」
「〈選ばれし子ども〉は本部の肝いりの計画だからね。それを口実にすれば金はいくらでも出てくるよ」
「国民の税金ですよ」
「構わないさ、我々はそもそも存在を知られていないわけだからね。日頃の働きに感謝はされないが、批判もされないってわけさ」
「分かりました。それじゃあまた電話します」
加納は浮かない顔をしながら電話を切った。先日の辻との話の中で、いざという時になったら組織の計画よりもヒトミの安全を優先すると宣言したのだ。そのことに後悔は微塵もないが、支部長や組織に対する後ろめたさはあった。
ふう、と息をついた彼の肩を誰かが叩いた。
「なんです?」と加納が振り返ると青い制服を着た警察官が彼を睨んでいた。
「何してるんだ、近くのご婦人が怪しい男がいるというから来てみたんだが、さっきから見ていれば十分もずっと小学生のプールをのぞいてるじゃないか」彼は言った。
電話をしながら無意識にずっと目をプールへと向けていたのだ。マズったなと加納は思った。
「別に怪しいものじゃありませんよ、公務員です公務員」
「身分証明書を見せてみろ」
加納は言葉に詰まった。免許は持っていないし、秘密の組織であるヒュプノスの隊員証を見せたところで相手にもされないだろう。
「やめませんか? お互いに国民の税金で賄われてる勤務時間を無駄にするだけだと思うんですけど」
「何を言ってるんだ。訳のわからないことを言っていると署まで来てもらうぞ」
「行きましょう、行きましょう。そっちの方が多分話が早い」巡査一人では話にならない。もっと上の人間ならば四ノ倉を通して話をつけられるだろう。
(マスター、こいつ殺してやりましょうか?)
警察署に向かって歩き出した加納に耳元の風が語りかけた。加納も小声で答える。
(やめてくれクラビス、というかその言葉遣いは天使としてどうなんだ)
(でもマスターを変態呼ばわりするなんて!)
(いや、変態とは誰も言ってないぞ)
加納はため息をついて、ここに残ってヒトミを見張り続けるようクラビスエンジェモンに命じると歩く速度を速めた。

          *****

「それで? どうやって捕まらずに済んだんだ?」
僕は、カウンターに座って昼間の失敗談を語る加納に尋ねた。今日の〈アイス・ナイン〉はテーブル席に大声で馬鹿笑いをしている大学生風のカップルがいるだけで、あとは閑散としている。あのカップルに払う敬意は客に対するそれの中でも最低のものでいいと考えた僕は、先程からこうやって加納と話し込んでいたのだ。
「署に行ってから支部長に連絡したらあっという間に一番偉い人に話をつけてくれたよ。あのクソ巡査は自分が捕まえた相手の権力に怯えながら俺を解放したって寸法さ」
「一番偉い人、って警察署でか?」
「いや、日本でだ」
「警視総監に話をつけたのか! わざわざそこまでやる必要があったのか?」
「少なくとも、俺の鬱憤は晴らされたね」加納は手をひらひらさせながら言った。
「そもそも、怪しまれることをする方も悪いですよ」横から高視が口を挟んだ。彼もすっかりここの常連である。カクテルは頼まずにいつもビールを飲んでいた。
「大体この暑いのにジーンズなんか履いてうろついてたら人目をひくに決まってます」よくわからない偏見を披露した高視自身は半袖のワイシャツにスーツのズボンでまるっきりサラリーマンのクールビズという格好だ。加納もそう思ったのか言い返す。
「高視こそそんな格好で日中からうろついて、絶対にリストラされたお父さんだと思われてるぞ」
「いいんです。変態に間違われなければ」
「余計なお世話だ。というかそもそもお前はここで酒なんか飲んでていいのか、秀の護衛任務はどうしたんだよ」
高視は肩をすくめた。「今夜は学校の友達とカラオケですって。すぐ近くのカラオケボックスですしテイルモンも付いてますから問題ないですよ」僕は夏目秀と二度目にあった時に紹介された白い猫のようなデジモンのことを思い出した。ギギモンと大して変わらない大きさなのに比べ物にならないほどの成長を重ねて来たと言うその猫は、ある程度のデジモンなら高視の手を借りることなく倒せると言うことだった。夏目秀にはよく懐いており、高視によると最近は友人というより恋人のつもりでいるらしい。
「へえ、引っ越して来てすぐに友達か、人好きしそうだもんなあいつ」加納が頷きながら言う。
「あの顔なら女の子にももてるんだろう」僕もグラスを拭く手を止めて口を挟んだ。
「本人は否定してますけど、まあもてるでしょうね。島根でもバレンタインデーなんかの時には大変でしたよ」高視が笑って言った。
「彼、部活とかはやってるのか?」
「テニス部ですよ、いかにももてる男のやることって感じでしょう。腕前はそこそこなんですけど、そんなもの女の子たちにとっては関係ないですしね」
「自分達より一回りも下のオトコを羨むのもいいけどさ」夏目秀の話で盛り上がる僕と高視に加納が言った。「今日は話があるんだ」
そうして彼はヒュプノスの仙台支部長の持ち家だという青森の屋敷で夏を過ごすことを提案した。今はもう住人はいないそうだが、「屋敷」と言う表現は決して冗談ではないらしい。もとは江戸時代から戦後まで続いていた高利貸しを営む名家の邸宅だったらしく、近くには太宰治の生家もあると言う話だった。
「いいな、僕は賛成だ」と言うと加納は驚いた顔でこっちを見てきた。
「あんたは反対すると思ってたけどな、ヒトミちゃんを家から出したくないんだろ?」
「僕だってヒトミが楽しめることならできるよう努力してるよ。この店でヒトミの友達の誕生パーティーをやったことだってある」僕は胸を張って言った。
「バーでそんなことして、大丈夫でした?」高視が恐る恐るといった感じで尋ねた。
「翌日その子の親が怒鳴り込んできてな、PTA会でしばらく問題になった」僕の答えに二人は力なく苦笑した。
「私も秀に相談してみます。テニス部の合宿で忙しいかもですけれど」高視が言う。
「自分よりずっと年上の男ばかりで、ヒトミちゃん退屈しませんかね?」
「さあ、どうかな」僕は後ろの事務室の扉からこっそりと店を覗く二組の眼に尋ねた。「ヒトミ、聞いてるんだろ。そういうことでいいよな?」少しおいて、向こう側からコンコンと二回扉が叩かれた。
「イエスの合図だ」僕は言った。「ギギモンもいるし、大丈夫さ」
後ろの大学生が酔っ払っていつしか喧嘩を始めていた。女がグラスのを男に投げつける。グラスが割れる音が響いたが、僕は箒より先にアイスピックを手に取った。後ろでまだ隠れて店を眺めている一匹の龍と一人の少女に悪影響を与えるような客には退散いただくとしよう。

          *****

窓をこんなにも大きく開け放っているのに吹き付ける風は蒸し暑く、教室はさっぱり涼しくなかった。夏の課外学習のために特別に分けられた班の席に着いた北館祐は体から吹き出す汗に顔をしかめた。隣の班では友人の康太が、温暖化が進んだ現在に高校の教室に冷房を設置しないのは一種の虐待だというようなことを喚いている。
大して知りもしない連中と班を組まされ、夏休みの一日を彼らとのしょうもないインタビューに費やさなくてはいけない課外学習を北館も他の多くの生徒と同じように嫌っていた。しかし、と彼は首を振る。やる気を出さないといけないだろうな、なぜなら−−。
「ねえねえ、秀くんはどこを調べに行きたい?」班員の女子の一人である美嘉の甲高い声が北館の思考を破った。彼女がそばかすの浮いた顔に笑みを浮かべて言葉を向けたのは今学年中で話題の転校生、フランス人の母から受け継いだ金の髪に青い目をもつ〈選ばれし子ども〉、夏目秀だった。
思わぬところで〈選ばれし子ども〉との距離を縮めることができたのは北館にとって幸運なことだった。彼のパートナーデジモンを殺してヒュプノスの計画を阻止するためには北館か相棒の一条秋穂のどちらかが彼に接触しなければいけなかったが、こうして偶然を理由に近づく方がずっと違和感が少なくていい。それに、幼馴染の秋穂を学年中の女子の視線の中心に放り込むのも気が進まなかった。課外学習のメンバーと仲良くする必要なんて感じていなかったが、今回ばかりはなけなしの愛想の良さをふり絞らなくてはいけないだろう。
「いや、俺はどこでもいいよ」秀の何気無い受け答えにさえ質問を飛ばした美嘉はうっとりとした顔をしている。女子三人、男は北館と秀だけの班で北館は全く肩身が狭かった。
「そうよ美嘉、ステファンは仙台に引っ越して来たばっかりなんだから。むしろ私達がいいところを教えてあげましょう」美嘉の隣にいた絵里がお下げ髪を揺らしながら言った。彼女の発した聞き慣れない呼称に北館は思わず声を上げる。
「ステファン?」
「どうしたの、北館君」まるで今彼がそこにいることに気づいたかのような声で絵里が言った。「秀くんのことだよ」
「いやいや、分かんないって、そもそも何でステファンなんだよ」北館の質問は全く無視され、美嘉と絵里は秀との会話に戻った。
「家での愛称だったんだって。フランス人のお母さんは秀って名前に違和感があって、少し語感が似てるステファンって名前で呼んでたらしいよ」二人の代わりに質問に答えたのはもう一人の女子、丁度北館の真向かいにいる三浦真理だった。
「そうなんだ」北館はなるべく気さくに答えようとしたが、口調には硬さが混じった。去年の春に彼女に打ち明けた自分の思いを断られてから、まともに目を見て彼女と話すのは一年ぶりに近い。あの時より髪をいくらか伸ばしていたが、色白な顔に切れ長の眉が切り込んだ端正な顔立ちと、深い黒の目に宿った冷ややかな光はそのままだ。彼は慌てて目をそらしたが、彼女が自分の隣の夏目に向ける目に気になり何度か盗み見るように彼女の目を見た。その目は北館に向けられる時と見た目に対して違いはないように思えたが、彼は不安を隠せなかった。何で彼女は夏目のあだ名の由来なんか知っているのだろう?
「ユウは七月の末は空いてる?」
「え?」
「課外学習の日程、二泊三日で青森でどうかな」彼が顔を上げると夏目がにっこりと笑って尋ねて来た。ほとんど初対面の相手を呼び捨てで呼んだというのに全く嫌味がない。
「ごめん、ぼうっとしてたよ。予定は問題ないけど、仙台のいいところを紹介してもらうんじゃなかったのか?」彼の質問に美嘉と絵里が余計な話を蒸し返すなと言わんばかりにきつい目を向けた。彼女たちとしては夏目との泊まりがけの旅行は他の何を差し置いても行きたいものなのだろう。しかし二泊三日とは、北館が情けない未練を抱えて逡巡している間に課外学習の話し合いは思わぬ方向に進んでいたらしい。
「青森まで行って、何を調べるんだ?」
「太宰治の生家を見たいんだ。好きなんだよ」こんな勝ち組が太宰なんか読むのか、北館は思った。中学の頃、いじめられひどい鬱屈を抱えながら太宰に入れ込んでいた身としては彼の趣味を素直には受け入れ難かった。そんな北館の気持ちなどいざ知らず女子達は夏目の知的な側面にうっとりしていた。
「太宰ね、昔よく読んだな」北館は自分の方が読書趣味に関しては上手であることを示したくて思わずそう言った。その言葉に夏目が少し目を大きくする。
「そうなんだ。小説はよく読むの?」
「う、うん」夏目が予想外に話に食いついて来たので彼はしどろもどろになってしまった。
「北館くん、いつも本読んでるものね、図書室の端っこにある分厚いやつ」助け舟を入れたのは真理だった。北館は虚を疲れたように彼女の方を振り返ったがすぐに夏目に目を戻す。色々な感情がないまぜになった頭の中を見せまいとするかのように彼はその場を取り繕った。
「図書室の端っこっていうと、世界文学全集のことかな。スタンダールが大好きなんだ。最近はフランスの現代作家の作品をよく読んでる。マンディアルグとかユルスナールとか、夏目君も今度教えてくれよ」上出来だ。彼は思った。ほとんど完璧な回答だ、ノーベル文学賞をあげたいくらいだ。しかし彼の長広舌は退屈そうにそれを聞いていた二人の女子によってあっさりと流されてしまった。
「それじゃあ決まり」美嘉が言った。絵里も頷いて続ける。
「青森県で二泊三日の研究旅行。ステファンとお泊りなんて楽しみー!」
「キャーキャー煩いのよ。ひどいそばかす面とダサいおさげのくせに、ステファンを狙おうだなんて大層な御考えを持つ前に鏡を見て来たら? そもそもそのあだ名を気安く使うんじゃないわよ」
突如聞こえたきつい少女のような声で騒いでいた女子二人は黙ってしまった。真理は目をきょろきょろと動かし、夏目の顔は無理に作ったような笑みを貼り付けたまま凍りついていた。
北館だけが平静なまま言った。「みんなどうしたの? 急に黙っちゃって」
「いや、声が−−」美嘉の言葉を彼は遮る。
「声? そんなもの聞こえなかったけどなあ。なあ、夏目君?」
その言葉に夏目ははっとしたように瞬きを何度かすると前と同じような完璧な笑顔を浮かべて言った。
「ああ、俺もなにも聞こえなかったけど」
「私もなにも聞こえなかった。二人して空耳でも聞いたんじゃない?」真理もそう言ったので美嘉と絵里は狐につままれたような顔になった。
もちろん空耳なわけがない、北館だってちゃんと声を聞いていた。おそらくは先程から彼の隣の夏目の机の下で退屈そうに気配を出したり引っ込めたりしている夏目のパートナーデジモン−−秋穂はテイルモンだと言っていた−−が言ったのだろう。その声は甘酸っぱい青春の駆け引きに囚われていた北館の心を現実に引き戻した。二泊三日の旅行はまたとないチャンスだ。闇の闘士が〈選ばれし子ども〉にとても近しいところまで接近していることに、あのグランクワガーモンを使うエージェントもまだ気づいていまい。勘付かれないうちに、出来れば夏が過ぎてしまう前に、今の高飛車な声の持ち主を手にかけてしまわなければいけない。彼はまたため息をついた。
その時、校舎が大きく揺れた。

         *****

「ギギモンとヒトミちゃんを事務室から一歩も出すんじゃない。あの銃をすぐに撃てるようにしておけ」加納はそう言って電話を切った。先ほど学校から帰って来たばかりで、小さな額に汗を浮かべたヒトミを事務室に放り込む。ギギモンはいつになく気が立っていて、部屋に入れようとした僕に三度もひどく噛み付き、一時は普段はよく懐いているヒトミにも唸り声をあげたほどだった。
家の電子機器は殆ど不調に陥っていた。ただ一つ、この店を開くずっと前からビルに置いてある原始的な扇風機だけが唸りを上げて空気を動かし続けている。加納の口ぶりだと市内各所でこういうことが起きているらしかったが、そもそもテレビも砂嵐以外のなにもうつさないため詳しいことは分からなかった。
ヒトミに危機が迫っているのだろうか、僕はバーカウンターに置いた拳銃を手に取る。明久が死んだ後、遺言に従い彼らの家を整理した時にこれを見つけた。加納によるとこれはかつてヒュプノスが製作した対サイバー生物銃で、デジモンだけに効果を及ぼすというものらしいがその製作にかかる莫大な費用と、そもそも人間が直接デジモンと戦うほど追い詰められたら銃などあっても意味がないという理由から開発中止になったということだった。しかしこれだけが今の僕には頼りだ。銃を持ち、明久の手の形に合うように削られた握りに手を馴染ませた。

冷蔵庫が動かないなら店で使う氷も溶けてしまうだろう。どうせならということでヒトミとギギモンを落ち着けるためにかき氷を作った。シロップの味を聞くために事務室のドアを開けるとヒトミは喜んでメロンがいいと言ったが、ギギモンの方は眠ってしまっていた。
「さっきからずっとこうなんだよ」ヒトミは緑色のかき氷を口に運びながら言った。「いつもはこんな風にいびきもかかずに寝ることないのにな」
僕も不安になって、眠りこけたギギモンにそっと手を触れた。いつもはこうするだけで飛び起きて手に噛み付くのだが、今日は微動だにしない。
その体の黒い三角形の模様が少し熱を持っているように見えた。

          *****

「千鶴ちゃん、状況の報告を頼む」〈アイス・ナイン〉の入っているビルの屋上に立ち。加納は緊張した声で言った。街のあちこちから交通事故の煙が立ち上るのが見える。信号もお釈迦になってしまったのだ。
「市内全域に渡って成熟期デジモンが多数発生、そのほとんどがサイクロモンです」千鶴にもいつものおちゃらけた様子はなく、その声は真剣そのものだった。
「同時に電子機器に異常が発生。ヒュプノスの機器と回線のブロックは破られていないようですが、被害は甚大です」
「只の同時多発的なリアライズじゃないってことだな」加納はオペレータとの通話にいつもの端末ではなく本部支給のイヤーモニターを使用していた。非常時にはこうして両手を空けていないととても事態についていけない。
「はい、電子機器の異常、出現した群れが一つの種の占有状態にあるなどの状況を複合的に判断し、先ほど仙台市に中規模の〈デジタルハザード〉が起こったと新宿の本部が宣言しました」
「その言葉を聞くのも二年ぶりだな」加納は言った。「俺に対してはどのような指令が出ている?」
「S級エージェントのミチルさんと高視さんに対しては、〈選ばれし子ども〉の護衛を最優先としながらも、遊撃隊として部隊で行動する他のエージェントをできる範囲で支援するようにという指令が出ています」
「オーケー、通信を切る必要はないな?」
「今日の私はミチルさん専属オペレータですよ。ずっと見ておいてあげます」千鶴が自身溢れる声で言った。
「よし、始めるぞ。 半径五キロメートル以内には他のエージェントを配置しなくていいって四ノ倉のおっさんに伝えてくれ。邪魔だ」そう言い終わるなり彼は叫んだ。「クラビス!」
「私なんかよりいつものトループモンがいいんじゃないですか?」クラビスエンジェモンの皮肉っぽい声が聞こえた。
「拗ねてる場合かよ、話は聞いてただろ。俺たちが立ってるこのビルから半径五キロが今日の狩場だ。心配することはないと思うけど、サイクロモンは遠距離攻撃も備えているし力も強い、気をつけろよ」
「分かりました。ヒトミさんに何かあった場合の備えは?」
「しばらくは凌ぐさ。それにお前もサイクロモンを狩るのにそんな長い時間はいらないだろ」
「仰る通りですよ、マスター」そういうとクラビスエンジェモンは光となって加納の前から消えた。それを見送ってから彼はまたオペレータに問いかける。
「千鶴ちゃん、〈台風の目〉の場所は分かったかい?」
「今解析中です」
単体の力でリアライズできるほど力を持ったデジモンはそういない。大抵のデジモンはリアルワールドからの何らかの働きかけ−−例えば〈選ばれし子ども〉の持つ因子−−からの影響を受けリアライズを果たす。ところがそのデジモンが大きな力を持っていた時、稀にそいつの周りの群れごとまとめてリアルワールドに転送されてしまうことがあるのだ。これが〈デジタルハザード〉だ。そしてその原因となった大きな力を持つデジモンをヒュプノスでは〈台風の目〉と呼んでいる。デジタルハザードで発生したデジモンの群れは皆この〈目〉の力に寄りかかってリアライズしているに過ぎないため、〈目〉さえ倒すことができれば他のデジモンは実体化に必要なエネルギーを賄いきれず勝手に自滅するという寸法だった。
「成熟期を何十体も呼ぶんだ。〈目〉は上位の完全体か究極体のはずだよ。そんなに見つけるのに手間取るのか?」加納はじれったそうに尋ねた。
「黙っててください! …これかしら」千鶴が考え込むように言う。
「いたのか?」
「周りのサイクロモンよりも強い力を持つ完全体クラスを確認しました。しかしこのレベルの〈デジタルハザード〉を引き起こすには力が足りないような…」
「そんなことは倒してみてからじゃないと分からないさ、場所はどこだ?」
「光台高校です」千鶴が気遣わしげに言った。「高校生達の避難、うまくいってるかしら」
「光台高校?」加納はにやりと笑った。「あそこなら俺が行く必要もないな、避難も問題ないだろう」
光台高校は夏目秀が通う学校だ。高視が昼休みの会社員みたいな格好であたふたしているに違いない。

          *****

果たして高視聡は昼休みの会社員みたいな格好であたふたしていた。〈デジタルハザード〉の対応は初めてだ。最も、全国にこれを経験した支部がいくつあると言うのだろう。仙台支部のチームが二年前に既に一度ハザードを経験しているのは心強かった。高校生の避難は初動が少し遅れてしまったが、どう言うわけか高校生達は勝手に規則正しく並んで高校から出て来てくれた。日頃の教育の賜物だろうか。他のヒュプノス職員と一緒に逃げ遅れた子どもがいないか確認しながら彼は自分の担当のオペレータである鳥谷に話しかけた。
「〈台風の目〉が光台にいるんですね?」
「確実ではないですが、そうと思しきデジモンはいます」事務的な声の鳥谷が言った。「おそらく高校構内です。〈選ばれし子ども〉の安全を確認してから直ちに掃討を開始してください。光台周辺のサイクロモンは他のエージェントが撃破していますが、いつまで持つかわかりません」ハザードの処理にA級、B級はおろか成長期しか連れあるくことのできないC級のエージェントまで駆り出されていると言う話だった。出張中の余所者とはいえ、S級エージェントがのんびりしている暇はないのだろう。彼は高校生達の列に夏目秀の姿を探した。そんな彼のことを列の中の男子生徒が呼び止めた。
「お巡りさん! いない奴がいるんだ、校舎から出て来てないのかもしれない」そう言って来たのは筋肉質の体の大きな少年だ。ラグビー部か何かなのだろうかと高視は思った。
「落ち着いて、すぐに助けに向かうよ、帰って来てないのは一人だけかい?」彼は努めて落ち着いた口調で尋ねた。
「ああ、俺の友達で、北館ってやつだ」彼はそう言って行方不明の人物を描写した。それをメモに書き留めてオペレータに話しかける。
「鳥谷さん、今の聞いてた?」
「はい、すぐに近辺のエージェントに共有します」
「ありがとう」
「それと、もう一つ行方不明の報告が来ています。二年生の女子生徒で名前は−−」鳥谷が話す情報も彼はメモした。
その時列の後方から悲鳴に近い声が聞こえた。
「秀くんがいないわ!」
高視は仰天して振り返ると、噛み付かんばかりの勢いで叫び声をあげた女子生徒に詰め寄った。
「秀くんって夏目秀か?」
「う、うん」女子生徒はたじろぎながら答えた。
「金の髪に碧い眼で、腹立つくらいに男前の?」
「知り合いなの?」
「くそっ!」高視は悪態をついて鳥谷を呼び出す。「鳥谷さん、聞いてたな? 私もすぐに校舎に行く」そう言いながら彼はもう駆け出していた。

校舎に向かって走って行く途中、高校生の列から飛び出してこちらの方に向かってくる少女が見えた。近くにいたヒュプノス職員の呼びかけを無視し走っている。見ると、前髪を切り揃え、首のヘッドフォンを除けば地味な雰囲気の眼鏡の少女だ。彼女を止めようかと思ったが、これだけヒュプノス職員がいれば問題ないと思って気にしないことにした。
彼女とすれ違う時、耳元で鈴のような響きの良い声が聞こえた。
「怪我人がいないのは私たちのおかげ、ユウくんに何かしたら殺してやるから」
高視は思わず立ち止まり、振り返る。あの地味な少女から今の美しい声が放たれたのだろうか。しかしそんなことは今はどうでも良い、高視は再び校舎に向けて走り出した。
「行くぞ、グラン!」


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       No.4763 六月の龍が眠る街 第三章 後編マダラマゼラン一号2017/08/07(月) 19:50
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