<Font Color="#804000">オリジナルデジモンストーリー掲示板</font><Font Color="#4b87eb">NEXT</font><Br> <Br> http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/ ja 2017-12-05T19:53+09:00 六月の龍が眠る街 第九章 2 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4787&mode2=tree 「じゃあルーチェモンは--」  朝、〈アイス・ナイン〉のカウンターでそう言いかけた加納の言葉を北館が遮った。彼はルーチェモンとの戦いの疲労から先ほど目覚め、病室を抜け出して僕の店に来たということだった。彼の前には僕のつくったブランデーコーヒーが置いてある。未成年である彼に酒を勧めたのは僕だ。彼は生真面目に固辞したが、二日連続でルーチェモンと戦い今も疲れにふらふらとしている彼には、どう考えてもアルコールの気付け薬が必要だった。僕と加納もあまりの異常事態に朝から酒を飲む気になっていたので、北館と同じコーヒーカップを二人とも手に持っていた。甘い生クリームが最初に舌先に触れ、続けて何とも形容しがたい暖かさが僕の体に流れ込んでくる。冬の朝には水より何よりブランデーコーヒーが一番自然に体に溶け込むのだ。 「死んでませんよ。残念ながらね」 「しかし、かなりの傷を与えたのは確かだ。一昨日までは勝てる見込みすら見えなかった相手に。そうだろ?」彼をねぎらうように僕はそう言った。 「ありがとうございます、辻さん。でも、ぼく達はこれっきりですよ。スピリットの回復にはもう少し時間がかかるし、ダスクモンはもういない」彼はカウンターに置いたヒビの入ったダスクモンのスピリットをつついて加納の方を向いた。 「これでもうぼく達にできることは全部やり終えました。誰に怒鳴られても完全にドロップ・アウトです」 加納は苦笑する。「昨日怒鳴ったのは悪かったって。それで? 話が他にもあるって聞いたが」  北館は頷いて言った。「ルーチェモンがヒトミちゃんをさらった理由です」  僕は思わず身を乗り出した。「あいつが白状したのか?」  酔いがまわってきたのか、北館は柄にもなく口角をあげてニヤリと笑った。「ええ。ぼくが勝ったら教えるっていう約束だったんです」           ***** 「畜生、畜生…!」ダスクモンの一撃を食らったルーチェモンは、しかし不気味な笑みを浮かべた。 「こんなもので終わったと思うな!」 「何度でも来いよ、もうぼくたちは負けないさ」  その言葉にルーチェモンはタガが外れたように笑う。ダスクモンは疲れで気を失ってしまいそうな自分を奮い立たせ、言葉を放った。 「ルーチェモン、約束だ。教えてもらうぞ。どうしてヒトミちゃんをさらった?」 「彼女は、俺のパートナーになるんだ」荒い息を吐きながら、ルーチェモンが言う。 「パートナー?」 「ああ。あの子こそ正真正銘の〈選ばれし子ども〉だ。俺の支配する世界で、あの子は女王になる」 「馬鹿なことをまだ言ってるのか」 「言ったろ、これで終わったと思うなよって」  ルーチェモンは光に包まれ、その場を去ろうとする。と、少し振り返りダスクモンに言った。 「辻さんにも伝えといてくれ。俺といるのが、ヒトミちゃんが一番幸せになる方法なんだってな」  そう言って彼は、何処かへ消えた。           *****  そんなルーチェモンの伝言で話は締めくくられた。 「これはぼくの仮説に過ぎないんですが」北館が話を切り出した。「ルーチェモンはまだ、本来の力を出し切っていない気がするんです」 「此の期におよんで、まだ強くなるのか? 大体そうなら、お前との戦いでその本来の力を使えば良かったんじゃないか?」加納が眉をひそめる。 「言い方が悪かったですね。本来の力を隠しているというより、その力を使うのをためらっているのではないでしょうか?」 「ためらっている?」  北館は頷く。「最初にルーチェモンが僕たちを殺そうとした時、アイツはぼくを自分の部下に勧誘しました。その時、妙なことを言ってたんです」 「君達は俺のことを誤解してるみたいだ。俺が前みたいに堕天すると思ってる。でも俺は君たち人間と同じだ。過去の失敗を繰り返さないように、様々な努力をしようと思ってる」 「小学生の反省文みたいだな。反省してますか? ええ。もうしません。しないために何をしますか? いろいろなことです」加納が冷笑した。 「ええ、でもアイツは本気みたいでした。多分本気で、自分が堕天することを恐れているんだと思います」 「それがどうして、ルーチェモンの力の話に繋がるんだ?」 「ぼく達の習う伝承のなかで、ルーチェモンは自分の力をコントロールしきれず暴走したんです」  北館のその言葉に加納が手を打った。「なるほど、それでパートナーか」 「僕にもわかるように説明してくれ」  話についていけず、僕は不平の声を漏らした。苦笑して説明を始めようとする加納を遮るように、どこからかクラヴィスエンジェモンの声が響く。 「それについては私が説明いたしましょう。辻さんはデジモンにとって、パートナーがどういう存在だとお考えですか?」 「どうって…心の通じ合った相棒、みたいな?」 「悪くないですね。私とマスターの関係を見ていればそう考えるのも無理はありません。むしろ心が通じ合ったなんて言葉では足りないぐらいで…」 「クーラービース?」加納がたしなめるように彼の名前を呼んだので、クラヴィスエンジェモンは一つ息をついて話を再開した。 「先ほども言ったように、相棒という辻さんの答えも悪くありません。しかし一般的なエージェントとそのパートナーデジモンの関係は、もっと損得勘定に基づいたものなんですよ。一言でいうと、パートナーは我々デジモンの力を制御してくれるんです」 「制御?」 「こいつらワイルド・ワンは、もともとこの世界にいていい存在じゃない」加納が言った。「インターネットは一種の仮想空間だから、そこで出鱈目な力を持っていても問題はないんだ。でも、その力をこっちの世界に持って来ようとすると必ずどこかでおかしなことになる」 「具体的に言うと軽いデータの異常とか、悪い時には体を保てなくなったり、全く違う性質のデジモンに変化することもあります」 「堕天」北館が呟いた。「ルーチェモンがかつての過ちを繰り返すことを恐れているとしたら、性質の変化なんてのはもっとも避けなくてはいけない事態でしょうね。だから自分の持つ強大な力を振るうことをためらった。この現実世界ではその力が自分の体にどんな結果を引き起こすかわからないから」 「そして、ワイルド・ワンがこっちの世界で安定して力を振るうために必要な存在とは何か?」加納がもうわかるだろと言うように僕に水を向ける。僕も頷き、答えた。 「それがパートナー。そしてうちのヒトミは、ルーチェモンの力を引き出すために利用されようとしてるってわけか」 「ヒトミちゃんが〈選ばれし子ども〉の中でも特に強い力を持ってることは、ヒュプノスの調査でも分かってたことだ」僕は加納が前にも、ギギモンのような希少種を呼び寄せたヒトミの力は強いに違いないと言っていたのを思い出した。 「ヒュプノスで、パートナーとの契約ってどうやってるんです?」 「俺たちみたいにヒラのエージェントは機械の力を借りて自分が力を制御できるデジモンを呼び寄せるんだが、〈選ばれし子ども〉達の場合はシンプルだ」北館の問いに加納はそう答えた。すなわち、デジモンと子どもの、相互の了解。 「ヒトミちゃんは賢いですから、あんな奴の口車には乗せられないでしょう。そうはいっても、時間がないのは変わりません。一刻も早く、ルーチェモンを見つけ出さないと」  北館の言葉に僕も頷き、この話し合いは終わりの雰囲気になった。しかしそこで、加納が僕に問いかける。 「辻、あんたもしかしてルーチェモンの言葉を間に受けたりしてないよな? ルーチェモンと一緒に世界を支配するのがヒトミちゃんにとっても幸せだ、なんて」  加納と、彼の言葉を聞いた北館があまりにも心配そうな顔で僕の顔を見るので、僕は思わず吹き出してしまった。 「そんな顔するんじゃない。僕だって、今更そんな口車には乗せられないさ」ヒトミは、僕の店にみんなが集まる生活がとても幸せだと言ってくれた。  けれど、僕ははっとした。僕自身がヒトミの口からその言葉を聞いたことは一度もない。一条秋穂や加納がヒトミがそう言っていたというのを聞いただけだ。 「直接、聞かせてもらわなきゃな」僕は呟いた。それを聞きつけたのか、僕の腕にギギモンが飛び乗ってくる。僕はその頭を撫でた。 「お前の友達がとられそうだぞ。どうする?」  ギギモンは歯をむき出しにして、唸ってみせた。宣誓にも聞こえるその声に、僕たち三人は顔を見合わせ、頷きあった。          *****  百川--ロードナイトモンは鎧から伸びる帯刃を一本伸ばし、振り下ろした。ごとり、と音がしてデュナスモンの右腕が地面に落ちる。血しぶきの中でデュナスモンは苦悶の声をあげた。ステファン、ステファン、とかつてのパートナーを呼ぶその声に、ロードナイトモンは思わず耳を塞ぎそうになる。しかし躊躇ってはいけない。彼女は帯刃を再び振りかぶると、デュナスモンの胸を貫いた。声ならない断末魔。何の痕跡も残さない粒子の霧が視界を包み、それが晴れた頃には肉も血も残ってはいなかった。 「思ったより手こずったわね…」  デュナスモンの戦い方は出鱈目だったが、覚えたてらしいエネルギー弾をそこら中に撃たれ、そのそばに近づくのにも苦労した。 「しかしこれでテイルモンを救ってやることができました。」ナイトモンが言った。二人が合体しロードナイトモンに進化している時、彼が話しかけてくるのは初めてのことだ。いつもはまるでいないかのように振る舞う彼が自分の存在を主張したことは、それだけで何らかの含みを彼女に感じさせた。  百川は彼にだけ聞こえるように、心の中でうんざりしたような声を出す。心の中での呟きなら、声が隠しきれない震えを帯びることはない。 「なあナイトモン、君の言いたいことはよく分かるよ。こんなのは正義じゃない気がする。でもこんな悲しい運命を辿ったテイルモンはいっそこの場で楽にしてやるのが正しいことだったとも思う。よく分からない。考えると頭が痛くなる。私も同じだ」  ナイトモンは彼女の忠実な騎士だった。二人はあらゆる場面において意見の一致を見てきた。よく分からない、自分たちには決められないという意見だ。優柔不断な二人はいつもお互いの考えていることが手に取るようにわかった。百川はたまにそれが嫌になる。ナイトモンも同じだろう。二人とも同じことを考えているなら、お互いに高めあえないのなら、パートナーとは、主君とは何なのだろう。  けれど、その時は違った。 「違いますよ、コズエ。私が考えていたのはもっと単純なことです」 「?」 「ルーチェモンは、気に食わねえなあと思ってたんですよ」  初めて聞くナイトモンの乱暴な言葉に、百川ははっとした。そしてしばらくして、朗らかに笑う。  彼女達がルーチェモンに従って動き出したのは二年前からだ。突然目の前に現れた彼に打ち負かされ、死ぬか自分のスパイとなるか選べと言われた。スパイとなることを選んだのは命が惜しかったからだけではない。彼が力を持っていたから。自分達に進むべき道を示してくれる主君となりうる者だったから。でも--。 「私もだよ。ナイトモン。あいつは気に入らないね」  どこに行ったのだろうか、ヒトミを連れていつの間にか消えてしまったルーチェモンに向けて百川は語りかける。 「ルーチェモン、あんたは自分でデュナスモンを殺すべきだった。容赦をしなかったから、あんたは今まで天使の姿でいられたのに」 聖書に出てくるような、契約を重んじ、時には無慈悲な神。そんな存在でいる限り、彼はかつての友人達に何をしても、自分を失わずにいられたのだ。でも。 「変わり果てたパートナーの前に、あんたは逃げ出した。あんたは結局、神様じゃなかったんだ」  ロードナイトモンは夜の暗闇に向けて歩き出す。どこに行くのか百川とナイトモンが話し合うことはない。二人はいつも、同じことを考えているのだ。            *****  森に囲まれた国道沿いの道を歩きながら、ルーチェモンは苦しい息を吐いた。金色の巻き毛はだんだんと垂れ下がり、左半身に刻まれた紫の文様が熱を持つのが感じられる。隣を歩くヒトミは道路を往来する運送業者のトラックから彼に目を移し、心配そうに声をかけた。 「シュウさん、大丈夫?」 「何で、今更、俺を、シュウと呼ぶんだ」  自分の姿がもはや夏目秀の面影を失いつつあることは、彼自身が一番よくわかっていた。ヒトミは無邪気な声で答える。 「だって、シュウさんはシュウさんだもの」 「やめてくれ!」彼は道路に膝をついた。口の中でぶつぶつと、何かを呟く。 「畜生。俺は違う。俺は違うんだ」  あの頃の自分とは、怒りと悲しみに我を忘れた自分とは。今ではそんな感情は忘れたはずだ。あんなものはフリをするだけでいい。そのはずなのに。これではタダの--。 「普通の人間、普通のデジモンみたいじゃないか…!」  それだけは嫌だ。だって俺は。  彼はふいにヒトミの方を向き、ひざまづいた。 「ヒトミちゃん、頼む。俺のパートナーになってくれ。悪いようにはしない。君はただ、オーケーと言ってくれればいいんだ」  ヒトミは後ろから聞こえたその声を聞いた後も少しの間歩みを止めなかった。やがて振り返り、言う。 「やだ」 「どうして…」 「私には、ギギモンがいるもの」早くまた逢えるといいなと彼女はにっこりと笑った。そして不思議そうに呟く。 「シュウさんにだって、テイルモンがいるじゃない」  ルーチェモンの絶叫は、たまたま通りかかった二トントラックの起こす騒音にかき消されて、その後には何も残らなかった。           ***** 「やあ、二日ぶりかな?」 「そうでしたか? 何年も会ってないような気がしますね。僕は二度と、会いたくなかったな」  僕はカウンターの向かいで笑う百川に銃を突きつけた。その瞬間、隣に騎士の巨体が現れ、その剣を僕の首筋にあてる。その大きな体と大きな剣の動きに、棚からグラスがいくつも落ちた。 「おいおい、後で弁償してくれよ」僕は軽い調子で言ったが、額を伝う冷や汗は隠せなかった。 「コズエに手を出すな」 「僕に懺悔をして殺されに来たんじゃないなら、どういうつもりで顔を出してきたんだ。ヒトミはどこにいる!」 「ヒトミちゃんはルーチェモンと一緒にいるよ。私たちはもう、ルーチェモンの元を離れたんだ」百川は落ち着いた声で言った。その睫毛の動きに僕の目は思わず惹きつけられる。全く情けない。相手はヒトミをさらった敵だ。 「一度裏切ったあんたを、どうやって信じろっていうんだ?」 「私がヒトミちゃんを連れ帰る。次に戻ってくるときは、あの子と一緒に帰ってくるよ」 「結構な心がけだ。そのつもりなら、何で僕の店に来たんだ? こんなふうに剣まで突きつけて、どういうつもりだ?」 「うるさいぞ」ナイトモンが動く、狭いカウンターの中での巨体の動きに、また棚が揺れた。 「気をつけろ! デジタマもあるんだぞ!」 「ナイトモン、頼むから引っ込んでくれない? そもそもこの銃、人間には効かないし」  渋々といったような様子でナイトモンが気配を消す。ハッタリを見抜かれた僕もおとなしく銃を下ろし、手を叩いた。その合図とともに、ギギモンが現れる。何かあった時、最後にヒトミを救えるのは僕よりギギモンだ。彼の安全をギリギリまで守るための取り決めを、彼はあっさりと理解してくれた。カウンターに飛び乗ったギギモンは百川に疑いの目を向けて唸っている。僕も大体彼と似たような目で百川に尋ねた。 「本当に、何しに来たんです?」 「辻さんに質問があって来たんだ。ナイトモンのことは悪かったよ。私のこととなると周りが見えなくなるみたいで」 「質問?」 「辻さんはさ、何のために戦ってるの?」 「戦ってませんよ」  彼女の問いに面食らって、僕は言った。僕は一連の事件に関して全くの部外者だ。加納や北館、周りのメンバーは僕の言葉をなぜか他の人の言葉と同じように尊重してくれる。でも僕は足を引っ張りこそすれ、彼らの役に立てたことなんて一度もない。 「戦ってるよ。沢山嫌なもの目にして、逃げることだって、知らぬ存ぜぬを決め込むことだってできるのに、逃げてない」百川の口調にいつもの少し気取ったような調子はなかった。まるでまだ幼い少女のような話し方だった。 「ねえ辻さん。何の為なら、そんな風に強くなれるの?」 「最初は、全部がヒトミのためだと思ってた」  僕はぽつりぽつりと語り出した。途切れ途切れに胸に浮かぶ言葉の断片をそのまま口に出していく。 「二年前に親友だった明久と咲が死んで、僕は終わった人間になったと思った。それならせめて、二人が残したヒトミを守りたいと思った。そして本当にできるだけのことをした。でも、それはヒトミのためじゃなかった。自分の為、自分の独りよがりな満足のためだったんだ」  思えばこの二年間、僕は結局自分の為にしか生きていなかった。虚しさを抱えた30過ぎの男が、突然目の前に現れた守るべきものにここぞとばかりに飛びついただけのことだ。 「でも六月に加納がやってきて、急に周りが賑やかになった。色んな人が立て続けに僕の前に現れてはヒトミについて勝手なことを言った。ヒトミを守るという役目は加納に奪われてしまった」  僕はヒトミを守る役目にしがみついていただけだった。除け者にされたくなくて、必死で彼らについて周り、血生臭い戦いの前でそっとヒトミの目を手で覆ってきた。僕にできることは、もうそれだけだったから。それなのに--。 「ヒトミは、僕が笑うようになったのが幸せだ、なんて言うんだ。自分も戦いたいなんてことまで言い出した。そしたら僕は、何をすればいいのかわからない。できることなんて、ただ ただ一生懸命、正しく生きることだけだ」  だからそうすることにした。自分の為に、ヒトミのために。 「明久が二年前に北館に言った言葉を僕は聞いた」 「あ、それ、私も聞いた」百川が口を開いた。 未来を守る。 「それは多分、僕たちみんなの未来だ。僕の幸せな未来には、ヒトミが、みんながいるから、僕はそれを守りたいんだ。方法なんて分からない。でもいつか、未来を選ばなくちゃいけなくなったとき、正しい方を選べるように、僕は生きる。君に言わせれば、それも戦うってことなのかな?」  話を終えた僕の目を見て、百川がくすりと笑った。眉をひそめる僕に、彼女は言う。 「話してる時の辻さん。まるで子どもみたいだったよ」 「君こそ、いつもの喋り方はどこに言ったんだ?」僕は思わずムキになって言った。 「ほら、『君』なんて呼び方、初めてよ」  僕ははっとした。そんな馴れ馴れしく百川のことを呼んでいたか、思わず顔が赤くなる。百川はまだ笑いながら立ち上がった。 「辻さんの話を聞いて決心がついた。私達は行くよ。ナイトモン--」彼女はパートナーを呼ぼうとして目を開いた。 「ナイトモンがいない」 「え?」 「辻さんが話してる時は確かにいたのに」彼女は焦った様子でコートをとり、外に出て行こうとする。 「何があったんです?」 「ナイトモンも、決めたんだ。私には分かる。あの子はいつも、私と同じことを考えてるから」そしてふと思い立ったようにギギモンに手を伸ばし、その赤い肌を撫でた。 「辻さん、この子はね、ルーチェモンの手下に当たるデジモンなの」 「ギギモンが?」僕は絶句する。 「でももう一つ、あいつはこの子を『悪魔の子』って呼んでた。確かにその通り、七月頃に仙台であったっていう〈デジタルハザード〉はこの悪戯っ子の仕業ね」 「七月って、あのサイクロモンの件か」あの件に関しては、ヒュプノスもはっきりとした原因をつかめていなかったはずだ。事件の最中、ギギモンが死んだように眠っていたのを思い出す。 「ギギモンは、味方じゃないのか」 「いいえ、むしろ強い味方。あのルーチェモンが『悪魔の子』なんてあだ名をつけるのよ。アイツもこの子が怖いの」彼女はそう言ってギギモンの頬にキスをした。 「この子なら大丈夫。アイツの思い通りにはならないわね。私はそろそろ行く。辻さん、これからが本番よ」 店のドアを開けて一瞬こちらを振り返った百川は、まだ少女のような顔をしていた。             ***** 「よう、だいぶ凶悪な面構えになったな」国道の真ん中に立ち、目の前に立ったルーチェモンに加納が言った。 「やっと会えたな、ヒトミちゃんは返してもらうぞ」 「おとなしく返すと思うんですか?」  半身からは天使、半身からは悪魔の羽を生やしたルーチェモンの声には何か禍々しい、無機質な低音が混じっていた。それでも口調は夏目秀の時と変わらない。 「ミチルさん!」  その声にルーチェモンが振り返る。その視線の先でヒトミが加納に手を振った。しかしルーチェモンが彼女の方手を伸ばすと、ヒトミは金縛りにあったように立ち止まり動かなくなった。 「ヒトミちゃんはそこで待っていてくれ」 「シュウさん! やっぱりシュウさんは私達の敵になっちゃったの?」ヒトミが悲痛な叫び声をあげる。それに向けてルーチェモンがもう一度手を振ると、彼女は今度こそ立ったまま気を失ったように目を閉じた。 「ヒトミちゃんに気を使う気持ちはあるんだな」  加納の言葉にルーチェモンは肩をすくめる。「戦いの脇で喚かれちゃ迷惑だからね」 「お前はもう堕天したんだろう? これ以上ヒトミちゃんに力を制御してもらう必要があるのか?」加納が冷笑を浴びせた。 「うるさいッ! 無駄話はしたくないよ。早く決着をつけよう」  そう言うやいなや、彼は手を加納に伸ばし目にも留まらぬ早さで飛び立った。クラヴィスエンジェモンが現れ、鉄の板でかれを受け止める。 「クラヴィスエンジェモン、〈ゼニス・ゲート〉の管理者よ」子供に諭すようなゆっくりとしたいやらしい声でルーチェモンが言った。 「扉の守護という役割を放棄し、こんなところで何をしている? 俺を受け止めるために使ったこの板は、君が本来命に代えても守らなければいけない扉に見えるが?」 「ああ、その通りだ」クラヴィスエンジェモンも答える。「この鉄屑はよほど大事なものらしいからな、お前でも壊せないだろう?」 「さあ、どうかな」  ルーチェモンが扉に向けて拳を叩きつけると、クラヴィスエンジェモンを守っていたその金属板は粉々に砕け散った。驚きを露わにしたクラヴィスエンジェモンの首をルーチェモンが掴み、腹を殴る。空へと高く吹き飛ばされたクラヴィスエンジェモンを、羽ばたいた彼が追い越し、上から打撃の雨を降らせた。 〈パラダイス・ロスト〉  地面に叩きつけられたにもかかわらず、クラヴィスエンジェモンはすぐに立ち上がる。 「その程度か? その程度では、私は倒れない」  そう言ったクラヴィスエンジェモンの顔は、しかし土煙が晴れると大きく歪んだ。  自分からかなり離れた場所に立つルーチェモン。先ほど自分がされたように、首を絞められ持ち上げられている人間の姿。すでに気を失っている加納の名を、彼は呼んだ。 「マスター!」  ルーチェモンが笑う。 「俺の本命はこっちさ。さあクラヴィスエンジェモン、愛しのマスターが死ぬまで。神様が三秒の猶予をくれたそうだ。俺のカウントダウンで三秒経ったら、この手に少しだけ力を入れる。人間なんて、それだけで十分さ」  さーん、ルーチェモンはゆっくりと勝利を味わうように言った。クラヴィスエンジェモンが地面を蹴って飛び立つが、傷付いた体は言うことを聞かない。後二秒では、とでも間に合わない。  にーい。こんなことは認めなくない。こんなところで、自分はマスターを失いたくない。畜生、どうして翼が動かないんだ。  いーち。マスターに特別な恩があるわけでもない。彼が自分に見返りをくれたことはほとんど無いのではないだろうか。それでも彼は、自分の友達なのだ。独りぼっちだった自分に手を差し伸べた、最初の友達、大切なパートナー。  ぜーろ。  どさり、と加納の体が地面に落ちた。           ***** 「どうしてついてきたの!」  自動車の運転席から百川梢は助手席にいる僕に声をかけた。先日までのどこかよそよそしい雰囲気は無くなり、僕たちの間にはリラックスした空気が流れている。 「君が、自分を犠牲にするつもりじゃないかと思ったからさ」 「そんなことしません!」彼女の声に、僕の頭の上でギギモンがぶるりと震えた。 「そう怒鳴られてもなあ。ところで、行く先の検討はついてるの?」 「ヒュプノスに連絡して、千鶴さんに加納の場所を聞いたわ。そろそろ彼も、ルーチェモンと邂逅してる頃ね。堕天したルーチェモンと」 僕は眉をひそめた。「どうしてそんなことが分かる?」 「ルーチェモンの心もうボロボロよ。もっともアイツの場合心のバランスが崩れるほど力の暴走はひどくなるから、いいこととは言えないけどね。もう存在を隠すことも忘れて、ヒュプノスのレーダーに引っかかってるんじゃないかと思ったの。案の定、そうだったわ」 「加納が、戦ってるのか」 「多分ね。ほら、ここよ」彼女はブレーキをかけ、道路の隅に車を止めた。 「いくら夜だからって、こんな国道の真ん中で…」そう言いながら車から降りた僕は、目の前の光景に息を飲んだ。 「嘘でしょ、やめてよ!」  梢も悲痛な声をあげ、倒れた人影に向けて走り出した。           *****  ルーチェモンは、信じられないと言ったような目で突然緩んだ自分の手を見つめた。何があった? 敵を殺す、まさにその瞬間に、何が自分を邪魔したのだ?  クラヴィスエンジェモンが地面に落ちた加納を抱えて飛び去るのには、その一瞬があれば十分だった。彼から距離を取り、クラヴィスエンジェモンが地面に優しく可能の体を置く。 「ためらいか? ルーチェモン」クラヴィスエンジェモンが言った。 「お前にも人並みの情があったのかもな」 「人並み? 情だと?」この俺が? とルーチェモンは相手を睨みつける。 「もう一度言ってみろ!」  ふたたびクラヴィスエンジェモンに向かっていこうとした彼の口から、突然、ごぼごぼと血が溢れた。 「隙だらけだ。ルーチェモン」 「…ナイトモン、貴様ァ!」  ルーチェモンが自分の胸を貫いた巨大な剣を拳で挟むと、それは容易く砕け散った。怒りに我を忘れた彼は振り返り、その爪でナイトモンを切り裂く。彼の鎧は紙屑のようにぐしゃりと潰れ、その下から血が吹き出した。  それだけあれば十分だった。鍵形の剣を構えたクラヴィスエンジェモンが、ルーチェモンの後ろに迫っていた。 「ナイトモンの言う通り、隙だらけだ」  ルーチェモンの背中が、大きく切り裂かれた。           *****  変わり果てた姿のパートナーに駆け寄る梢を見送った僕の足元に、小さな影が駆け寄ってきた。僕は安堵の表情を浮かべ、その少女を抱き上げる。 「ヒトミ! 大丈夫だったか?」 「うん、おじさん。何があったの」後ろに広がるルーチェモンとナイトモンの血が広がる景色の方を振り返ろうとする彼女の目を僕の手が覆った。しかし彼女はそれを振り払おうとする。 「どうしたんだ?」 「私、もう目をそらしたくないの。シュウさんが悪い奴だってこと、私認めたくなかった。二日間もあの人と一緒にいたのに。もっと早くちゃんと気づけていたら、おじさん達を助けられたかもしれないのに」 「いいんだ、そんなこと」  僕は彼女を抱きしめ、自分の胸で彼女の視界を塞いだ。目の前の景色を見なくても、瞳は何があったかちゃんと知っている。でもまだ今は、本当に辛い現実からこの子を守ってやりたい。それが僕のエゴであってもだ。 「…本当に良かった」  まだ喚いていたヒトミは、僕のその一言で静かになった。  僕らの足元で、ギギモンも嬉しそうに吠えた。           ***** 「どうしてこんなことをしたの!」  百川はパートナーを怒鳴りつけた。ナイトモンの鎧の下からは、もうすでに緑色の粒子が漏れ出している。 「…言わなくてもいいでしょう? コズエと私の考えることは、いつでも一緒だ」 「なんで、なんで!」 「コズエもやっぱり、考えたんでしょう? 命に代えても、って。…私は最後に一つ、貴女の意に背くことをしたかった。反抗期ですよ」  百川は涙を流して俯いた。辻玲一が車の中で指摘した通り、彼女は自分の命と引き換えに彼らの幸せを守る悲壮な決意を固めていたのだ。 「…駄目ですよ、コズエ。まだ分からないんですか? 辻さんが言ってた未来には、コズエもきっといるはずです」 「そこにはナイトモンだっているでしょう! 私の未来にも、ナイトモンがいなくちゃダメ!」  駄々をこねる少女のように百川は泣き叫ぶ。それを、ナイトモンの優しい声が包んだ。 「まったく、コズエはいつもワガママだ。私が求めていたのは、意思が強くて信頼できる主君だったのに」  それでも。 「コズエと一緒に過ごして、私はそれなりに幸せでしたよ」  鎧から見えるナイトモン目の光が揺らぐ、それを引き止めるように、百川は叫んだ。 「私だってそうよ! パートナーデジモンっていうから、どんな強い子が私を助けてくれるかと思ったのに! 私の代わりに、いろんなことを決めて欲しかったのに! ナイトモンはいっつも、私の指示待ちだけだったじゃない!」  だけど。 「私もやっぱり、幸せだった…!」  鎧からはもう声は出ない。それでもまだ二人の気持ちは通じ合っている。だって、二人はいつも同じことを考えているから。  どうして先に行っちゃうのよ?  どうして我慢できないんです?  君がいないと、何もできない。  貴女がいないのは、寂しいですね。  私の大好きなパートナー。  私の誇るべき主君。  今までありがとう。  こちらこそ、ありがとう。  空になった鎧を前に、百川は静かに泣き崩れた。           ***** 「マスター! 起きましたか?」  クラヴィスエンジェモンは加納の顔を覗き込んだ。加納はまぶたを開いて言う。 「…ああ、勝ったか?」 「ええ、勝ちました」立ち上がろうとする加納を、クラヴィスエンジェモンが支えた。 加納の疲れた目が、開かれる。 「クラビス、ツメが甘いぜ」 「へ?」 「アレを見ろ」  彼が指差した先は、ルーチェモンの死体だった。いや、死体だったものと言うべきか。  黒いサナギ。  そう形容するのが一番近いように思えた。だんだんと個体の形を取っていくその闇は、どくんどくんと脈打ちながら時折耳障りな低音を響かせる。 「アレが、夏目か?」  いつの間にか加納の隣に立っていた辻の質問に、加納は肩をすくめる。 「分かんねえ、でもアレなら、情も移んないだろ。好都合だ」 「かもな」 「ギギモンも連れてきたのか?」 「ああ。ルーチェモンを倒す、切り札になるらしいよ」 「へえ、そりゃ頼もしい」役者は揃ったってとこか、と加納は言った。 「向こうの力は底知れない。対してこっちの戦力は幼年期一体とボロボロの究極体一体、あとは?」 「半年に渡る、仲間たちとの思い出?」 「辻、それはちょっとクサイ」 「やっぱりか」 「うん。でもまあ、なんとかなるだろ」  辻と加納は、互いに頷きあうと、目の前の闇に向けて、歩き出した。 「始めようぜ。俺たちの未来を守る戦いだ」 マダラマゼラン一号 2017-12-05T19:53+09:00 六月の龍が眠る街 第九章 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4787&mode2=tree  加納満はトレンチコートのポケットに手を突っ込んで雪の積もった路地を歩いていた。今日一日でいくらか雪が溶けたのだろうか、地面の純白の化粧ははがれ、泥を含んだシャーベット状の塊が加納の歩調に合わせてべしゃべしゃと潰れた。いつもなら夕焼けが街をオレンジ色に染め上げる時間だがあいにく今日は地面の雪と同じ色の曇り空が広がっていて、どっちが上でどっちが下かも分からないような風景だった。  彼は少し大きなシャーベットを避けて、北館祐の首根っこを掴んでどやしつけた昨晩のことを思い出した。彼の読み通り、北館はもう行動を始めているらしい。妙な頼みをされたと千鶴が言っていた。北館の年の割に妙に捻くれて斜に構えた態度は今でも気に食わなかったが、これからはもう少し仲良くできるかもしれない。  とはいえ、と彼はため息をつく。このままじゃ今度は俺が殴られちまうな。今日一日の行動でルーチェモンや百川梢、彼の連れ去った神原ヒトミの足跡は全く掴めなかった。辻玲一も店の年末休みの始まりを繰り上げ、ヒュプノスのオフィスに顔を出しては加納の代わりに細々とした雑事の手伝いをしてくれている。彼としては自分もヒトミを探しに出歩きたいのだろうが、それは加納が止めた。究極体を連れたS級エージェントである高視が、あっさり殺されたのだ。一般人である辻はあのような形でヒュプノスの保護下に置くのが一番良い。それに敵はかつての友人達だ。辻玲一はあれで意外と情に流されやすいところがあるから--。 お前はどうなんだ?  不意に頭をかすめた自分への疑問を加納は振り払おうとした。しかしそれはいつまでも彼につきまとう。  お前は夏目秀を、百川梢を前にして、当たり前のように剣をふるえるか? 「出来るさ」彼は呟いた。その声に反応するように、彼の隣の虚空を満たしている空気が震える。 「どうなさりました、マスター?」 「いや、なんでもない」気遣わしげに尋ねるクラヴィスエンジェモンにそう言ってすぐに彼は隣を向いた。 「なあクラビス」 「はい?」 「あのルーチェモンとかいうやつのこと、どれくらい知ってる?」 「はい、このことばかりは十闘士の連中の方が専門かと思いますが…」  自分のその言葉を聞いてもなお加納が回答を促すのを見てクラヴィススエンジェモンは語り出した。 「ルーチェモン、遥か昔にデジタルワールドに君臨したと言われる天使型デジモンです。眉唾物の神話は省きますが、成長期でありながら完全体デジモンを凌駕する力を持ち、すべての天使型デジモンのルーツとなったと言われています」  クラヴィスエンジェモンはここまで話して口を噤んだ。加納が自分にデジモンについての知識を語らせる時、大抵彼はその内容を聞くまでもなく既に熟知している。それでもクラヴィスエンジェモンに語らせたいのは、自分の思考を整理したいからだ。 「マスターはまさか…」 「ああ」加納は頷いた。 「その、すべての天使型デジモンのルーツってとこが気になってたんだ。あの野郎、ひょっとしてお前の上司に当たるのか? もしそれでお前が相手に遠慮してしまうことがあるのなら…」 「そんなことはありえません」クラヴィスエンジェモンは即答した。しかし加納はなおも話し続ける。 「お前がそう言ってくれるのは有り難いけどさ、俺たちヒュプノスのエージェントはお前達デジモンに力を借りてるだけだ。頼み込んでな。だから、この戦いのせいでお前が向こうの世界でやり辛くなるようなことは避けたいんだ」  その言葉にクラヴィスエンジェモンは、かつての加納との出会いを思い出した。神ももうとっくに忘れているであろう扉と、それを守護する役目に縛られて退屈していた自分をこの世界まで引き寄せた、まだ幼さをたたえた加納の顔を。  ヒュプノスのエージェントは組織の備えるインターネット空間へのゲートの前に手をかざし、自分の持つデジモンを呼び出す因子--それは〈選ばれし子ども〉の持つ量とは比べものにならないほど少ない--に反応してこちらの世界にリアライズしてくれるデジモンを探す。どういう理由かは知らないが、どんなに人間の因子の量が多くても呼び出せないデジモンもいれば、わずかな因子でその人間に惹かれるデジモンもいる。彼等は後者のようなデジモンを呼び出し、対話を重ねて契約を結びパートナーとなるのだ。 「最初に会った時、マスターは私に言いましたよね」  ゲートから現れたクラヴィスエンジェモンに、ヒュプノスは一時パニックになった。クラヴィスエンジェモンはインターネット空間において重要な使命を負ったデジモンである。そのようなデジモンを任地から引き離し、パートナーとして使役することはとても危険なことだ。  加納とクラヴィスエンジェモンが向かい合ったゲートにもアナウンスが鳴り響き、対話をせずに速やかにクラヴィスエンジェモンを帰還させるよう加納への指示がうるさく飛んだ。それを意に介さずに、加納は言ったのだ。 「お前、退屈そうな顔してるな。俺についてこいよ」加納は追憶の中のその言葉を口に出し笑った。 「あの時のお前、面白いことなんか何もねえ、みたいな顔してたもんな」 「はい、マスター」彼は力強く言う。 「そんな私を救ってくださったのはマスターです。確かにルーチェモンは我々にとっては神にも等しい存在ですが、そんなことは関係ありません。大体ヤツが神だとしたら、私はヤツに恨みがあるんですよ。私を生み出すと同時に〈ゼニス・ゲート〉なんていう鉄屑に縛り付け、そのくせそれをすぐに忘れてほとんど死に設定にした…」 「そこまでにしろ、クラビス」  話の後半から妙な熱を帯びたクラヴィスエンジェモンの口調に、別の意味での世界の危機を感じて加納が言った。 「とにかく、ありがとう。クラビス」 「ええ、マスター」  その時、加納の端末が支部からの着信を告げて鳴り響いた。端末を開いた彼の耳にひどく慌てた千鶴の声が突き刺さった。 「ミチルさん、大変です! 」 「千鶴ちゃん? どうした」 「市内のフィットネス・クラブに究極体デジモンが出現、そこにいた民間人を殺しています」 加納は目を鋭くする。「究極体って言ったな、ロードナイトモンか?」  彼は百川がナイトモンと合体して進化した、あの桃色の騎士を思い出した。百川がそんなことをするとは信じたくないが、もう今は何も信じてはいけないだろう。 「いえ、百川さんじゃありません。とにかく、すぐ現場に向かってください! すでに死者は二十人を超えてる模様です!」  最悪の事態だ。顔を険しくして彼が端末を切ると、すぐ隣にはクラヴィスエンジェモンが姿を現していた。その肩に飛び乗り加納は言う。 「行くぞ、覚悟はいいか!」 「もちろんです。マスター」           *****  血の海と化したフィットネス・クラブの真ん中で、クラヴィスエンジェモンは敵方の蒼い龍人と取っ組みあった。龍人が纏う蒼と白の鎧には、あちこちに龍の爪を模した飾りがついている。何より目を引くのは鉤爪のついた大きな手だ。それがどのような効果を及ぼすのかは加納のまわりに転がるいくつもの肉片が説明してくれていた。久し振りの纏わり付くような血の匂いにいつまでたっても慣れないものだと加納は顔をしかめ、目の前で行われている天使と龍人の戦いに目を向けた。  勝負はクラヴィスエンジェモンが圧倒していると言ってよかった。龍人は力こそ強いものの戦闘に関しては全くの素人のようで、先程から絶叫しながら拳をあさっての方向に向けて振り回しているところをクラビスエンジェモンに殴られている。あれだけやられても立ち上がるのだからタフさは折り紙つきなのだろうが、あの戦い方でよく究極体まで生きてこられたものだと加納は思った。その時、再び彼の端末が震える。 「千鶴ちゃん? 相手について何か分かった?」加納は端末を開き、千鶴に問いかける。 「はい、相手はデュナスモン。聖騎士型のデータ種です。エネルギー弾による攻撃を得意とするそうです。気をつけて」 「エネルギー弾?」千鶴の言葉に彼は首をかしげる。 「こいつはさっきから盲滅法に殴ってるだけだ」 「なんでしょう? 進化したばかりで戦い慣れてないとか?」 「まあなんにせよ、こっちにはやりやすいよ。そこだ!」  最後の言葉はパートナーに向けられていた。その拳が龍人の顎にクリーン・ヒットし、彼はクラブの器具を巻き込みながら吹き飛ぶ。苦しそうに呻いた、その口から始めて、かろうじて言葉に聞こえる音の連なりが漏れる。 「…テ…ファ」 「なに?」  加納は驚いて目をあげた。クラヴィスエンジェモンも自分の心に沸いた恐ろしい疑念を瞳に浮かべて加納を振り返る。 「ス…テ…ファ…ン」  デュナスモンの言葉に彼らの疑念は確信に変わった。ステファン、夏目秀の愛称。その名前を使うデジモンを、彼らは一人しか知らない。 「マスター、やっぱり…」 「テイルモンなのか…!」  絞り出すようにそう言った加納の目が、こちらを困惑したように眺めるクラヴィスエンジェモンに迫る拳を捉えた。 「クラビス、危ない!」  とっさに叫んだのも遅く、今度はクラビスエンジェモンが殴り飛ばされる。加納は思わずそれに駆け寄った。 「クラビス! 大丈夫か?」 「ええ、マスター。それよりテイルモンは…」  顔を上げた二人が見たのは、頭を抱えて苦しむデュナスモンの姿だった。うずくまったかと思うと立ち上がり、ステファン、ステファンと絶叫する。加納たちのことは既に視界から消えているようだった。今なら攻撃を叩き込めるだろう。しかし、加納は険しい顔でデュナスモンを見つめるだけだった。 「マスター、今がチャンスです」  クラヴィスエンジェモンが囁くが、彼も手を出せずにいた。彼は普段は加納にそんな相談などしない。チャンスがあると思えば指示を待つことなく飛びかかるのだ。そのうちに、デュナスモンは立ち上がり、何かに導かれるように飛び去った。  その気配が消えたのを感じ取ると、加納は壁に拳を打ち付けた。 「畜生!」  彼はあらゆることに怒りを隠せなかった。ルーチェモンがテイルモンにしたであろうこと。テイルモンの行い。かつての友人を前に、容赦無く剣を振るえなかった自分達。 「マスター」クラヴィスエンジェモンも同じ思いだということが彼には分かった。彼は立ち上がる。 「大丈夫だ。クラビス」  そう言って加納は血だまりを飛び越えながら外へと急いだ。 「ええ。マスターは、正しい判断のできる人です。今は血の匂いで、少しおかしくなったんですよ」クラヴィスエンジェモンも加納に続く。 「ありがとう。でも…」彼は振り返り、パートナーの顔を見つめ、言った。 「次の戦いでも、俺が迷ってしまうようだったら。俺のことは構うな。その場の感情に流されてしまっても、俺もお前も心の底では、なにが正しいかちゃんと分かってるはずだから」  分かるだろ、相棒?  クラヴィスエンジェモンは目を瞑り、頷いた。 「分かりました」  外に出ると、街には既に夜の帳が下りていた。思ったよりもずっと長い時間、彼らは戦っていたのだ。淀んだ血の匂いから抜け出し。加納は冬の夜の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。指先の血管の一本一本に至るまで空気が行き渡るのを感じる。彼はスマートフォンを取り出し、〈アイス・ナイン〉に電話をかけた。 「よお。辻か? ああ、ヒトミちゃんはまだだ。こっちもいろんなことがあったんだよ。そっちはどうだ? なに?」彼は電話を切ると、 クラビスエンジェモンに笑いかけた。 「北館がやったぞ。今度は俺たちの番だ」           *****  どこかの駅の待合室。北館祐との戦いに敗北し、痛みにうずくまるルーチェモンを背にしながら、百川梢は外の景色に抜け目なく注意を配っていた。裕福な家庭に生まれ蝶よ花よと育てられ、二十歳を過ぎて遅い反抗期を始めるまで自分の自由というものを手に入れられなかった彼女にとって、真夜中の景色は見慣れないものだ。親がつけたピアノ教師になぞらされるクラシックに反抗し、学校の音楽の先生から教えてもらったジャズ・ピアノを身につけた。その道に才能があることを示した今でも、実家とはほとんど縁を切った格好になっている。どうせなら昔の自分とも縁を切れればいいのに、と彼女は欠伸をした。かつて身に叩き込まれた過剰なまでに規則正しい生活習慣のために、彼女は未だに夜遅くまで起きていることができなかった。  ヒュプノスでの仕事も、今思えば親への反抗心から始めたことだった。デジモンたちから街を守る正義のヒーロー。アニメや特撮番組を見せてもらえなかった幼い百川にとって、ヒーローは小学校の友人のキャラクターものの筆箱や自由帳、消しゴムの中だけで見ることのできる存在だった。彼女の陰口を叩く女友達が持つ道具に書かれた女の子向けのヒロインより、彼女は男の子達と同じようにヒーローに憧れた。彼らがどんな言葉を話し、何のために戦うのか、彼女は今も知らない。それでも彼女は彼らに憧れた。「正義」の意味も大して知らないのに。  大学生の頃にエージェントとしての才能を見出され、ナイトモンに会った。百川がパートナーに求めたのは、彼女に正義を説いて導いてくれること。しかしナイトモンも彼女と同じだった。自分がついていくべき正義を知らない、不器用な騎士。ナイトモンは百川に、自分の守るべき正義を示してくれる主君を求めた。そういうわけで二人は出会ったパートナーにいくらかの失望を隠せなかったわけだが、似た者同士の二人は結局は仲良くなった。  ルーチェモンのスパイを始めたのはいつからだっけ? 彼女はよく思い出せなかった。それは何のためだったろうか? それもやっぱりよく思い出せなかった。思い出せるのは、目の前に立った彼の顔。敗北したナイトモンの倒れた姿。そして私は、どうしたんだっけ?  彼女は目を伏せ、辻玲一のことを思う。彼は、彼女がこれまでに惹かれたどのような男とも違っていた。それまでの彼女の恋人達は、力強く、多少旧時代的な男女観を持ち、乱暴に彼女を導く人だった。ベッドの中で彼女にひどい暴力を働く男もいた。彼女が新しい男を見つけるたびに友人達は必死になって止めた。とりわけナイトモンはそのような男達への敵意を隠そうとせずに百川を諭したが、彼女はやめなかった。彼らは暴力的でも、自分に何かを示してくれる。  しかし辻玲一はそのような男達とはまったく違った。吹けば飛びそうな細い体に、全体的に線の薄い顔立ち。やつれくぼんだ目に浮かんだ、憂いを帯びた光。彼女は自分でも、辻のどこに惹かれたのかはっきりと分からなかった。 「コズエ」耳元でナイトモンが発した言葉に彼女ははっとして目を上げた。 「何? ナイトモン」彼女の問いに、ナイトモンは待合室の窓の外の暗闇を指差した。  彼女の目に、こちらに迫る青い光が見えた。 「あれは、デュナスモンじゃない?」百川は同情のこもった声で言った。テイルモンの面影が感じられなくなったその姿を思い出すたび、彼女は目を背けたくなる。 「そうですが、様子が普通じゃありません」  闇の中で、デュナスモンの体が輝きだす。その体の形をなぞるように、光の線が現れた。 「危ない!」ナイトモンが百川に覆い被さった。 〈ブレス・オブ・ワイバーン〉    吹き飛んだ待合室の残骸を押し上げて立ち上がり、百川は目を開いた。 こちらに向かって飛びかかってくるデュナスモン、それに手をかざし、吹き飛ばしたのはルーチェモンだった。慌てて立ち上がり、彼女は尋ねる。 「身体は大丈夫なんですか?」 「大丈夫なわけないだろう! しかし、この程度にやられる俺じゃない」彼は傲慢な口調で言った。相手が昔のパートナーであることなど忘れたかのように。  でも、そうじゃない。百川は思った。彼に本当に殺す気があれば、デュナスモンはとうに死んでいるはずだ。 「百川、続き、お前がやれ」  ルーチェモンが振り返り言った。その首からは北館祐につけられた大きな切り傷がのぞいている。その傷が腹部まで一筋に走っているのだ。多分、人間としての体はとうに死んでいるのだろう。死体がなんとかデジモンの力で動いているようなものだ。 「私がやって、いいんですか」彼女が確認するように尋ねる。 「俺には…できない」ルーチェモンの頬を伝う汗に、彼女は初めて気づいた。 「分かりました」  デュナスモンの前に彼女とナイトモンは立ち塞がった。ルーチェモンは彼の力で眠っているヒトミを抱え上げ、どこかへと歩きだす。どこへ行くのか聞く気は無かった。 「ゴメンね。テイルモン」彼女はゆっくりと、そう呟いた。 マダラマゼラン一号 2017-12-05T19:51+09:00 六月の龍が眠る街 第八章 2 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4785&mode2=tree  北館祐は暗い部屋に立っていた。壁には少しの境目もなく、その全てが黒く塗りつぶされているために、中にいると奥行きもうまくつかめないという有様だった。  その奥に何か祠のようなものがある。真っ黒に塗られていることには変わりはないが、その奥には、北館が進化するレーベモンの持つ盾によく似た形の獅子の彫像が置いてあった。  北館が祠に一歩歩み寄り、跪いた。 「ご無沙汰しております」  するとそれに応えるように、部屋の壁が震える。やがてそれは、一つの声のような音をとった。 --まったくだ。ここまでの期間礼拝を怠った闘士は、過去に例を見ないぞ。 「伝説の十闘士、その中でも異端として知られた貴方がそんなことを気にかけるとは、少し意外でした」 --黙れ、他愛もない話はどうでもいい。どうやら、苦境に立たされているようだな。 「そうなのです。ルーチェモンが復活し、我々のスピリットは破壊されました」 --まったく情けない。しかし、スピリットはいずれ勝手に元どおりになる。我々の力の全てを込めたのだ。こればかりは彼奴にも完全には破壊できまい。それに、あれはただの進化のための媒体だ。力は今も貴様らの体に流れているだろう。 「やはり、そうなのですね。スピリットは破壊されても、力は失われていない」 --そうだ。 「それだけを聞きたかった」  そう言うなり北館はおもむろに祠に歩み寄ると、その奥に手を突っ込んだ。黒い壁がぶるぶるとひどく震え、声を伝える。 --何をする! 「今日はこれをもらいにきたんです」  彼が祠から手を出すと、その手には小さなメモリースティックが握られていた。 --〈スサノオ〉プログラムを今更どうする気だ? 「言いたくありません。多分怒られるから」 --分かったぞ、お前らが最近仲良くしているというあの人間の組織に差し出すんだな! それは我々が威信をかけて、何世代もの世代交代を繰り返して作った、最後の切り札だぞ! 「ええ、でもこうするしかないんです」  壁は部屋を崩さんばかりにひどく震え続けたが、北館がポケットのディースキャナをかざすと、そこに白い裂け目が現れる。外へのゲートだ。 「悪いとは思ってますよ、先輩。でも、これはもうぼくたちの戦いなんです」  その言葉に、壁は震えるのをやめたが、もう既に立ち去っていた北館がそれに気づくことはなかった。           ***** 「お前とまた話さなくちゃいけないとはな」  闇の中で、下卑た口調の声が聞こえた。 「ぼくだってできれば、二度とおまえとは話したくなかったよ」 「おいおいおい、北館。そんな言葉遣いをしていいのか? 今日はお前から俺に頼みがあるんだろう?」 「そりゃそうだけど、下手に出たらお前言うこと聞くか?」 「聞かねえ」 「だろ」 「…頼みを聞いてやってもいいが、それで俺に何の旨味があるんだ?」 「とびきり強いやつと戦える、とか?」 「悪くねえが、それだけじゃ弱いな」 「大丈夫、きっとお前の見たいものが見れるよ」 「俺が何を見たいって言うんだ?」 「人間?」 「ふん、くだらねえ」 「強がりはやめたほうがいいよ。ぼくには分かっちゃうんだから」 「面白くねえな」 「まあ、だまされたと思ってついてきてみろよ」 「…分かった。ただし一つ条件がある」 「何?」 「全てが終わったら、終わったらな--」           *****  北館が病室を抜け出してから一日が過ぎ、街は再び月の見えない冬の夜に覆われた。この時間に特有の冷たい風を浴びながら北館祐はスマートフォンを取り出す。電話帳を開き、そこに並ぶ名前を指で上へと流していく。その指が一つの名前で止まった。彼は少し逡巡するようなそぶりを見せた後、大きく一つ息をついて、その名前をタップする。  三回のコール、電話を取るなり話し始めるいつもの声。 「やあ、ユウ。電話をかけてくれて嬉しいよ」  ルーチェモンがにこやかな声で言った。 「殺した気でいたんだろ。残念だけど、この通りさ」 「気づいたと思うけど、スピリットは壊したぜ。戦えなくなって考え直して見たら、俺と仲直りしたくなったのか?」 「馬鹿言うな、この電話は果たし状だよ」 「へえ?」 「今から一時間後、二四時に、高校の校庭で待ってるよ。お前一人で来い」 「今日一日使って、たっぷり準備したってわけか?」ルーチェモンはせせら笑うように言った。「そのくらいで勝てるのかな」 「分からないさ。お前としても、闇雲に来られるよりは面白いだろ」 「その通りだな」 「忘れるなよ。二四時だ。ところで、ヒトミちゃんはどうしてる?」 「俺の力で眠ってもらってるよ。あんまり騒ぐもんだから」 「小学二年生にも善人と悪人の見分けくらいつくだろうからな。なんであの子を攫ったんだ」 「俺に勝てたら教えてやるよ。切るぞ。実を言うと嬉しいんだ。もう一度生きてるユウを見れると思うとな」 「言ってろよ」  どこかの駅の待合室で電話を切ったルーチェモンが横を見ると、ヒトミが薄目を開けて彼を見ていた。 「起きたのか?」 「うん、起きてたよ。シュウさん」  彼は満足げに笑う。「やっとまた俺をシュウだと信じてくれたか」 「ううん、さっきだけ。さっき電話をしている時だけ、シュウさんっぽかった」  その言葉に彼は不機嫌そうな顔になると、ヒトミを置いて立ち上がり外に出た。 「百川、ナイトモン、いるんだろ」 「はい、いますよ」彼の声に応えて、扉の影から百川が現れる。 「俺は少し出歩いてくるから、ヒトミを見ていろ」 「分かりました」百川は俯き、ルーチェモンとは目を合わせないまま頷いた。  彼は立ち止まり、振り返って尋ねる。「デュナスモンはどこに行った?」 「私にも分かりません。あなたが呼べば、あるいは現れるんじゃ…」 「面倒くさいね。邪魔するなって言いたいだけだったから、いないならいないでいい」  彼は再び前を向き、夜の闇へと消え去った。           ***** 「ユウ、元気にしてたか」  ルーチェモンが校庭に踏み入り声を張り上げて言った。北館もそれに歩み寄る。 「遅かったな」 「そうか? そうだとしたら、ユウになるべく長生きして欲しかったんだ」 「まだ言うかよ」 「見せてみろよ。スピリットも破壊されて、どうやって戦うつもりだ?」 「こうするんだ」  北館はコートのポケットからディースキャナを取り出した。それを左手に持ったまま、今度は右手を振る。現れたのは、黒い騎士の彫像、ダスクモンの〈闇のスピリット〉だった。  それを見てルーチェモンは首を振る。「つまんないね。四ヶ月前に倒され、ヒュプノスに監禁状態にあったそいつを手なずけて、今度は自分が使う。だいたい予想通りだ」 「おい、あんまりウケてねえぞ」ダスクモンのスピリットが北館に話しかける。 「別に、あいつを面白がらせるためにやってるんじゃないさ。準備、出来てるな?」 「勝算あんのか?」 「あんまり」 「おいおい、勘弁してくれよ」 「二人で仲良く喋ってないで、俺も仲間に入れてくれよ」ルーチェモンが白い翼を広げた。 「ユウ、君は一日前にもう死んでるはずの人間だ。どうして生き延びたかは興味ないけど、これからの戦いはボーナスステージってとこさ。 特別に、俺の本気を見せてやる」 「そうこなくっちゃな。それと、ぼくが勝ったら、二度とぼくのことをユウだなんて呼ばないでくれ」 「ありえないもしもの話は、つまらないだけだ」 「おお、アイツ、ムカつくな」北館の心の中で、ダスクモンが呟いた。 「お前もそう思うか、ダスクモン。じゃあ遠慮なくいくぞ」 「久しぶりに暴れるとするか!」  北館がダスクモンのスピリットを掴む、次に手を開いた時、それはバーコードの渦となって溢れ出し、彼の手を包んだ。 「スピリット・エヴォリューション!」           ***** 「おい、逃げてばっかりか?」  退屈そうにルーチェモンが言った。彼は先程から、校庭の中心に立ち微動だにしないまま光弾を放っている。ダスクモンは素早く動いてそれをかわしていた。一発でも当たったら勝負ありのはずでダスクモンからしたら命がけの逃走だろう。しかし彼にとっては単調な作業で、つまらなくなった。どうせ殺すなら手元まで相手をおびき寄せて自分の手でやるのがいい、そう思って先程から弾幕に隙を作っているのだが、相手はなかなかそれに乗ってこない。 「いいよ、それじゃあこっちからいく」  そう言った瞬間、彼はダスクモンの目の前に立っていた。目を見張る相手に彼は笑って言う。 「速さなら勝てるとでも、思ってたのか?」  そう言って彼は右手をダスクモンの左胸に伸ばした。  そして、逆に弾き飛ばされた。 「なんだ…?」  彼は着地し態勢を立て直しながら言った。一体世の中に、彼を力で吹き飛ばせる者がいただろうか? かつて戦った伝説の十闘士でさえ、そんなことはできなかったというのに? 「やっとそっちから来てくれた」  ダスクモンの声が響き、今度は彼が切り込んで来た。ルーチェモンがそれを受け止める。その衝撃で校庭の端まで届くほど砂埃が舞い、二人は手と刃を合わせたまま睨み合った。 「この俺と、五分五分だって…!」 「それは謙遜が過ぎるさ。やっぱりお前の方が、まだ強い」  ルーチェモンが渾身の力で押し返したにもかかわらず、ダスクモンは笑ってそんなことを言った。 「どんな仕掛けを使った。ユウ…!」 「ぼくじゃない。これは今までの十闘士みんなが積み上げてきた、力だ」 〈スサノオ〉  ルーチェモンとの戦いに備え、十闘士が作り上げたプログラム。それは十闘士全員の力を、そのうちの二人に結集させるというものだった。 「その二人は神話の中でルーチェモンにとどめを刺したという〈火〉と〈光〉に決まっていた。プログラムもそれに合わせて作られ、他の闘士が使うことはできなかった。 「俺だってそのくらい調べたさ…!」  ルーチェモンが言う。十闘士の力が一つに集まったとしたら、それはただ一つ、彼の脅威になりうるものだ。だからこそ北館のスピリットが分割されていたことでプログラムの発動に必要な条件が揃っていないことを確認した時はほっと息をついたし、昨晩の戦いの際も火と光の闘士は念入りに焼いたつもりだった。 「それなのに! なんでお前が!」  彼が再び力を込めると、ダスクモンが少し後ずさった。 「仲間達がみんな、ぼくに力を送ってくれてるんだ。ウチのプログラムはよく出来てる代わりに万能じゃなかったからね。即席で書き換えてもらった。ぼくも使えるように、未熟でも、全員の力を集められるように」 「須佐之男命と兄弟にあたる日本神話の夜を支配する神にちなんで、このプログラムの名前は〈ツクヨミ〉ってとこかしら」ダスクモンの兜の内側で女の声が響いた。 「それ、いい名前です。千鶴さんはプログラムの書き換えから何から、本当になんでもできる人ですね」 「やだー、北館くん。ひょっとして私のこと口説いてる?」 「ごめん千鶴さん。今通信されると、こっちの気が散る」  イヤーモニターをしてきたのは失敗だったかなと思いながらダスクモンがそう言うと同時に、ルーチェモンが眩しい光を放ちながら一突きしたため、彼は後方に吹き飛ばされた。 「畜生、この俺が…」ルーチェモンはそう呟きながら彼に歩み寄ってくる。 「奴さんだいぶ頭にきてるみたいだ。でも、俺達もそろそろ限界じゃねえのか?」ダスクモンのスピリットが北館に語りかける。確かに、彼の体は限界に近づいていた。〈スサノオ〉でも二人のスピリットに力を集めることを想定しているように、もともと十闘士の強大な力を一人で支えるのには無理があるのだ。 「お前もやっぱりそう思う?」 「さっきみたいな鍔迫り合いは、出来てあと一回だ。一回離れて様子を見ようぜ」ダスクモンの声に、北館は笑みを浮かべた。 「やだね。あと一回なら、それで決める」そして地面を蹴り、ルーチェモンに向かって刃を向けた。 「馬鹿かお前! 少しは戦い方を考えないと、マジで死ぬぞ!」 「その時はお前だけ死ね!」 「滅茶苦茶だな」 「言ったろ、お前の見たいものを見せてやるって。これがそうさ」  ダスクモンとルーチェモンは再びぶつかり合った。ダスクモンの紅い剣とルーチェモンの白い腕が何度もぶつかり合う。手数での勝負ならこちらに多少の分があると踏んだダスクモンの考えだった。しかし--。 「馬鹿にしやがって!」ルーチェモンの両手での一撃をダスクモンも両手の剣で受け止め、勝負は再び力比べの様相を呈した。ルーチェモンの現実離れした力に、ダスクモンは少しづつ押されていく。 「ユウ、残念だったな。やっぱりお前は勝てない」ルーチェモンがそう言って笑うが、表情には最初のような余裕はなかった。 「どうかな」ダスクモンの兜の内側で、北館頬を汗が伝うのを感じた。  彼は呟く、諦めてなるものか。 「そうよ!」イヤーモニターから聞こえる声に彼は目を見開いた。 「真理か?」 「千鶴さんに通信を繋いでもらったの。北館くん、前、私に言ってくれたよね? 北館くんの未来には私もいるって、私もおんなじこと思ってる。北館くんがいない未来なんて、想像もつかないわ。ここにいるみんなもそうよ」  真理がそういうと同時に、十闘士の旧友達の声が彼の耳に飛び込んできた。 「北館、やってやれ!」「祐さん、負けないで!」「勝率は三〇パーセント。勝ったも同然ってことです」「彼女さん泣かせたら、承知しないんだから!」「僕も応援するよー!」「祐にいちゃん、頑張って!」「俺たちの力貸してやってるんだぜ」「ああ、負ける筋合いなんて、ねえよな?」 「ユウくん、絶対に勝って、帰ってきて」 「はあああ!」  ダスクモンがルーチェモンを跳ね飛ばした。彼は剣を構え、すかさずその懐に飛び込む。 紅い刃が、天使の体を十字に切り裂いた。 「これがぼくたちの答えだよ。シュウ」           ***** 「畜生、畜生…!」  ダスクモンの一撃を食らったルーチェモンは、しかし不気味な笑みを浮かべた。 「こんなもので終わったと思うな!」 「何度でも来いよ、もうぼくたちは負けないさ」  ダスクモンの言葉に、ルーチェモンはたがが外れたように笑うと、光に紛れてその姿を消した。 「お疲れ、ダスクモン」ルーチェモンが去るのを見届けた北館は心の中で語りかける。 「マジで死ぬかと思ったぜ」 「君の見たかったもの、見れたか?」 「いや、分かんねえ」 「見れただろう」 「知ったような口聞くな」 「君はもともとぼくのスピリットだからね、分かるんだ」 「ふん、どっちにしろ、俺との約束はまだ果たしてもらってねえ。きっちり頼むぜ」 「もちろんさ」そう言うと、人間の姿に戻った北館祐は、よろけて地面に倒れた。          ***** 「大丈夫ですか!」  百川がルーチェモンに駆け寄る。彼は十字の大きな切り傷から血を流し、苦しそうに呻き声を上げた。 「畜生! ユウのやつにやられた」 「手当をしないと」 「そんな必要はない!」彼は百川の手を振り払った。「ヒトミはいるか!」 「シュウにいちゃん」  どこから出てきたのだろうか、ヒトミが彼に駆け寄った。そして苦悶の表情を浮かべる彼を見て、にっこりと微笑む。 「あ、今はシュウにいちゃんだ」 ルーチェモンの顔が、恐怖に歪んだ。 「その子をどこかにやってくれ!」 「え?」 「俺の見えないところだ! 心が休まらない」  このままでは、ルーチェモンの心に恐ろしい過去の記憶がよぎった。彼は絶叫し、同じ文句を何度も繰り返した。 「俺はもう、堕天しない。美しいままで、世界を手に入れるんだ」  彼は苦しそうに、頭を抱えてうずくまった。           *****  北館祐は、二十四時間前にいたのと同じベッド の上で、目を覚ました。それを覗き込み、三浦真理が顔を明るくする。 「北館くん! 起きたんだね!」  北館は少し手を持ち上げ、自分が自分でないかのようにその手を開いたり閉じたりした後、にやりと笑みを浮かべて言った。 「ああ、起きたぜ」その目にはらんらんとした、紅い光が浮かんでいる。 「…」 「どうした? 真理、俺を労ってくれよ」 「…あんた、ダスクモンでしょ」険しい顔で真理は言った。 「ちっ、バレたか」 「北館くんに何かしたわけじゃないよね」 「んなことできねえよ。これはこいつとの約束だ」ダスクモンは親指で自分の胸を指差した。 「北館くんと?」 「協力する代わり、戦いが終わった後五分間、自分の体を俺に使わせて、お前と話をさせる。それが俺とこいつとの約束だ」 「話? 私と?」北館くんが言ってた「協力」ってこれか、と真理は首をひねりながら呟いたが、やがて意地の悪そうな笑みを浮かべた。 「っていうか何? あんたそんなに私と話したかったの?」 「なっ! 別にいいじゃねえか!」 「そんなに好かれて私ったら幸せ者だなー、でも私、DV男って嫌いなのよね」 「誰がDV男だ」 「あんたといた二年間はそんな感じだったでしょうが! 生憎今の私には、素敵な彼氏もいることですし」 「今や俺がその彼氏の命の恩人だぜ」 「…そうね、ありがと」  真理は急に黙り込んでそう呟くと、彼の唇にそっとキスをした。 「おい! 何しやがる!」 「ご褒美よ」もっとも、貸し借り無しってのに近いけどね、と彼女は笑った。 「も、もう五分だ」しどろもどろにそう言って、ダスクモンは引っ込んだ。  しばらくして北館の目に、今度はいつもの優しげな鳶色の光が浮かんだ。 「今度は北館くんね。お疲れ様」 「…真理、おはよう。ダスクモンと話した?」 「ええ、終わったよ」 「ごめんね、こんなことさせて。嫌なこと言われなかった?」 「ううん。楽しかった」  北館は怪訝そうに眉をひそめた。 「それより、秋穂ちゃんのお見舞いに行こうよ! 北館くん、立てる?」 「うん」立ち上がりながらも、彼は眉をひそめたままだ。 「それなら行こう! どうかした?」真理はいつになく明るい調子で北館を支える。 「真理、もしかしてダスクモンにキスした?」  彼は自分の唇を撫でながら尋ねた。真理は素知らぬふりで彼の背中を押す。 「レッツゴー!」 「真理、やっぱキスしたでしょ」 「いいでしょ別に、北館くんの口なんだから」 「そりゃそうだけど、なんだかなあ」 「妬いてるの? いっつもしてあげてるじゃない」 「ちょっと! 声が大きいよ」 「北館くん」 「ん?」 「私達、勝ったのかな?」 「ルーチェモンはまだ死んでない。でも、多分ぼくの剣は、シュウには届いたんじゃないかな」  二人が自分達の立ち去った病室に置かれた、ヒビの入った騎士の像--力を使い果たし単なる彫像となったダスクモンのスピリットに気づくのは、そのもう少し後の話だ。  病室の白い廊下に、もっと白い陽の光が差し込み、北館と真理、朝よりも夜に愛された恋人たちを、それでも優しく照らし出した。 マダラマゼラン一号 2017-11-21T20:32+09:00 六月の龍が眠る街 第八章 1 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4785&mode2=tree  暗闇の中で、北館祐は目を覚ました。体にはまだ内側から焼け付くような熱い痛みが残っている。ルーチェモンの最初の技のせいだ。 ということはぼくはまだ死んでいないのか?  そう考えて北館は首を振った。一人でルーチェモンに喧嘩を売り、彼の熱線をもろにくらったはずだ。到底生きていられるわけがない。大人しく目を瞑るとしよう。  しかしその目はますます冴えてきた。体の痛みも増すばかりだ。死ぬってのはこんなに辛いものだったのか? そう思った彼の胴に、何か重いものが倒れこんできた。驚いて思わず目を開けた彼は、自分に倒れこんできたものに気付き悲痛な声をあげた。 「秋穂!」  痣だらけの体を横たえた一条秋穂が彼の声に目を開ける。 「ユウくん…? 無事だった?」 「ぼくを庇ったのか?」 「…私の盾じゃアレは跳ね返せなかったよ。情けないとこ、見られちゃった」 「しっかりしろ! なんでそんな馬鹿な真似をしたんだ!」 「ユウくんじゃなきゃ、ダメだもの」 「え?」  北館の腕に抱えられたままその目を見ると秋穂は途切れ途切れに、しかしはっきりした声で言った。 「今から、あいつに何か出来るとしたら、ユウくんしか、いないもの!」  そういうと秋穂は苦しそうにひどく咳き込んだ。北館がその背中をさする。まわりの仲間たちを見回しても、皆動けもしない様子だ。 彼は立ち上がる。全員にまだ息があることは確かめるまでもない。皆が戦友なのだ。彼は口の中で呟いた。 「ルーチェモン、この借りは返させてもらうよ」           ***** 「ねえ、ステファン。今のどういうこと?」  十闘士との戦いを終え、アパートに戻ったルーチェモンを、テイルモンが玄関で出迎えた。 「何って、もう大体察しがついてるんだろ?」  ルーチェモンは完璧な笑みを浮かべると、テイルモンを抱き抱えて、もう一度外に出た。テイルモンは怪訝そうな光を目に浮かべている。 「ステファンが、ルーチェモンなの?」 「そうさ、俺がルーチェモンだ」 「でも、ルーチェモンは悪いやつで、だから十闘士やヒュプノスの連中が、みんなで倒そうとしていたんじゃないの?」 「あれはみんな誤解さ、すぐに分かってもらえる」ルーチェモンはテイルモンを抱き寄せた。テイルモンの白い頬が赤く染まる。 「今、戦ってたのは?」 「デジモンが出てたんだ。俺が倒した。なんてことない、ほんの雑魚だったよ」 「ステファンがルーチェモンなら、私、なんのためにいるのか分からないわ。ステファンを守るのが、私の役目だと思ってたのに」  ルーチェモンはテイルモンを自分の目線の高さまで持ち上げた。 「テイルモンはさ、〈選ばれし子ども〉のフリをするときに、俺が引き寄せたデジモンだ。俺が選んだんだよ」  甘い言葉にもテイルモンの疑いは晴れなかった。ルーチェモンは顔を曇らせ、その体を地面に下ろす。 「悪いけど、テイルモンには決めてもらわなくちゃいけない、俺についてくるのか、来ないのか」 「ついていくわ、でも…」雪の積もった地面を見つめ迷うそぶりを見せるテイルモンに彼は言う。 「どっちかにしないといけないんだ、決めてくれ」 「私、ついていくわ」テイルモンは、自分に言い聞かせるように言った。ルーチェモンはにっこりと笑ってその頭を撫でる。 「ありがとう、決めてくれて、嬉しいよ。テイルモンには、新しい力をあげないとね」 「それがあれば、ステファンの役に立てるの?」 「立てるさ。手を伸ばして」彼は手袋をはずすと、テイルモンに向けて、その白い右手を差し出した。 「嬉しい…」  テイルモンは目をつむり、その手に自分の手を重ねる。すると、その目が大きく見開かれた。悲痛な唸り声をあげながら、テイルモンは地面にうずくまる。 「ねえ、ステファン、なに、これ」 「新しい進化の力さ、少し苦しいかもしれないけど、我慢しなよ」ルーチェモンは目を前に向けたまま答えた。 「わ、わかったわ。でも、これ、きゃあ!」  テイルモンの姿が光に包まれる。その体を覆った輝くサナギは、不定形の単細胞生物を思わせる動きで、ぐねぐねと形を変え、やがて大きくなっていった。ルーチェモンは、その様子を見ようともせずに前に向けて歩き続ける。 「悪いなテイルモン。俺、猫って嫌いなんだよね。ネズミはもっと」 「そ…んな」  サナギからわずかに漏れたその声は、しかし、すぐにかき消えた。  やがてサナギを破り表れた青い人型の姿に、ルーチェモンは少しだけ振り返り、微笑む。 「俺は龍の方が好きだ。ついてこい、デュナスモン」  物言わぬ龍の騎士は、冬の夜道を踏みしめながら、憧れていたステファンの背中を追った。          ***** 「随分立派なレストランを取りましたね」僕は向かいの席に座る百川梢に言った。 「昔ここでリサイタルをしたことがあってね、色々融通がきくんだよ」彼女も笑って返す。今晩は深い緑のタートルネックのセーターに長いスカートという格好だ。 「ディナーのことを決めたのは一週間前でしょう。いくらクリスマスが終わったからって、急に予約をねじ込まれて大変だったんじゃないですか」  僕は改めて店内を見渡した。そこは駅前にある金のある旅行者向けの豪奢なホテルの屋上階にあるフレンチ・レストランで、シャンデリアが僕らの上にもぶら下がっている。百川との待ち合わせの時刻のぎりぎりまで慣れないフランス料理のマナーを詰め込んで来たものの、先程からの立ち振る舞いがあっているかどうか自信はない。もっとも、目の前の百川には先程からマナーを気にする様子は感じられないが。 「それより昨日のパーティは楽しかったね。夏目君も、久しぶりに見たけれど楽しそうにしていたじゃないか」 「ええ、それが何よりでした」  北館祐と一条秋穂に彼を連れてくるよう頼んだ時はそこまで期待していなかったのだが、夏目秀はパーティに出席し、努めて明るく振舞っていた。秋穂がそれとなく教えてくれたところによると、少年少女達の間で何やら会話があったらしい。やはり持つべきものは友人だとありきたりなことを考えたりもした。 「辻さんが企画したんでしょう? そんな風に誰かを気遣う人には見えなかったけれど」 「失礼ですね、僕だって誰かの気持ちになって考えたくなることもあるんですよ」僕にとっても友人を失うのは二回目だ。夏目の気持ちはよく分かった。 「そっか」話の種も尽き、百川との間に気まずい沈黙が流れた。僕は慌てて話題を変える。 「そういえば、高視からのプレゼントは何でした?」結局昨晩の秋穂からの電話は何だったんだろうと僕は心の中で首を捻った。彼女は随分慌てていたようだが、僕からしたら単に訳もわからず聖書を読まされただけだ。 「私? 私が貰ったのはこれ」  彼女はポケットからシルクのハンカチを取り出して広げてみせた。端の方に天使の刺繍があしらわれている。 「あの男にこんな可愛らしいものを選んでくるセンスがあるとはね。辻さんは?」 「僕は聖書ですよ、高視のやつ、キリスト教徒だったんですかね?」 「そんな話は聞いたことないな。神様や正義を信じていたら、ヒュプノスのエージェントはやってられないよ」百川は少し寂しげに笑った。 「貴女は前、正義の味方の話をしてませんでしたっけ?」 「そう、私は異常者なんだ。とても正義とは思えないことをしながら、自分のやってることは正義だって自分に言い聞かせてる」 「我々のしていることは、正義ですよ」  どこからか聞こえたその太い声に、僕は辺りを見回す。百川は大げさにため息をついた。 「ナイトモン、今日はせめて気分だけでも辻さんと二人きりにしてくれって、そう言ったよね?」 「しかしコズエが正義を疑うようなことを言う物ですから」 「良いだろ、オフの時くらい弱気になったって」 「コズエの正義は私の正義、コズエが自分を疑えば、私はどうすれば良いのか分からなくなって、死ぬしかなくなります」 「重い、重いよナイトモン」百川は首を振って申し訳なさそうに僕の方を見た。 「悪いね、せっかくの雰囲気がぶちこわしだ」 「頼もしいお側仕えじゃないですか」僕は笑った。 「そう、頼りになる相棒だよ。私たちは二人で正義の味方なんだ。正義のね」  百川はどこを見ているのか、自分に言い聞かせるように言った。           ***** 「お前、今晩も来たのか」  加納満はバーカウンターの内側、いつもは辻玲一が立っている場所に陣取って向かいに座る夏目秀に言った。 「ええ、何となく」彼はそう言って笑う。 「辻さんはどこに行ったんですか?」 「あいつは百川とデートだ。今日は俺が店番だよ」 「closedって札が出てましたけど」 「聞こえないな」 「ところで、ヒトミちゃんは?」加納の言葉にくすくすと笑うと、彼は尋ねた。 「部屋の奥だ。冬休みの宿題を片付けてる」 「俺が見てあげようかな」 「やってあげてくれ、俺も質問されたんだが、さっぱり分からない」  加納はそう言うと事務室の扉に向けてヒトミの事を呼んだ。すぐに扉が開き、ヒトミとギギモンが出てくる。 「あっ、シュウさん! 丁度良かった。今宿題に分からないところが…」ヒトミは言葉を止め、足元に目を向けると顔を曇らせる。 「どうしたの、ギギモン?」  ギギモンはいつになく大きな唸り声をあげていた。鋭い牙を剥き出しにし、今にも夏目に噛み付かんとしている。夏目が少したじろいだようにギギモンから距離をとった。 「どうした?」  加納の問いにヒトミはわからない、と首をひねる。その時、彼の携帯電話が鳴った。加納は眉をしかめ、それをとる。電話の相手は千鶴だった。 「加納さん! ヒュプノスのエマージェンシーコールにどうして反応しないんですか!」 「エマージェンシー?」  彼は手元のヒュプノス隊員に支給される専用端末に目を向けた。電源は切られていない。緊急事態を告げるエマージェンシーコールはいかなる時にも大音量で鳴るように設定されているはずだ。 「端末の故障かな? 何があった?」 「ヒュプノスのレーダーが例のエネルギー体、〈ルーチェモン〉の消失を捉えたんです。昨日の時点で既にいなくなっていたようで、まだその行方は分かっていませんが、おそらくリアライズした可能性が高いかと」  加納は目を大きく開いた。「最悪の事態じゃないか、どうして兆候を捉えられなかった?」 「何者かがレーダーに干渉した痕跡があります。内部の者です」 「何だって?」 「裏切り者の捜査は続けています。とにかく加納さんはヒトミちゃんにくっついていてください。片時も離れちゃダメですよ。あれ?」千鶴が素っ頓狂な声を上げた。 「どうした?」 「端末が繋がらない原因を確かめてたんですが、ついさっきまで加納さんのすぐ近くで妨害電波が発信されてた形跡があります。明らかにヒュプノス端末の周波数帯を狙ってますね」 「何だって?」  彼は振り返り店を見回した。そして呟く。「なんてこった」  夏目とヒトミはいつの間にか消えていた。何をやっていると言いたげに、足元でギギモンが吠える。  店の電話が鳴る。加納は呆然としたまま千鶴が喚く携帯を置き、受話器を手に取った。その顔がだんだんと険しくなる。 「北館か。今どこにいる? 病院? 何があったんだよ…ちくしょう!」           ***** 「今夜はとても楽しかったよ」雪道の中、百川が僕の右隣で言った。 「僕もですよ」  僕はダッフルコートのポケットに手を突っ込んで、地面を眺めている。隣を見るのはまだ少し気恥ずかしかった。 「ねえ、辻さん?」彼女の声に僕は目を地面から逸らさずに返す。 「何です?」 「私は、とても悪い事をしてしまったんだ」 僕は思わず隣を向いた。「どうしたんですか?」 「バレなければ、なんて思っていたけどね。無理みたいだ」彼女は少し焦った様子だ。 「先に一つだけ言っておくよ。今日のデートが、邪な目的のためだけだったなんて、思わないで」  彼女がそう言うと同時に、見慣れた人型の光が僕らの前に舞い降りた。 「クラヴィスエンジェモン?」僕は言った。 「それに加納も、どうした? ヒトミを見ていてくれるんじゃなかったのか?」 「よぉ、お二人さん。辻、今すぐその女から離れるんだ」加納は鋭い目で言った。 「何を…」  唖然として舌の回らない僕の様子に舌打ちをすると加納は今度は百川の方を向いた。 「おい、百川。ヒュプノスからのエマージェンシーコール、受け取ったか?」 「知らないよ」 「ヒュプノスの端末はデートだからってマナーモードにしておくものでもないだろ。仕方ないから俺が教えてやる、ルーチェモンが解き放たれた。奴は自分の力と思考データを引き離して、思考データの方はずっと人間に混じって暮らしてきたんだ。我らが友人、夏目秀がそれだ」 「な…」衝撃のあまり声も出ない僕の方を見て加納が言う。 「俺もさっき知ったんだ。あの野郎、素知らぬ顔をして店に来て、ヒトミちゃんを連れ去った」 「なんだって」顔から血の気が引くのが自分でも分かる。 「すまない、俺のせいだ。だが今はこの女だ。単刀直入に言うぞ。百川、お前、ヒュプノスのレーダーに細工して、ルーチェモンのデータがヒュプノスの管理下を離れたのを隠していたな?」  百川は少しの間、無言だった。それが突然動き出したと思った時には僕の体は宙を浮いていた。体に蹴りを入れられたのだ。どのくらい飛んだかわからないが、雪の積もった地面に着地し僕は呻き声を上げた。首に冷たい塊が当たり、それがたちまちに溶けていった。夜空だけの景色の中で、飛び交う加納と百川の声が聞こえる。 「辻を蹴ることはないだろ」 「そっちもこの方がやりやすいでしょ? それに、辻さんにはあまり聞いて欲しくない話だしね」 「マジで惚れてたのかよ。今日のデートは夏目がヒトミを連れ出す時間を稼ぐための狂言じゃなかったのか?」 「両方、かな」 「それを辻に言ってやれ、ヒュプノスの取調室でだ」 「私を捕まえるつもり?」 「逃げるのか? あんたのナイトモンと俺のクラビスは力は五分だが、世代の関係で若干こちらが上手だ。速さで勝てるわけでもないだろう」 「そうかもね、でも、これならどう?」  僕は起き上がり、百川の背を見た。彼女の傍には鉄の鎧を着た大柄の騎士、あれがナイトモンだろう。  と、二人が手を繋ぎ、その途端にあたりは光に満たされた。 「おいおい、意味わかんねえよ」加納の声が眩しい光の中で聞こえる。 「ルーチェモンの力が有るとね、いろんなことができるんだ」 「パートナーデジモンと合体したってのか?」 「そういうこと」 「マスター! なんですかあれ、私もマスターとやってみたいです!」 「クラビス、空気を読め。おい、待て百川!」 「今度は多分、私の方が速いよ」  光の向こうから長身でスリムな体型の騎士が現れた。薄桃色の鎧はナイトモンのものとは全く異なるタイトなもので、手には鞭のような武具を持っている。その兜の隙間から、百川の声が漏れた。 「辻さん。まだ起きてたの」見られたくないものを見られちゃったな、と彼女は言った。 「ヒトミを返せ!」 「私には分からないんだ。嘘じゃないよ」鞭が僕に向けられる。金属質な見た目とはうらはらに、頬に当てられたその先端はずいぶんしなやかに揺れていた。 「あんた、正義の味方じゃないのか?」 「それもやっぱり私には分からないんだ。私には何も分からないんだよ」  頬にしたたかな一撃を喰らい、僕の意識は闇に突き落とされた。頬に触れた雪の冷たい感触だけが最後に残った。           ***** 「本当にごめんなさい、ぼくも病院で倒れてしまって起きたのがついさっきだったんです。もっと早くに夏目のことを知らせていれば、ヒトミちゃんを守れたのに」 「君が謝る必要はないさ」  北館祐の謝罪は、いつになくしおらしいもので、相手が自分より二十近く下の子どもだということを改めて知らされた。  僕達は百川とナイトモンが進化した姿--ロードナイトモンに逃げられた後、北館が入院している病室に駆けつけた。この病院は、表向きには耳鼻科なのだが、二階には広い病室に十のベッドが置かれている。ヒュプノスから隠れて活動し、普通の病院には持ち込めない怪我も多い十闘士達のための病院だった。北館の他のベッドの八つのふくらみからは声はない。北館を庇ったという秋穂は特に大きな怪我をしていて、人目を忍んでいては限界があると考えた加納の勧めでヒュプノスの手配した大病院に救急車で連れていかれた。 「夏目秀についてのデータを漁ってきた」加納がリュックサックからクリアファイルを取り出した。その中には、夏目やその親族の経歴が書かれている。 「夏目の父親は日本人の有名商社マン、母親はフランス人の優秀なプログラマー、二人はフランスで出会って結婚した。仲睦まじい夫婦だったが、夏目秀が生まれる頃には不和が目立っていたそうだ」  それはなぜか。 「母親がフランスで夏目秀を妊娠した時、父親は日本にいた」 「不倫か?」僕の問いかけに加納は首を振る。 「いや、資料には当時の夫婦双方の様子が周りの人々の印象まで合わせてかなり詳しく記載されてる。奥さんにそういう様子はなく、そもそも夫とも性交渉を済ませていないと語っていたと、周囲の人は口を揃えて言ってるな。この聞き込みは彼女が死んだ後に行われたものだから、わざわざ隠す道理もないだろう」 「奥さんはプログラマーだった」北館が呟いた」 「ああ、どういう仕掛けかは知らないが、ルーチェモンが自分の思考プログラムを彼女の胎内に忍ばせたに違いない」 「そんな」僕は絶句した。「それじゃまるで…」 「処女受胎、本当のキリストみたいですね」北館が不快そうに言った。 「ああ、奴はデジモンのデータを持ちつつも、人間として生まれて、今まで生きてきたんだ」 「人間に最も近いデジモン」北館が呟き、慌てて補足する。 「ぼくたち十闘士の読まされる、デジモンの世界の神話のルーチェモンに関する記述ですよ。しかしその資料、不倫に関する周りの噂まで書いてやけに詳細ですけど、どうしたんですか?」 「高視が作ったんだ。奴さん、いつから疑ってたのか知らないが、夏目の正体についてかなりいい線まで調べてたに違いない」 「そして、殺されたんですか」 「本当に、夏目が高視を殺したのか?」  夏目がどんな悪人であったとしても、高視を殺したということだけは、僕には信じ難かった。しかし北館は即座に頷く。 「ルーチェモンが自分でぼくたちに教えてくれましたよ。ぼくも信じ難いけど、ぼくたちの常識は通用しないでしょう。なんてったって奴はデジモンたちの世界の創世に関わる人物で、処女受胎で生まれたキリストなんですから。強さも、確かに神がかってました」 「十闘士の連中が束になってかかっても、ダメだったのか?」加納の問いにベッドに横たわった彼は頷いた。 「たった一回の攻撃で、僕たちはやられました。しかも奴は手を抜いた。ぼくたちの命は奪わない程度にね」 「手を抜いた?」 「そう、ぼくたち全員の力を統合する〈スサノオ〉プログラムを使えば、一太刀くらいは入れられたかもしれないけど、そんな時間もありませんでした」 「どうして手を抜いたりしたんだろう、お前らが怖気付いて、もう戦おうとしないとは奴も思わないだろうに」 「戦えないよ」 「え?」 「戦えない。ぼくたち、スピリットを破壊されたんです」彼は僕と加納を交互に見て、寂しげに笑った。 「スピリットを破壊?」加納が目を見張る。 「そんなことができるのか」 「ぼくたちも知らなかっんです。でも、ルーチェモンに出来ないことはないって、考えた方が良さそうだ」詳しい説明は省くけど、と言って北館はスピリットについて語り始めた。 「スピリットはぼくたちの持つ力をデジコードっていう形に変換する、ぼくたちが〈スピリット・エヴォリューション〉をしてデジモンになるために必要なものです。その性質が体質に関わってくるって話からも分かるように、スピリットは完全にぼくたちの体の一部として動いています。だから、それだけを破壊するなんてことは出来ないはずなんですが」 「アイツはやってのけたわけだ」 「こうなった以上、ぼくたちはただの一般人です。ルーチェモンを倒すために何世代もの人たちが受け継いできたスピリットの力は、最大の標的を前にして、あっさり敗れ去ったわけです。後はヒュプノスの方々に任せるしかないですよ」  北館は努めて明るく説明したが、僕たち三人の間には思い沈黙が降りた。それじゃそろそろ行くから、と僕が立ち上がり加納を促すと、彼は病室に響き渡る大きな声で怒鳴った。 「いつもいつも皮肉っぽい態度で、いざとなったらそれか? 情けないもんだ。お前が生きてるのだって、秋穂ちゃんに守ってもらったんじゃないか。このまま引きさがれるなんて、甘えたことを思うな!」 「おい、加納!」  僕は無理やり彼を病室の外に引きずり出し、襟首を掴むと厳しい声で言う。 「どうしてあんなことを言うんだ! あいつだって戦いたいのに、それがもう出来ないんだ。大人が責めてなんになる!」  加納はにやりと笑って、僕の手を外した。 「あいつの目をよく見なかったのか? あれはまだ、諦めていない目だ」 「諦めていないって…」 「まだきっと、あいつがやれると思ってることがある。俺は大人だから、その思いを尊重したんだ」 「命知らずな真似をするかもしれないぞ」 「そうしたらそれを止めるのが大人の仕事さ。それに、あいつはそんなことしないってあんたも分かってるだろ」  僕は黙り込んだ。加納の言う通りだった。北館は僕より二十も下の少年だが、同時に戦友でもある。僕よりももっと多くの死を見てきているのかもしれない。自分の命を簡単になげうつような真似はしないだろう。 「あいつのことはヒュプノスでちゃんと見ておく。俺たちは俺たちで、ヒトミちゃんを取り返すぞ」  僕は黙って頷いた。           *****  辻と加納がいなくなり、再び夜の静寂が訪れた病室で、北館祐はむくりとベッドから起き上がった。先程の加納の言葉が耳に響く。  やれることが無くなったわけじゃない。でも--。  彼が物思いに沈みかけた時、枕元でスマートフォンが鳴った。電話に出てみると、相手は三浦真理だ。 「北館くん! やっと電話に出てくれた。具合は大丈夫?」 「大丈夫だよ、さっき目が覚めたんだ。他の連中はまだ寝込んでるし、秋穂は集中治療室だけどね。みんな命は問題無さそうだ」 「それを聞いて安心した。北館くん達に何かあったらと思うと…。気分は?」 「そんなに良くない。ルーチェモンを取り逃がしたし、ぼくたちはスピリットを破壊されてどうにも手が出せない。大人しく寝込んでるしかないんだ」  本当にそうか? 「しっかり休んだ方がいい。お願いだから命を大事にして」  受話器の向こうで真理が優しく言った。その語調に北館は眉をひそめる。 「真理、いま、思ってもいないこと言っただろ」 「え、そう?」彼女は朗らかに笑った。 「もしそうだとしたら、北館くんが、思ってもいないことを言ったからだよ」  彼は黙って自分の手元を見つめていた。しかしやがて拳を握りしめる。 「真理、一つ頼みたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」 「もちろん!」           ***** 「聞いちゃったー」  真理との電話を終え、よろめきながら病室の外へと出て行こうとした北館を、その声が呼び止めた。彼は苦笑し、振り返る。 「起きてたのか、しかも全員」  その問いかけに、八つの答えが重なった。 「そりゃあ、あの無愛想な北館が彼女と電話してると聞いたらな」「寝てるヒマなんかないよねー」「お前ー、かなりいい感じだったじゃん!」「捨てられないように、大事にしなよ、祐にいちゃん」「それで? こんな時間に、どこに行くつもりだよ」「彼女と夜中のデートじゃない? やっだー」「ルーチェモンに対抗する策を、思いついたような印象を受けましたが」「一人でなんとかしようっていうのかい? 無茶だよー」 「みんな」  一気に声に満ちた病室に、北館は宣言した。 「ルーチェモンは、ぼくが倒す。勝手なことを言って悪い。でも、考えがあるんだ」  それは余りにも乱暴なやり方で、十闘士全員の了承がなければできないと彼は言う。 「協力してくれるか?」  八通りの了解の応答につづき、一つの疑問符が飛んだ。 「秋穂さんには、許可取らなくていいの?」 彼は笑って答える。「秋穂には、聞かなくても分かるから」 「出たよ」 「またいつもの惚気ですかー」 「彼女もいるってのに」 「アッキーも、なんでこんな奴の面倒ばっか見てるんだか」 「うるさいぞ」  そう言って病室を立ち去ろうとする北館を、声が一つ呼び止めた。 「おい、頼んだぞ、北館。世界を、救ってくれ」  彼は振り返らないまま、親指を立てて応える。 「任せとけ」            ***** 「おにいちゃん、シュウさんじゃない」夜道の真ん中で、ヒトミはルーチェモンの手を振り払った。ルーチェモンはかがみこみ、その目を見つめる。 「どうしてそんなこと言うんだ?」 「分かる、シュウさんじゃないよ」  ヒトミは後ずさりし彼から離れた。彼は大股で彼女に歩み寄り、その体を抱き上げる。もがくヒトミの耳元で、彼は囁いた。 「そうだよ、俺はルーチェモン。でも俺は夏目秀でもある。君たちの友達で、〈アイス・ナイン〉の常連の一人だ」 「なんで、私を連れ出すの?」 「君を迎えに来たからさ」ルーチェモンはますます小声になる。「君は〈選ばれし子ども〉だ。ヒュプノスみたいなくだらない組織が認定するくだらない肩書きじゃない。正真正銘の天に選ばれた子なんだ」 「私、そんなものになりたくない」 「なってしまったんだ。しょうがないよ。君は俺と一緒に、天国を作るんだ」 「そこに〈アイス・ナイン〉はある? 玲一おじさんや加納さん、ユウさんや秋穂さんは?」  そんなものは必要ないさ、ルーチェモンはそう言いかけたがヒトミの顔を見て慌てて嘘をついた。「みんないるよ、みんな戦うこともなく、いつもの店で、平和に暮らすんだ」 「ギギモンは?」 「ああ、ギギモン」ルーチェモンは笑った。今度は彼も嘘をつかなくて済む。「ギギモンもいるよ。アイツは俺のお付きの騎士の一人なんだ」 「騎士?」 「ああ、龍の騎士だ。ヒトミちゃん、龍は好き?」 「…うん」 「俺もだよ」  そう言いながら彼は手をヒトミの口に当てた。彼女の目がとろりと光を失い、すぐに眠りに落ちる。 「しばらく眠っていて」そうヒトミに囁くとルーチェモンは再び夜道を歩き出した。 マダラマゼラン一号 2017-11-21T20:31+09:00 アオミドリ色の景色【第五景 デジモンと、人と、の町】 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4784&mode2=tree アオとクレラが辿り着いた町は小ぢんまりしていた。集落、あるいは村と言い換えてもいいだろう。規模は小さいし、周囲を囲うのは木の杭、地面も特に舗装はされていない様だった。 とにかくまずは泊まるところを見つけたいなとアオは周りのデジモン達に声をかける。 「人間がいるのか、となるとこっちでは宿はないね人間は&#9726;&#9726;&#9726;&#9726;だからさ」 アオが聞いたデジモンは大体皆同じように侮蔑的な言葉を交えてそういう意味の事を言った。他のデジモン達にも聞いてみたが、大体みんなそんな態度を取る。クレラが知らない単語でよかったなんて思いながらアオは聞いて回る。 どうも小ぶりなデジモンばかりだったのでアオの首に疲れがたまってきたが、ふと、一体のデジモンが向こうならあるかもしれないとアオ達が入ってきた側とは反対側を示した。 ありがとうと言って村の反対側に向かう。 途中、木で地面に線が引かれていて、そこを超えると途端にデジモンと人間が入り混じり、もう一度地面に引かれた木の線を超えると今度はデジモンがいなくなった。 「ねぇ」 アオがそう声をかけると声をかけた人間は途端に逃げ、それに気づいてその場にいたほとんどの人間が建物の中に入ってしまった。 そんな中で残った人間の一人、片足が義足の老人が震える若者に支えられながらアオ達の方に近づいてきた。 「どうやら旅の人の様だね」 「はい、私達はそうです」 怯えられた事もあって、クレラがそう答えると、老人は会話を英語に切り替えた。 『この町ではね、デジモンと人間が別れて住んどるのだよお嬢ちゃん。あの木の線の内側だけが共有スペースさ。こっちにはお嬢ちゃんの居場所はあるがそっちの&#9726;&#9726;&#9726;&#9726;の居場所はないんだ』 侮蔑的な表現を含む言葉に、クレラは怒りたくなるのを必死に抑えた。 『教えて頂きありがとうございますおじいさん。しかし、汚い言葉を使うのはやめた方がいいと思います。主はいつでも私達を見ておられます』 「アオさん、行きましょう。ここには、ないようです。私達の泊まるところは」 その背中を見て老人はクレラに聞こえるよう、また侮蔑的な表現を使った。その言葉の調子で侮蔑してるとわかったアオが少し首を向けて睨むと、老人は俺を殺す気かと叫んだが、アオは無視する事にした。当然、殺す理由なんて特になかった。 そうして真ん中の方でアオが聞くと、そこにいた人は大変でしたねと苦笑した。 「小さい村ですから宿はありませんが、一つ空き家ならばあります。埃とか積もってるかもしれませんが、そこならお貸しする事ができます」 「ありがとうございます。私は、嬉しいです、雨風がしのげるそれだけでも。幾らになりますか?お代は」 「空き家はこの村で持て余しているものなので、簡単に蜘蛛の巣でも取って、下手に汚さずに使って頂ければそれで充分です」 「それは、とても嬉しいです。きっと、あなたは得られるでしょう。主のご加護を」 その人と一緒に店に立っていたデジモンの案内で空き家に行くと、確かに土埃が積もってはいたが、クレラは寝袋だし、アオはそもそも岩山でも気にしないそう大きな問題はなかった。 さぁ、始めましょうとクレラが空き家の中に放置されていた木の枝をまとめた竹箒のようなものを取って床を掃きだすと、アオはクレラ一度家の外に出して、息を吹きかけて一気に土埃を追い出した。 部屋の中にまだ幾らか舞う土埃が落ち着くまでアオの頭に乗って家の外側にある蜘蛛の巣を払っていると、蜂の巣を見つけた。 さっきのデジモンにそれを伝えると、危ないのでできれば取って欲しいと言われたので、アオが巣ごと口の中に入れて、少し口の中で空気を震わせると、中の蜂達は絶命した様だった。 「さて、これどうしよう?」 アオが聞くと、クレラは何故そんな決まりきったことを聞くのだろうと首を傾げた。 「何かあるんですか?食べる他の活用する方法が」 「いや、僕がいたところ大体蜂食べなかったから……単に処理の仕方がわからなかったんだけど、食べ方を知ってるの?」 アオが言うと、はい、とクレラは元気よく返事をした。 「神父様はそれを作ってくれました。その時、誰かが見つけた、蜂の巣を」 でも掃除の後にしますと言って、クレラは途中になっていた掃除を再開した。 それを終えるとクレラは念の為にとアオに乗るときに使う手袋をつけ、ゴーグルをかけ、顔の周りに着替えのシャツを巻いてから蜂の巣を割り出した。 開けて見ると確かに幾らか生きた蜂もいたが、弱っていたのでクレラが一匹ずつ潰した。 どうやって調理するのだろうとアオが見ていると、一通り終わったところで水汲み場を聞きに行く事にし、行って戻ってくると何人かが興味深そうに解体された蜂の巣を見ていた。 クレラは、神父様に教えてもらったんですと、時々名前をど忘れしてたり、思い出しながら、あまり手際よくとは行かずに蜂の巣の中で食べられるところと食べられないところを分けたり、幼虫や成虫を取り出したりする。そして取り出した成虫を蜂の蜜が溜まったところと一緒に水と塩で煮つめていった。 そうして完成したものを食べて、うーんとクレラは首を傾げた。何かが足りなかったのか、手順を間違えたのか、それとも蜂の種類の問題か、甘辛い、佃煮か甘露煮の様なものを作ろうとしたのだが、どうもうまくいかなかった。 ただ、それでも蜂の巣を取るだけで食べる事をしてなかったその村では一応の価値はあったらしく、捨てるだけよりはいいかと喜ばれた。 それがきっかけで少しずつクレラとアオが受け入れられる流れができると、ある会話の傾向にアオとクレラは気づいた。 「あの排他的なやつらはやはりいけない」 「人間差別するやつらがいなくなればいいのに、あぁいうデジモンは同じデジモンと思いたくないね」 「デジモン差別するやつらが消えたらもう少し平和になるかもな」 デジモンだけ、人間だけで生活するもの達に対しての見下した様な発言に、少しずつ嫌な気分になっていく。 なるほど、こういう場所なのかとアオはここにクレラを置いてくことは考えない方がいいなと諦めたが、クレラは聖書を持ち出してきた。 「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」 その言葉があまりに滑らかでアオは少し驚いた。 「私は、教えてもらいました、神父様に、その意味を」 何だ何だとざわつき出す。 「何故、その人は、打つのでしょう、頬を。わかりません、しかし、人が、差し出したら、左の頬を、驚きと共に困ります。これらは、仕返しです」 クレラの言葉に、そこにいた人達は少しばかり首を傾げる。 「その項目は、語っています、下着を盗られたならば上着をもあげなさい。一ミリオン行けと強制するものとニミリオン歩きなさい」 それが聖書の文言だとわかった人間の一人がその言葉を遮る。 「お嬢ちゃん、お説教はありがたいんだけどね、もう少しまとめて、わかりやすく言ってくれないかな」 それは説教されるのが気に食わなかったその人間が子供ならまとめるのに時間がかかるだろうと黙らせる為に言った事だったが、クレラの口が閉じられる事はなかった。 「あなた達は、同じです、あのデジモン達とあの人達と。しています。同じ悪い事を、あなた達が言う」 その言葉は簡潔で、たとえ語順が崩れていようとどうしようもなく聞いていた者達に突き刺さった。 「あなた達は、蔑んでいます。そして、言っています、それが悪い事だと」 クレラが繰り返した言葉はわかりやすかった。わかりやすいだけでなく身に覚えもあった。ただ、それを認めたくない者もいた。 でもそれはアオが睨んだ事で止んだ。その場にいたのはどう見たってアオより弱いデジモン達だけだった。アオとしてはそこに敵意も何もなかった、手を出して来そうだからその時には庇える様見ておこうという程度だった。 「善をもって悪に勝ちなさい」 その言葉に対して綺麗事だと誰かが吐き捨てた。アオの存在がなかったらすでにクレラは止められていただろうし、下手をすれば暴力を振るわれていただろう。 「私達は、してはいけません、悪を、悪に対しても。神父様が言っていました。時もあります、報復していい。でも、してはいけません、悪を。そこで、右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい。言われるのです」 右の頬を打つ様な時はどんな状況だろうか。相手をやり込める時だろうか、黙らせる時だろうか、多くの場合それは、相手にとって嫌な事としてする訳だ。それを受けた時に自らもう片方の頬を差し出す。 それは相手に対し確かに困惑を与え、やり込めるやり方と言える。暴力を用いず、傷つけず、確かに報復でありながら、そこでもう一度頬をたたくか、それとも止めるのか、つまり悪い事を止めるのかそれともさらなる悪を行うのかという選択の機会を与えているとも言える。 キリストは原罪から人を救った。先日のクレラがやった簡易的な埋葬の際の油を塗る行為も罪の赦しを与えるもの、神に請い願うものだ。 「……ご高説痛みいるよ。ただ、明日にはこの街を出て行って欲しいね」 クレラにかけられたのはそんな言葉だった。後ろめたい顔をする者こそいたが、皆が去っていき、中には地面に唾を吐いていく様な者もいた。 クレラはそれを悲しげな顔で見送り、ぽつりと何かを呟いた。 それにアオが少し顔を動かすとクレラはアオの方を見て泣きそうな顔をした。 「私は、したのでしょうか、いけない事を」 その言葉に、アオは首を縦に振った。 「多分それは見たくないものだったんだよ。自分の汚いところを見なきゃいけないし、多分ここはそういう場所になってしまってるんだ」 そういう場所とはとクレラが聞くと、アオは少し言葉を考えた。 「自分は素晴らしいと信じたい誰かの集まり、みたいな感じかな。幾らかの人間はデジモンやデジモンと仲良くする人間を蔑んで自分は違う素晴らしいと安心する。幾らかのデジモンはその逆、で、共存してるデジモンは、またって感じ。そうやって人間界に帰れない不安とか、僕みたいなそれなりのデジモン相手に歯が立たない事とかを忘れようとしてるのかもしれない」 劣等感とそれを誤魔化す優越感。自分の下に誰かを置く事でしか自己肯定できなくなった者達の吹き溜まり。 そこではそれに触れてはいけないのだ。この街のルールを秩序を正しく否定する等は以ての外、受け入れられる訳もない。 「だけど、間違ってはないんだと思うよ」 アオは、キリスト教の終末思想を知っていた。それはグリフォモンとミドリの父親が話しているのを聞いていたからであり、また、クレラも同じ事を言っていたからだ。 この世の最後には神が天国行きか地獄行きかを決める。であるならば、善良な行動を取るのは、悪い事をするよりもずっと先の利益について考えているというだけとも言える。 すごく極端な事を言えばそれは単なるリスク管理である。 だから、それは、決してそこにいるデジモン達や人間達にとって遠すぎて無理がある全くもって成せない様な気高い行いとは違う。 ただ、終末思想や輪廻転生の思想を持ってないものにとっては気高い行いに思えて遠い行いに思えるだけなのだ。 アオはそれを指摘しない。上手い言葉も見つからなければ、クレラにはおそらく最後の審判について考えた事がないという事がわからないだろうと思うからだ。 『……せめて彼等のこの行いを、罪となさらないで下さい』 クレラの祈った内容は、アオにはよくわからなかった。ただ相手の為に祈ったのはわかった。 翌朝、町を出て一時間か二時間かして、少し高い丘に着いた時、アオは自分達の方へ向かうジャガモンの大移動を見つけた。 ジャガモンは完全体ながら珍しく群れる。完全体の中では弱いと言われるがもし正面からぶつかればアオも当然潰されてしまうぐらいには強力で、ジャガモンの大移動は人間界の自然現象で言うならばバッファローの移動かイナゴの大群か、はたまたハリケーン等と並ぶ脅威だった。 「……この方向は、ぶつかるねこのままだとまっすぐ村にも突っ込む」 「戻りましょう!」 だから横に逃げないととアオは言おうとしたのだが、クレラの言葉に迷いはなかった。 いくらジャガモンが完全体といってもアオの種はその足の速さに特徴がある種でありジャガモンよりも速い。村まで戻って伝えてから逃げる事はできないわけではなかった。 「……わかった。だけど避難の手伝いとかする程の余裕はないと思うからそれは諦めてね」 はい、とクレラが返事したのを確認してアオは村まで戻った。そこの門のところにいたのは人間だった。 「これからジャガモンの群れが走ってくるよ。木の柵なんかじゃ防げない。村を捨てて逃げて」 アオの言葉をその人間は笑い飛ばした。 「聞いたぜ?昨日トラブル起こしたって、そうやって村から追い出して金目のものでも巻き上げようって魂胆だろ」 アオはクレラの方をちらっと見たが、クレラは首を横に振った。 「デジモンがいた筈です、飛ぶ事ができる」 門番は引かないのを察して銃でも取り出してやろうとしたが、アオは容易く木でできた柵を飛び越え、人間達だけの部分を超えて人間もデジモンもいる場所まで行くと同じ事を言った。 すると、ほとんどは信じなかったが、一体、昨日後ろめたそうにしていたデジモンが飛んで、その姿を見つけた事を報告した。 そして町の中はパニックになった。 逃げるものもいたが、多かったのは、食べ物や水を取りに行くものだ。そんな余裕なんてないとクレラが叫んでもとてもうまくいかない。 「アオさん、お願いします、行ってください、門のところに」 クレラの言葉にアオはもう十分だろうと思ったし、今度は何をするつもりだろうとも思ったが、大人しく従う事にした。幸い、アオにはまだ余裕があった。 先程の門のところに行くと、すでにパニックになっていた。 「アオさん、お願いします、油を!」 暴動を起こしている人間達の取り合っている油をアオが脅して取ると、クレラはそれを門の周りに撒き出した。 「……燃やすの?」 「はい、きっと、みんな、逃げます。それに、ジャガモン達が、気づくかも」 でも大きな火になるまでにどれだけかかるかとアオは言おうとしたが、その言葉を止めた。アオ達の方に一体のデジモンと一人の人が油の入った容器を持ってやってきた。 一体はさっき飛んで本当のことを言っていると伝えてくれたデジモンだった。 「油を……持ってったって聞いて」 少し気まずそうな顔で人間の方がそう言って、油をアオの足元に置いた。 「えと、火をつけるなら、自分がやります。飛べるから、高いとこから油もかけられるし、電気出せます」 そのデジモンがそう言って、手に持っている油を持って門の上まで行く。 「私は……確かどこかに戦車に使ってた燃料の残りがあったと思うので探してきます」 そうして作業していたのは多分数十分か、一時間かほどだったが、炎は煌々と燃え上がった。 手伝うデジモンの数は増えたがそれ以上に皆が逃げ、地響きが伝わって来た。 アオがジャガモンが来るはずの方角を見ると、もうその姿ははっきりと見えるようになっていたが、明らかに正面を向いていなかった。直角に曲がったりはしていなかったが、斜めに斜めに曲がって行って、そうしてついに町の横を通り過ぎて行った。 それを確認してアオは燃えている門と隣り合った柵を崩し、脆くなった門を咆哮で破壊した。 それを聞いてか、火が消えたのを見てか戻って来た町のデジモンや人間はすぐに手のひらを返した。馬鹿にしていた門番も侮蔑的な言葉を使った人達もが笑い喜び手を取り合っている。 皆の喜びの言葉がとりあえず部屋の中で騒ぎが収まるのを待っているクレラのところにまで届いて来る。建物の入り口はアオが塞いで押し留めている。 クレラは覚えている。神父様は畑仕事の時にハンカチを持つのを忘れて忘れてドアノブを濡らしてしまっていたし、ピッドモンは翼を畳むのを忘れてよく入り口に引っかかっていた。 人間もデジモンも、変わろうとしてすぐに変われるわけではない。小さな事でさえ気をつけていてもつい繰り返してしまうものだ。 ここで喜び合いデジモン人間なく喜んでいるもの達も、明日にはまた三つに分かれて暮らし出し、侮蔑的な言葉を投げかける。 だけど、きっとそうじゃない誰かもいる。そうじゃない様に心掛けて行って実際に変われる誰かもいる。 「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせる」 クレラはそう呟いた。クレラはその言葉を特に胸に留めていた。悪にも善にも神は等しく救いの手を差し伸べている。ただ、悪はその手を取らない行為だ。だから私達は善を為すべきだと。 アオは、クレラに長居はさせなかった。少しクレラが休んだところで、お礼の物なども受け取らずに町を出た。アオはお礼の物を受け取ろうとしたのだが、クレラが受け取らず、むしろ自分達が使ったものについて不安そうに口にした。 その時そこにいた者達はそれを、必要だったから仕方がない、気にしないでくれと口にして二人を見送った。 アオもクレラもその言葉を受け止めてそこから離れた。 まだ煙は空に細く昇っていて、街の姿は見えなくなっても尚二人にまとわりついているかの様に思えた。 アオはそれを見る事なく、クレラは小さく祈りの言葉を呟きながら、そこから離れていく。そしてもう戻ることはなかった。 ぱろっともん 2017-11-19T19:57+09:00 感想ありがとうございます http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4778&mode2=tree 感想返信遅れてしまいまして申し訳ありません。 書いた私自身よりも良いところを見ておられる……なかなか普段書く感じのものと違っていたこともあって自信がなく、不安に思ってしまっていましたがこんな素敵な感想を頂けると嬉しく思います。今回は回想だから描写を少なくしよう程度の安直な考えでしたが、勉強になります。 私のグリフォモンの知的なイメージはヒポグリフォモンの図鑑のグリフォモンほど知性が高くないに由来してる気がします。ヒポグリフォモンはグリフォモン程高くないならばグリフォモンは知性が高いんだ、というイメージです。 読んで頂き、感想まで、悉くありがとうございました。 ぱろっともん 2017-11-15T22:54+09:00 感想 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4778&mode2=tree  投稿から少し間が空いてしまいましたが読ませていただきました、ノルトンと申します。  稚拙な文章ではありますが感想を送らせていただきます。  語り部の体験を追っていくうちに、読者にほんの少しだけノスタルジックの世界に浸らせてくれる素敵な作品だと思いました。  作品自体も語り部の体験や周囲の説明はほとんど最低限なものに抑えられていて、彼の視点で物語を読みすすめ易くなっているのだと思います。また、最後の彼女との遭遇話から「ここから冒険的な出来事が始まる」と思わせることのない締め方も、登場人物は一般人であり「主人公ではない」という現実を示していて一般人から見たリアルなデジモン観をうまく表現できていると感じました。  以上の要素がこの作品独特のノスタルジックな演出に一役買っているのだと思います。  彼女の正体についてですが、そのデジモンであるとは気づけませんでした。(これは自分の知識のなさと察しの悪さが要因ですが・・・) しかし正体を知った時にそのデジモンが知的な振る舞いをするという新しい視点を見させていただいたので、そこまでネガティブな印象にはなりませんでした。    以上、簡単な内容となりましたが感想と代えさせていただきます。  ここまで読んで頂きありがとうございました。 ノルトン 2017-10-20T19:16+09:00 六月の龍が眠る街 第七章 2 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4780&mode2=tree 「楽しかったね」  雪の降りしきるクリスマスの夜、暗い住宅街の中を歩きながら秋穂が言った。街灯の光を雪が反射し、いつもより道が仄かに明るい。この雪降る夜の暖かな照明は、闇の闘士である北館の目にも痛みを与えなかった。  クリスマスパーティは努めて賑やかに行われた。その会はヒトミが赤い絹の布で包んでクリスマスカラーに仕上げたグランクラガーモンのデジタマを囲んで行われた。ギギモンも赤い体に白と緑の毛糸を巻きつけ得意げにしていた。 「でも本当に私も来てよかったのかな? 大人の人達は私のこと知らなかっただろうし、それに何より--」真理が口をつぐんだ。自分がダスクモンとして危うく高視を殺しかけたのを思い出したのだろう。野暮なことは言いっこなしだと夏目が答えると彼女はほっとした顔になった。 「三浦さんこそ、今日は北館を引っ張り出してよかったのか?」 「いいの、大体のことは昨日のイブに済ませたし」 「真理、誤解を生む言い方はやめてくれ。食事をしただけだろう」彼女はよく表情を崩さないで恐ろしい事を言う。    昨夜のクリスマスイブでのバーの混雑のために疲れ切った辻が、飲み物はセルフサービスだと宣言した。 「秋穂、酒に手を出してなかったか?」 「そんなことするわけないじゃない、ちょっとだけ」 「飲んだんだね」 「千鶴さんが勧めるから」 「あの人すごい元気だったね。加納さんとうまくいってるのかな」  そしてプレゼント交換、ヒトミは色とりどりの毛糸を使って全員分のミサンガを編んでくれた。北館は黒にピンク、夏目は白に水色、秋穂は緑、真理は藍色だった。 「闇のスピリットだから黒ってことかな」 「私もそうだったけどね」 「真理ちゃんは藍色が似合ってるからいいの。 それつけてるとユウくんと夏目くん、ほんとにコンビみたいよ」 「ユウが黒、俺が白。こういう配色の二人組のアニメがあったな」 「それアレだろ、僕らがまだ小さい頃に日曜朝にやってた女の子向けの。見てたのか?」 「ユウもどうせ見てただろう」 「ユウくんはちっちゃい頃あのアニメが大好きでねー」 「やめろ秋穂」 「あんたそんな子だったの。笑える」 「うるさいよテイルモン、ミサンガはもらえたのか?」 「私はシュウとお揃い、尻尾につけたわ」 「…どこにもないけど、落としたんじゃないか?」 「ええっ、ホントだ。ついホーリーリングのノリで」 「この雪の中じゃ探すの大変だな。ヒトミちゃんが頑張って作ったのに」 「北館くんもからかうのはそのくらいにして、探すの手伝ってあげて」 「絶対に見つけるわよ」 「しっかし辻さんの親馬鹿にはびっくりしたな」  辻がヒトミに用意したのは大きな電子ピアノだった。まあ普段は店に置くんだけどな。と彼は照れ臭そうに言った。有名なピアニストである百川がヒトミにピアノを教えてくれると言うので奮発して買ったのだという。  そしてそのピアノを使った百川のリサイタルがパーティの最後を飾った。 「素敵だった」 「あの人、ピアノ弾いてる時は全然印象違ったな」 「うん、おしとやかだった」 「玲一さんもうっとりしてたね」 「そうだったか?」 「アレは惚れてるよ、絶対に」 「やーね、大人って」  そんな事を話しながら、四人はそれぞれの手に持った紙包みを天に掲げた。高視が用意していたクリスマス・プレゼントだ。ラッピングを終えた大きさも様々のそれらの袋には、それぞれの名前が書かれていた。 「ねえ、今開けちゃわない?」 「家に帰ってから開けるって言ったろ」秋穂の提案に北館は顔をしかめた。 「堅い事言わないで。いいでしょ? 夏目くん」  夏目は微笑む。「いいんじゃないか?」 「まあ、シュウがそう言うならいいけど」  四人は街灯の下に輪を作り、夏目の掛け声で一斉に袋を開いた。 「私のこれは…手袋だ、可愛い」そう言って真理はその場で厚手の黒い手袋をはめて見せた。 「その模様は、悪魔かな?」 「ダスクモンのつもりなんじゃない?」 「いくら殺されかけたからってそんな事」 「アイツ、結構嫌味だからね」テイルモンが笑う。 「でも可愛いよ。北館くんは?」 「僕は、手帖だ。表紙のこの模様は槍かな」北館が黒い革張りの手帳を振って見せた。 「レーベモンだからね」  彼はパラパラとその手帳をめくり、少し顔をしかめた。 「どうかした?」 「いや、なんでもない。秋穂は?」 「私は懐中時計だったわ」電池切れてるけど、と秋穂が言った。「わっ、蓋が鏡になってる」 「メルキューレモンだな。よく考えたもんだよ」 「シュウは?」三人が夏目の方を向いた。 「コレだ」  彼は銀製の栞を見せた。そのてっぺんには驚くほど精巧な装飾の、美しい天使が配置されている。 「うわ、すっごい綺麗」秋穂が、声を上げる。 「高視さん、少しは本を読めって、俺にいつも言ってたから。テイルモンにもあるぞ」 「なにこれ、新しいグローブ?」テイルモンが照れ隠しだろうか、憮然として言う。 「あの男の手編みなんてぞっとしないわね」 「高視さんは、死ぬ前に俺に謝ってたって、辻さんが言ってた」雪の中を歩きながら不意に夏目が言った。 「シュウに?」北館が首をかしげる。 「俺に取り返しのつかない事をしたって」 「なんだろう」 「きっと、この栞のことだな。俺が本に興味ないって知ってて」  彼は一同の方を振り返ると栞の天使を顔の高さまで持ち上げ、久し振りにあの完璧な笑みを浮かべた。           ***** 「ねえ真理ちゃん」  寝る前、布団の上で高視のプレゼントの時計を眺めながら秋穂が隣の真理に話しかけた。 「どうしたの?」 「いや、時計って普通、買う時から電池入ってるよなーと思って」  彼女が貰った時計はなぜか最初から電池が入っておらず、止まったままだった。 「それってボタン電池? あったと思うけど」 「いや、入れるのは明日でいいんだけどさ」彼女は首を捻っていた。 「その時計だと、今は何時?」真理が尋ねる。 「2時12分」  今もさっきもこれからも、電池を入れるまでは永遠に2時12分。 「ずいぶん半端ね」 「なんか引っかかるのよね」  彼女は枕元の携帯電話を取り、北館にダイヤルした。何回かの呼び出し音にも彼は応えず、秋穂は電話を切る。 「ユウくん、私の電話は無視するのよね。真理ちゃんの携帯貸して」そして真理の携帯電話を耳にあてる。 「ああ、ユウくん。私の電話は無視して真理ちゃんの電話には出るのね。まあそれはいいのよ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」  彼女はそう言って何事か話し、電話を切るとさっきよりますます首を捻った。真理がその顔を覗き込む。 「北館くんがどうかした?」 「うん、高視さんのくれた手帖を見て、ユウくんちょっと顔をしかめてたじゃない?」 「そう?」 「そうよ。それで何かあったのかと思って、聞いて見たの」 「それで?」 「手帳の年間予定表のね、クリスマスのところに書き込みがあったんだって」 Consapevoli della 光あれ 「Consapevoli della」真理が呟く。「イタリア語ね。気づいて、ってこと」 「真理?」 「お父さんに習ったの」真理が少し寂しそうに笑った。 「気づいて、光あれ」  秋穂は立ち上がって机に腰掛けた。 「光あれ、っていうのは気の利いたクリスマスの文句にも聞こえないことはないけど、気づいてってことはやっぱり何かあるんだ」 「メッセージ?」 「そう、高視さんは北館くんの手帖のクリスマスの日付にそのなんとかっていうイタリア語を書き込んだ。私達に何か気づいて欲しいことがあるの。そしてそれは多分。クリスマスに関係あること。今年クリスマスに関して高視さんが知ってたのは、自分の用意したプレゼントだけだよ」 「そこに何か、言葉を隠したってわけ? それで十月にはもうプレゼントを準備してたの?」 「そうかもしれない。なんにせよ、普通じゃないわ」 「私や秋穂ちゃんのプレゼントにも何か隠してあるのかしら」  真理のその言葉に秋穂は少し黙り、また携帯電話を手に取った。今度は〈アイス・ナイン〉をコールする。 「もしもし、玲一さん? 夜分遅くにごめんなさい。うん、今日は楽しかった。ところで、高視さんのプレゼントがなんだったか見た?」 「ああ、ヒトミはペンダントを貰ったよ。琥珀で出来たやつだ。ギギモンには同じ琥珀で足につけるアンクレットだったよ。それがどうかしたのか?」 「ちょっと気になっただけ。辻さんのは?」 「僕のはよく分からないよ。聖書だ。立派な装丁のやつだ。あいつ、どういうつもりだったんだろ」 「聖書?」  秋穂は思わず身を乗り出した。いつの間にか真理の彼女の側に立って耳をそばだてている。「それって新約聖書のこと?」 「いや」辻は手元の分厚く装飾の施された本をめくった。 「これは多分旧約聖書じゃないか? こういうのには疎くて…」 「いいの、その本のどこかに書き込みはないですか? よく探して」 「待ってくれよ。文字が細かくて探すのも一苦労だ。…ああ、ここに鉛筆で丸が書いてあるな」 「どこです?」 「よく分からないか、章の一番上らしい」 「読み上げて」 「これは一体どういうことなんだ?」 「いいから!」 「アモツの子、イザヤの幻。これは彼が…」辻は秋穂の勢いに驚き、おとなしく手元の丸印のつけられた文を読み上げた。 「『イザヤ書』ね」真理が言う。 「預言者イザヤが残した。旧約聖書の中の大預言書の一つ」  秋穂は電話から耳を離して真理の方を向いた。 「真理ちゃん、なんでそんなことまで知ってるわけ?」 「中学がキリスト教の学校だったの。そこは貧乏な私にも優しくしてくれたから」 「ふーん」 底知れない子だ、と秋穂は息をついた。と、その目がまた大きく開かれる。 「23節、おまえのつかさたちは…」 「辻さん、そこはもういいわ。2章って無い?」 「ああ、あるぞ」 「その12節を読んで」  隣で真理が驚いたように目を開いた。2時12分。秋穂のもらった懐中時計の時刻。 「ええと、ここだ。12節、まことに、万軍の主の日は、すべておごり高ぶるもの、すべて誇るものに」 「それだけ?」  彼女は首を捻ったがやがて思いついたように尋ねる。あの時計のさしていたのが、午前2時じゃなくて午後の2時だったとしたら? 「じゃあ14章は? 14章の12節」 「今探すよ、これが終わったらこのゲームがなんなのか教えてくれ。…あったよ」  そう言うと辻はその節を朗々と語ってみせた。 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破ったものよ。どうしてあなたは地に切り落とされたのか。 ー旧約聖書『イザヤ書』14:12 「明けの明星?」 「ルシファーのことよ」横から真理が口を挟んだ。天に反乱を起こし堕ちた天使。 秋穂は思わず電話を切った。「ルシファー?」その言葉が彼女に連想させることは一つしかない。「ねえ、ルシファーってイタリア語読みだと…」 「Lucifero、ルチーフェロ。光をもたらすもの、って言う意味らしいわ」 「光?」  真理も秋穂の考えていることに思い当たったらしい。深刻な目で頷きつつ言った。「光はイタリア語でluce」 luce--ルーチェ  秋穂は頷いた。 「手帖の書き込みをイタリア語にしたのはそういうヒントだったのね」  ルーチェモン、ムルムクスモンが復活を目指していた秋穂達十闘士の最大の敵。 「高視さんが、ルーチェモンについて何かメッセージを残そうとしてたと思うの?」 「分からない。もしかしたら天使も聖書も、ただ単にクリスマスにちなんだプレゼントで、時計の電池はたまたま抜けただけで、北館くんの手帖への書き込みは気障ったらしい文句だったのかもしれない」  真理の質問に彼女はそういって笑うが、目は真剣そのものだった。彼女達十闘士は何回もの世代交代を重ねてルーチェモンの復活に備えてきたのだ。先人達の戦いを無駄にしないためにも、どんな些細な引っかかりも見逃してはいけない。 「私へのプレゼントは、悪魔だったけどね」真理が寂しそうに笑った。 「高視さん、私がダスクモンの時のことを謝ったときは笑って許してくれたけど、やっぱり嫌われてたのかな」  秋穂はじっと真理の目を見た。そして不意に立ち上がると、パジャマ姿のままコートをとる。 「えっ、ちょっとどうしたの?」 「私行かなきゃいけない。真理ちゃんは絶対ここから動かないで」  そう言い残すと彼女は雪の中に飛び出していった。  彼女は呟く。  ああ、私達は、なんて馬鹿だったのだろう。           ***** 「夏目君!」  やけに明るい雪の真夜中に、秋穂は夏目秀に駆け寄った。彼は高視と自分のアパートの前に立ち、ジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、自分の吐く白い息を見つめている。 「一条さん? どうしたんだよ、こんな時間に?」 「夏目君こそ、何しているの」 「高視さんのことを思うと眠れなくてさ、こうやって外の空気を吸うんだ。一条さんは?」 「今夜はクリスマスでしょ。私やっぱり一回、二人きりで話がしたくて」  夏目は顔を上げ、秋穂の顔をじっと見た。 「どういうことだ?」 「この間、私教室で夏目君にクリスマスに会わないかって言ったじゃない。ユウくんが余計な事言ったせいでおじゃんになっちゃったけど、本当は、あれは〈アイス・ナイン〉や他のみんなとは関係ないわ」 「じゃああれは…」 「ねえ、夏目くん」彼女は雪の中で顔を赤らめた。 「私の質問に、一つ答えてもらっていい?」  彼は真剣な目で黙ったまま、頷いた。  意を決した顔で、秋穂が寒さに少し紫がかった唇を開く。 「あんた、一体何者?」 「参ったな」夏目が笑う。 「思ってた質問と全然違うよ」 「生憎私、イケメンって好きじゃないの」 「残念だよ」 「質問に答えてよ」 「何を言ってるんだ? 俺が何者かなんて」 「分からないの? じゃあ説明してあげるわ。 高視さんは、クリスマスプレゼントの中に私たちに向けたメッセージを隠してた」  気づいて ルーチェモン 「真理ちゃんが貰った手袋、覚えてる。あの悪魔の模様はダスクモンそっくりだった。単なる嫌味? そんなことする人じゃないわ」  夏目が、ゆっくりと唾を飲んだ。 「真理ちゃんはダスクモンの模様。私はメルキューレモンの鏡、ユウくんはレーベモンの槍。それはそれぞれが進化したデジモンをさしてた」  秋穂は足を持ち上げぶらぶらと揺らす。気の無いそぶりだが視線は夏目から離していない。 「それじゃあ夏目君、もう一度あなたのプレゼントが何だったか教えてよ」 「俺のは…」 「分かったわ、天使の栞だったわね。それを踏まえてもう一度聞くわよ。今度はちゃんと答えてね」  あんた、一体何者?           *****  その少し前、家を飛び出した秋穂は雪の夜道を高視のアパートまで走っていた。その口から何事か言葉がぶつぶつと漏れる。  彼女達十闘士が幾度となく読ませられた彼女達の聖書、そのなかの最も有名な一節。 --[[rb:人型> ヒューマン]]と[[rb:獣型 > ビースト]]の争いを鎮めし天使、地を治めたが、やがて堕つ。 その姿は、真に人間に近く、流れる雲のような髪は金、海の深さのような瞳は青。その名前は--。  高視聡が今際の際に口走ったと言う言葉。 「…私は、とても罪深いことをしてしまった。シュウに謝らないと」 --彼を、疑ってしまった。  秋穂は走る速度を上げた。その疑いは正しかったわけだ。           ***** 「あの時も、最初に気づいたのは〈鋼〉だったよ」夏目秀--ルーチェモンが言った。 「あんたが、高視さんを」 「俺だってあんなことはしたくなかった。しょうがなかったんだ」ルーチェモンは心底悲しそうに首を振った。 「私が怒ってるのが分からない?」 「怒る? 残念だけど、分からないよ。フリはできるけどね」 「殺してやる」秋穂が宣告するように言った。 「君一人じゃ無理さ」 「一人?」秋穂が笑い飛ばす。「あんたの感覚も大したことないのね」 そう言うと同時に九つの光が彼女の後ろに現れた。ルーチェモンは笑う。 「やあ、みんな。懐かしい旧友ばかりが揃ったね。ユウはどれかな?」 「馴れ馴れしく呼ばないでくれないか」集まった闘士達の中から北館が進み出た。唇は震えているが、声に乱れはない。 「ユウはもっとショックを受けてくれると思ってたけどな、三浦さんの時みたいにさ。泣いてくれよ、見てみたい」 「黙ってくれ。長いことおしゃべりはしたくないね」 「私も賛成」  一条秋穂がバーコードの渦に包まれその中からメルキューレモンがあらわれた。 「せっかちだな、せっかくのクリスマスなのに。それじゃあ、始めようか」  ルーチェモンの顔の左半分に紫の文様があらわれる。  雪降る夜の街角で一つと十の光が、ぶつかった。  火が、光が、風が、雷が、氷が、水が、鋼が、岩が、木が、闇が、ルーチェモンに降り注ぐ。しかし彼は嬉しそうに笑ったまま、その全てを受け止めた。 「みんな懐かしいな! あの日と同じ、馬鹿ばっかりだ!」彼が手をかざすと十個の光球があらわれ、十字の形に並んだ。 「一人につき一個だ」彼が言う。 〈グランドクロス〉  その光球がそれぞれの方向に乱れ飛び十の闘士を貫いた。十の苦悶の声が上がる。 「いやあああ!」 「ちくしょう!」 「熱い、熱いよ、やめてくれ!」 「これが、ルーチェモンなのか?」一人が自分の体から上がる煙に咳き込みながら呟いた。こんなモノを相手に、自分達は戦おうとしてきたのか?  やがて、苦悶の声は聞こえなくなった。 「昔よりもつまらなかった」雪の絨毯の上に転がる十の消し炭を眺めながらルーチェモンが呟く。 「そうかよ」消し炭の一つから声が上がった。 その声にルーチェモンは顔を輝かせる。 「ユウか、君にだけは期待してたよ」 「お前、全部分かってやってたのか」北館が振り絞るように言う。 「君達との友情に、俺は嘘を感じていないよ。あれはあれで楽しかった」  だから、とルーチェモンはある話を持ちかける。 「君達は俺のことを誤解してるみたいだ。俺が前みたいに堕天すると思ってる。でも俺は君たち人間と同じだ。過去の失敗を繰り返さないように、様々な努力をしようと思ってる。ここで死ぬのも、つまらないじゃないか。ユウ、君の親友のシュウから頼みだ。俺に、ついてきてみないか?」 「誰からの頼みだって?」北館は立ち上がる。「そんなやつ、忘れたね」 「忘れないでいてくれって、最初に頼んだのはユウの方だぜ」 「ああ、でも忘れた」北館はにやりと笑う。 「ルーチェモン、お前、人間と同じだって言ったか?」 「君達も神話は読んでるだろう。俺は最も人間に近いデジモンだ」 「嘘つけ、お前よりも人間らしいデジモンを、僕は山ほど知ってる」ギギモンやクラビスエンジェモン、テイルモン(あいつは夏目の正体を知ってるんだろうか?)にあのムルムクスモン、そして、グランクワガーモン。 「俺は人間の強さそのものだ。並外れた学習能力、他者とのコミュニケーション能力、どれを取っても他のデジモン、いや、大抵の人間よりも勝るはずさ」 「そうとも」北館は臆する様子もない。「お前は人間の強いところをたくさんコピーした。でもそれだけだ。人間の良いところは、弱い部分にあるってことを知らなかったんだ」  過去を引きずり、恋に悩み、時に勝手な欲望に溺れながら、生きていく生き物。それが人間なのだ。それがあってこその、人間なのだ。 「弱い部分なんて、ただフリをするだけで良い。君達にだってそれで十分だったじゃないか。高視さんのことで俺を気にかけてくれて、どうもありがとうな」  質問に答えてくれとルーチェモンが急かした。 「ついてくるのか? 来ないのか?」  北館は笑って言った。「お断りだね」  彼がそう言い終わらないうちに、ルーチェモンの指先から出た光線が彼を貫いた。一瞬あたりが光に包まれ、爆煙が上がる。雪はまだずっと降り続いていた。 「残念だよ、ユウ」  仲良くなれると、思ったのにさ。 マダラマゼラン一号 2017-10-14T17:32+09:00 六月の龍が眠る街 第七章 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4780&mode2=tree それはオニスモンの事件から二ヶ月後のことだった。  街の復興も順調に進み、僕とヒトミ、加納満達ヒュプノスのエージェントは久方ぶりの平和を謳歌していた。  たまに、僕の店〈アイス・ナイン〉が休みの日には夏目秀が北館祐や一条秋穂を連れてやって来た。彼ら十闘士も、とりあえず東北においてはそれなりにヒュプノスと仲良くしているみたいだった。  夏があまりにも暑かった反動だろうか、その年の秋はすぐに冷え込み、十月になる頃には街の人々はみんな長袖の服に羽織ものをしていた。  彼が胸に赤黒い大きな染みを作りながら、僕の店に転がり込んで来たときも、ちょうどそんな格好だった。 「高視! どうしたんだ!」  ああ、僕達は、なんて馬鹿だったのだろう。 「…やられました、ちょっと、油断したみたいです」 「良いから黙ってろ! すぐに救急車を呼ぶ」  全てが終わった今、僕には何が正しいのかもわからない。 「…私は、とても罪深いことをしてしまった。シュウに謝らないと」 「意識をしっかり持て! 僕が分かるか?」  僕達は結局、いつも命を粗末にしてきた。そうしてまでも、正しく生きていたかっただけだったのに。 「…分かりますよ、辻さん。あなたのお陰で、私はとても、楽しかったです」 「そんな言い方はやめろ」  どんな言葉にも偽善と嘘が潜むこの時代に、僕達は正義に形があると信じて疑っていなかった。ひどく不器用だから。 「ゴメンよ、シュウ。…グランはどうしているかな」 「高視? おい高視!」  そして多分、僕達は今も信じているのだ。           ***** 六月の龍が眠る街 完結編 天使へのマドリガル           *****  高視聡の葬儀に参列したのは、ちょうど二ヶ月前に〈アイス・ナイン〉に集まったメンバー、そして彼がもといた広島支部の職員達だった。 「仙台に行ってからも彼とは連絡を取り合っていましたが、彼があんなに楽しそうに話すのを見るのは初めてだった。私が嫉妬するくらいに」  彼に身寄りは居ないことが分かった上に、広島支部長がそのようなことを言ったのもあってその葬儀は仙台で行われた。小さな寺での、小さな葬儀だった。 「二階級特進で大尉相当官だってさ。最年少記録だ。俺には追いつけねえよ」  葬儀を終え、紅葉に彩られた寺の境内で何をするともなく空を眺めていた僕に、加納が話しかけてきた。彼は人間の赤ん坊ほどの大きさがある、白と緑の縞模様の卵を抱えていた。デジタマ、強い力を持ったデジモンが死んだとき、残されることがあるという卵。ヒュプノスの分析で、高視が死んだ晩に僕の店の近くの路地裏で発見されたそれは、その構成データがグランクワガーモンのものと一致したということだった。 「これ、仙台支部で預かってくれないかってさ、広島の支部長が」 「なんだか厄介払いに使われてるんじゃないか、僕達」 「冗談でもそんなこと言うなよ。広島から来てた連中の様子を見たろ」 「そうだな、悪いことを言った」  その通りだった。広島からは驚くほど多くのヒュプノス職員がやってきて、焼香をしていった。高視は向こうでよほど好かれていたのだろう。 「この卵、あんたの店で預かってくれないか?」 「良いのか?」 「温めたりはしなくて良いんだ。もし必要なことがあるとしたら、こいつが昔注がれてたみたいな愛情を注ぐこと、それならヒュプノスの味気ない保管室より、あんたの店がいい」  僕は彼からその卵を受け取った。リアルな重み。恐ろしい風貌とは裏腹に高視と仲良く話していたグランクワガーモン。 「なあ辻、俺と百川はこれから高視殺害の捜査に当たる。あれはどう考えてもデジモンによるものだ。そしてS級エージェントがやられたんだ。ヒュプノスとしても静観はしてられないよ」 「当然だな」 「もっとも、俺は現場の近く、つまり〈アイス・ナイン〉付近の見張りが仕事だ。あまりこれまでと変わらないよ。相手がどんな奴であれ、あんたとヒトミちゃんに近づけはしない」 「ぼく達も手伝いますよ」  その声に僕と加納が振り返ると、そこには北館祐と一条秋穂が立っていた。学校での衣替えを済ませたのか、北館は黒い学生服、秋穂は紺色のブレザーといういでたちだ。 「ありがとよ」加納が言った。 「でも捜査には加えられない。一応俺たちは大人で、お前らは高校生だからな。もしよければ、〈アイス・ナイン〉の守りをお願いしていいか?」  二人は頷いた。 「もう絶対に、あの店で、こんな悲しいこと起こさないんだから」秋穂が振り絞るように言う。 「夏目はどうしてる?」僕の問いに北館が首を振る。 「シュウは焼香の時にまた取り乱しちゃって、今寺の中で広島の顔見知りの人と話してます。ヒトミちゃんもそこにいますよ」 「そうか」 「ヒトミちゃんのとこ、行ってあげなくていいんですか? あの子、とっても落ち込んでました」 「分からないよ。僕だって落ち込んでるし、多分みんなだってそうだ。それにヒトミの幸せを守れなかった自分が、情けないんだよ」僕は弱音を吐いた。 「しっかりしろ、辻」加納が僕を叱るように言う。 「ああ、ごめんな。でも今は無理なんだ。誰か僕の代わりに、ヒトミのところに行ってくれないか?」  全員が黙ってしまった。みんなが少しづつ責任を感じているのだ。あの場所の、そこに集うみんなのおかげで幸せだと言ったヒトミの幸福が続かなかったことに。 「やめましょう。これじゃまるで、高視さんを責めてるみたいだ」北館が言った。 「誰がそんなことを言った?」加納が強い語調で彼に迫る。 「ヒトミちゃんや夏目が悲しんでるのは高視のせいでもなんでもない。そんなことを言ってるのはお前だけだ」 「ぼくだってそう言う意味で言ったんじゃない!」北館が大きな声で言い返した。 「分かってます? この場にいる全員が、高視さんの立場になる可能性は十分にある。ぼく達が高視さんの為に話さなければいけないのは、これからのことです。早く対処しないとこの先また--」 「ユウくん!」  秋穂が北館をたしなめ、彼に掴みかかろうとした加納を僕が抑えた。 「喧嘩をするべき時じゃない、そんなことをしている暇は当分来ない」僕は言った。 「弱音を吐いたりして、僕が悪かったよ。でも、君達だって何を強がってるんだ? みんなが夏目やヒトミの悲しみに責任を感じてる。でもここはそれを話す場じゃないよ。高視のための場所だ。みんな悲しいのはみんなが分かってる。夏目やヒトミだって当然分かってるんだ。今くらい、それに甘えよう」  秋穂が目を抑えて輪から離れた。北館も俯いたままだ。加納も先ほどの怒りに握りしめた拳を解けないまま、目に涙を浮かべていた。  僕は加納と北館を見て言う。 「今日は喪に服そう。全ては明日からだ。僕はいつも通り店を出す。そこがみんなが集まる場所だからだ。高視が守りたいと思っていた場所だからだ」 「俺も行くよ。あいつの分のビールも頼んでやる」 「ぼくもいつも通りです。もしかしたら明日は店に寄るかも、きっと寄りますね」  僕達三人は少し黙った後に、みんなで僕の抱えるデジタマを見た。命だったもの。命になっていくもの。  頭数は減ったのに、守らなければいけない重みは増えたようだった。           ***** 「畜生、今日もさっぱりだった」  十二月に入り、クリスマスを控えて忙しくしている〈アイス・ナイン〉でドライ・マティーニを舐めながら加納が言った。今年は十二月も始めのうちに道にうっすらと積もるほどの雪が降った。古い雑居ビルの地下にある〈アイス・ナイン〉はひどく冷え込み、暖房費がかかって仕方がなかった。 「あれだけのことをやる奴だ。黙って隠れていることができるわけがないんだが」  隣で百川も言う。その黒く潤んだ目を見ることが出来ずに僕が俯くと彼女の細く長い指がダイキリのグラスを支えているのが見えた。  カウンターには左から百川、加納、そして加納の右隣の席には高視がいつも頼んでいたビールの瓶が置いてある。僕はたまに二か月前までそうしていたように高視にビールのお代わりはいらないか尋ねてしまうことがあった。彼は不思議な男だ。死んでからも遺された者達の中で存在感を増すことも、逆に忘れられてしまうこともなく、まるで生前と変わらないように振舞っている。 「デジタマはどうしてる?」百川が尋ねた。 「ヒトミがよく見てくれてます」僕は未だに百川に対して親しげな口調を使えなかった。 「あの卵は白と緑でしょう。クリスマスには赤い布で包んで、クリスマス・カラーにしてあげるんだって張り切ってました」  ヒトミは僕達よりよっぽど死について分かっている。二ヶ月前の葬式の後も僕よりも気丈に振る舞い。遺された卵の世話をかって出た。そのいじらしさが、痛ましかった。 「ヒトミちゃんは強いな」加納が言う。 「強がってるんだ」 「あとで何か話しかけた方がいいかな」子どもの扱いは分からなくてと百川が尋ねる。 「ヒトミは僕達がここで楽しそうにしてるのが幸せなんだって言ってました。できることがあるとするなら、酒のお代わりですね」 「商売上手なこった」  加納は高視にもビール、と言ってマティーニとビールの分の代金をカウンターに置いた。僕は黙ってそれを受け取る。これは儀式だ。僕がビールの代金を断ったら全てが台無しになる。 「私もお代わり。でも、ヒトミちゃんに何もしてあげられないのはもどかしいな」 「ピアノを教えてあげたらどうです?」加納が言った。 「おい、加納」日本屈指のジャズピアニストになんてことを言うんだ、と僕は彼を睨みつけた。 「いいよ」 「え?」 「玲一さんの選んだロックもいいけど、そろそろこの店にもピアノを置いたらどうだい?」 「それじゃあ」 「教えてあげるよ。ヒトミちゃんが良ければだけど」 「ヒトミ」  僕が名前を呼ぶと後ろの事務室の扉からコツコツと二回のノック、イエスの合図だ。僕は息をついた。加納はほらやったじゃんと笑っている。こいつは前もこう言うノリで僕にギギモンを押し付けたなと僕は思い出した。案外計算尽くでやってるのかもしれない。 「本当にありがとうございます」 「いいよいいよ。ところでギギモンはここのところどうしてる?」 「やっぱりみんなの雰囲気が分かるんでしょうね。大人しくしてますよ。オニスモンの時みたいなことは起こってないです」 「そうか…」百川は黙り込む。 「我々としては、ギギモンが進化してくれるのはとても心強いことなんだけど」 「ええ」  僕は四ヶ月前のオニスモンとの戦闘時に僕達を襲ったゴーレモンをギギモンが姿を変えて撃破したことを思い出した。あれは厳密には進化とは言えないらしいが、あの龍がいつもヒトミにくっついてくれているとしたらこれほど心強いことはない。 「まあとにかく、それは後だ。私達は高視の仇を探すよ。私はそろそろ帰る」  彼女は立ち上がって白いタイトなコートをとった。。そして少し逡巡するようなそぶりを見せた後、僕に言う。 「玲一さん、クリスマスイブとクリスマスは店、開けるの?」 「そりゃあ、イブは稼ぎ時ですし、当日は北館達も呼んでパーティでもしたいなと思ってました」  高視の四九日も終えたばかりなのにクリスマスパーティとはとんでもない話だが、これは僕の考えだった。北館と秋穂に夏目も誘うように頼んでおいたが果たして来るだろうか。彼はここのところ店に姿を見せていない。高視がついていた護衛任務はとりあえず仙台のA級エージェントが引き継いだらしいが、日常の様子は僕らの耳に入ってこなかった。 「それじゃあ二十六日でいいや。私とちょっと遅めのクリスマス・ディナーでもしない?」  僕は言葉を失った。 「ええ…、嬉しいお誘いですけど、うちにはヒトミもいるし、それに…」 「行けよ」加納が面白そうに口を出した。 「このおばさんも行き遅れちゃいけないと思って焦ってるんだ。ヒトミには俺がついてるよ」そう言った加納を百川が小突く。 「ええ、それじゃ」お願いします、と僕はぎこちなく頷いた。断られたらどうしようと思ってたよ、と笑いながら百川は帰って行った。 「やったな、おい」加納が言う。 「お前はもう少し礼儀というものをわきまえろ」 「ピアノのレッスンもクリスマスディナーも、親友である俺の後押しで掴んだチャンスじゃないか、頑張れよ」  僕は加納を睨みつけた。           *****  辻の提案したクリスマスパーティの趣旨は北館にもよく分かった。夏目もよかったら誘ってみてくれと彼は電話で言っていたが、実際のところ夏目が来なければそのパーティには半分も意味はないだろう。葬式の時はあんなことを言っていたが結局は夏目のことを気にかけている辻を北館は頼もしく思った。  しかしいざ夏目を誘うとなると話は別だ。この二ヶ月、彼はすっかり塞ぎ込み、テニス部にも顔を出さず、気にかけてくる女の子にもそっけない対応をしていた。北館の話には多少耳を傾けたが、それも大概生返事だけの会話に終わってしまっていた。とてもパーティに誘えるような雰囲気ではない。だからなんとかして彼をパーティに引っ張り出すために何かできることはないか北館は一条秋穂に相談した。それだけのはずだったのだが--。 「パーティをやるから。夏目くん、クリスマスの夜は予定あけといてよね」  学校では地味な少女で通している秋穂が放課後の教室で夏目の机の前に立ち、大きな声でそんな事を言ったためにクラスの女子達の間に激震が走った。うそ、一条さん? そんな印象なかったのに。そもそも抜け駆けってズルくない? みんな夏目くんが元気がないのを気遣って話しかけてなかったのに。一瞬の沈黙の後にそういう声がクラス中から聞こえてくる。  隣の教室からその様子を見に来ていた北館は頭を抱えた。彼は帰り支度を整え、紺色のピーコートに黒いニット帽を被って廊下を歩いていたところで、横には茶色のダッフルコートに耳当てという格好の三浦真理と、北館の友人でこの季節になってもまだ学生服一枚の康太がいた。秋穂に密かな恋心を寄せる康太は目の前の光景に愕然としている。 「安心しろ康太、あれはそういうのじゃない」 「じゃあ一体なんなんだ」分かりやすいイケメンに流れる娘じゃないと思ってたのにと康太が嘆く。 「本当に大丈夫だよ、康太くん。秋穂ちゃん、前に好きな人がいるって言ってたから。当てっこしたんだけど、夏目くんじゃなかったよ」  オニスモンの事件の後、真理がいつものクールな調子に少し喜びをにじませて言った言葉に北館は少し微笑んだ。厳しい財政状況に置かれていた彼女を秋穂が自分の家に住まわせると言った時はどうなることかと思ったが、意外に仲良くやっているようだ。ちなみに真理の祖母は光台高校の近くの老人ホームに預けられ、北館も真理とともによく帰りに立ち寄っている。 「真理、秋穂と仲よかったか?」康太が訝しげに眉をひそめた後、北館をなじるように言った。 「北館か? 俺にはいつまでたっても紹介してくれないのに最近できた彼女には紹介するわけか? ひどいぞ」 「ああ、いや、それは」  康太が秋穂に抱いている華奢で守ってあげたくなる女の子、という夢を壊さないためだと言おうにも言えず、彼はしどろもどろになった。 「私、秋穂ちゃんの好きな人聞いちゃった」  真理が言うと康太がそちらを向いた。その背中越しに彼女がウィンクしてくる。ここは私に任せて、と言うことだろう。北館はため息をついてクラス中の女子の反感を買いつつある秋穂の元に向かった。 「秋穂、もうちょっとマシな誘い方は無かったのか?」  あれって隣のクラスの北館くんだよね。誰それ? 秋穂ちゃんと仲良く話してるの見たことあるよ。やだ、なに、修羅場? などと色々な声が北館の耳に入った。誰それとは酷いな。 「これが一番でしょう。ユウくんも親友相手に何を怯えてるのよ」 「親友だから怯えてるんだよ」 「そんなことだとすぐに真理ちゃんに愛想尽かされるよ」 「うるさい!」 「俺、行くよ」 「うるさいとは何よ! へ?」  言い争いの最中に挟まれた声に二人は夏目に目を向けた。彼は前のように完璧にとはいかなかったが、それでも眩しい笑みを浮かべた。 「北館も一枚噛んでるのか、この分だと会場は〈アイス・ナイン〉だろ? 行くよ」 「何、夏目くん。私が普通に口説きに来たと思ってた?」呆れた、と秋穂が言った。 「どうだろ」今度はさっきよりも完璧に近い笑みだった。これだからモテる男はと北館が肩をすくめる。 「じゃあ、夏目もパーティに来るんだな?」 「ああ、でも」夏目は少し悩んだ後に言った。「二人とも、この後俺の家に来てくれないか? 俺と、高視さんが住んでた家だけど」 北館と秋穂は顔を見合わせ、ほとんど同時に言う。「もちろん」 「じゃあ、行こうか」  彼は立ち上がって、深い緑のジャンパーを羽織った。秋穂も自分の席にかけた丈の長い薄い水色のコートに手を伸ばす。北館は真理に、ごめんという風に手を合わせるジェスチャーをした。今日は一緒に帰れない。康太と話しながら 彼女は肩をすくめる。 「北館くん、だよね。秀君と一条さん、どういう仲なの?」  他の二人が帰り支度をしている間に教室の女子生徒が一人声を潜めて北館に尋ねた。彼の名前を覚えているだけで上出来というところだ。彼は素直に質問に答える気になった。 「どういう仲も何も、ただの友達だよ」  そこまで言ってから彼はしまったと思った。この教室の、いや光台高校の女子生徒がみんな夏目と「ただの友達」になることを夢見ているのを忘れていた。彼の答えにその女子は目をきつくして言う。 「放課後一緒に帰る程度に仲良しなの?」 「今日はぼくも一緒だからだよ」  女子生徒は疑わしそうな顔をした。お前がそんなに夏目と仲がいいとは思えないと言うらしい。 「大丈夫、秋穂のやつ、年上好きだから」北館は適当なことを言った。 「年上好き?」 「歳が二倍くらい上のおじさん」 「へえ」  彼女の目に安堵が表れたのを見て北館はほっと息をつく。そんな彼を秋穂と夏目が呼んだ。 「ユウくん、何話してたの?」 「秋穂っておじさん好き?」 「は?」          *****  北館達が訪れたのは学校から少し離れたところにある古いアパートだった。「お帰りステファン。あ、あんた達も来たんだ」寒いのは苦手なので家にこもっているというテイルモンが彼らを出迎えた。  その二階の一室に夏目は二人を誘った。小さなキッチンには食器や一通りの調理器具が揃えられ、洗濯物が狭い部屋に吊り下げられていた。夏目が割ってしまったのだろうか、皿の破片が紙袋に入れられていた。 「家事は全部聡さんがやってくれてた。今は一人で、大変だよ」  彼は笑って手を振った。改めて見ると、包丁で切ってしまったかのような切り傷がいくつかついている。 「最初はお堅い人だと思ってたんだ。護衛を担当するエージェントとして紹介された時も、そこまでいい印象は無かった」  でも、高視はいつも一生懸命で、いつも自分の事を第一に考えてくれていたと彼は言った。 「まあ、死んだから言うわけでもないけど、いいやつだったわよ。パートナーのクワガタムシもね」テイルモンが言った。 「クリスマスパーティは俺からも提案するつもりだった。あの人が俺たち一人一人にクリスマスプレゼントを用意してくれてたんだ。二ヶ月も前にだ」それを代わりに渡しに行くよ、と彼は言った。 「本当に、無理していかなくていいんだぞ、シュウ」 「行くさ。俺もそろそろ立ち直らなくちゃな」  三人でいるには狭すぎる部屋が、それでもがらんと広く思えた。 マダラマゼラン一号 2017-10-14T17:32+09:00 あとがき。 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4778&mode2=tree 幾らかぶりです。初めての方は初めまして、不遜な名前でやってます、ぱろっともんです。 読んで頂いてありがとうございます。 この短編は、金髪少女ってグリフォモンでは?というよくわからない発想が元で作られています。明るい茶髪になったのは金より茶の方が近いかなと改めて公式絵とか見てたら思ったからで、それ以上の特に何かはありません。 一応無駄に丁寧に経緯を説明すると。 金髪少女ってグリフォモンでは?→金髪少女に擬態してるグリフォモンってよくない?→グリフォモンにふさわしい場所は大学とかかな?知的なイメージから考えると年上的で魅力的な雰囲気のがよりいいよね?→大学行った事ないので高校に舞台を変えよう→魅力的で大人びてるとかどう書けばいいのかわからないし印象に残ってるところを思い出してる感じの話にしよう→金より茶の方が近い気がする。 という感じです。最終的に美少女は残りましたが金髪は消えました。グリフォモンらしさも消えました。 途中の説明でキメラモン辺りと間違われないか不安です。しかも間違われても話の流れとして特に困らないのが辛いところです。 今更ですが、彼女はグリフォモンです。多分高校生が好きなんでしょう。 あと、血に濡れた口元は赤い口元の見間違いですが、普通に襲ってたと解釈されそうなのも怖いです。 以上説明不足に怯える鸚鵡でした。 ぱろっともん 2017-10-07T12:32+09:00 彼女に言いたい言葉がある【短編】 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4778&mode2=tree これから私が語るのは人間とデジモンが公的に初めて出会ったとされる日からは数年遡ったある時で、しかし誤解しないで欲しいのは、まだ一般的な知名度はそれ程だが、今の研究では既に公的な出会いの前に個々で二つの世界を行ったり来たりしていた者もいると書かれている。つまり、何かしらの権利とかを主張したいのではない。 私はただ会って言いたい事があるだけなのだ。 私が通っていた高校は制服がなかった。だからといって明らかに生徒じゃないなと思う人にはそういう雰囲気がある。それは年齢的なものから来る顔や手の違いであったり、動きの違いであったり、スーツを着ているみたいなものであったりするのだが、その人の場合は感じなかった。 最初に会った時、私は彼女を上級生かと思った。当時の私は高校一年生、二学期も半ばを迎えて学校に来るのも最早当たり前となり大分学校の事を知っている気にもなり始めた頃だった。 私の日課は、特に仲の良かった友達がサボりがちであった事もあり、また、頻繁に強風だとかで行きの電車が遅れる事もあり、友達がおらず電車が遅れもしなかった時にできる四十分もないHRまでの時間を校内のその日気持ち良さそうなポイントで読書する事だった。 それは雨の日にはひんやりした風は感じるけど雨は当たらない中庭に入る入り口の所に設置されたベンチであったし、晴れの日には外の日差しがぽかぽか暖かい木の根元であったし、前日に雨が降ってて地面が濡れてれば日差しは当たるけど雨が当たらない校舎脇であったりした。 最初に会ったその日は、やっぱり友達がサボっていて、地面は前日の雨で湿っていて一部水たまりなんかもあった。 だからこそその人の格好が印象に残っていた。その格好はまぁ大人びていたものの、まぁ何人も何人もいそうではないがいてもおかしくない様なそんな格好だった。 何を読んでるの?と尋ねられたと思う。少なくともそういう意味の言葉だ。 私はその時アガサクリスティーのアクロイド殺しを読んでいた。表紙を見せて答えると、彼女はいきなりネタバレをした。私が推理小説でも複数回読み返すタイプでなかったらきっとさぞかしイラついた事だろう。 いや、まぁしかしそれはあり得なかったのかもしれない。父、兄、姉、私と読まれてきたその本のカバーはもうなく、本自体大分よれてもいた様に覚えているから、読み込んでいるものと想像して話したのかもしれない。 とにかく彼女はネタバレになる発言をし、私はそれをあまり不快には思わなかった。面白いですよねとかそんな感じの言葉を返した。 確か次は何故こんなところで?と聞かれたと思う。 私は好きだからです、とかそういう、雑な答えを返したと思う。その時は目すら合わせてなかったし顔も見ていなかった覚えがある。 理由は女性慣れしてなかった事や、ネタバレになる発言自体は気にしてなかったものの、ネタバレになる様な事をいきなり言うような人はろくでもない人に違いないと思ったからだと思う。 ふーんと言ったか言ってなかったか、とにかく無遠慮に私の隣に座って本を開き始めた時に初めてその人の顔を見た。 明るい茶色の髪、金色の目、口紅を塗っているのかと思うようなハッキリと明るい唇。美人と一言で言うのは容易いが、その美しさは絵画のような、単にあまりに美しいから絵画のようなと言うのではなくまさに絵画のような、人間的なのに人間的でない美しさを感じた。 私は一目で惹かれてしまった。ただそれは色恋や性的なものとは程遠く、かといって外見なので人間的に惹かれた訳でもない、その絵に惹かれたのだ。 しかし、私はどう話しかければいいかもわからず、朝のHRが近づくと彼女は立ち去っていった。 翌日、また友達もおらず風で遅延もしなかったので私は朝の読書をしていた。昨日のことが頭にあってその日もまた同じ場所に行こうかと思ったがその日は雨が降っていて、校舎脇は直接当たらないがそこに行くまでに雨に当たると、中庭の入り口脇のベンチに座っていた。 その日は何を読んでいたんだったか、スパイに通ずる話なのは間違いない。とにかく彼女は私の前に現れたし、その時読んでいたものについてもネタバレ的発言をした。その本も手垢がつくほど読まれていたアガサクリスティーの本だったのは覚えている。そうだ、確かNかMかだ。 スパイの話だったからか、昨日今日と推理小説を読んでいたからか、正体を隠すこと、暴くこと、どちらも浪漫があるみたいな話をしてきたので、私はあなたの正体も教えてもらえませんか、と聞いた。 彼女は非常に人間的な感情の見える表情で、暴いてみたら?と言った。これは確かに彼女は暴いてみたらと言った様に思う。 その時読んでいたのはアガサクリスティーだったが服装や歩き方から素性を探るはシャーロックホームズでもやっているしと取り組んだのだが、自由服の高校であるため服から学年を探ることすらできず、私の前に現れた彼女は文庫本一冊、図書館のものしか持っていなかったので幾らか本を読むんだろうということの他わかる事はなかった。 明るい茶髪が地毛か染めたものか等わからないし、金色の目もカラコンか自前かわからない。整った顔立ち、特に通った鼻はゲルマン系の血が入ってる様にも思えたからだ。 私が音をを上げると、彼女は楽しそうにパイプを吸うジェスチャーをした。 「何もわからないのかいワトスン君、本当に、何も?一切何もわからないのかい?」 私は少し悔しくなって改めて見てみたがやはり何もわからなかった。改めて降参すると彼女は何と言ったんだったか、とにかく教えてくれなかったのは確かだ。 その時は余程悔しかったらしく日記にこの言葉はしっかりと書き残してもいた。 翌日は友人がいたので特に彼女に会いに行く事はなかった。悔しさも寝たら忘れてしまったらしく、彼女に会う事は魅力的ではあったが休みがちな友人の方がより魅力的に思えた。そもそも、どこに行けば会えるということも分からなかったという事もある。 今も親交がある彼は親友とでも言うべき存在なのだが、その後何度でも何度でも会える彼より彼女を優先しても良かったのでは、なんなら彼と彼女を会わせても良かったのではと思う。 翌々日からは会えなかった。 あの会話が私と彼女との間に行われた最後の会話だった。 私がそれを惜しいと思うのは、また会いたいと思うのは、その会話以上にその後の出来事に由来する。 それから幾らか経って高校の文化祭の日、私は彼女を見つけた。漫画の中に。 漫研の部誌の中で、第三者視点の恋愛ものとして私と彼女の話があった。とても私とは思えない程顔が良かったし、相手の女の子も彼女とは似ていなかったが、その後の展開が違う以外の話な流れは多少の言葉遣いの違いもあったが確実に私と彼女との話だった。 私はその話を誰にもしていない。不思議な人がいたという話ぐらいは休みがちな親友に告げたがそれきりだった。 私はどうしても作者と会いたくて、漫研の展示をしている部屋に居続けた。 すると、ある女子生徒が部屋に入ってきた時私の顔を見て驚いた顔をした。私もその顔を見て驚きを隠せなかった。 暗い茶色の髪、こげ茶の目、血色自体は悪くないけどどこかぼやけたような唇。美人であるのは間違いなかったが、その美しさは生々しく、彼女と比較するからそう見えたのかもしれないが、跳ねた髪なんかは特にそう、生活感とでも言えばいいのだろうか、今一瞬だけでない、生きている人というのがはっきりと伝わる人だった。 それでいて、目鼻の形から口元から背丈まで、色や雰囲気、服装を除いた要素が完全に記憶の中の彼女と一致した。 私が声をかけると、その人は確実に戸惑っていた。不安そうな様子の見える表情は明らかに彼女のそれではなかった。 対応する声も口調も何もかも違ったが彼女と同じ様に感じた。もちろん、彼女とは違うのだとも感じていたので、私は双子の姉妹だろうかと思ったのだ。 髪色を変えてカラコンを入れたのか入れてないのか、とにかく、彼女の親戚でも姉妹でもなく双子だと思う程に似ていたのは、いや、同じ顔だったのは強調しておきたい。 そして、私もまた目の前のその人にとってそうだとすぐにわかった。 その人は、私にお兄さんにはお世話になってますという意味の言葉を返した。 その発言で私は彼女の関係でないとわかってしまった。 それからその人と話したところによると、その人は放課後に、私と同じ顔形の、髪が明るい茶色で金色の目でどこか人間味に欠けた男子生徒らしき人とよく部室で話をしていたのだという。 その人はパソコンがないので部室のパソコンを使って漫画の、トーン?とかフラッシュ?とかいうものの加工処理をしていたそうだが、部活の仲間は家のパソコンを使う事が多く、一人でいる部室に見学と称して入ってきた人であったらしい。 そして、幾らか会話をしている中で彼女との話をしたという。自分が私であるという形で。 少し、話は昨今に移る。一応違法ではある為本人達があまり証言しないが、デジモンと人間の交流の多くは三段階を経て公のものに至ったと言われている。 まず第一段階は偶発的にデジモンが来るケースが主、都市伝説や妖怪伝説などとして処理された中にいるのではないかという言説があるアレだ。 第三段階はモラルが低下してマナーの悪い観光客の様に無遠慮にデジモンが現れるケースが増える。この段階に至って各国政府はデジモンの存在を隠蔽できなくなり公認するに至った。 その間の段階、意図的に、しかしまだ人間界側に配慮するという事を考えつつ少数が来ていた時期。 その配慮の方法の一つに、監視カメラなどをハックして人の姿を写し取りそのままなり多少加工したりして自分の上に被せ人間を演じながら交流していたという話がある。 非常に高度な方法で高い知性と能力を持っていなければならず、それでいて人に配慮する必要のある外見のデジモンのみが行なったとされる方法だ。 私はこれが彼女の事ではないかと考えている。 そう考える根拠は実はこの話だけではない。 奇しくもその証拠がまた漫研であるのが少し複雑なのだが、文化祭だし単なるオリジナルよりも身近な七不思議を題材にしたという人がいて、その旨があとがきにも書いてある話がある。 これに気づいたのは後からではあるのだが、実際にその七不思議は私も耳にしていた記憶が朧げながらあり、他にも記憶している人がいた。 それは取るに足らない六つの不思議と並べられていて、パソコン室に出る人喰いの獣と言われていた。 漫画に描かれたのは想像だが、要素は目撃者の証言によってのものだそうで、四足歩行、背中の翼、蛇の尾、茶色のたてがみ、金の目、そして血に濡れた口元。などが列挙されている。 金の目、茶色のたてがみ、姿を映した本人と被らぬ様に、しかし特に色にこだわりもないので自分の持つ色と変えたとすればそれは辻褄が合うのかもしれない。 彼女は、私以外にはどうやら目撃もされていなかった事が漫研のその人と調べてわかった。そしてまた、その人の出会った誰かもそうだった。 高校での彼女に関する話はそれで全部、しかし、実は彼女ではないかと思う話は、いや、きっと彼女に違いないと考えている話はもう一つある。 大学に入ってからの話だが、高校の近くの飲食店で同窓会があった。 その人とも再会し、同窓会の熱気に、おそらく普段人の多いところを避けているからだろう、二人して体調を崩し会場を出て、駅まで行く内に落ち着いて来て、彼女の話で盛り上がり、もしかしたらいるんじゃないかなんて軽口から高校を一目見ておこうという話になった。 そうこうして高校まで行った。 校門のところから中を覗きつつ立ち話をしていると、ふと、赤い蜘蛛の体を持った、しかし半分人間の体を持った、今思えばデジモンだっただろう存在に出会った。 それは街灯の明かりに照らされて、ぱっくりと裂けた口でにぃと笑っていた。 おそらく、そのデジモンにとってそれは観光地で花を一輪摘むような、無責任であるとも思わない様なものだったのかもしれないが、そのデジモンは私達に蜘蛛糸の網を投げかけて捕らえた。 私がそのデジモンの姿を覚えているのは恐怖でそれから目を離せず、他の事に意識を向ける事ができなかったからだ。 だから、逆に他の事はあまり覚えていない。ただそこに、私達の背後から声が掛けられたのは覚えている。 なんと言ったかは覚えていない、だがそのデジモンの表情が悔しげに歪んでいったのはよく覚えている。 そうしてそのデジモンはあっという間に跳ねていったか走っていったかして去っていき、私は恐怖からキョロキョロと辺りを見回し、それを見つけた。 そこには街灯の光は当たっていなかった。さっきまで蜘蛛のデジモンを照らしていた街灯の光も届いておらず、一番近い街灯は壊れている様だった。 ただ、何かがいた。直接は当たっていなかったものの、鋭い爪と、闇の中に浮かぶ金色の目、特に金色の目は私だけでなくその人も覚えていた。 私は網を必死に引き剥がして、その人の手を引いて駅まで走って逃げた。言葉の中身も聞いていなかったし、とにかく恐怖が胸に満ちていて、逃げなければとだけ思っていたのだ。 その時はまだ怪談の事にも気づいていなかったし、デジモンという存在も知らなかった。だから、彼女と結びつける事はなかった。 だけど、今ならその姿が彼女と結び付けられる。助けてくれたのだとわかる。 今会えたならばきっと、ありがとうと言って、君の正体がわかったよと声をかけられるだろう。 ぱろっともん 2017-10-07T12:16+09:00 【短編】私が魔女を殺した日(あとがき) http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4775&mode2=tree  ありがとうございます。お久しぶりです。  前半の途中で展開をおおよそ予想されかねないタイトルだなと書いてから思いました。かと言って、もっといいタイトルも特に浮かばなかったので変えはしませんが。  人間の方が戦闘に向いているバディを書きたいと書いたものの、結末をどうするかは結構悩みました。普通にトラウマ克服させたりとか何パターンか考えたんですけど、最終的にあんな感じで落ち着きました。いずれのパターンも、というかこの話自体がアコの行動が肝になるわけですが。  デジモン側の心境の変化がメインになった余波で、ソウは謎武術が使えるボケた田舎者みたいな感じになりましたが、彼の設定もないことはないです。山奥の道場というか組織に仕込まれたというかそんな感じです(適当)。素でデジモンに戦いを挑めるけど、性根は朴訥で天然で何より一途だということが伝わればそれだけで十分です。  ソウの後半に関してはサイスルの進化ルート思い出して選びました。……ところでデュナスモンとメディーバルデュークモンって結局どういう関係なんですかね。たまたま武器の名前が合ってるだけですかね。  あとはそうですね……後半の魔術の詠唱は完全にオリジナルです。恥ずかしながら、正直ウィッチェルニーの呪文とかマジカルウィッチーズの呪文とか知らないので。そもそも存在するのかも知りませんし。だからオリジナルなので完全に自分の趣味です。――いつも心に中二病を。  とりあえずこんなところで。読んでくださり、ありがとうございました。 パラレル 2017-09-24T14:10+09:00 【短編】私が魔女を殺した日(後編) http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4775&mode2=tree  町で宿さえ確保できればゆっくり準備を整えられる。そう考えていた一週間前の私の顔面に鉄砲水をぶち当てたい。当初想定していた期間の倍も町で過ごす羽目になるとは流石の私も思わなかった。  物資の調達や傷の手当はほんの二日で終わった。ならば何に時間が掛かったかというと、遺跡の案内役の手配だ。  哀しいほどに捕まらなかった。募集を掛けてもらっても驚く程に音沙汰がなかった。観光協会の方から手配してもらおうと思ったら苦笑いを浮かべながら追い返された。  理由は別に指名手配されているとかそういうことではない。強いて言うなら現行犯という表現の方が近い。  原因はソウの奇行だ。二か月の経験のおかげで学習してくれているとはいえ、一般的な人間ともデジモンともずれた彼の言動は嫌でも目立った。敷地内の池で泳いでいたデジマスを捕まえて捌こうとしたり、町主催の格闘大会に何食わぬ顔でエントリーしようとしたりと、両手の指では足りない数の妙な行動を見せてくれた。……リコ、デンカ、うちのパートナーが迷惑を掛けて本当にごめんなさい。  トラブルメーカーに同行する物好きはそうそう居ないわけで、気づけば観光協会からも白い目で見られる羽目に。正直、私自身は彼らの行動を薄情だとは思わないし、同じ立場であったら間違いなく同じ行動を取ると宣言できる。安定。平和。万歳。 「ありがとう、ピトス」 「ギブアンドテイク、デス」  そんな私達に救いの手――手がない種族だけれど――を差し伸べてくれたのがデジタマモンのピトスだった。  その名の通りデジタマを加工したかのようなシルエットのようなデジモンだ。デジタマの下方から二本の足を伸ばし、中央の亀裂から目を光らせているビジュアルは不気味極まりない。でも、今となってはそのビジュアルが完成された慈愛の化身に思える。  案内役を受けてくれたときは、騙されているのではないかと思ったこともあった。けれど、実際のところピトスにもピトスなりの理由があるとのこと。それは依頼者――つまり私に魔術の素養があったからだという。種族的に縁が無さそうだけど、個体として魔術に興味があるのだろう。 「案内役の仕事でも道中くらいは快適に過ごしたいものですシ」  まあ、業務上の必要経費として特殊なかたちの<ruby>おひねり<rb><rp>(<rt>チップ<rp>)</ruby>が欲しかったこともあるらしいけれど。  本日の天気は憎らしい程の快晴。下級の炎魔術に相当する熱線が容赦なく私達に突き刺さる。私お手製の護符が無ければ怨嗟の声が響いていただろう。  陽光を反射する白色の砂と石。極端に言えばこの場にはそれしか無い。けれど、それらが組み立てているものはただの砂と石と形容するには浪漫がありすぎた。  頑丈に組まれた三階建ての巨大な建築物。<ruby>角石<rb><rp>(<rt>ブロック<rp>)</ruby>で組み立てた<ruby>直方体<rb><rp>(<rt>ブロック<rp>)</ruby>を組み合わせた複合体。千を超える部屋数を確保しながら一階には、私と同じ背丈のデジモンを二千ほど収納して余りある広場が設けられている。きっと全盛期にはこの中で多くのデジモンが過ごしていたことだろう。  けれど、現在の姿は先の表現とは離れている。かつての整ったシルエットは既に無い。均整の取れた四角柱は大きく抉られて内部に熱風を吸い込んでいる。施設内にある筈の広場が確認できるのも三階から一階まで掛けて斜めに大きく削り取られているためだ。  感じる浪漫は建築物の美麗さだけでなく、長い間を風雪に耐え多くの往来を見通してきた年季によるもの。この場所こそが私の目的地にして調査対象であるクレノソス宮殿だ。 「王座は三階、デスが魔術絡みとなれば真反対カト」  一階から三階とは真反対。つまりは地下。この宮殿の主役は地上の突き出ている建物に非ず。本命は地下に作られた迷宮。近辺の民間伝承の中にはこの迷宮にまつわるものもある。その中でメジャーなものの共通項は凶悪な怪物が迷宮に封じられているというもの。私達の目的はその怪物や迷宮にまつわる魔術的要素だ。 「デハ、参りましょうか。あ、一度迷ったら冗談抜きで出られないノデ」  余計な一言を吐いて進む<ruby>案内役<rb><rp>(<rt>ピトス<rp>)</ruby>の後に私達も続く。宮殿の広間の脇を抜けて少し歩けば、地下迷宮への階段が私達に手を招いていた。ここに来てピトスの余計な一言が再度心にちくりと刺さる。 「蛇や蜥蜴が居たらありがたい」 「思ったより雰囲気あるじゃない」 「横道ずれずについていけばいいんだろ。問題ない」  しかし、私以外にその程度の脅しに表情を変える正直者は居なかった。仮に正直者が居たとしても、感性がずれているためリアクションも変な方向に走ったと解釈できる有り様。これではまるで私だけが怯えているみたいだ。……いや別に怯えていはいないけれども。  奇形の案内役の背を追うこと半刻。一度迷ったら出られない大迷宮。その意味を思い知るのには十分な時間だった。地上を明るく照らしていた陽光の恩恵は既に途絶え、手元の灯りだけが私達の視界を確保している。当然気温も一気に下がり、私の護符はすぐに無用の長物と化した。  狭い視界に移るのは通路と石壁と分岐点の三択。かれこれ分岐点を何度曲がったことか。記憶領域に刻んでいたここまでの経路も既にあやふや。今から自力で地上に戻れと言われたら、どんな手を使ってでも撤回させると思う。 「暗い。狭い。目ぼしいものが無い」 「アコが望んだんだろう」 「わ、分かってるわよ。何よ、ちょっとくらい愚痴漏らしてもいいでしょ」  身に迫る三重苦を口にしたらソウからは厳しい正論が返ってきた。辛辣な言葉が硝子のハートに刺さる。けれど、それ以上にきついのはその言葉がソウによって吐かれたこと。ソウ相手に言い負かされたことが何より癪に触る。 「リコ、大丈夫か」 「ん、全然。こういう方向もわりと好きよ」  リコとデンカも弱音は口にしていない。見習いたいほどのタフさ。これで私が弱音を吐くのも妙な話で、誰に言われるでもなく意地を張る羽目に。あれ、なんで私が一番疲れているんだろう。 「あほらしい。そうよ、私だって来たくて来たんだから」  目的があるのは私。指針を決めたのも私。ならば尚更弱音を吐くのは馬鹿馬鹿しい。ここは初心に戻るというか、目的を再度確認してモチベーションを復活させる。  私の目的は遺跡に刻まれた古代の神秘の調査。その結果によって私自身の魔術知識に新風を吹かせること。しかしそれはあくまで過程。本当の目的は蓄えた知識でソウに彼自身を護る力を与えること。調査結果そのものにも価値はあるけれど、その恩恵を私達が享受することの方が価値がある。魔術を研鑽する身としては異端な考えかもしれなくてもその一点だけは譲れない。それが魔術を抜きにした私の<ruby>信条<rb><rp>(<rt>スタンス<rp>)</ruby>なのだから。 「そろそろ中心部に出マス」  ピトスがその言葉を口にする頃には、私のモチベーションは平常時より少し高いレベルに高まっていた。最高潮に高まっていないことが寧ろいい。変に力むことのない程度に前向きな今の精神状態こそ最高のモチベーションだと思う。  少しの思考の整理でここまで良い状態に持っていけるとは流石に思っていなかったので、今後も不満が溜まったら実践するようにしよう。そういう経験が得られたことこそが今回の思考の一番の成果だった。 「あ――凄い」  中心部に足を踏み入れた瞬間、私の身体は歓喜に打ち震えた。意識も先ほどの自己暗示が必要でないと思うほどに完全に覚醒させられた。  理由は一つ。その空間に魔力が溢れんばかりに充満していたからだ。それもただの魔力ではない。まるで長い間外部からの干渉も受けることが無かったかのような、一切混じりけの無い純粋な魔力。何にも染まることがなかったからこそ、何にでも染められる無色。これだけのものが文明崩壊から現在まで、ずっとこの空間の中に保存されていること自体が奇跡だった。 「眉唾の噂だと思っていたけど……よくここまでの道のりを知っていたわね、ピトス」 「ちょっとしたコネですヨ。この広間こそが神殿の、いや迷宮の深奥というわけデス」  広間そのものも非常に興味をそそる。  まず注目すべきは石畳だろう。石畳全体に刻まれているのは奇妙な紋様。何かしらの術式のようだけれど、私の知識には術式の解読に使えそうなものはなかった。そもそもこの術式は体系からして現在のメジャーどころのどれにも該当しないと思う。既に失われた古代の言語で記されたものだろうか。  広間の奥、紋様から伸びる線の先にはあからさまな祭壇が建てられている。石畳と同種の紋様が刻まれている祭壇には様々な形の祭具が配置されていた。いずれも私には解読不能な術式が仕込まれたもので、魔術抜きにしても歴史家からすれば垂涎ものばかりだ。  現在の魔術と断絶された<ruby>過去の遺物<rb><rp>(<rt>ロストテクノロジー<rp>)</ruby>。未だ明かされていない神秘がここにあった。 「やっぱりついてきて良かった」 「リコにも分かるの、ここの凄さが?」 「馬鹿にしてるの? 魔術を知らなくても、凄いところだってことは分かる」 「素人目に見ても貴重な品が多いからな。祭壇に置いてある物なんかは残ってることがまず奇跡だろ」  古代の神秘はリコ達のお眼鏡にも叶った様子。ここにあるのは滅多に御目にかかれない貴重な物ばかりだということは流石に一般の素人でも分かるらしい。 「なあ、アコ。ここに並べられてる物は何に使うんだ? コップにしては変な形してるぞ」  逆説的に言えば、非常識で物の価値が分からないソウはある意味一般の素人ではないということ。納得できるあたりソウらしいというかなんというか。 「ピトス、これ写真に撮っていい?」 「すみまセン。見る分にはいくらでも構いませんガ」 「撮るのは心のシャッターでってことか」 「そんないいものあったかねえ」  リコとデンカは貴重な体験を満喫中。わりと楽しんでるようなので、リコ達にはそのまま好きにしてもらえばいい。 「そもそもなんでこんなところに置いているんだ?」  問題はうちのソウ。今も幼年期デジモンのように頼りない視線に乗せて些細な疑問符をぶつけてきているけど、私にはいちいち疑問に答えるために使える時間は無い。ここは心を鋼鉄にして本来の目的に準ずる。それが私やソウのためになると信じているから。 「なあ、ここは何かを封印していたんだろう。こんな貴重そうな物をなんで……」 「っさい! 分かったわよ。説明するからそこで待ってなさい」  我ながら本当に甘いと思う。こんなんだからソウとコンビを組む羽目になったし、こんなんだから大事なところでポカをやらかす。 「アコ!」 「――え」  不意に轟くソウの声に思わず顔を上げる。視界に割り込む彼の表情は驚きと怯え、そして怒り。何を言いたいのかと考えようとしたその瞬間、私の右脇腹に激痛が走った。  反射的に痛みを訴える場所に右手を伸ばす。手袋越しでも伝わる違和感。どろりとした液体が手首にまで伝ったところで、私はそれが自分自身の血なのだとようやく理解した。  全身から力が抜ける。自分の身体のはずなのに立つことすらままならなくなる。自重に従って倒れる先には石組みの祭壇。……このまま頭からぶつかったらすごく痛いだろうな。  身体に掛かる衝撃は予想よりも柔らかかった。前面から伝わる温かさと臭いはソウのもの。私の身体を受け止めた彼がどんな表情をしているかは分からない。けれど、彼にすごく悪いことをしてしまったことは分かった。 「大丈夫か、アコ」 「そう言いたいところだけど無理」 「ごめん。今は応急処置と君の薬しかない」 「情けない私には十分過ぎる」  迂闊だった。警戒を怠った結果がこの始末。この本番の弱さや甘さが本当に嫌になる。その尻拭いをしてくれたのはいつもソウだった。  こんな風に後悔ばかりが募るのは、安静のために祭壇に背中を預けていることでソウの姿が嫌でも見えてしまうからだろう。本当に情けない。今さら後悔したところで仕方ない。余分な思考なんて意味が無い。私にできることなんて元から限られている。自分がなぜこんなことになった理由と犯人の目的くらいは知らなくてはいけない。 「嘘……アコ!」 「落ち着け、リコ。アコはソウに任せろ」  アコもデンカも犯人では無いのなら答えは自ずと絞られる。単純な話、あからさまに都合のいいことには必ず裏があるということ。 「どういうことだ、ピトス」 「ギブアンドテイクと言ったでショウ、デンカさん。私の目的のために魔女の血が必要でシタ」  デンカとの会話だけでピトスの目的が推測できるのは、私なりに真面目に魔術の研鑽を積んでいたおかげか。その魔術絡みで今まさに悲惨な目に合っているわけだけれど。  魔女の血には魔力が籠っている。重要なのはその魔力を何にどう使うか。――そして、どこで使うか。  ただ私の血が欲しいだけなら広間に出る前に闇討ちして採集すれば良かった。そうしなかったのは広間のこの場所で血を流させることに意味があったから。私の血が染みていくのは件の祭壇。それが何らかのスイッチであることは明らかで、私の血はそれを起動させるために必要だったということ。 「アコさんにはだいたいお見通しのようデスネ。聡明なノカ、勘が良いノカ。――今さら逆流は止められませンガ」  祭壇に紅い光が灯る。それは内部にまで刻まれた術式が起動した証。紅い光は石畳の紋様にまで走り、広間全体に刻まれた術式も連鎖的に起動する。そこまでは私の推測の範囲内。つまりそれ以降の出来事はすべて私の予想を超えた事象。  光が入り口に到達すると、通路の壁面にも同じ色の光線が多方向に分かれて走る。術式は迷宮の通路にも刻まれていたらしい。信じがたいことにこの地下迷宮のすべてが三次元的に描かれた巨大な術式だったようだ。  迷宮中に張り巡らされた術式が広間を赤く照らす。妖しい光から逃げようと目を瞑ると目に見えない変化に気づく。空間内にあれほど満ちていた魔力が急激に薄くなっていた。これが術式と関係があることなら、迷宮の役割も検討がつく。  術式に刻まれていたのは魔力の吸収と拡散。この迷宮は対象から魔力を吸い上げて無力化する檻の役割を担っていたようだ。伝承における怪物も術式によって無力化されたからこそ迷宮の中で一生を終えることになったのだろう。  ピトスは私の血を使ってその術式を逆流させたと言った。標的から魔力を吸い上げて空間に拡散させる術式の逆。それはつまり、空間から魔力を吸収して標的に注ぎ込むという術式へと変わるということ。ここまで分かればピトスの目的は明らかだ。  奴はこの空間に残った魔力をすべて自分の物にしようとしている。 「さあ、災厄が開くときデス」  目的は分かった。けれど私達にもうそれを止める手だてはない。広間に満ちていた魔力は完全に消え、術式を通して一点へと収束する。その一点とは術式の中心で、集まった魔力はその真上で仁王立ちしているピトスの身体に一つ残らず注ぎ込まれていく。 「アア……イイィ。く、ヴぁアアアッ!」  私はまだ楽観視していたのかもしれない。広間中の古代の魔力を全て取り込んだところで、きっとどこかで許容量を超えて自滅する。そう考えていた。変化は著しく、灰白色の殻は鈍い黒色に変わってひびが四か所入っている。それは異質な魔力に耐え切れずに侵されている証だと思いたかった。  けれど、そんな甘い考えなんてあっさり打ち砕かれるのが道理な訳で、ピトスは魔力のすべてを受け止めるだけの器たりえた。 「あァ、待ってイタ。幾度の身体を乗り捨ててでもこの姿を取り戻すのヲ。奪われた力をもう一度この手にするコトヲ!!」  雷のような激しさは失っているけれど、術式は今もほのかな光を放っている。おかげで変わり果てたピトスの姿は嫌でもはっきりと見えてしまう。  殻から覗く茶褐色の肉体は紛れもなく化け物だ。細く鋭い四肢は攻撃的な印象を与え、一対の翼としなやかな尻尾は邪竜のそれとしか思えない。何より大きな口を開けている頭には無数の目が輝き、私達を捕食対象として捉えていた。 「あんたが怪物そのものだったのね」  デビタマモン。この世の邪悪のすべてを詰め込んだ箱に例えられる、突然変異型の究極体。古代の魔術を破壊のみに使う災厄そのもの。  古代の魔術を調べていた頃に聞いた名ではあったけれど、まさかここで対面することになるとは思わなかった。けどよくよく考えてみれば魔力を吸い上げて封じこめる対象としてはこれ以上ない該当者だ。ピトスのデジタマモンという特徴的な種族で多少なりとも連想しなかったことが本当に悔やまれる。 「感謝してイマス。アナタの魔族の血があってこそ、私はこの姿に戻ることができマシタ」 「それはどうも。で、私にこんな真似して何がしたいの」 「さて、どうしまショウカ。ひとまずここから出たいですネ。……いや、この内に湧き上がる衝動に従うのが一番でしょうカ」 「見敵必殺ってところか」  デビタマモンの内にあるものは認識するすべてに対する憎悪と破壊衝動。文献通りの存在だというピトスの自白は宣戦布告以外の何物でもない。衝動の矛先が一番最初に向けられるのは当然私達。一切の容赦なく私達を殺した後に迷宮を飛び出し、残った衝動が尽きるまで古代の神秘を無作法にまき散らす。  敵は大仰な封印をされる程の究極体。こちらのまともな戦力は完全体のデンカだけ。後は自分の命さえ護れれば御の字の戦力外。  圧倒的な戦力差を前に打てる手なんて限られていて、そのすべてにはそれぞれ別種の覚悟が必要になる。逃げることを選んだとしても、この広間の出口はすべて迷路に繋がっているため迷路の中で衰弱死する可能性を受け入れなければならない。  この場所は強者が弱者を嬲り殺すには持って来いの場所。逃げることも難しく、遺体が明らかになるための条件も厳しい。ここに誘い込まれた段階で私達は既に死ぬことが確定しているようなものだ。 「リコ、ソウとアコを連れて出ろ」 「待ってよ。デンカは……」 「ぼさっとするな! 適当に時間稼ぎしたら尻尾巻いて逃げる」  できることが限られているおかげでこの場の最善策がすぐに分かるのも皮肉なものだ。一番避けたいのは全滅して地上に現状を伝えられないこと。なら現状の最大戦力を時間稼ぎに捨ててでも、あいまいな記憶を頼りに迷路を抜けて地上に出る方が確実に出る犠牲が最も少ない。 「分かった。無茶だけはしないで」  それを割り切れるかどうかはまた別の話。叶う可能性が低い希望を口にしたとしても、囮役の指示に従って私達を立たせたリコは本当に強いと思う。私がリコの立場なら絶対に同じ真似はできない。だからリコの希望が叶うことを心から望むし、デンカの意志も絶対に無駄にしてはならない。まずは痛みをこらえて広間の出口――迷路への入り口へと全力疾走することから始める。 「ヴぉおおおおおお!」  デンカの咆哮が私達の背中を急かす。彼の奮戦を知る術は先の咆哮を初めとする物騒な音の連鎖だけ。それ以上の情報を求めること――振り返って彼の身体を視界に入れることなどは許されない。今求められるのはただ最速で広間から抜け出すこと。 「っ! 次、あそこ」  たとえ不意に飛び出した光線が目の前のゴールを倒壊させたとしても、それが足を止める理由にはならない。偶然の流れ弾とは思えない以上、このゴールは諦めて次のゴールを即座に選んで進路を変更する。  次のゴールも同じように破壊されるのではないか。デンカと戦いながらあそこまで絶妙なタイミングでこちらにちょっかいを出せるのは、それ相応の余裕がピトスにはあるからではないか。そういう思考は無理やりにでも隅に追いやって、僅かな可能性を手繰るためにランアンドラン。全力疾走、ゴール手前で急旋回、そしてまたまた全力疾走。  終わりの見えない鬼ごっこ。六つ目のゴールを諦めた段階で、弄ばれているのではないかという疑念を押し殺すことに限界が見えてきた。一番最悪なのはこのタイミングで限界を迎えたのが私達だけではなかったということ。 「がはああああっ!!」  背後から響くデンカの悲鳴。それを踏み越えてでも私達は逃げることを選んだはず。けれど、頭上を越えて私達の前に落ちてきた彼の身体はその決意を挫くには充分過ぎた。身体中のプロテクターは既に役割を終えて砂へと変わり、露わになった肉体は傷と血が埋め尽くされている。辛うじて息をしてはいるものの、今は立ち上がることすら叶わないだろう。  あまりに一方的で呆気ない結末。どれだけ足掻こう逃げることすら叶わない。正真正銘の怪物が目覚めたという現実が私達の前に鎮座していた。 「そんな……嘘でしょ。頼むから起きてよ」  リコが駆け寄ってデンカの手を取るのを私は止められなかった。彼女は契約を通して生命力を与えて命を繋ごうとしている。それがデンカの言葉を無視する行動だとしてもリコは止めないだろう。 「逃げるのを諦めましタカ。ちょうどイイ。迷路を探す手間が省けマス」  だから、一歩ずつ近づく脅威から逃れることもできなくなる。どうしようもない行き詰り。一度足を止めた私達には逃げ道など最早無く、次の行動を選択した瞬間に命が絶たれるのは確実だ。 「ピトス。本当にアコ達を殺すのか?」  私達の誰もが一歩も動けない中、ソウは答えの分かり切った問いを投げかける。私にはその意図が分からなかったけれど、その言葉で変わる未来は予想できてしまった。変わらない結末が少し早まるだけ。どうしようもない絶望的な状況でも彼の判断や動きはいつもと変わらない。いつものように行動して、その結果をただ粛々と受け止める。 「他人事のように言いまスネ。この場に居る全員を始末しますヨ。皆さん遺跡の地下で私の真実とともに眠ってもらいます」  ピトスの答えは分かっていた。それを受けたソウの行動も理解していた。導かれる結果も予測できた。――私にはその後のことに関与する権利しかなかった。 「そうか。それは認められないな」  <ruby>足輪<rb><rp>(<rt>アンクレット<rp>)</ruby>から噴き出す突風でソウが一気に距離を詰める。私の目ではスタートとゴールしか捉えられない閃光のような高速移動。腕には足と同等の出力を束ねた風のグローブ。最短距離を一直線に走る最速の拳。瞬きの間に距離を詰めた結果、ピトスが動くより早くにソウは自身の武器を叩き込んだ。成熟期ならノックアウト、完全体なら怯んで無様に隙を晒すこと間違いなしの剛拳だ。 「そうですか。別に残念でもありませンガ」  それでも究極体には届かなかった。古代の魔力を纏うピトスには私程度の<ruby>強化付与<rb><rp>(<rt>エンチャント<rp>)</ruby>では圧倒的に足りなかった。風は止み、ソウの拳からは皮が剥がれて血が飛び出す。指の骨が何本折れたかなんて考えたくもない。ソウの腕は初めて遭ったあのときのように壊れて使い物にならなくなった。あのときと違うのは敵対者を仕留めることができず、ソウの無防備な腹には既に反撃の一手が届いていたこと。 「ブラックデスクラウド」  最初は染みかと思った。それが分解されていくソウの体細胞だと理解した頃には、彼の腹には風穴が開いていた。装備品で纏わせた魔術障壁も、薬で鍛えた魔力耐性も紙切れ同然だった。過去の私が心血注いで組み上げた守りは役に立たず、現在の私は見たくもない穴を通してピトスを睨みつけることしかできなかった。  デンカですらあっさり負けたのだ。私程度の力ではソウを護りきることなんてできるはずがなかった。ソウの身体がピトスの一撃に耐えられるはずがなかった。 「あぁ……はは」  くだらない。不意にそんな言葉が思考を走り、渇いた笑いが思わず零れる。積み上げてきた物が崩れるのがあまりに一瞬過ぎた。大事に思っていたものがこんなにもあっさり無くなるものだと理解してしまった。  だから、もう何を捨てるのも怖くない。大事なものを不条理に捨てられるくらいなら、私が自分の意思で捨ててやる。あいつが選ぶ権利も捨ててしまうことになるけれど、先に約束を破ったことと帳消しということにする。  本音を言うとあいつの行動には腹が立っている。それ以上に護ってやれなかった自分の未熟さに腹が立つ。けれど何より腹が立っているのは、こんな状況になってようやく<ruby>魔女<rb><rp>(<rt>ウィッチモン<rp>)</ruby>らしい選択ができる自分の臆病さだ。 「何がおかしいのデス」 「なんだろ。物事の無常さってやつかな。この世は本当に思い通りにならないものね」  今の私にはもう打つ手は無い。私がソウに与えた装備品は役には立たなかった。私がソウに飲ませた薬はすべてその効力を失った。結局のところ私は最後までソウに護られてばかりの傍観者だった。 「そうでスカ。遺言として受け取っておきマス」  デンカは瀕死でリコの回復は間に合わない。私は魔術で攻撃ができず、仮にできたところで奴には砂を掛けられたのと大差ないだろう。無力な弱者の前に凶暴な強者は悠然と歩み寄る。物騒な口の中には先ほどソウの身体に穴を開けた黒い霧が漏れ出している。それを目の前で吐き出されれば私達は跡形も無く消え失せるだろう。  距離はもう三十センチも無い。必要な条件が整ったと判断したピトスは機械的に口を開いてその射程圏内に私達を捉える。そして、すべてを蝕む霧が放たれた。 「……ハ」  ちぎれて海を流れる藻のようだ。黒い霧が右上に流れていく様を私は他人事のようにそう思った。私の目の前で凶器を攫ったのは一陣の風。地下で都合のいい自然風が吹く訳が無い以上、その風は人為的なもの。リコやデンカにそれを成す力はなく、唯一それらしいことができる私には自衛のために魔術を使用した記憶がない。 「そうですカ、あなたガ」  不審げな言葉を一言漏らして、ピトスはゆっくりと振り返る。その視線の先には白い人影が立っていた。  赤い鳥の下半身と白い獣の上半身を持つ人型。胸と肩には銀のプロテクター、腰にはベルト、頭にはバイザーと古代の遺跡には相応しくない出で立ちだ。――これが人間の世界でいう<ruby>風の精霊<rb><rp>(<rt>シルフィー<rp>)</ruby>の名前を冠しているのだから妙な話だ。 「変わりなくて何よりだ、アコ」 「あんたは変わり過ぎよ、ソウ」 「やはりそうなのか。正直何が何だかさっぱりだ」  真実を知っているのは私だけ。困ったように頬を掻く仕草は相変わらずで、その精神のまま彼の在り方を捻じ曲げてしまったことに苦い思いを抱く。  纏わせた装備品も飲ませた薬も効果は無かった。けれど、その身に唯一刻んだ術式だけは最後に効果を発揮した。  それは二つの対象のデータ構成を互いに交換し、再構築する魔術。どうしようもない瀕死の危機に陥ったときにのみ発動する最終手段。そして、今の彼の姿こそソウの身体をデジモンに対抗できるものに仕上げるための最終段階。再構成される姿は私には予測不可能だけど、風の魔道具を多用していたソウがシルフィーモンになるのは納得だ。容姿には魔術とは真逆の文明感丸出しな点を除けば。 「交換よ、交換。私達が例外ではなくなるだけ」  交換は双方向。片方にデジモンとしてのデータを与えるならば、提供するためのリソースと<ruby>経路<rb><rp>(<rt>パス<rp>)</ruby>が繋がってなくてはならない。その<ruby>経路<rb><rp>(<rt>パス<rp>)</ruby>が強固でなくてはならない以上結ばれる相手は必然私になる訳で、交換の帳尻を合わせるためには私にも<ruby>人間<rb><rp>(<rt>ソウ<rp>)</ruby>のデータが流れ込むことになる。 「簡単に言えば、あんたがデジモンになったってこと」  そして私は無力な人間になる。未だ服装は変わらず魔力も辛うじて残っている。けれど既に肉体の大半が置き換わっていることは分かっている。いずれは魔術を扱うこともできなくなるだろう。  絶対に後悔しないと言ったら嘘になる。きっとこれから先何度も失った力を惜しむだろう。そもそも今だって他に手段は無かったのかと未練がましい思考が<ruby>脳裏<rb><rp>(<rt>バックグラウンド<rp>)</ruby>で走っている。それでも代わりに得たものを思えば我ながら馬鹿な取引をしたと笑って流せる。  無力な存在がさらに無力な存在になる。対価としてこれほど<ruby>価値のない<rb><rp>(<rt>リーズナブルな<rp>)</ruby>ものもないのだから。 「そうか」  ソウのその一言で現状確認は終わり。自分がデジモンとして再構築されたことやその裏事情に関して一切質問することが無かったのは、状況が未だ優勢になっていないこと以上に、自分の身に起きた現象に悩むことが無かったからだろう。きっと肉体の在り方は変わっても、ソウはソウのままで立ち振る舞う。彼のそういうところが優しくも厳しかった。 「なるホド。アコさんは優秀な魔術師なのデスネ」 「もうすぐ寿命だけどね」 「それは残念デス」  ピトスが私とソウの会話を邪魔しなかったのは余裕の証。謎の復活を遂げたソウの秘密を知るために数分私達の命を伸ばしても問題ない。奴がそう考えたのはそれだけの猶予を与えても十分に勝算があったから。悲しいことに私にはそれを否定することができない。ソウが成ったのはデンカと同じ完全体。さっきみたいに瞬殺されることはないだろうけれど正面から戦って勝てる可能性も高くない。 「ピトス、お前をアコには触れさせない」 「そうなればよいデスネ」  それでもソウは再びピトスに戦いを挑む。それを分かっていても私には止めることはできない。  強靭な脚力で一気に詰まる距離。デビタマモンが反応するより早くソウは奴の両肩を掴み、その脚力で後方へ向けて跳躍。ピトスの抵抗で天井に埋め込む前に落ちてしまったものの私達との距離は開いた。ソウの背中が私とピトスを遮る程度には。 「こうやるのか……トップガン」  初撃から必殺技。自身の気を固めて放つその弾は一寸の狂いもなくピトスの口内に収まり爆発した。けれど、それでピトスが膝を着いてはいないことは分かりきっていた。実際ピトスは殻を突き破りそうな勢いで飛び出していて、それに対応するようにソウも真っ直ぐに飛び出した。  滑るような低空飛行からの飛び蹴り。返り討ちにせんと吐き出された霧は片腕で扇いだ風で払い、無数の目がある頭部に向けて鳥の足爪を伸ばす。けれど、それが届く直前にピトスの左腕がその足首を掴んだ。このままではその膂力で石畳に叩きつけられる。その予想が私の頭を過るより早く、ソウはもう片方の足でピトスの手首に爪を立てて両手で黒い翼を掴んだ。これには流石のピトスもたまらず手を離す。そのタイミングに合わせてソウは両足で奴の顔面に蹴りを入れて再び距離を取る。そうして着地したのも束の間、どちらともなく再度間合いを詰めて互いに敵意を振りかざす。  ぶつかり合う黒と銀。気弾は炎弾に打ち消され、濃霧は風波にかき消される。広間を絶えず動きながら、互いに凶器を振るう姿は戦闘種族としての理想形。私が歩むことのなかった道の末路は凄絶で鮮烈だった。  人の身体を捨てたソウの動きはピトスのそれを上回っている。先ほどデジモンの身体になったにも関わらず自然に動いているのは今までの薬漬けの賜物。私がしてやれたことなんて結局どれも褒められたものではないけれど、ソウは文句一つ言わずにそれを彼なりに最大活用してくれていた。  それでもピトスには届かない。健脚も鉄拳も旋風も気弾も、どれだけ叩き込んでも奴を仕留めるには至らない。一方でソウもピトスの攻撃を避けてはいるけれど、それは最低条件を果たしているだけ。奴のブラックデスクラウドは着弾がそのまま決着に繋がるのだから。  このままではじり貧。デンカと同じようにどこかで力尽きて先程の二の舞になるのがオチ。 「リコ、デンカ。逃げれるのなら逃げて」 「アコは?」 「私まで逃げたら誰があいつに付き合ってやるのよ」  私に何かできることはないのか。無力で無能な絞りかすになるのを受け入れたはずなのに早速未練が心を縛る。けれど、私もリコ達と逃げたところでソウが生き残る可能性が上がるとも思えない。それでまた死なれたら私は自分の才能をただ土の下に埋めただけになってしまう。  いや、もう御託や言い訳はいい。結局のところ、私はただあいつを助けたかった。あのとき迷わず命を救ってくれたあいつの行く道を見届けたかった。だから私はあいつに刻んだ術式の発動を受け入れた。だからこそ、私は消えつつある魔術の力をあいつのために使いきりたいと思っている。 「そうよ。このまま終われるか」  何かないか。何か使えるものはないか。その思いを乗せて彷徨っていた私の視線はある一点に留まる。そこにあるのは、ピトスをデビタマモンへと変貌させたあの術式。それが今も光を放っているということはまだ完全には停止していないということ。ならば私にだって使いようはある。この苦境を作った元凶こそが逆転の一手として相応しい。  周囲の魔力を一点に吸収する術式は活きている。それにピトスがボカスカ魔術を撃ってくれたおかげで濃度の高い魔力が広間中に滲んでいる。流石に最初にこの広間に来たときと比べると著しく落ちるけれど、それでも今の私には十分過ぎる量。いや、悲しいことに魔力を失う前の私が持っていた魔力量よりも圧倒的に多い。  もしこれを一つに束ねることができれば届くかもしれない。古代の術式を使って膨大な魔力を吸収し加工する。私が生涯最後に振るう魔術としてこれ以上のものはない。  一直線に術式の中心へと滑り込む。幸い戦闘の中心はここから大きくずれていた。仕掛けるなら今。両手を術式に落とし、絶賛崩壊中のポンコツ回路にスイッチを入れる。それに連動して術式が再び火花を上げる。 「<ruby>術式追加<rb><rp>(<rt>プラグイン<rp>)</ruby>――<ruby>錬鉄工房<rb><rp>(<rt>クラフトワークショップ<rp>)</ruby>」  私にできるのは元からある術式の出力先に後付けすることだけ。何が入力になるのかが分かっていれば、術式の構造や仕組みを理解していなくてもなんとか組み立てることはできる。束ねる形は想像できた。造るべき武器は決まった。 「くべる色は黄 目の数は八 芯は熱く 皮は湿る」  注ぐエレメントは一つしか考えられない。私の得意とする二択のうち一つにしてソウの力の根源。一番分かりやすいものが該当したおかげで、以降の工程もスムーズに組むことができた。 「その刃は竜が仰ぐ風 その風は戦人の起こす渦 その渦は滅びを払う栄光」  広間中に遍在する魔力が術式を通して再び集う。光と音が私の周囲で踊り出す。これだけ騒がしくすればピトスに気づかれるのも時間の問題。  それがどうした。構うものか。周りがどうあろうと私のやることは変わらない。なるべく早く組み上げ、できるだけ早くここでカタチにする。 「<ruby>構築<rb><rp>(<rt>ビルド<rp>)</ruby>――<ruby>展開<rb><rp>(<rt>デプロイ<rp>)</ruby>――<ruby>実行<rb><rp>(<rt>ラン<rp>)</ruby>――ぐぁ……このっ」  唸りを上げる追加術式。凹凸が完全に一致したように稼働状況は文句なし。我ながらいい仕事だと自画自賛したい。ただそれを維持するには<ruby>私<rb><rp>(<rt>ハード<rp>)</ruby>が脆弱過ぎる。最後でなければこんなオーバーワークはやってられない。  炉が回る。収集した魔力と私の残滓が混ざりあう。できた原料を型に押し込む。そうして出力されるのは、<ruby>両刃斧<rb><rp>(<rt>ラブリュス<rp>)</ruby>に近い先端を持つ魔力の槍。 「……よくやった、私」  工程を終えたことに自画自賛を送っても、すべての役割が終わった訳ではない。造った武器は使ってこそ価値がある。今はバリスタに装填して弦を引き絞った状態。その矛先を向けるべきところに向けて放つことにこそ意味がある。  標的はすぐに見つかった。それもそのはず。術式の稼働を察知して私に向かってきているのだから。けれど怯える必要はない。ピンチはチャンス。おかげで私でも狙いを容易く定められる。  距離は目算で十五メートル。これなら私にガスが届くより先にピトスに槍が届く。勝機はここにあり。後は思いきって放てばいいだけ。 「っ……」  勝機を突けると確信したこのタイミングで、自分自身の手元が震えていることに気づく。今やらなければやられる。それが明らかなのになんて様。  震えの理由は自分の攻撃が仲間を傷つけたトラウマ。おかげで魔力の槍がソウを貫くイメージが思考の中で何度もリフレインする。助けたい誰かをこの手で傷つけることの痛みはきっと計り知れない。  それでも私はそいつを助けるために今この場に存在している。トラウマの克服なんて別にできなくていい。だから、せめて今この時だけは迷わせないで。 「ああもう後のことなんて知ったことか! 飛んでけっ、<ruby>旋風将の槍<rb><rp>(<rt>デュナス<rp>)</ruby>!!」  手元はぶれて最終的にどこに狙いを定めたのかも覚えていない。それでも放つことはできた。私ができる仕事は最後まで終えられた。後はその経過を見送るだけ。私にはもうそれしかできない。 「あっ……」  たとえ槍が見当違いの進路を取っていたとしても私にはどうしようもない。こんな状況でもヘマをするのはなんとも私らしいというか空気を読めていないというか。空気の抜けたゴム風船のように気の抜ける音を立てて飛んでいく姿はいっそ笑えてくる。 「不発デスカ。結局アナタはここで終わりのようデスネ」  一方でピトスはまっすぐにこちらに向かってきて私を殺しに掛かっている。対抗しているはずのソウの姿も私と奴の間には存在していない。 「――終わるのはお前だ」  それもそのはず、彼はピトスの真上に陣取っていた。その手には私謹製の魔槍が握られている。声で気づいたところでもう遅い。慌てて振り向いたピトスの口はその槍で塞がれていた。 「アな……がアアアッ!!」  捻りを加えて奥へと突き出される度に、槍から解放された魔力が内側から焼き尽くす。当然ピトスはもがいてソウを引き剥がそうとするけれど、ソウはそれを押し退けながら槍をさらに押し込む。魔力を固めた槍を強引に握ったおかげでその手は血塗れ。痛みもそうとうあるはずなのに、歯を食い縛ってさらなる痛みを受け入れる。  意地とか執念とかその辺りが勝敗を決める根競べ。その結末は槍が消滅すると同時に明らかになる。 「怪物は眠っていろ」 「それはアナタでショ……」  それがピトスの最期の言葉。ぷつりと糸が切れたように四肢を投げ出して、奴は完全に動きを止めた。 「よかった、無事で」  それは自分の身体を確認してから言えと何度思ったことか。魔力の塊を力任せに握ったおかげで手のひらはぼろぼろ。私の前まで来た道程には滴り落ちた血が轍のように残っていた。手を伸ばす彼の表情は先程までの気迫が嘘のような自然体。傷だらけの癖にいつもと変わらない<ruby>盆暗<rb><rp>(<rt>ボンクラ<rp>)</ruby>っぷりで、相変わらず何を考えているのかよく分からない。 「うん、アコを助けられてよかった」  それでもこいつが私と根本的に同じ思いを抱いていたことは分かった。互いに理解していなかったから、双方向に見えて一方通行が二つあっただけ。もう少し早くそれが分かっていたら何かが変わっていたかもしれないけれど、そんな仮定は考えたところで仕方ない。私にあるのは今の現実だけなのだから。 「まず自分の手を心配しなさいよ」 「ああ悪い。これだと握れないな」  多少は私より自分を優先して欲しいけれど、やっぱりソウは口で言ってもなかなか分かってくれない。 「別に気にしないって」  だから行動で示す。衛生面のことは気になるけれど、傷口の場所さえ避ければ問題ないだろう。一瞬の迷いと判断の末、血塗れの手を掴むために私は手を伸ばす。 「え」  それが叶うことはなかった。私の手がソウに届くことはなく、私の意識は現実から乖離していく。……ああ、無茶し過ぎたみたい。  私が次に目覚めたのは病院のベッドの上。地下迷宮でピトスとともに永遠の眠りにつくなんてふざけたバッドエンドを避けられたのは、先に脱出していたリコとデンカが頭数を集めて再突入して私達を回収してくれたから。戦闘の影響は地上でも微弱ながら不自然な振動として観測されたようで、数少ない手掛かりであるリコの話は真っ向から否定されることはなかった。半信半疑だった面々もあの惨状を見てはすぐに指示に従うしかなかったはずだ。  一週間でソウの両手は無事に完治した。血は大量に流れていたけど幸い手の皮が剥がれただけで済んだとのこと。最初にあった時の大惨事と比べれば飛躍的な進歩だ。  私の方も身体の調子は悪くない。以前よりも脆くはなったし、魔力を感知する力も完全に失われた。体組成からして人間の方が近い存在になったと担当医からお墨付きも頂いた。 「なるべくしてなったというか、収まるべくして収まったというか」  かつてのソウならまだしも、今の私にデジモン相手の荒事なんてもっての外。殴った反作用で死ぬなんてのは死んでも御免だ。 「まあ踏ん切りがついただけいいか」  無力は無力なりにできることをやるだけ。結局私の指針はあまり変わらない。私達の関係やスタイルだって何も変わることはない。大きく違うのは私の中に燻っていた可能性が完全に消滅したこと。おかげで嫌でも現実を認めなくてはいけなくなった。正直かなり落ち込んだけれど、一通り後悔したら馬鹿話として笑えるようになっていた。 「元気そうだな、アコ」 「まあね」  あの時失ったものは確かに私にとって重要なもの。けれど、それよりももっと大事なものを残すことができた。  その事実が今はただ愛おしかった。     パラレル 2017-09-24T14:08+09:00 【短編】私が魔女を殺した日(前編) http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4775&mode2=tree  今になって思えば、あいつと初めて遭ったあのときから私は自分の底が見えていた。  進んだ先は行き止まり。どれだけ探求をしても世界の深淵なんて知ることはできず、どれだけ研鑽をしたところで新たな神秘なんて得られない。世界を守るなんて大それたことはそれこそ論外。  結局できることは目の前の一つを繋ぎとめることだけ。それも自分の持ちうるすべてを犠牲にしても確実性のない大博打。抜きんでた傑物でもなく、臆病さを隠して意地を張っている私にはそれが精一杯。  これはその癪な事実を受け止めるための話であって、他に壮大な意味なんてない。  ソウの拳がサラマンダモンの顔面に深く食い込む。炎を纏うその身体は普通なら触ることすらできないもの。けれど、両手を覆うように渦巻く風がグローブの代わりをしているお陰でソウの拳が炎の影響を受けることはない。寧ろ風圧によるインパクトの増大によって赤蜥蜴の身体の方が殴り飛ばされている始末。  攻防一体の拳を産みだす風の加護。それはソウの両手だけでなく両足にも施されている。地面と近い場所で風が産む恩恵は脚力の増強。そして、移動速度の向上だ。  最初の一歩。左足で地面を強く踏みしめた直後、ソウの身体がジェット噴射もかくやという速度で飛び出す。一気に縮まる距離。サラマンダモンは未だ着地すらできずに空を見上げている。必然、ソウの目の前にはその無防備な腹がある。  特大の的に突き刺さる右の健脚。これだけで重い一撃だけれど、ソウは油断することなく即座に二撃目の準備に移る。右足が刺さった赤い腹を足場に、他の三点で渦巻く風が上体を強引に持ち上げる。跳躍。回転。ソウの身体はサラマンダモンの真上を滞空。そして降下へと移った瞬間、サラマンダモンの腹に今度は左足が叩きつけられる。  揃って地に落ちる二種の<ruby>怪物<rb><rp>(<rt>モンスター<rp>)</ruby>。しかしその勝敗は明白だ。敗者は無様に背中を地に着け、勝者は静かに息を吐いて悠然と立っている。 「終わったぞ、アコ」  そして、<ruby>勝者<rb><rp>(<rt>ソウ<rp>)</ruby>のパートナーである私はただ彼が生きていることに安堵する。他に出来ることがあるとすれば、無力感という小さな棘をなんとか嚥下することくらいだろう。  体表から採れる発火性の体液。ソウがサラマンダモンを殴り倒した目的はそれだ。けれど、別に私達も追剥ぎのように一方的に殴り掛かった訳ではない。最初は下手に出て協力してもらおうとしたのだけれど、対価に命を含めたすべてを吹っ掛けられた。交渉はどこまでいっても平行線で、先にあちらがしびれを切らして実力行使。そうなった以上はこちらも黙っている訳にはいかず、ソウの拳に頼ることになったわけだ。 「いつも悪いな」 「こっちの台詞」  サラマンダモンを昏倒させることはできたもののソウの方も無傷という訳ではない。最後は優勢に進められたとはいえ、やはりサラマンダモンの炎は彼にとっては脅威で火傷を負っている箇所がかなりあった。今回は私の治療でもカバーできるが、もし次に同じようなことがあったらどうなるかは想像したくない。そうならないために手を打っている筈なのに、戦いの後に痛感するのはいつも私自身の未熟さだ。 「気にするな」 「……気にするわよ」  不意に私の心を見透かされたような言葉を吐かれた。彼なりの気遣いなのだろうが、今の私にとってその言葉は抜き身の刃のようなものなので止めて欲しい。「気にしなくていい様にしなさい」なんて言えればいいのだけれどそのための手を打つのは結局私の役割なのだ。口にしたところで自傷行為にしかならないのは目に見えている。  流水で患部を冷やしながら、手持ちの薬で使えそうな物を選別。水自体に微弱な魔力が浸透しているから、その刺激で自然治癒力も平常時よりは活性化しているはず。薬の持ち合わせも今回の分は足りている。とはいえ今後を考えるともう少し確保しておきたいところ。 「遺跡の近くに小さな町があったの覚えてる?」 「いや、まず地図を見ていない」 「アンタの物なんだから確認しなさいよ。処置が終わったら、進路を東にずらしてそこに向かうから」 「いいのか?」 「目的地を前に準備を整えるにはちょうどいいじゃない」 「なるほど。そういうものか」 「そういうものよ」  整えるのは物資だけでないということをこの男は分かっているのだろうか。その類いの言葉が飛び出すのをこらえる間に治療そのものは終了。片付けが終わったら、更新された行程を速やかに実行しよう。 「ちょっと。盛り上がってるところ悪いけど、わたし達も町まで同行していい?」  不意に声を掛けてきたのは私達と同じ人間とデジモンのコンビ。人間の方はゆるいウェーブの茶髪を肩まで流した小柄な女。デジモンの方は四肢にタービンのような装置が組み込まれた獅子の獣人。分かりやすい程の武闘派デジモンで、偏見ではあるけれどソウとは気が合いそうだ。 「名乗りもせずに頼むのは失礼か。わたしは<ruby>梶隅<rb><rp>(<rt>カジクマ<rp>)</ruby><ruby>梨子<rb><rp>(<rt>リコ<rp>)</ruby>。リコとでも呼んで。こっちはグラップレオモンのデンカ」 「別に気にしないで。わたしはアコ。こっちはソウ」  噂で聞いたゆるふわ系とやらの見た目に反して、冷静さと決断力の両立した振る舞いのリコ。近くにいるだけで静かに伝わる程の闘気を秘めたデンカ。互いの関係性も至って良好。第一印象ではあるけれど、自分達とは違って実直で優秀なコンビだろう。 「同行してもらうのは構わないけれど、戦力としてはあまり期待しないでね」  そんなコンビが私達の同行を求める理由は何だろう。強いて上げるなら、ソウの珍しさくらいか。 「その治療の手際で十分よ。でもまあ遠距離からでもサポートしてくれたらありがたいけど」 「私に戦えってこと?」 「うん、そうね。極力戦いは避けるけど、戦うときには攻撃してもらわないと。大丈夫。成熟期でも戦力としては問題ないから」  どうやら過大評価に加えて誤解もされているらしい。同行すると言った以上、認識の齟齬は解消しなくてはならないだろう。 「ごめんなさい、リコ。あのね」 「アコって言ったか。急で悪いが俺の推測が合ってるか確認させてくれ。――デジモンのお前じゃなくて、人間のソウが戦っているのか?」  尤も、私が話す前にデンカによって真実は曝された訳なのだけど。 「少し長くなるから歩きながら話してあげる。暇潰しにはちょうどいいでしょ」  ウィッチモン。成熟期。データ種の魔人型デジモン。それが私ことアコが属する種族のプロフィール。  人間。体毛の少ない二足歩行の生物でデジモン以上の知能を持つ。デジモンではないため、デジモンとしてのカテゴリ分けは不可能。それが<ruby>一機<rb><rp>(<rt>カズキ<rp>)</ruby><ruby>湊太<rb><rp>(<rt>ソウタ<rp>)</ruby>ことソウが属する種族のプロフィール。  私達が出会ったのはおよそ三ヶ月ほど前。魔術の実験に使う植物を求め、一人で山に潜っていたときのことだった。あのときも私はうっかりヘマをして、怒り狂ったグリズモンに追いかけられていた。  せめて落ち着いて手心を加えてくれないだろうか。半ば諦めかけたそのときソウが私の前にふらっと現れた。 「熊なんて飼うもんじゃないぞ」  開口一番の言葉がそれ。何から何までずれている言葉に思考が止まったのを覚えている。けれど、その疑問の波に数秒前までの恐怖や諦観が洗い流されたのも事実だった。 「こんなの飼ってる訳ないでしょ!!」 「そうか」  本当に理解しているのかという疑問が沸き立つ間に、彼は私とグリズモンの間にふらりと割ってきた。あまりに自然な動きで、私がそれに気づいたのはグリズモンが標的を彼に変えたと感づいた直後だった。  既に声を上げることすら間に合わない。間合いはもうグリズモンの爪の圏内だ。二秒後に何も知らない彼の腹が裂かれるのは揺るがない必然。私にはその現実から目を逸らすことすらできなかった。 「え?」  だからこそ、私は目の前で起こったことを現実として認識するしかなかった。  グリズモンが左の豪腕を力強く振るう。先端の大きく硬い爪が鋭い角度で迫る。それを前に彼が取ったのは、左方への僅かな前進と腰を落とすかたちの体重移動。あまりに最小限の行動だ。けれど、それが最大限の効果を産んでいたことを私はすぐに理解する。  グリズモンの爪は彼の右後方を通過。慌てて次の攻撃に移ろうとするグリズモンだが、既に間合いは一歩前に踏み込んでいる彼のものへと変わっている。無論、反撃の準備も整っている。  けれど、彼はあくまで人間だ。デジモンと人間ではどちらの方が頑丈な身体を持っているかは明白。ましてやグリズモンとなれば、攻撃を仕掛ける彼の手が無事で済むとは思えない。  その予想は半分当たっていた。至近距離で掌底を打った結果、彼の右腕は限界を迎えて折れてしまった。けれど、限界を迎えたのは彼の右腕だけではない。腹の内まで浸透する衝撃によって、グリズモンの身体も限界を迎えていた。予想が半分当たったということはもう半分は外れている訳で、このとき外れたのは闘いそのものの勝敗だった。 「む。やはり一筋縄ではいかないか」  折れた右腕を眺めつつ彼は敗者に背を向ける。そうなると必然的に目が合うのは何もできずに腰を抜かした私になる。それに気づいてずんずん近づいてくる彼を前に、私ができることなどありはしない。 「大丈夫か?」  それでも差しのべられた左手を掴むことができた理由は今でも分からない。人間にしては大きなごつごつとした手。これならば確かにある程度のデジモンには自力で対応できるだろう。今回のように犠牲を払うことが前提だけれど。 「その腕……」 「ん、ああ。普通の熊ならもう少し抑えられたが、それでは通用しないと思った。これでも生き残るための駄賃としては安い方だろう」 「そういうことじゃない!!」  思わず飛び出した叫びに私自身が一番驚いた。一人で旅をしてきたのに、ここに来て他人の心配をするとはどういう気紛れだろうか。けれど私以上に馬鹿げた気紛れを前にしては、この気紛れも何てことのない平常運転に思えてくる。 「なんで私のために腕を犠牲にしたの?」  逃げるタイミングなんていくらでもあったはずだ。最初に私を見つけた段階で声を掛けずに立ち去ればよかった。グリズモンを認識した段階で逃亡を始めればよかった。私とグリズモンの間に入らなければよかった。爪を避けた後に反撃に移らず走ればよかった。  そうすれば少なくとも彼が右腕の骨を折ることはなかったはずだ。代わりに私の身体に危害が加えられるけれどそれは彼には関係のない話。当事者としてその仮定は認めたくないけれどそれが私と彼が辿る当然の末路だった。 「危なそうだったから」  頬を掻いて出た言葉は声量とは裏腹に確固たる意思が籠ったもの。それを聞いてしまった以上、問い詰める言葉は出なかった。どれだけアプローチを変えたところで納得できる答えは得られそうにないと分かってしまった。  天性のお人好しかただの馬鹿か。間違いなく後者だと判断した後、何の気まぐれか自分も後者になろうと思ってしまった。 「もういいわ。……ひとまず病院に行きましょう。その腕が治るまで付き合ってあげる」 「いいのか?」 「私以上に危なっかしい奴を放っておける訳ないでしょ」 「確かに。それもそうだな」 「アンタのことよ。アンタの」  自分を助けてくれたのがこんな危機管理のできない奴ではいつどこで野垂れ死ぬのか不安になる。その遠因が自分にあるのではないかと胃が痛くなるのは御免だ。  ならばせめて、私のせいで死んだと思わなくて済むまで行動を共にした方が精神衛生上健全だろう。  ソウの退院が決まったのは三か月後のことだった。腕の骨折だけならその半分以下で済んだけれど、肩や足、内臓など他の箇所で目に見えない深い傷を負っていたため治療は想定以上に困難だったらしい。  その間は私も旅を中断してソウの面倒を看ていた。収集したい素材は既に集まっていたし、じっくり腰を落ち着けるタイミングとしても適当だった。……正直、それが取り繕うためのささやかな言い訳だという自覚はありました、はい。  面倒を看ていたといっても身元保証のために近くに居ただけのようなもので、私は特に治療には関与していない。応急処置や治癒魔術は心得ているけれど、その道のプロフェッショナルが居るのなら任せた方が良い。  結局のところ私が二ヶ月の間していたことは試料の整理やレポートの執筆。そして最も時間を割いた、ソウの暇潰しのための雑談くらいだった。以下はその中で一番印象に残っている一幕。 「つまりここは俺が居た世界とは別の世界なんだな」 「そ。で、アンタが熊だと思ってたグリズモンも私もデジモンという生物。アンタの世界の生物と一緒と思わないように。血気盛んな問題児もゴロゴロいるから、この世界には治安の悪い場所もかなり多いわ」 「なるほど。気をつける」  丁寧に説明してもこの相変わらずの反応。これでは分かっているのか分かっていないのか私の方が分からなくなる。教師としては非常に困る相手だけれど私は話を続けるしかない。 「この世界には稀にアンタみたいに紛れ込む人間が居る。ただでさえ非力な人間達には可哀相なことに、この世界には『人間と契約できれば活力を吸い上げて力を得られる』なんて話が広がっているの。おかげで人間を探しては捕まえようとしている連中も居るわ。――要するに、哀れな迷い子が長生きできるほどこの世界は甘くないってこと」 「まるで俺が生きていることが幸運みたいな言い方だな」 「実際幸運以外の何物でもないから」  タチの悪い組織に捕まって、エネルギータンクとして売られる未来もあったかもしれない。彼らにとって重要なのは話の真偽ではなく売れるかどうか。売られた後は結果に関わらず使い潰されて捨てられるのがオチ。ネガティブなifなんて考えるだけで精神力が削られるのでここまでにするけれど、私達の想像よりも酷いオチが待っている未来もあるだろう。 「うん、その通りだ。初めて遭ったデジモンがアコでよかった」 「な、何よ急に。今さら褒めても何も出ないわよ」  その言葉はまさに不意打ちだった。あのとき助けられたのは寧ろ私の方だ。笑える程あっさり死ぬはずだった私を自分の身体を顧みずに守ってくれた。その借りくらい返さなければ、胸を張って見送ることができない。今ここでソウと話しているのも結局は自分が納得するための行動なのだ。  <ruby>魔女<rb><rp>(<rt>ウィッチモン<rp>)</ruby>らしくない性格だとは散々言われた。けれど、これが私なのだからどうしようもない。 「む。これからも世話になりたいと思うのも駄目か」 「嫌な冗談言わないで。契約でもするつもり?」  想像するだけで気が滅入る。そう言葉を繋げながらも内心はそんなことは無いだろうと笑っていた。そんな自分を殴りたくなるのは三十秒後の話。 「その契約はどうやるんだ?」 「それを今聞く? 悪いけど知らない。そもそも任意でするものじゃなくて、相性が合えば勝手にされているものらしいし」 「なるほど。ところで急に力が抜けてきたんだが」 「妙なタイミングね。寧ろ私は急に力が湧いてきたんだけど」  渇いた笑いが思わず零れる。同じタイミングで真逆の現象が起きるなんてなかなかない偶然だ。この現状が先ほどの契約の話と一致していることが一番奇妙な話。これではまるで私とソウの間に契約が結ばれたようなものではないか。  信じられなかった。信じたくなかった。心労で倒れそうだった。 「契約されてたようだな。……何かまずかったか」 「まずいというか、変人とハズレが組むって事実が辛い」 「変人とは失礼な。……ん、アコがハズレ?」 「ええ。ハズレもハズレ。こと戦闘においては落ちこぼれの筆頭よ」  あまり口にしたくはないけど、契約が結ばれた以上は隠すことはできない。事実を打ち明けたら人畜無害そうな顔がどう変わるのか。他人から侮蔑の表情を向けられるのは慣れた筈なのに、彼の顔にその表情が浮かぶのが怖くて仕方ない。それでも、今ここで打ち明けなくてはいけない。 「私ね、攻撃できないの。生物に向けて魔術を使えないのよ」  トラウマのきっかけは至ってシンプルな事件。荒くれ者に襲われた窮地に私はウィッチモンへと進化し、その溢れんばかりの力で向かってきた敵を一発で撃退した。けれども未熟な私に自分の力は扱いきれず、荒くれ者だけを狙うなんて器用な真似はできはしなかった。結果、私の旅に同行していた仲間にもその牙を剥いてしまった。  その日から私は魔術を攻撃手段として使うことができなくなっていた。指を向ければその先端が震え、手元は不自然に揺れ、動悸は激しくなる。立つことも危うい状態をしのいだ頃には既に魔力は四方に霧散して術としてのかたちを保つこともない。 「分かったでしょ? 私はアンタを守れない。パートナーの人間を守れないデジモンがハズレでなくて何なのよ」  打ち明けた。洗いざらい話してやった。思う存分絶望して、その呑気な顔を曇らせばいい。未来の不安から緊張感を持ってくれれば、私も自分がハズレという事実を笑えるというもの。 「なるほど。自衛の手段が無いのは大変だな。――なら、俺が戦おう」 「何を、言ってるの?」  様々なパターンを想定していた。どんな言葉が飛んできても良いように心の準備もしていた。それでも自分の耳が信じられなかった。あんな目に遭ったのにそんな妄言を言える彼の神経が理解できなかった。 「アコが戦えないのなら、代わりに俺が戦えばいい。腕っぷしには自信がある」 「ふざけないで!」  ここが病院だということを忘れるほどに、ソウの言葉は私の感情を乱暴に逆撫でした。自分の身体を何だと思っているのか。なぜ自分がここに居るかも理解していないのか。そんな馬鹿が私の代わりに戦うなんてこちらから願い下げだ。 「戦えない奴の代わりに戦える奴が戦う。合理的だと思うが」 「どこが合理的? 誰が戦える奴って? 腕一本折っておいてよくそんなこと言えるわね」 「でも、グリズモンとやらは倒せた」 「ええ、そうね。で、代償に今度はどこを折るつもり? それとも何かの器官を潰す? そんな真似をしてたらすぐに死ぬわよ。死んだら私の代わりなんてできないでしょ」 「う……ああ、確かにそうだな。いや俺も無駄に死ぬ気は無い」  自然と語気は強く、語調は説教じみたものになっていく。いや、説教でも足らないくらいだ。最後に薄っぺらい生への執着を見せなければ本気で一時間は説教が止まらなかっただろう。  デジモン同士の戦いでも当然負傷する。<ruby>皮膚<rb><rp>(<rt>テクスチャ<rp>)</ruby>が欠損したり、<ruby>骨格<rb><rp>(<rt>ワイヤーフレーム<rp>)</ruby>が折れたりなんてこともざらだ。自分の攻撃の反動で傷つく程度の人間に、それだけのダメージを何度も生身で受ける<ruby>私<rb><rp>(<rt>デジモン<rp>)</ruby>の代わりが務まる訳がない。  治安が安定しているエリアも多くはなってきても、私達デジモンは元々が闘争本能を宿した獣。野蛮な性を暴力に変える賊が少なくないのも事実で、そういう輩に限って弱ったところを突くのに長けている。奴らからすれば一度の戦いで必ず重症を追う相手は格好の獲物だ。  この世界において生きるために足掻くことは大前提。出来る限り負傷せずに弱味を見せないことこそが最適だ。 「流石にアンタも死にたくないのね。よかった、そこまでの馬鹿じゃなくて」 「もしかして心配してくれているのか?」 「……は?」  心配している? こんな馬鹿をなんで私が。ただ私は成り行きでもパートナーとなった人間が自分の身体を大事にしないのが気に食わないだけ。無駄に命を散らした理由が私の代わりに戦った結果なんてことになれば、私のプライドや<ruby>精神<rb><rp>(<rt>メンタル<rp>)</ruby>まで無残に散ることになる。あくまで私はソウのパートナーとして彼にもパートナーとしての自覚を持たせて、私の精神に少しでも安寧をもたらしたいだけ。 「俺のことを心配してくれるなら、俺が死なないようにアコが上手いことやってくれ」 「なんでそんなことを頼むの。面倒事を私に投げてまで、なんで私の代わりに身体を張ろうとするのよ」  本当に馬鹿だ。自分の身は自分で護る意識くらい持ってほしい。自分を蔑ろにしてまで私は守って欲しくない。そもそもいくらパートナーだからといっても自ら危険な役割を担おうとするのがおかしい。 「理由なんて大層な物は無い。――ただアコのために何かしたいだけだ。でも、俺には戦うことくらいしかできないから」  思わず声を失った。ソウが口にした言葉は具体的な返答としても不十分な、それ単体では信用に値しないもの。けれど、その瞳はあまりに純粋な光を灯していた。それはソウがその言葉を本気で言っているという証明に他ならない。 「はぁ、分かったわよ。好きにしなさい。――けど、死ぬことは絶対に許さないし、そんなことにはさせない」  本当に馬鹿だと思う。それもかなり強情で無駄に意思の固いタイプの馬鹿だ。そんな馬鹿はこれ以上何を言ったとしても意見を曲げないだろう。ならばせめてソウには好きなようにやってもらって、私は彼の命が少しでも長く伸びるための準備をした方がいい。馬鹿の言葉通りに動くのは癪だけど、人間にただ護られるなんてのは私自身が許せない。――だから、いずれは私がソウを護るのだと口には出さずに誓った。 「ようやく納得してくれたか」 「納得はしてない。許容しただけ。……デジモンじゃなくて人間が戦うなんて滅茶苦茶よ」 「滅茶苦茶でいいだろう。何事にも例外は付き物だ」  例外――戦うことのできないデジモンと戦うことしかできない人間のコンビにこれ以上的確な言葉は無いと思う。  ソウがデジモンと戦う。そう決まった上で、身体を張る彼を護るために私が打った手は主に二つ。  一つ目は薬による内側からの強化。大まかな効能は心肺機能や筋肉の増強、加えて魔術への耐性の付与。ドーピングといえばドーピングだけれどあまり手段は選べないのも事実。当然、ソウが人間としていられる範囲内だけれど。  二つ目はアクセサリによる外側からの強化。私が得意とする風や水の魔術の術式を籠めた<ruby>腕輪<rb><rp>(<rt>ブレスレット<rp>)</ruby>や<ruby>足輪<rb><rp>(<rt>アンクレット<rp>)</ruby>を付けさせることで、移動速度や格闘技をデジモン相手でも通用するものへと昇華させることに成功した。当然ただそれらを付けるだけではソウの身体がアクセサリの魔術に耐えられない。けれど、元々ソウが鍛えていたことや薬で肉体を強化していたこともあって、ソウは何の負担も無く使いこなすことができた。  私が薬や道具を作ることが得意だったのは本当に幸いだった。ソウはもう並大抵のデジモンの攻撃じゃ簡単にはくたばらない。流石に無傷で終えられる戦いは無かったけれど、ここまで大怪我を負うことなく旅を進めることができたのもまた事実だった。 「話はここまで。長時間に関わらずご清聴ありがとうございました」 「ふーん。とりあえずソウが馬鹿だってことはよく分かった」 「それだけ理解してくれれば十分よ」  あまり語りが上手くない自覚はあったけれど、リコもデンカも退屈そうな顔をしないでくれたのはよかった。一方でソウが口を尖らせながら頬を掻いている点に関しては一切考えないこととする。  視線の先に建物らしきものが見えてきた。長話でも時間潰しとしては適当な長さだったらしい。それはつまり、町までの同行者との別れが近いということ。昔話を語っていたせいか、想像していたより寂しく感じてしまう。こんな気持ちになるのなら無闇に自分達のことを話さない方が良かったとも思えてきた。 「アコ達はこれからどうするの?」 「一息ついたら近くの遺跡に行くつもり。文明を支えた古代の魔術の調査ってところかな。……あ、地下迷宮なんてのもあったかな」  寂しさを誤魔化そうとした結果、話の中心は町に着いた後のことに移る。  私達の目的地はかつてクレノソスという名の都市だった遺跡。二千年ほど前、ウィッチェルニー由来の魔術師を中心に魔術による高度な文明を築いたらしい。けれど、世の中栄枯盛衰が必定。魔術によって栄えたその都市は同じ魔術によって滅びた。けれど、その当時の奇跡の残滓や魔力の痕跡――手付かずのもの含めて――が現在も遺跡の中に残っていると噂されている。  古代の魔術には一人の魔術師として興味がある。それ以上にソウを護るために魔術の知識がより必要だった。 「そっか。……面白そうね。このままわたし達もついてっていい?」 「別にいいけど……いいの」 「いいの。これからの方針も決まってなかったし」  それはあくまで私達の都合。魔術の素養のないリコ達には関係のない話。そう思ってまた二人旅になると考えていたのはこちらだけだった。単純な興味であってもまだリコ達と旅を続けられるのは素直に嬉しい。ソウの奇行に頭を痛める役割が分割できると思うと心底ほっとする。 「じゃあ、これからもよろしく」 「こっちこそ。ま、ひとまずのんびり休みましょ」  町はもうすぐそこ。後は宿を手配してシャワーと食事と睡眠で一日の残りを消化する。それから先は何も決まっていないけれど、おそらくニ三日を休養と準備に使うことになるだろう。準備期間の間にできれば遺跡に詳しい案内役を確保しておきたいところ。  落ち着ける目処が立ったからか今後について色々な想像が閃光のように巡る。そこにソウのことを踏まえたものが無いあたり、私もまだ彼の扱いが未熟だということだったらしい。   パラレル 2017-09-24T14:04+09:00 六月の龍が眠る街 第六章 http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?pid=digimonwebnext&mode=pr&parent_id=4773&mode2=tree <A Href="http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?bbs_id=digimonwebnext&mode=p&no=4734">第一章</A> <A Href="http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?bbs_id=digimonwebnext&mode=p&no=4742">第ニ章</A> <A Href="http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?bbs_id=digimonwebnext&mode=p&no=4762">第三章&第四章</A> <A Href="http://digimonwebnext.webspace.ne.jp/bbs/?bbs_id=digimonwebnext&mode=p&no=4768">第五章</A> もうやめてよ。 私はそう言ってやりたかった。 北館くん、もうやめて、私はあなたを、傷つけたくない。 ダスクモンに支配されている間、ここまではっきりと意識を保っていられるのははじめてのことだ。私の体の動きはもうすっかり自分の指揮下を離れていて、自分が次に右足を動かすのか、それとも左手を引っ込めるのかも分かりはしない。でも私は私の目を使って、自分に立ち向かってくるレーベモン--北館祐を見ることができた。 ダスクモンと彼との戦力差は歴然と言ったところだ。もともと同じスピリットを半分に分かって生まれたデジモンとはいえ、ダスクモンにはあの男によって注ぎ込まれた力がある。彼の槍と私の剣がぶつかるたび、彼は大きく後ろに吹き飛んだ。 やめて、私は傷つけたくないのに。しかし口はそう動いてはくれない、代わりに私のものではない、下卑た口調の言葉が漏れる。 「おいおい、そんなもんかよ。お前と戦うのを、俺はずっと楽しみにしてたのにさ」 私の口を使って、勝手に喋らないでよ。 北館くんはそんな酷い言葉を浴びせられても、何回もこちらに向かってくる。そのうち、彼が本気で私に一太刀浴びせる気がないのが分かった。チャンスがあってもそれをものにしようとしない。ただ近づいて、語りかけるだけだ。 「真理、聞こえてるか?」 「ぼくの未来には君もいる。君がいなきゃ駄目なんだ」 なんで、そんなこと。 「勝ち目も無い相手に手加減か? 本気でこないとすぐに死ぬぜ。もう一度言うけどな、この女はお前を裏切ったんだ。お前を傷つけなくないなんて言いながら、お前の友人達を殺そうとすることは躊躇わなかった。自分の家族だって、見捨てたんだ」 ダスクモンの言う通りだ。私には救われる資格なんてない。君にそんなに想われる資格なんてないのに。 「知ったことじゃないよ」 レーベモンが槍の柄を使って私を突いた。びっくりするほど早い一撃、ダスクモンも見極められなかったのだ。私が態勢を立て直す間も無く今度は盾を使った体当たり、無防備なまま、体が浮く。 「君が何を考えてても、何をしても、どんな人間でも、関係ない」 ダスクモンが私の口を使って舌打ちした。彼にとっても予想外だろう。これが本物の〈闇のスピリット〉の力なのだ。槍の柄を用いた連撃が飛ぶ。すぐにだって私を殺せるのに、レーベモンはわざと時間を稼いでいるように見えた。私に、語りかけるために。 「ぼくが君を好きになった理由はそんなんじゃないよ。ぼくが君を好きになったのは--」 やめて、北館くん。その続きを言われたら、私、また生きたくなってしまう。 「顔が好みだったからさ」 は? 〈エントリヒ・メテオール〉 レーベモンの言葉を理解する時間もなく、彼の胸の獅子像から光が放たれた。 ***** 「グラン! もっと高度を上げろ!」 深夜の仙台の街の上空、グランクワガーモンの背の上で高視聡が怒鳴った。 目の前にリアライズした巨鳥--オニスモンは先程から低空飛行を続け、その巨大な翼でビル群をなぎ倒している。街の明かりはオニスモンの影響で発生したノイズのせいだろうか、不規則に点滅していた。 この地域の市民の避難は終わっているということだったが、巨鳥は先程から駅のある方角に向かっている。彼方にはまだ多くの市民が残っているはずだ。何よりもまず、オニスモンを上空に誘導する必要があったが、けばけばしい配色の羽を持つその鳥は高視とグランクワガーモンに気づいてさえいないらしい。 〈グランディス・シザー〉 グランクワガーモンがその黒いアゴでオニスモンの羽に噛み付いた。民家の屋根を覆ってしまえるほどの大きさの羽が何枚も飛び散るが、巨鳥は意に介する様子もなく、ゆったりと飛翔を続けていた。 「ダメだよサトル、効いてない」 「さっきの技、空間ごと切り裂くんじゃなかったのか?」 「俺もそう思ってたんだけど、違ったみたいだ」 グランクワガーモンの答えに高視は頭を抱えた。何か手を打たなくてはいけない。何か--。 「クラビス、何してるんだ」加納は呟いた。 ビルの屋上に立ち、ヒトミとギギモンと一緒に戦いの様子を眺めていたのだが、クラビスエンジェモンや高視を乗せたグランクワガーモンの攻撃にもオニスモンはびくともしない。これでは百川梢に大見得を切った手前、格好がつかないではないか。 そう思った矢先、ヒュプノス支給の端末が通信を求めて振動した。彼はため息をついてスイッチを入れ、端末を耳に当てる。 「加納だな? 何してる。オニスモンが駅に向かって移動を始めたぞ」百川が焦ったそうな口調で言った。 「知ってますよ。今高視と一緒に上空へ誘導してるところなんですが、なにぶん相手が馬鹿でかくてですね」加納の言葉に彼女もううむと唸る。 「私も加勢できたら良いんだが、あいにくパートナーのナイトモンは空の相手には分が悪い」 「百川さんは指揮をお願いしますよ」 「いや、指揮は仙台のオペレータの子達に任せることにした。彼女たちの方が勝手が分かってるからね。私はムルムクスモンを追う。それで、そちらへの援護の件なんだが…」 目の前に現れた影に気を取られ、加納は彼女の言葉の後半を聞いていなかった。「え? なんです?」 「君たちへの援護の件だ」 「ああ」加納は上の空といった様子で頷いた。「多分必要ないと思います」 「何を言ってる? おい--」百川の言葉を最後まで聞かず、彼は通信を切った。そして目の前に立つ三つの影に言う。 「なんか前見た時より増えてないか?」 「呼んだの。全国に通信したのに二人だけなんて、ほんと薄情な奴ら」影の先頭に立った一条秋穂が言った。その後ろには二体のデジモンが控えている。一人は小さな子供ほどの背丈の青い少女、もう一人は銀色の鎧にオオカミ頭のような形の兜をつけた騎士の姿をしていた。 「助かるよ」 「お礼はいらない。私たちは何をすれば良いわけ?」 加納は夜の空を見上げて言った。「オニスモンは駅の方角に向かっている。このままだと市民の命が危ない。なんとかしてこいつを上空に誘導しなきゃいけない」 「分かったわ、私達十闘士の力、見ておいてよ」 その言葉とともに秋穂たちは消え、夜の空に三つの光が浮かんだ。 ***** 「一条、聞いてないぞ」銀色の騎士--ヴォルフモンが不満気に言った。 「何?」既にメルキューレモンに進化している秋穂が聞く。 「何って、どういうわけでお前はヒュプノスと仲良くしてるんだ?」 「色々な事情があるの。なんにせよ、そんな喧嘩してる場合じゃないでしょ」メルキューレモンのその言葉にヴォルフモンはそりゃそうだけど、と口の中でもごもご呟いた。 「私もびっくりしたよー、まあアッキーの頼みだからやるけどさ」青い少女--ラーナモンも言った。 「アッキーって」〈十闘士〉がみんな揃って訓練をしていた頃はそんなあだ名で呼ばれていたなとメルキューレモンは苦笑した。アキホだからアッキー、彼女をそう呼んだのはみんなより少し年下だった〈水〉と〈氷〉、それにいつもおどけていた〈雷〉の三人だった。 「それにしても、あんた達大阪組が来てくれたのは意外だった」彼女は言った。ヴォルフモンとラーナモンは大阪を中心に近畿地方で起きるリアライズに対応している。日本第二の都市圏であるだけあって、関東地方担当の次に忙しいはずだった。 「アッキーの頼みならすぐに駆けつけるよ」ラーナモンが笑う。 「他の連中だって、本当は来たかったんだろうさ、みんな忙しいんだ」ヴォルフモンも言った。 「どうだか」訓練を終え、全国に散らばった〈十闘士〉のメンバー達とはたまにしか連絡を取っていない。彼らとの絆は簡単に失われるようなものではないと理解しつつも、呼びかけに二人しか応じてくれなかったと言う事実には一抹の寂しさを覚えた。 「ねえ、そういえば祐さんは?」私にはアッキーで北館には祐さんか、ラーナモンの問いにメルキューレモンは思った。まあユウくん、愛想悪かったからな。 「確かに、お前らいつもべったりくっついてたのに、今日はいないのか?」 「べったりくっついてなんかないよ。今日はユウくん、他に野暮用があってね」 「あの無愛想に野暮用?」ヴォルフモンが面白そうに笑った。「どういうことだ」 「えーなになに?」ラーナモンも目を輝かせる。彼女は今中学生、そういう話が楽しくてしようがないのだろう。 「あとで話すよ、そんなことよりほら。ヒュプノスの連中に先を越される前に、行くよ」 「上等だ」 「オッケー!」 三人はオニスモンに向かって飛びかかる。ユウくんはどうしているかな、とメルキューレモンは思った。 ***** 「何よ、顔が好みって」私は自分のその言葉で目を覚ました。その途端に自分を抱えていた腕が震え、私は何かあたたかいものに抱き寄せられる。 「良かった…!」耳元で声が響いた。どこか懐かしい、温もりに溢れた声。あんなにも憧れた--。 「北館くん…」 「真理さん、ちゃんとぼくのことが分かる? どこか悪いところはない?」 「…背中が痛いわ」もっとマシなことが言えないのかと自分に言ってやりたかったが、背中の耐え難い痛みに口からはそんな言葉が漏れ出た。おそらくグルルモンの爪による傷の所為だろう。あの時に大量出血で死んでもおかしくなかったはずだが、あの男に流し込まれた力によってなんとか生きているのかもしれない。お礼は言いたくないけどね、と私は思った。 「…あ、そっか」そう言って北館くんは私を優しく地面に横たえた。私はなんでどうでもいい背中のことなんて言ったのだろう。もう少しだけ抱いてもらいたかった。 「ごめんね、北館くん。私…」 「いいから黙ってて」 「私、そんなに優しくされる資格ないよ」ダスクモンの言っていたことは本当だ。私はたくさんの人に酷いことをした。ダスクモンに進化し記憶が飛んでいる間に私が笑っていたという話にしたって、嘘ではないのかもしれない。 「資格なんて、どうして必要だなんて思うんだ? ぼくはただ、君が好きなだけなのに」そこまで言って北館くんは耳まで真っ赤になる。私の体も熱くなった。背中の傷のあたりがどくんどくんと脈打つのが感じられる。 「顔が好き、って」 「え?」 「あれ、どういう意味?」 「え、聞こえてた?」北館くんがマズイことを言ったという風な顔をした。逆にあれだけ語りかけておいて、聞こえていないと思っていたのか。 「いや、あれはね。別に顔だけが好きってわけじゃないよ。逆に考えて、入学式で会ってすぐに性格だけを好きになって春に告白って、それはそれでヤバイ感じしない?」別に悪い意味で言ったんじゃないんだ。とあたふたする彼に私は体を預けた。背中に激痛が走るがそんなことはどうだっていい。 「聞こえてたよ、北館くんの言葉は全部」 彼はじっと私の顔を見た。最初に会った時と同じ目、鳶色の目だ。 「北館くんの未来に、私も居ていいの?」 「認めねえ」 聞き覚えのある声に、私の体に震えが走った。アイツが、まだ私の体の中にいるのだろうか。 でもその声はいつもと違い、少し離れた場所から聞こえてきて、耳に響いた。北館くんが険しい目を闇の中に向けている。そちらを見ると、そこにダスクモンが立っていた。私、あんなに気味悪い姿だったかな、と思う。彼がどうやって私の身体なしでその姿を保っているのかは分からない。あの男の力かもしれないな。レーベモンとの戦いの前に注がれた力は相当なものだった。あれなら自分の体くらいは自分で支えられるだろう。 「お前だけ幸せに終わるなんて、認めねえぞ」ダスクモンは私の方を向いて言った。 「お前はもう体の芯まで汚れきってる。俺といるのが一番いいんだ。知ってるだろ」お前みたいな奴、他に誰と仲良くできるって言うんだ? と彼は言う。私がこれまで何度も彼に言われてきた言葉、でも--。 「嫌よ」私は大声で言った。こんなに私を好きでいてくれる人が側にいるのに、私は自分が誰かと生きる資格なんてないと思っていたのだ。酷い自分勝手だ。 「私はまだ、生きていたい」 「なんだって」ダスクモンは声を失い。そして北館くんの方を睨む。「お前のせいだ。お前がこいつをこんな風にしたんだ」 「ああそうだよ」私を地面に下ろし、北館くんは立ち上がった。 「お前は負けた。お前が生まれてもう二年だ。そろそろぼくのところに帰ってきてもいい頃だよ」 「うるさい」うるさいうるさい、となんども繰り返すダスクモンの口調はいつものように下品なものではなかった。まるで駄々をこねる少年のような--。 「ああ、やっと分かった」北館くんが呟く。 「強がってたのか下品な言葉遣いを使っていたから気づかなかったけど、ダスクモン、お前、ぼくにそっくりなんだ」何かに甘えて、弱虫で、好きなものを好きと言えない、昔のぼくに。と彼は言った。 「うるさい! そんなの、認めねえ」ダスクモンが剣を構える。 「真理」北館くんもポケットから〈ディースキャナを出した。「君は昨日、夜の闇にも自分は受け入れてもらえなかったって言ったね」 紛い物の闇のスピリットを持つ私は、昼にも夜にも受け入れてもらえない。私はそう思っていた。 「だったら、ぼくが君を受け入れる」彼が私に背中を向けたままで言う。「ぼくは闇の闘士レーベモン。夜の闇はぼくのものだ。もう絶対に、君に悲しく夜を泣き明かすようなことはさせない」 彼の右手にバーコードの渦が浮かぶ。 「スピリット・エヴォリューション!」 ***** 「おお、すげえな」加納は空を飛び交う三色の光を見て言った。一条秋穂が呼び出したという光と水の闘士は秋穂が進化したメルキューレモンと共に、ある時は腹を突き上げ、ある時は目を突き刺しながら、見事にオニスモンを上空に誘導してみせた。光と水の闘士は普段は関西の方で活動しているはずだ。それなのに、東北の一条秋穂とここまで息をピッタリに合わせられるものなのだろうか。やはり彼らは強敵だな、と彼は思った。その時、ポケットの端末が震える。高視からの通話だ。 「ミチル、見てますか?」受話器の向こうからは高視の声と共に上空を吹き荒れる強い風の音が聞こえる。 「ああ、見てるよ。十闘士の奴ら、大したもんだ」 「ええ、でもこれからです。市民の被害を避けられたと言っても、オニスモンをなんとかしないことには」 「何か策があるのか?」妙に自信たっぷりな高視の口調に彼は首をかしげた。 「はい、大したものではないんですが。仙台支部にはまだ〈ユゴス〉のストックが残ってますよね?」 「残ってるだろうな」〈ユゴス〉はヒュプノスのデリートプログラムの中でも最もスタンダードなものだ。射出用のエネルギーはいつもたっぷり揃えられているはずだ。 「なあ高視、まさかありったけの〈ユゴス〉をオニスモンにぶつけるつもりじゃ--」 「え、そうですけど」高視は平然という。「何かまずかったですか?」 「良いけどさ」加納は呆れて言った。「お前って、案外脳筋なのな」 「ちゃんと考えてますよ。みんな一緒に羽の付け根を狙うんです。とりあえず付け根を狙っておけばなんとかなるんですよ」 なんだそれは、と言いたげに加納はため息をついた。「オーケー。まあ、他に手もなさそうだ。俺は支部に〈ユゴス〉の申請をするから、高視は上空の連中に話を通しておいてくれ」 「了解です。これで決めましょう」そう言って高視は通信を切った。 「よーし、一丁やるかあ」加納は空に向けて伸びをした。そして振り返り、呟く。 「ヒトミちゃんはどこ行った?」 ***** 「待ってよ、ギギモン」ヒトミはギギモンを追いかけて、夜の街をてくてくと歩いていた。加納が電話をしている時、突然ギギモンが歩き出したのだ。止めようとするヒトミの声にも聞く耳を持たなかったので、結局追いかける羽目になった。ミチルさんは心配するかな、とヒトミは思う。でも大丈夫よ。私にはギギモンがいるもの。 〈アイス・ナイン〉にやってきてから二ヶ月、時々ギギモンはこういう風になってしまうことがあった。辻や加納が見ている時ではなく、主にヒトミと二人っきりの時にそれは起こった。そうなるとギギモンはいつもの彼ではなくなってしまう。ヒトミに危害こそ加えないものの親身さは消え、彼女の胸に抱かれて眠ったり一緒にバーのオーディオに耳を傾ける時の彼とは全く違う目になってしまうのだ。野生の目、過酷な生き様のために用意されたかのような荒々しい龍の目だ。 「どこに行くつもりなの?」尻尾を振りながら歩くその後ろ姿に問いかけるが、反応は無い。仕方なくヒトミは黙ってその後について行った。そもそもここはどこなんだろう? 私の知っている街なんだろうか? ***** 「何もありませんねえ」ビルの壁に寄りかかって退屈そうに夏目が言った。 「何も無いってことはないだろう」僕はビルの壁に背をもたれさせて腰掛けながら西の空に浮かぶ巨大な鳥の影を指差した。 「そりゃま、そうですけど」夏目も空に目を向ける。 「退屈よねー」彼の頭の上でテイルモンが言った。 「まるで何か起きてほしいみたいな言い方だな」僕は少し非難がましい口調で言った。一条秋穂によって仙台まで連れてきてもらった後、僕と夏目、テイルモンは僕の店〈アイス・ナイン〉の前で待機している。 「そういうつもりで言ったんじゃないですけど」弁解するように夏目は手を振った。「高視さんに加納さん、同い年の北館や一条さんまで戦ってるのに俺は何もできないのがもどかしいんです」辻さんもそう思いませんか?と言いたげに彼は僕の目をじっと見た。 「僕らも戦ってるさ」僕は言った。「一条さんが言ったじゃないか、ここがみんなの帰ってくる場所だって。僕たちはここを守ってるんだ」もう四年近く店をやってきて、秋穂の言葉くらい嬉しい言葉を聞いたのは初めてのことだった。 「そうかもしれませんね」夏目は気の乗らない様子で言った。そんなまどろっこしいこと言ってらんないわよ、とテイルモンが言う。仕方がない、彼らはまだ若いのだ。 僕は膝の上に置いた銃を見つめる。明久の銃、あいつが、守りたい未来のために握っていた銃。 なあ明久、僕のしてることは間違ってないよな? 「あれ」夏目が顔を上げた。「あれ、ヒトミちゃんじゃないですか?」 僕は驚いてそちらを見る。夜の闇から現れるとても小さな影、僕の目はヒトミと、彼女が一生懸命追いかけているギギモンの姿を捉えた。 「何してるんだ」僕がヒトミに声をかけるとヒトミは驚いたようにこちらを見た。 「おじさん、なんでいるの?」そして周りを見回しあっと声をあげる。「ここって〈アイス・ナイン〉? どういうこと? 私ギギモンについてきたんだけど…」 ***** 「じゃあ、そっちにヒトミちゃんはいるんだな、ああ良かった。本当にすまない、俺がよく見ていなくて…」加納はそう言って辻との電話を切った。ヒトミが消えて一時は心臓が止まりそうな思いをしたが、〈アイス・ナイン〉にいるのなら問題ない。今は作戦に集中しよう。彼は高視に通話を求めた。 「ミチル? そっちの準備はできましたか?」 「ああ、〈ユゴス〉の申請は降りた」加納の電話に応えた鳥谷というオペレータは驚くほど楽しそうな声で、加納の申請に一も二もなく許可を出した。 「高視の方はどうだ?」 「もう準備万端ですよ。近くにクラビスエンジェモンも〈十闘士〉の子達もいます。やる気満々、って感じですね」加納は高視がクラビスエンジェモンや三人の闘士の真ん中でやる気満々になっている姿を思い浮かべようとしたが、どうにもうまくいかなかった。 「それならオーケーだな、秋穂ちゃんにかわってくれ」 風のためのノイズの後にメルキューレモンの声が加納の耳に入ってきた。「ミチルさん、私と何か話すことがあるわけ?」 「いや、激励だよ」その言葉に、ふふんという笑いが返された。 「そんなもの、必要ないわ。私達は十闘士、協力は今回限りよ。でも、ありがとう」 「素直じゃない子だ」 「うるさいわね!」 受話器の向こうで揉めるような音が聞こえ、次に電話に出たのはクラビスエンジェモンだった。 「マスター、今ひょっとしてこの鋼の小娘がマスターに暴言を吐きましたか?」 「吐いてない、吐いてないよ。秋穂ちゃんを離してやれ」離さないと今度は首を折るわよという秋穂の声がかすかに聞こえて、彼は慌てて言った。 「今はとにかく協力だ。クラビス、頼むぞ」 「マスター」 「なんだ?」 「絶対成功させます。マスターのために、私のために」 加納はにやりと笑った。「ああ、信じてるぞ」 通話の相手が高視に戻った。 「それじゃあ、始めますよ。加納さんのユゴス発射の合図に合わせて、我々も渾身の一撃をオニスモンの羽の付け根に叩き込みます」 「よし、行くぞ」彼は高視との通話を支部のオペレータに繋いだ。再び鳥谷が通話に応える。 「準備完了ですか? 私達はいつでもぶっ放せますよ!」 「え、その声は鳥谷さん?」そんなテンション高かったっけと高視が言った。まるで緊張感が無い。加納が呆れて口を挟む。 「そんなことは後でいい。いいか、俺の合図で鳥谷さんも高視達も一斉掃射だ」 「了解」 「みんな、〈二年前〉にここで決着をつけるぞ」 今度は了解の声がさっきより増えて聞こえた。 「それじゃ行くぞ。三、二、一」 マダラマゼラン一号 2017-09-04T19:21+09:00